花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2012年06月

伊豆半島下田−2(ペリーロード)

アジサイを見ながら下岡蓮杖の碑へ降りてきました。
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日本で最初に写真を始めたのは、オランダ人によりその技術を伝授された長崎の上野俊之丞(うえの としのじょう)でしたが、それよりやや後れて上野氏とはまったく別に、苦心の末に写真技術を習得したのが蓮杖でした。
 蓮杖の開設した写真館が日本最初であるところから、「日本写真師の祖」あるいは「日本商業写真の祖」とも称されています。
 下岡蓮杖は桜田與惣右衛門(さくらだよそえもん)の三男として文政6年(1823)2月12日、下田中原町で生まれます。幼名は桜田久之助(さくらだひさのすけ)。桜田家は浦賀船改船所の問屋であり、蓮杖は6、7歳の頃、岡方村の土屋善助の養子となります。
 後の慶応年間、生まれた下田町の「下」と、養子にいった岡方村の「岡」を取り、姓を「下岡」と改no titleめ、蓮の根の杖を持つことを常としたので「蓮杖」と号しました。
 蓮杖は13歳のとき、画家を志し江戸に出ますが、思うようにならず、足袋屋の丁稚となって働き、次いで天保14年(1843)下田に帰り、砲台付足軽となます。

あるとき江戸の薩摩藩下屋敷にて初めて銀板写真を見て、その精巧さに感激し、写真術の習得を志すこととなります。

 嘉永6年(1853)30才のときに蓮杖と号し、安政3年(1856)ハリスが米国総領事として下田に着任したときに、下田奉行所の足軽となります。御馳走係筆頭として外国人との接触の機会を得ると、写真機を所持していたオランダ人通訳ヒュースケンから写真についての説明を受けたといわれています。

 万延元年(1860)、新たな開港場となった横浜に行き、米人写真家ウンシンと知り合い、写真機材一式を譲り受けると、その資材や薬剤等を用い実験を重ね、1年半という月日をかけ、辛苦の末にようやく湿板写真術を習得します。(蓮杖39才のとき)。

横浜馬車道にも下岡蓮杖の碑があります。
    

横浜、大人の休日散歩道ー9(馬車道)


 
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下岡蓮杖の碑から階段を降りると「なまこ壁」の家が見えて来て、ペリーロードへと続いてています。


 





下田公園から了仙寺への約500m.平滑川をはさむ石畳の小道がペリーロードと呼ばれているのです。

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写真をクリックすると拡大し
ペリーロードの位置が分かります。









階段を降りたところにあるなまこ壁の家は旧澤村邸。1Fは観光客のための休憩所となっています。2Fは下田芸者の稽古場になっていて、踊りの稽古をしている様子でした。
蔵はギャラリーとなっていました。

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no titleお茶が準備されている部屋にはDVDで下田の観光スポットの映像が流れ、壁にはアニメの絵が貼ってありました。

写真をクリックすると拡大します。

何のアニメなのか分かりませんでしたが
机には、「夏色キセキ」というアニメの本が置いてありました。

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下田の街に住む4人の娘さんの話で、下田の観光スポットがふんだんに出てくるようです。TVで放映もされ、下田から帰った翌日の朝刊(朝日新聞)に一面を使った「夏色キセキ」DVD発売広告が掲載されていました。

第11話まであるようです。

4人の女の子のバックに平滑川のペリーロードが描かれています。

インターネットで「夏色キセキ」と検索するとたくさん出てきます。有名なアニメのようです。


ニコニコ動画で現在無料配信されています。
http://ch.nicovideo.jp/channel/natsuiro-kiseki

澤村邸への階段



今、降りてきた階段



「夏色キセキ」の漫画・アニメに登場した下田の場所を探して歩くのを「夏色キセキ聖地巡礼」というそうです。


















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旧澤村邸の部屋から見える平滑川







古い家並みを見ながら散策。
平日なので観光客がほとんどいません。
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Cafeを見つけたので早速ティータイム。雑貨・洋服も売っている「ページワン」という店です。
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                  アフィガードとコーヒーのセット


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路地にはしゃれた雑貨・洋品店があります。
家内が物色している間に私は階段を上がって何があるか見に行きました。

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階段の上は「長楽寺」で、下記の案内文がありました。

「安政元年(1854年)12月、当寺において日本全権 筒井政憲・川路聖膜とロシア使節海軍中将プチャーチンとの数回におよぶ交渉の結果、日露和親条約(日露通好条約)が締結された。これによって国境が定まり、択捉島と得撫島の間に境界を置き択捉・国後・歯舞・色丹は日本領に、得撫島以北の千島列島はロシアに属し、樺太については日露両国人の雑居を認めることになった」
日露和親条約締結の地のお寺なのです。



再びペリーロードに戻り、了泉寺へ向かいました。
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狭い路地を進むと
了泉寺の山門に出ました。





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了泉寺
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嘉永7年(安政元年=1854年)3月、日米和親条約が結ばれ下田が開港され、下田条約(和親条約追加9か条)が結ばれると、玉泉寺と了泉寺が米国人休息所に指定されました。

安政3年(1856年)7月タウンゼント・ハリスが米国総領事として下田に来航したが
幕府が着任を拒否しようとした為、数日間もめたそうです。結局条約の日本語訳に誤りがあったことが判り、8月5日、日本最初の領事館が玉泉寺に開設され、星条旗が前庭高く翻ったのです。ハリスは通訳のオランダ人ヒュースケン、召使の中国人と共に玉泉寺に住みました。

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了泉寺の裏に、古墳時代の横穴があり、人骨の他、勾玉や腕輪、耳飾りが出てきました。



詳しくは下記説明板の写真をクリックして読んでください。

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つづく・・・・伊豆半島下田ー3(足湯通り)

これまでの記事
 

伊豆半島下田ー1(下田公園のあじさい)










伊豆半島下田−1(下田公園のあじさい)

1012年6月25日
下田公園のアジサイを見に行きました。

家から2時間半で下田到着。
梅雨の時期、途中雨に降られましたが下田に着くと曇り空、幸運でした。

「道の駅 開国下田みなと」でお昼にすることにした。

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木の広いデッキの端に
寿司屋があったので
そこでお昼にしました。
初めて、金目鯛の握りずしを食べました。
歯ごたえがありおいしかったです。
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「きんめ祭り」の最中なので
寿司屋で金目鯛が当たる抽選券をもらい
観光協会の投票箱に入れました。
当たると電話で連絡が来るそうです。
当たるかな?


観光協会の前の金目鯛のモニュメント
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食事の後、下田公園のあじさいを見に行きました。
10万坪の山一面に
15万株
300万輪
のあじさいが咲いています。
山の斜面に植わっているあじさいなので
開成町のあじさい農道とは
まったく趣が違った風景です。

デジブックでご覧ください。

http://www.digibook.net/d/0b05c7bfb15aad09b440a533714bc4d8/?viewerMode=fullWindow



続く・・・・
伊豆半島下田ー2(ペリーロード)





梅雨空に

梅雨空に
あじさいは定番でよいですが
少し
明るい色がほしいと思いませんか?
暗い気分を
ぱっと明るくしてくれる色が
庭の片隅に
あっていいですね。
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河村城址ー6(山北駅周辺)

山を降りて、少し山北町を歩きました。
山北駅周辺

マップをクリックすると拡大します。





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春に桜祭りが行われる桜並木は葉桜となっています。

桜の山北の様子は下記URLです。
http://www.digibook.net/d/8dc4af37b1db8d0d3b8bb51381490598/?viewerMode=fullWindow



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道端には仲睦まじい道祖神








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道端の薔薇








Hand Voiceというチェンソーアートの作品を販売している山に囲まれた山北らしい店。


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シャッター街となっている山北商店街。今日は日曜だが、普段も数軒店を開けているだけとのことでした。


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「ポッポ駅前屋」

のれんがまだ下りていないが
「山北駅のジオラマを見せてくださいませんか?」と中に入りました。
無料で見せてもらうのは悪いのでコーヒーを注文しましたが味はもう一つでした。

JR東海道が走っていたころの山北駅の繁栄がジオラマで見られる場所です。


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車庫には御殿場まで列車を後押しする蒸気機関車が多数おさまっています。
山北から御殿場までは急坂なので、
一台の機関車では当時は上がれず、
山北駅で客車の後ろにもう一台蒸気機関車を連結して登ったのです。したがって、「特急つばめ」も山北駅で停車したのです。


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昨年秋の下記タウンニュースで「ポッポ駅前屋」の存在を知ったのです。

http://www.townnews.co.jp/0608/2011/09/24/118868.html


コーヒーを飲んでジオラマで大正時代の良き山北駅を感じて外に出、駅前の景色を撮影しました。






現在はシャッター街になっている「山北駅前大通り」

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現在の山北駅です。最近、JRの合理化で無人駅にとのことでしたが
山北町の顔としての面目を保つ為、町でお金を出し、案内人を雇い、駅の案内や切符の販売をJRから委託される形になりました。

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山北駅無人化に関する読売新聞記事は下記URL
http://search.yomiuri.co.jp/index.html?q=%E5%B1%B1%E5%8C%97%E9%A7%85&r=reflink


駅正面の年代を感じさせる2つの建物。
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いつの間にか、立派な「観光案内所」と「木のモニュメント」が建っていた。
観光案内所の屋根の中央には蒸気機関車の煙突が立っています。
木のモニュメントには山北駅から登山できる丹沢山系の山の名前が刻まれています。
観光立国山北への変身なのでしょう。



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では、観光案所に入ってみましょう。

入口には山北町循環バスの経路と時刻表が貼ってありました。
このバスは県や町がお金を出し運行されているのです。
財源については下記URLを参考にしてください。
私の住むグリーンヒルも同じような試みを2回しましたが
乗客数が伸びず、財源確保が出来なかったため、中止されました。
山間部では人口減とともに民間バスが廃線となり、山北町のような試みをしていますが成功しているところは少ないようです。

http://yaplog.jp/kiyop/archive/270

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山に囲まれた町の観光案内所らしく
木をふんだんに使っている建物です。









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入口を入った右では
無料の足柄茶が飲めるようになっています。
いい茶葉が使われているようでおいしいお茶でした。







二階は研修所兼休憩所となっており、周囲には華やかなりし頃の山北駅の風景写真が飾ってありました。


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昭和8年頃の機関庫とあります。
「ポッポ駅前屋」ジオラマで見た光景と同じです。

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昭和初期の山北駅

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関東大震災で、酒匂川第二鉄橋で脱線したマレー式蒸気機関車


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昭和43年(私が富士フイルムに入社し足柄工場配属になった年)6月30日
ついに、御殿場線が電化され蒸気機関車が見られなくなる時の記念のサヨナラ列車D5272
同型の蒸気機関車は山北駅裏の鉄道公園に置かれています。

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12:30 観光案内書の脇の階段を登り、山北駅のホームと線路を眺め
9:15からの河村城址公園散策と山北駅周辺の散策を終了しました。
山北駅のホームは繁栄していた時代のホームをそのまま使っているので
非常に長いです。

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今までの記事

河村城址ー1(山北駅から)

河村城址ー2(盛翁寺)

河村城址ー3(河村本城郭へ)

河村城址ー4(郭)

河村城址ー5(山北町を眺望)






河村城址ー5(山北町を眺望)

登山口まで下りて来て河村城2012_0513河村城0115址への別の道を示す看板を発見。











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次回のために、少し歩くことにしました。
ミカン山の中の道です。
こちらの道は日がサンサンと照る道です。
夏は暑そう。冬はこちらの道がよさそう。






ミカン山からは山北町全景が見えます。
写真をクリックして大きな画面で見てください。
山間の細長い町です。
山北町全景


北側に大きな山、丹沢山系を抱く街なので「山の南」に相当するのになぜ「山北町」というのでしょうか?インターネットで調べてみると下記の記事が見つかりました。

山市場村(やまいちばむら)は、
神奈川県足柄上郡に存在した。現在の山北町南西部に位置した。
山市場村とは山間部の市場の意味とあった。

山北町の沿革は

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、山市場村が単独村制川西村湯触村谷ケ村神縄村との町村組合が発足し、組合役場を川西村大字川西に設置。
  • 1923年大正12年)4月1日 - 川西村、谷ケ村と合併して清水村が発足。同日山市場村廃止。
  • 1955年昭和30年)2月1日 - 清水村が山北町、共和村三保村と合併し、改めて山北町が発足。

  • ミカン山のルートは地図を見ると通行止めになっていた道に通じているようです。

    河村城址ー1(山北駅から)


    河村城址ー2(盛翁寺)


    河村城址ー3(河村本城郭へ)


    河村城址ー4(郭)


    本:謎解きはディナーのあとで

    梅雨になり、「雨の日は読書」が多くなりそうですね。
    ブログも「本の紹介」が増えそうです。
    ディナーを終えた皆さんにお薦めの小説です。


    謎解きはディナーのあとで

    (東川 篤哉)

    (小学館)

     謎解きはディナーのあとで

    メタリックシルバーのジャガーの乗って現場に登場する風祭警部。風祭警部は風祭モーターの御曹司。

    彼は、宝生麗子の上司である。新米刑事の麗子は宝生グループ総師の一人娘。

    この二人がユーモアたっぷりの会話で、事件の解決に向かうが解決できない。麗子は、家に帰り、ディナー後、執事景山に、未解決事件の話をすると、話を聞いただけで犯人を言い当てる不思議な執事です。

    麗子と執事景山の会話も面白い。会話を楽しむ謎解き小説です。


    一つの事件は40ページほどで終わり、気楽に読めるが良いです。

    本は6話が収録されています。



    国立警察署所属なので国立付近で起こる事件です。


    本の表紙から雰囲気が伝わってきます。風祭警部、麗子、景山執事が描かれています。

     

    謎解きはディナーのあとでのウイキペディア(下記)に詳しく物語について記述されています。

     

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AC%8E%E8%A7%A3%E3%81%8D%E3%81%AF%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%A8%E3%81%A7

     

    昨年、フジTVででも放映されたということです。


    下記
    URLで無料動画を見ることが出来ます。

    一話読むごとに無料動画を見るのが良さそうです。

     

    http://www.doramadougas.com/nazotoki/nazotoki-00/

     

     

    河村城址ー4(郭(くるわ))


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    標高223mの山頂の芝生の隣には
    円形プレートが埋め込まれ
    郭(くるわ)の配置図があがかれています。





    2012_0513河村城0062ウィキペディアの説明によると

    河村城は平安時代末期に藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたとされる。

    建武の新政南北朝時代に入ると、河村氏新田氏に協力し南朝方につき、北朝方の足利尊氏と対峙したといわれ、1352年(南朝:正平7年、北朝:文和元年)から2年間、河村秀国河村秀経らは新田義興脇屋義治とともこの城に立てこもり、畠山国清を主将とする足利尊氏軍の攻撃をしのいだとされる。しかし、南原の戦いで敗れ落城し河村一族の多くは討死し、新田義興・脇屋義治は中川城を経て甲州に逃れたとされる。

    その後は、この城は畠山国清や関東管領上杉憲実を経て、足利持氏の属将、大森憲頼氏頼の弟)の支配するところとなる。

    戦国時代に入ると後北条氏の支配を受けるようになった。元亀年間(1570年(元亀元年) - 1573年(天正元年))には甲斐国武田信玄の侵攻の際に補強され、その後、周辺の諸城とともに後北条氏と武田氏の間で争奪合戦があったとされる。

    1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐で、この城は落城し廃城となった。

    山北位置

    河村城の北は山北町、その背後は丹沢連峰。
    酒匂川は堀の役目をしたのでしょう。
    酒匂川の手前は小田原に通じています。






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    奥に祠がありますが
    何が入っているか分かりません。
    ひょっとしたら








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    河村城址の大きな碑が立って
    その向こうは甲斐の国につながっています。





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    碑の裏側







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    本城郭から南の方向の景色。
    下を流れるのは酒匂川。
    はるか向こうには小田原、相模湾も見られます。





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    本城郭は広い芝生となっています。
    子供の遊び場としていいですね。




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    ここから洒水の滝へ行くハイキングコースがあります。
    洒水の滝は「日本の滝100選」に選ばれて夏でも涼しい場所です。
    今回は午前中で帰らないといけないので
    滝へは向かいませんでした。


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    本城郭と蔵郭の間には橋が掛っています。
    昔からここに橋がかかっていたのです。
    橋柱跡が見つかっています。




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    分かりにくいですが
    堀切です。
    下に説明があります。




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    写真をクリックして読んでください。




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    蔵郭への道。





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    蔵郭があった場所です。




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    蔵郭から先は整備中のようで、フェンスが建てられていますが隙間があいているので入ってみました。



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    あちらこちらにシートが破れたまま放置されています。シートが掛っている場所は発掘した跡なのでしょうか?





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    大庭郭はフェンスでシャットアウトされ
    先へは進めませんでした。
    全部整備されるとかなり大きな河村城址です。




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    帰りは「ハイキングコース」を帰ろうと
    道標の方向へすすみましたが・・・??





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    草に覆われた道を下り始めました。





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    しかし、「この先崩落につき 通行止め」
    の張り紙が。
    残念だが元来た道を降りました。

    河村城址ー3(河村本城郭へ)

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    いよいよ河村城への登り口です。
    ここに、案内板があります。







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    河村城は山の上にあり、敵からの攻撃を防ぐのによい立地条件だったのです。







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    山頂の守りの郭割が解っています。

    今から本城郭を目指します。






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    案内板の手前にトイレがあります。
    「山へ入る前に済ませてください」と
    いうことでしょう。






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    山の中に入っていくと
    このような光景で、
    なかなか良い雰囲気です。




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    次第に、急こう配になっていきます。






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    写真をクリックすると急坂の下に
    登って来た道が見えます。







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    この急坂では城攻めが難航したことでしょう。






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    畝堀の下部に
    「お姫井戸」と表示があります。
    発掘調査の結果では井戸跡は確認出来ていない様で真相は不明なようです、河村城落城の際に城主の姫が井戸に身を投じたという話も残っているそうです。






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    写真をクリックして拡大するとオタマジャクシが
    たくさんいるのが分かります。
    水がわき出ているようなので
    井戸があったとしてもおかしくありません。




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    急な斜面にシャガが群生しています。







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    山の頂上はフラットな芝生です。
    ここが本城郭です。







    つづく

    これまでの河村城址

    1.山北駅から・・・・・・5/24
    2.盛翁寺・・・・・・・・・6/1











    ハイパーリンク

    横浜、休日大人の散歩道(ピア象の鼻遊覧船)

    Windows Live Writerでブログ投稿改造

    Livedoorのブログ作成・管理画面でが新しくなり

    無料ブログでは写真が一枚づつしかアップロードできないので不便になった。

    そこで、インターネットで写真を一度に複数枚アップロードできないか調べたら、マイクロソフトの無料ソフトWindows Live Writerで可能ということが分かり、早速インストールしたが

    初期設定画面での設定がよくわからない。

    下記URLを見て、OKになりました。

    http://blog.livedoor.jp/iceboy_kaz/archives/50949245.html

    でも、パスワードがAPIキーだったり、ユーザー名がアカウントだったり、プロバイダーの選択画面等は見ただけでは何を入力したら良いのかわからない。インターネットさまさまです。

    下記の写真のSHIFTキーを押して3枚一度に挿入OKになりました。

     

    IMG_1335IMG_1345IMG_1346

    CTRキーを押しながら写真を選ぶと連続していない写真も一度にアップできます。

    IMG_1752IMG_1797IMG_1805

    文字を書いていくと、ブログの幅で自動的に改行が行われるすぐれもの。

    写真の大きさは好きなサイズに出来ないのかな?

    これは次までの宿題。

    Windows Live Writerで原稿を作ってこのまま投稿ボタンを押すとブログにアップ出来る。

    下記をクリックするとハイパーリンクで以前のブログに飛ぶはず。ほんとかな?

    izennni

    小田原城 あじさいと花菖蒲

    あじさいの花は遅れているが
    小田原へ出てきたついでに
    小田原城の
    あじさいと花菖蒲を見てきました。
    2012_0611湯本0105


    後は、下記デジブックでご覧ください

    http://www.digibook.net/d/2455efdba19e850934e73fb5c74b05d8/?viewerMode=fullWindow

    横浜、大人の休日散歩道ー19(ピア象の鼻発遊覧船)


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    クイーンの塔を正面に見ながら
    プロムナードを歩き「ピア象の鼻」を目指す。








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    山下臨港線跡がよくわかる情景です。
    少し前まで、ここを貨物列車が入っていたのです。




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    大桟橋へ行く階段を降りると
    開港当時の「象の鼻」付近の様子を
    描いた絵がかざってありました。






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    遊覧船乗船まで少し時間があったので
    「ピア象の鼻」が見えるCafeで一休み。





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    一輪のクリスマスローズが飾ってありました。





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    家内と合流し
    15:15 ピア象の鼻発遊覧船に乗り込み
    出発です。




    1時間15分の遊覧でした。
    船からの景色は下記URLでご覧ください。
    みなとみらいの見慣れた景色は
    左からランドマーク、コスモクロック、インターコンチネンタルですが
    海から見ると、配列が少し違って見えます。デジブックを参照。

    http://www.digibook.net/d/ae54857b909fad08a447bd851942859a/?viewerMode=fullWindow


    富士山

    帰りの車の中からの夕焼けの富士山







    これまでのシリーズ
      横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
      横浜、大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
      横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
      横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
      横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
      横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
      横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16

      横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
      横浜、大人の休日散歩道ー9(再び馬車道)・・・・4/6
      横浜、大人の休日散歩道ー10(旧横浜港駅を目指す)・・・4/12
      横浜、大人の休日散歩道ー11(横浜三塔が一緒に見える場所)・・・・4/26
      横浜、大人の休日散歩道ー12(大桟橋からの三塔)・・・・5/1
      横浜、大人の休日散歩道ー13(日本にもある人魚姫)・・・・5/8
      横浜、大人の休日散歩道ー14(横浜マリンタワー)・・・・・・5/16

      横浜、大人の休日散歩道ー15(山手西洋館の薔薇)・・・・・・5/28
      横浜、大人の休日散歩道ー16(港の見える丘の薔薇)・・・・5/29
      横浜、大人の休日散歩道ー17(フランス山)・・・・6/3
      横浜、大人の休日散歩道ー18(山下公園の薔薇)・・・6/6



    アジサイの季節

    梅雨入り宣言がなされ
    アジサイの季節になりました。
    今年は
    花が遅れて
    大きくなる花はまだ、小さいですが
    鉢の山アジサイが
    可愛く咲いています。
    IMG_2640

    IMG_2641


    本:マルセル


    今日は15:00まで雨が降り
    関東も遂に梅雨入り

    本の出番が多くなりそうです。
    今日は、ロートレックの名画「マルセル」盗難事件にまつわる謎解き物語です。

    マルセル

    (蘯のぶ子)

    (毎日新聞社)


    マルセル新聞記者の千晶は父が亡くなり、家を処分するため片づけをしている時、新聞記者の父が遺した取材ノートから、父がロートレックの名画『マルセル』盗んだ犯人を追いかけていたことを知る。

    結局、犯人は捕まらず、現在も犯人は不明。父が残した取材ノートから千晶は犯人捜しを始める。


    偶然にも入った京都北白川の
    Cafe、ミッシェル、オリオと出会う。オリオは敵か味方か?


    3
    人で犯人を追いかけて行く謎解きの物語。恋愛小説家の蘯のぶ子が始めて書くミステリー小説です。やはり、ミステリー小説の中に恋愛小説が込められているのです。


    非常に手が込んでいる小説で面白いです。起・承・転・転・転・・・・結

    犯人はつきつとめられるのだろうか?


    小説の舞台は、千晶が住む団子坂、そして京都北白川小倉町、さらにマルセルを描いたロートレックが住んだパリへと移る。



    団子坂
    主人公千晶が住んでいる東京団子坂は地図でブルーの矢印が付いている通りで、

    「千駄木坂は千駄木御林跡の側、千駄木町にあり、里俗団子坂と唱ぶ、此坂の傍に昔より団子を鬻(ひさ)ぎて茶店ある故の名なり、今は団子のみならず、種々の食物をも商ぶ繁昌の地となれりと。」(『御府内備考』)





    北白川小倉町




    キーとなる場所は白川疏水通が流れる

    京都北白川小倉町










    マルセル盗難事件は実際に起こった事件です。下記はウィキペディアの記事です。


    1968(昭和43年)、京都国立近代美術館11月9から開催されていた「ロートレック展」の最終日の12月27にフランスから借りて展示されていた油彩絵画のうちの一つ「マルセル」(時価3500万円相当)が消えた。

    盗難から3日後の12月30に美術館から約200メートル離れた自転車置き場で額縁だけが発見され、現場の西側にシューズの跡が残されていた。

    また、「マルセル」は一番人気があった作品だったが、隣にあった『酒場「スター」のイギリス娘』(時価1億円以上)は盗まれていなかったことから、換金目的ではなく「マルセル」の熱狂的なファンの仕業と考えられた。

     事件から7年後の1975(昭和50年)12月27窃盗罪公訴時効
    が成立した。

    時効成立後の1976(昭和51年)1、大阪市に住む会社員夫婦が「盗まれた『マ
    ルセル』ではないか」と新聞社に連絡してきたことで発見された。


    会社員夫婦によると「『マルセル』は知人で京都に住む中学教諭から預かったもので風呂敷に包まれた中身を確かめずに押し入れに置いていた」という。中学教諭は「知人から預かっており中身を知らなかった。知人の名は信義があるので言えない」と主張し、時効のため詳しい真相を追究することができなかった。

    1868年は私が大学を卒業し、富士フイルムへ就職した年ですが、色々なことが起こった年です。

    印象に残ることを上げると下記のようになります。


    01/09 マラソンの円谷幸吉選手自殺.
    02/20
     静岡県清水市で2人を射殺した金嬉老,寸又峡温泉の旅館に人質13人をとり龍城.24 日逮捕(金嬉老事件).
    05/16
     十勝沖地震,死者52
    06/17
     東大,当局に反対し安田講堂など占拠の医学部学生に対し,機動隊を導入.20日,
    全学部に紛争拡大.
    06/26
     小笠原諸島,正式に日本復帰.
    07/01
     郵便番号制スタート。当初の番号記載率は56%だったが、昭和63年には96%に達する
    .
    08/08
     札幌医大教授・和田寿郎,日本初の心臓移植手術(83日後患者死亡).

    10/13
     第19回オリンピック・メキシコ大会.日本は215人参加.
    10/17
     川端康成,ノーベル文学賞受賞.
    12/10
     3億円事件.東京府中市で白バイ警官に変装した男が現金輸送車を奪い逃走.
    50
    年時効成立.
    12/29
     紛争中の東大・東教大,44年度の入試中止を決定.


    水彩画ソフトで描いた「本 マルセル」の表紙が出ているのは下記URLです。

    http://komadori2s.exblog.jp/17928360/



    きゅうりの初採れ

    「きぬさや」が終わりに近くなり
    レタスはもうしばらく採れそう。

    そして
    夏野菜のシーズンになります。
    今日、
    きゅうりの初採れです。
    2012_0607キュウリ0002

    横浜、大人の休日散歩道ー18(山下公園の薔薇)

    山下公園にやってきました。
    写真をクリックすると拡大します。
    IMG_2388合成

    山下公園のバラは下記URLをクリックしてください。

    http://www.digibook.net/d/5cd48d9f919f874dbcc92db5b352c4c8/?viewerMode=fullWindow


    IMG_2404
    噴水の中に立っているのは水の守護神。







    IMG_2420

    野口雨情作詞の「赤い靴はいていた女の子」像







    IMG_2417

    山下公園前の海では
    「ドラゴンボートレース」で歓声が上がっていました。

    1チーム20名編成(15名から可能)
    参加費1チーム9万円で、200チームほど参加し競われるそうです。
    IMG_2413


    2チームづつ競争し、タイムを競うようです。





    IMG_2422


    あちらこちらで気勢があがっています。





    IMG_2433



    試合が終わり、おかに上がってきた人は
    頭から波をかぶり濡れています。





    IMG_2427

    インド水塔

    1923年(大正12年)に起きた関東大災害では、当時横浜に在住していたインド人116人が被災し、死者も28人を数えた。横浜市民は町の復興と共に、被災したインド人にもその救済の手を差し伸べた。そして、横浜で住む場所を失ったインド人を横浜に再び招くため、住IMG_2429宅の手当てなどにも力を注いだ。震災で被災した在浜インド人に対する横浜市民からの援助に感謝して昭和14年にインド商組合から寄贈されたインド式水飲場。






    IMG_2432

    山下臨港線プロムナードを渡ってピア象の鼻へ向かいます。

    昭和30年代、山下公園の東側に山下埠頭が造成されることから、既に新港埠頭の横浜港駅まで敷かれていた東海道本線貨物支線(通称・高島線)の線路を山下埠頭まで伸ばIMG_2435して貨物駅を設置し、貨物輸送を行う計  画が持ちあがりました。
    しかし線路が山下公園内の敷地内を通過することから、公園の道路側に景観への配慮を重視した構造の高架を建設することになり、1961(昭和36)年に工事が着手され1965(昭和40)年に山下臨港線が完成しました。、しかし、本牧埠頭および大黒埠頭の造成で山下埠頭の重要度が低下していき、また鉄道輸送から自動車輸送へとシフトしたことから、貨物列車の運行頻度が低下していったため、山下臨港線は1986(昭和61)年11月1日に廃止されました。
    2002(平成14)年に再整備された「
    横浜港大さん橋国際客船ターミナル」に伴い「山下臨港線プロムナード」として一般開放されたのです。


    つづく


    これまでのシリーズ
      横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
      横浜、大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
      横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
      横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
      横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
      横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
      横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16

      横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
      横浜、大人の休日散歩道ー9(再び馬車道)・・・・4/6
      横浜、大人の休日散歩道ー10(旧横浜港駅を目指す)・・・4/12
      横浜、大人の休日散歩道ー11(横浜三塔が一緒に見える場所)・・・・4/26
      横浜、大人の休日散歩道ー12(大桟橋からの三塔)・・・・5/1
      横浜、大人の休日散歩道ー13(日本にもある人魚姫)・・・・5/8
      横浜、大人の休日散歩道ー14(横浜マリンタワー)・・・・・・5/16

      横浜、大人の休日散歩道ー15(山手西洋館の薔薇)・・・・・・5/28
      横浜、大人の休日散歩道ー16(港の見える丘の薔薇)・・・・5/29
      横浜、大人の休日散歩道ー16(フランス山)・・・・6/3

    冬越し

    昨年の株が冬越しして
    たくさん花をつけました。
    花の名前は「カリブラコア」
    IMG_2625

    横浜、大人の休日散歩道ー17(フランス山)

    港の見える丘展望台から見えるベイブリッジ。(2008.10.4の写真)
    IMG_1358









    IMG_1359


    山下公園へ



    港の見える丘から山下公園までは遊歩道があります。












    IMG_2376

    フランス山への道。







    IMG_2378
    明治29年フランス山にフランス領事館が出来た時
    井戸水をくみ上げるるために設置した風車の再現です。






    IMG_2381


    フランス領事館は関東大震災で崩壊しました。
    一部が残っています。






    IMG_2382K



    フランス山から見える横浜マリンタワー

















    IMG_2384

    中村川に掛る橋の上から。








    IMG_2385


    橋を渡り、人形の家の前を渡ると
    すぐ、山下公園です。






    IMG_2386

    山下公園入口
    せかいの広場。
    奥のアーチはクレマチスが絡まっています。






    IMG_2387


    山下公園の向こうにはみなとみらいのビル群。








    つづく


    これまでのシリーズ
      横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
      横浜、大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
      横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
      横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
      横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
      横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
      横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16

      横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
      横浜、大人の休日散歩道ー9(再び馬車道)・・・・4/6
      横浜、大人の休日散歩道ー10(旧横浜港駅を目指す)・・・4/12
      横浜、大人の休日散歩道ー11(横浜三塔が一緒に見える場所)・・・・4/26
      横浜、大人の休日散歩道ー12(大桟橋からの三塔)・・・・5/1
      横浜、大人の休日散歩道ー13(日本にもある人魚姫)・・・・5/8
      横浜、大人の休日散歩道ー14(横浜マリンタワー)・・・・・・5/16

      横浜、大人の休日散歩道ー15(山手西洋館の薔薇)・・・・・・5/28
      横浜、大人の休日散歩道ー16(港の見える丘の薔薇)・・・・5/29













    シクラメンの花がまだ咲いている

    今年の関東は比較的涼しい日が多いためか
    11月から咲いているシクラメンが
    半年以上花を付けいます。

    今日現在
    花が七つ咲き、蕾が七つあります。

    2012_0602シクラメン0005

    河村城址ー2(盛翁寺)

    盛翁寺(もりおうじ)に寄ってから河村城址へ行くことにします。
    盛翁寺は曹洞宗のお寺です。
    2012_0513河村城0014

    道から見えたお堂は本堂ではありませんでした。
    写真の右手に本堂があります。







    2012_0513河村城0016

    本堂です









    2012_0513河村城0018

    ボタンの鉢植えが並べてありましたので
    玄関から出てきた住職の奥さんらしき人に聞くと
    上の方に植えるとのことでした。
    花の寺をめざしているのでしょうか?
    今もあちらこちらに植物が植わっています。




    2012_0513河村城0019



    手水場(ちょうずば)の横に
    大きなつつじが植わっています。




    2012_0513河村城0021










    2012_0513河村城0026


    教えてもらった「黄もくれん」です。
    すでに花は終わっていますが
    写真をクリックして拡大すると
    左上に黄色い蕾(?)が見えます。





    2012_0513河村城0022

    小さな池があり鯉が数匹泳いでいました。








    2012_0513河村城0015




    池のそばにある五重塔







    2012_0513河村城0025


    裏の墓地







    盛翁寺を後にして
    シャガの咲く道を登る

    2012_0513河村城0029






    2012_0513河村城0027











    つづく・・・・6/14

    これまでの河村城址

    1.山北駅から・・・・・・5/24

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