2013.8.24(土)
毎年、8月下旬に開催される足柄花火大会の花火をグリーンヒルの入口付近から撮影しました。高いところからの撮影なので見上げずに正面に花火を見ることができます。
足柄花火大会は午後8時から40分間に1500発連続して打ち上げられます。開成町と松田町合同で開催されています。
花火をデジブックでご覧ください。下記の写真をクリックすると拡大画面で見ることができます。
グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。
1284年(弘安7年)、日蓮の弟子日昭は風間信昭の帰依を受け、鎌倉浜土の玉沢(現鎌倉市材木座)に法華堂を建立した。1538年(天文7年)戦乱により、越後村田(現新潟県長岡市村田)の妙法寺に避難。さらに1594年(文禄3年)戦乱により、伊豆加殿(現静岡県伊豆市)の妙国寺に避難した。村田妙法寺は風間信昭開基の寺院であり、加殿妙国寺は日昭門流の寺院である。
その後、15代日産の時、1621年(元和7年)に大木沢(現在地)に移転し、日産、日達、日亮の3代に渡り再建された。大木沢は妙法華寺創建の地名をとって玉沢と改称された。1625年(寛永2年)には玉沢全地が徳川秀忠の朱印地として寄進され、下乗札が立てられた。徳川家康の側室養珠院(お万)や英勝院(お勝)らが寺の再興に力を尽くした。1630年(寛永7年)の身池対論には妙法華寺から日遵が臨んでいる。
長い石垣と塀に囲まれている寺です。
日蓮聖人像
日蓮聖人の撰時抄のどっしりした石碑が置いてあります。
写真はクリックすると拡大します。
中門
敵前で日本艦隊がターンをして、丁字の横棒となり、縦棒をなす敵艦隊の頭を押さえつける形で進路を阻み、縦列のロシア艦隊の後半部分は距離が遠く有効確実な砲撃はできなくなったのです。日本艦隊は敵艦の先頭部分に一斉射撃を集中し各個撃破を行うことができ、さらに、第二戦隊と共にバルチック艦隊を挟撃(乙字戦法)し完膚なきまでに撃滅したシーンを思い出しました。
被弾鉄板雪見燈籠:日本海海戦で射抜かれた三笠の艦材を使って作ったもので、呉鎮守府から伊藤博文に送られたが記念艦三笠に返されたのです。射撃でこんなに穴が開くのですね。
ビデオ室は団体用と個人用があり、ロシアバルチック艦隊との戦いの様子が上映されました。TV放送「坂の上の雲」だったのでしょうか?
東郷平八郎司令長官が立って指揮をした場所です。「本日天気晴朗なれど波高し」とZ旗を掲げたのです。
最前列が東郷司令長官の立ち位置で左後ろが秋山真之参謀の位置です。
この後、写真はありませんが三笠の中を見て歩きました。横浜港の日本丸や氷川丸の見学船と同じような感じです。
三笠の外に出てへ先に周り音楽噴水池に向かいます。
家内は「音楽に合わせて噴水が踊るショー」を見に一足先に行っていました。
前から見る三笠です。
多くの人が立っている場所が東郷平八郎や秋山真之が立っていた位置です。
要塞がある猿島です。島と行き来する船が走っています。
次は猿島へ渡ってみたいです。
米軍のグラウンドだと思います。
噴水池ですが、今はイベントが終わり静かです。
また、来た道を歩いて横須賀駅に向かいます。疲れたので軍港めぐり乗船場の前にあるシャトレーゼのCafeで港を見ながら一休みです。シャトレーゼはケーキの製造と販売のみの会社と思っていましたがCafeも経営しているのです。
もうすぐ横須賀駅です。
横須賀駅に到着。よく遊んだ一日でした。
横須賀 第一部おわり
横須賀シリーズ
4.横須賀ー4(軍港めぐり2 原子力空母ジョージワシントン)
7.横須賀−7 再びどぶ板通り
8.横須賀ー8 三笠公園通り
9.横須賀−9 旧連合艦隊旗艦三笠
4.横須賀ー4(軍港めぐり2 原子力空母ジョージワシントン)
7.横須賀−7 再びどぶ板通り[明治45年(1912年)3月16日制定]
トランペットのデザインの排水溝です。米軍の進軍ラッパやジャズのトランペットを連想します。
どぶ板通りのレリーフが通り入口にかかっていました。
手形の場所を示しています。写真をクリックすると拡大します。
歩道に手形がはめ込まれています。
雪村いづみの手形です。
神奈川県のシンガーソングライター白鳥英美子の手形です。
汚水マンホールは歩道のタイルと同じタイルを貼り、歩道に溶け込んでいます。
金属の名盤で海に因んだデザインです。
米軍人相手のスーベニア店のようです。
アメリカ的なネオンです。これらはバー、クラブ、飲み屋です。
絹刺繍のスカジャンで、日本の風景、風物が刺繍されています。
何故か?鉄人28号が2Fにいます。
有名などぶ板食堂Perryです。
ぶらぶら歩くのに楽しいどぶ板通りです。
つづく・・・・三笠公園へ
横須賀シリーズ
4.横須賀ー4(軍港めぐり2 原子力空母ジョージワシントン)
4.横須賀ー4(軍港めぐり2 原子力空母ジョージワシントン)
1853年、ペリー率いる黒船艦隊が横須賀の浦賀に来港しました。
当時の幕府は異国船打払令などの法令により鎖国的な国策を進めます。
しかし、当時の勘定奉行であった小栗上野介は、「島国である日本が、
諸外国と渡り合うためには、近代海軍の整備が急務だ」と考えました。
1865年、幕府を説き伏せた小栗は、フランス海軍技師のヴェルニーを招き、彼を首長として江戸からも近く、波の影響を受けにくい横須賀に、
日本で初めての造船所となる「横須賀製鉄所」の建造を始めました。
以降昭和にかけて、横須賀港は世界でも有数の軍港へと発展していきます。
―― 近代的な軍港へと発展し、日米の艦船が所狭しと並ぶ現在も、残された施設や、当時培われた優れた技術は至る所で使われています。
岩壁に一部、昔の石積みが残っているのでしょうか?
甲板席にたくさん乗客が座っています。遅く行ったので前の席が取れませんでした。
レンガ造りの乗船ゲートです。
車いすの乗客は特別製ロープを使い、二人がかりで少しずつ桟橋をおろしています。
老人ホームの方が何人か乗り込みました。
さあ出発です。
最初は、101むらさめ 護衛艦です。
次に見えたのはイージス艦です。イージス艦とはイージスシステムを搭載した艦艇の総称です。
現在、尖閣諸島を守っているのもイージス艦です。また、北朝鮮がミサイルを発射するときに、迎撃装置を積んでいるのもイージス艦です。現在日本には6隻あり、米軍は10隻、合計16隻で防衛にあたっています。イージス(Aegis)とは、ギリシャ神話の中で最高神ゼウスが娘アテナに与えたという盾(胸当)アイギス(Aigis)のことで、この盾はあらゆる邪悪を払うとされています。
八角形の板が見えますが、これがイージスシステムのレーダーです。
イージス艦は、同時に多数の空中目標を捕捉し、これらと交戦できる、極めて優秀な防空艦で日本では護衛艦として使われています。
82番はアメリカ海軍ラッセン ミサイル駆逐艦です。船首に書いてある番号で船の名前や種類が解るのです。
写真を拡大するとAPL40と船首に書かれているのがわかります。米軍の支援船です。多くの米軍人が船で来て上陸するので基地内の宿泊施設が一杯になった時に海に浮かぶホテルとして使用しています。
潜水艦です。内部の気圧調整か?何か分かりませんが蒸気が出ています。
潜水艦が三艘も並んでいます。写真を拡大してじっくりご覧ください。
*** 軍艦には素人なので間違いがあるかもしれませんがご容赦を***
つづく・・・・横須賀ー4(軍港めぐり2 原子力空母ジョージワシントン)
横須賀シリーズ
泥水が濃ければ濃いほど、はすの花は大輪の花を咲かせます。
泥水とは人生におきかえれば、つらいこと、悲しいこと、大変なことです。
ほとんど泥水ではなく、真水に近いようなきれいな水である場合、
蓮の花は本当に小さな花しか咲かせません。
大輪の花を咲かせるためには、ものすごく汚い泥水が必要です。
蓮の花は泥水の中からしか立ち上がってこないのです。
蓮の花とは、まさに人生の中で花を咲かせること、
そして、その花の中に実があるのが 「悟り」 です。
つらく悲しい思いがなければ、人間は悟ることがないのだ、
ということをお釈迦さまは教えたかったのだと思います。
人は 「悟る」 ことが出来れば、迷い苦しみはなくなり
まわりのこと、人、もの、現象が、
みんな 「幸せに思える」 ようになります。
★ お釈迦さま は うつくしい花を咲かせるためには泥は必要であるということを 伝えたかったようです。私たちはいろいろな悲しみ・つらさ・大変なことを経験しない限り、悟ることはできないという教えです。そんな苦難なときが来たら、
「ああ、この結果として私は大きな悟りに、美しい世界に導かれていくのだな」
と思うことが大切です。そう思えれば、自分自身にとってものすごく嬉しく楽しく、
幸せで素晴らしいこと、そして、有難いことだと気が付いてきます。
それをお釈迦様は後世の人に伝えたかったようです。
その象徴として、蓮の花が台座に選ばれました。