花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2012年11月

足柄古道(足柄峠→地蔵堂)

2012.11.21
足柄峠からの下りは足柄古道を地蔵堂まで歩くことにしました。
江戸時代、京都ー江戸の道は箱根越えになりましたが、それまでは国府津(こうず)−関本(坂本)−足柄峠ー御殿場ー沼津のルートでした。
足柄古道マップ















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足柄峠の芝生の広場の中央に新しい立て札がたっているのに気が付きました。今までなかった立て札です。






ここは「駿河之国小山(おやま)領」ということを示しています。
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相模の国と駿河の国の綱引き合戦があり、今年は駿河の国が勝ったようです。
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相模の国(向田小)、駿河の国(小山町立成美小)が6年前から笛祭りに領地争奪綱引き合戦を始めました。
向田小学校は私の長女が一年だけ通った小学校で、当時住んでいた富士フイルムの社宅の傍にありました。
今までの戦績は相模の国が1勝5敗となっています。向田小学校よ、頑張れ!

足柄峠の笛祭りとは
後三年の役に際し、苦戦する兄の八幡太郎義家を助けようと出兵した新羅三郎義光が、足柄峠に露営した折に、後を追ってきた師の息子、時秋に笙の秘曲を伝えたという故事に因んだ祭りです。


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足柄古道地蔵堂への入口です。
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落ち葉の絨毯、足柄古道。
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足柄明神の鳥居








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足柄古道石畳







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このように荒れた場所もあります。








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見晴らし台の東屋ですがシーズンオフの為か
ロープが張ってあり中には入れません。






見晴らし台からの紅葉風景
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地蔵堂まであと一息です。
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地蔵堂の大モミジが見える所まで降りてきました。
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黒いカーテンは何か?と、よく見ると、シイタケ栽培の遮光カーテンでした。
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地蔵堂大もみじで今日のハイキングは終わりです。
熊に会わず、よかったです。
午後2時半です。
気温は8℃を示していました。





おわり

関連:
  

1.万葉ハイキングコースを足柄峠へ


2.足柄峠からの富士山


足柄峠からの富士山


2012.11.21
足柄峠の芝生の広場に12:20に到着しました。
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足柄峠からは御殿場の町と富士山が一望できます。
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下記URLデジブックで富士山をお楽しみください。

http://www.digibook.net/d/9904c197b01aa750a04d37a78b5a059c/?viewerMode=fullWindow


足柄峠からの景色をじっくり見たい方は、下記写真をクリックして拡大し、拡大した写真をもう一度クリックしてください。そして、縦・横のスライダーを操作してご覧ください。

富士山全景





つづく・・足柄古道(足柄峠→地蔵堂)

関連:
  

1.万葉ハイキングコースを足柄峠へ

本:映画:のぼうの城

のぼうの城
(和田 竜)
(小学館)


雨が降って寒いので映画を見に行ってきました。今、話題の「のぼうの城」です。
のぼうの城
昨年、ある女性から進められて読んだ本です。
非常に痛快な時代小説です。
信長や真田十勇士を思い出したりしながら読みました。




秀吉が小田原北条を攻めた時、唯一、落とせない城が武州・忍城です。周囲を湖で囲まれ、「浮城」と呼ばれていたのです。のぼうと言われ農民に人気のあった城主・成田長親は奇策を弄して秀吉方石田三成の攻撃から忍城を守ったのです。「のぼう」とは「でくのぼう」のことです。
本は戦術の面白さが存分に出ていましたが、映画はそれよりもスケールの大きさで楽しませてくれました。津波の恐ろしさと相まって水攻めの恐怖が襲ってきます。
成田長親役の野村萬斉は水を得た魚のように、田楽を歌い踊る場面も見ものです。

映画の最後には、現在の行田市、忍城周辺の風景が出てきます。
これは良い構成だと思いました。

昨年は「のぼうの城」でインターネット検索すると本が出てきましたが、今年は「映画」が出てきます。

本は本の面白さが、映画には映画の面白さがあります。

万葉ハイキングコースを足柄峠へ

2012.11.21(水)

10時に家を出て、車で地蔵堂へ向かいました。
地蔵堂の駐車場に車を置き、万葉ハイキングコースで足柄峠を目指します。ハイキングと言っても山の中のハイキングなので山登りです。

足柄峠マップ
















万葉ハイキングコース














地蔵堂

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地蔵堂のモミジ写真は昨年撮影した下記をご覧ください。

http://www.digibook.net/d/ef84855f809e8790246eaf956b4345da/?viewerMode=fullWindow


地蔵堂の前にある、「万葉うどん」の脇道を降りて行くと、「地蔵堂の大もみじ」に出ます。そのそばの道を降りて行くと「万葉ハイキングコース」の入口があります。
人や車と比較すると「大もみじ」の大きさがよくわかります。
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熊注意看板。










最初、急坂ですが次第に歩きやすい道となって行きます。
落ち葉を踏みしめ快調に進みました。
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紅葉の山の中を1時間歩くと、東屋に出ます。
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東屋
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東屋を超えると、最後の難関「急坂の杉林」を30分登ります。杉林の中なので何処を歩けばよいのか分かり辛く、所々標識があるのでその標識で確認していても正規の道をはずれてしまいました、。10℃以下の寒い中ですが、汗が出ました。
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根が出た歩きにくい登山道。









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登りきると「万葉公園」
地蔵堂からここまで1時間半。









道すがら、万葉集の和歌が刻まれています。
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クリックすると拡大し説明が読めます







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向こうに見えるのは矢倉岳。








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眼下に広がる足柄平野









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ようこそ
金太郎のふるさとへ
「静岡県小山町」となっています。
足柄峠は南足柄市と思っていましたが?




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足柄の関跡

昌康2年(899年)東海道足柄坂に出没する強盗団を取締まる目的で足柄関が設置されました。

この関は、昭和60年、黒澤監督の「乱」という映画に使われた縄文のセットを移築したものです。




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おじぎ石

旅人がこの石に手をついておじぎをして手形を差し出したと伝えられています。






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足柄峠 標高759m

古代、足柄峠は都と東国を結ぶ要路でした。
大和朝廷の昔、日本武尊が東征の帰路この峠に立ち弟橘姫を偲んで「あづまはや」と叫んだ記述が古事記にあります。
また、奈良時代東国の任地に赴く役人たちが、ここで都に最後の別れをしたり、任地におもむく東国の防人(さきもり)もこの峠で故郷に残してきた肉親を思い心の叫びを詠じています。


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足柄峠一里塚

一里塚は江戸時代、日本橋を起点として東海道等主街道に設けられたものです。
足柄峠は大和時代から京と東国を結ぶた主街道でした。
江戸時代には箱根街道越えになり、この道は、足柄街道とか鎌倉街道と呼ばれるようになり、甲斐の国と相模の国を結ぶ物資の輸送路になりました。
また、富士山詣、大山詣で賑わった街道だったので一里塚が設けられたのでしょう。

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足柄山聖天堂
大聖歓喜双身天を祀るお堂で、伝説によると、小田原の早川で、土地の人が祀っていたものを、後に弘法大師が自筆の「足柄山」という額と共にこの地に祀ったというこことです。福運厄除、縁結のご利益があるそうで、日本三体聖天尊(浅草聖天尊・生駒聖天尊・足柄聖天尊)として知られています。


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聖天堂横にある金太郎の像













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御神木









つづく・・足柄峠からの富士山









デッキを洗う

台所出口(北側)のデッキに
葉汁が大量に着き、まっ黒になっている。
雨あがりで葉汁ふやけているので
デッキを洗うのに最適と、
デッキブラシできれいにしました。


黒くなったデッキ

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きれいになったデッキ

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本:追伸


一日中、小雨の寒い日でした。外に出る気がせずパソコンの前に座ることが多い不健康な一日でした。

追伸

(真保裕一)

(文芸春秋)


題名から想像できるように手紙のやり取りの小説です。手紙のやり取りだけで構成されている小説なので退屈かもしれないと思っていましたが、まったく退屈せず、手紙の続きが読みたくなる本でした。「愛のミステリー」なのです。



追伸

船の設計者の夫が仕事の総仕上げのためギリシャに長期出張する。妻の美奈子は追っかけギリシャに赴くはずだったが離婚届を同封した一通の手紙が夫の元に届く。

祖父母の血が美奈子に流れていると手紙には記してあり、祖父母の愛とは・・・

あまりにも誠実すぎる祖父の愛に祖母は・・・・

愛するとは非常に難しいことを感じる。愛の形は人それぞれだが、どう考えるかは本人同士の捉え方なのだが・・・・

結末は?


 

長浜ー6(黒壁スクエアとゆう壱番街)

食事の後は、黒壁スクエア。

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明治33年に建てられた百三十銀行長浜支店で、外壁が黒漆喰の様相から『黒壁銀行』『大手の黒壁』の愛称で親しまれていたそうです。

現在は黒壁ガラス館になっています。







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吹き抜け2F部分






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1Fを見下ろす









長浜 街歩きルート
大通寺へのマップ




















長浜城の大手門通と北国街道の交差点は‘札の辻’と言い、この辻に黒壁ガラス館、黒壁5号館、カフェがある。札の辻とは江戸時代、官の制札を立てた辻のことです。

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黒壁5号館は湖北の民芸品を売る店です。






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黒壁18號館 キッチン・カフェ パクト
建物が新しくなっています。










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大手町通りアーケードの西門

曳山の上で演じる歌舞伎が描かれています。






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町屋は奥行きがあり
その奥を利用したカフェ








ゆう壱番街を歩きます。古い街並みが残った通りです。

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ゆう壱番街通りは大通寺へ通じる門前町だった所です。








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長浜ラーメン:
「ロマネスク5号館」と書かれています。






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昔風の旅館







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古風な商店街です。







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「戦国大河ふるさと博」ののぼりがあちらこちらで見えました。
長浜近辺の武将と言えば
豊臣秀吉、石田三成、黒田官兵衛の黒田家、柴田勝家、浅井長政・・・
黒田官兵衛は2014年のNHK大河番組です。
武将だけではなく、ねね、浅井三姉妹等姫も浮かびます。






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正面に大通寺山門が見えます。








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山門には釈迦如来を真ん中に弥勒菩薩と阿難尊者の像が安置されているそうです。
二重の屋根があり下記の日に、二階に登れるそうです。

毎年7月3日〜10日と10月23日〜26日(報恩講中)





つづく


今までの長浜シリーズ

長浜ー1(大阪から長浜へ)


長浜ー2(竹生島へ)


長浜ー3(竹生島観光)


長浜ー4(慶雲館と長浜鉄道スクエア)

長浜ー5(北国街道)


遂に南足柄に熊が出た

私が住む南足柄には
猿、イノシシ、たぬき、ハクビシンがよく出没します。

今年の秋はイノシシの被害が多発しています。
グリーンヒル内と周辺の畑は
軒並み被害にあっています。

猿が出た時は
有線放送で
「猿が出没しています。
戸締りをしっかりして
猿が家の中に入らないよう注意してください。
猿に近づかないでください。
猿を見たら役場に連絡ください」
というような放送が頻繁にされています。

南足柄に熊はいないという定説でしたが
遂に
熊が出てきました。


今回は
小熊だけでしたが
親子で出てくるようになると危ないです。
丹沢には熊がいるので
親にはぐれて
迷って
南足柄にでてきたのでしょうか?

詳細は下記、新聞切り抜きをご覧ください。
写真をクリックすると拡大します。

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本:京都木津川殺人事件

今日は雨が降っているので、PC机の引き出し整理をしました。



京都木津川殺人事件

(木谷恭介)

(徳間書房)



 京都・平尾谷で大規模な山火事発生。中古自動車のシュレッダーダストが自然発火したのだった。

鎮火した現場から遺体が発見され、手掛かりはメノウのイヤリングとセラミックのブローチだけだった。京都府警の魚津(通称オコゼ)刑事は運よく京都に来ている宮之原警部に協力を願う。

京都木津川殺人事件
シュレッダーダストは空気に触れ酸化する時、酸化熱を出し、車にはビニールの配線やその他布張り等が付いているため燃えやすく、シュレッダーダストに土をかぶせているのだがすぐ火が出るのです。平成
1年に木谷恭介はシュレッダーダストの問題をえぐりだしているのです。車はどんどんシュレッダーされ、シュレッダー会社が機械を購入すれば車は自動的に回されて来て、処分したシュレッダーは埋め立て会社が引き取ってくれたが、すぐ埋め立て会社は満杯になり、シュレッダー会社の社長は埋め立て場所を探すのに追われ、自分で中間貯蔵の場所を作るはめになり、中間貯蔵所でもしょっちゅう火災が起こるので夫婦で見張らないといけない悪循環が起きているという社会問題を突いている。
 このまま世界で自動車を作りつづけると地球はどうなるのだろうか?自動車だけでなく電化製品も核燃料も最終処分の場所で地球が一杯になり、そのまま放置する姿が私はちらつくのだが?



京都木津川殺人事件は平成1011月初稿の本で、宮之原警部シリーズ103冊目です。平成1年が宮之原警部シリーズの始まりですから毎年10冊のスピードで執筆しているとは驚くスピードです。 宮之原は東京に住んでいたと思ったが、 5年前に事件の巻き添えで妻を無くしていました。新しい恋人(ある事件がきっかけでバーのマダムだった)が出来、結婚していたのです。前の妻の思い出が残る場所に新しい妻(玻奈子さん)に住まわせるのは残酷だと思い、玻奈子さんは真如堂の近くの中川ぬいという85歳のおばあさんの家に下宿をしていたのです。妻が身重になり、ぬいの家を改造して新居にしたのです。
 京都に移り警察をやめるつもりにしていたが、コンビの小清水峡子が奔走して取りあえず
6カ月の休職扱いになったのだった。(上層部は宮之原の退職に賛成だったが)。そういうわけで、宮之原は京都にいたのです。

これからは警察をやめ京都で私立探偵でもするのでしょうか?以降の出版が注目です

スーパーマンも新聞記者をやめ、インターネットでニュース配信をすると発表されました。時代は移り変わっています。



なかなか事件が解決しないのに腹を立てた魚津刑事は「今の世の中で一番悪い奴は法律を守る奴だ。法律を守ってあくどいことをしよるのに、わしら警察はそいつらに手をだすことがでけへん。そんな警察はいらんちゃいますか」

「いうな」宮之原は短くいった。



「警部、まえに怪人18面相いうのんのはなしをしてはりましたな。『謀殺列島」5部作参照』警部が手掛けた事件で最後まで逮捕でできへんかったんは、怪人18面相だけやゆうて」

明智小五郎も怪人20面相を逮捕できなかったが、宮之原警部も逮捕できなかったのだ!

「その怪人18面相いうんに、なんとか連絡をとることはでけへんのですか」「・・・・」

と魚津刑事はいら立っているが宮之原警部はちゃんと考えているのです。

あしかがフラワーパークイルミネーション

11/10 東北道の佐野インターで降り、佐野アウトレットで一時間少し時間調整をして、「足利フラワーパークのイルミネーション」を見に行ってきました。
あしかがイルミネーション










4時半にフラワーパークの駐車場に到着すると、続々と車が入ってきました。7時に見学を終え、駐車場に戻ると満車状態で、道路に車がズラーと並んでいました。最後尾の車は駐車場へ入るのに2時間はかかるのではないかと思うほどでした。
土曜日なので混雑していたのでしょうか?

"関東最大級の150万球を超えるイルミネーション"だそうです!!
テーマ性があり、とても楽しいです。

イルミネーションマップ(クリックすると拡大します)
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イルミネーションの写真をデジブックにしました。
下記URLからご覧ください。

http://www.digibook.net/d/9495ed978119a7583ba5ada33348459a/?viewerMode=fullWindow


帰りは、佐野ラーメンを食べて、息子が住む宇都宮に向かいました。
麺は平たく腰があり、汁はあっさりの醬油ラーメンで、食べやすいです。
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長浜ー5(北国街道)

鉄道スクエア見学後、北陸本線の踏切を渡って街に向かいます。
踏切では、運よく電車を見ることができました。落ち着いたカラーの電車です。

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明治ステーション通りを北国街道まで行き、北国街道を長浜の中心街へと歩きます。
マップをクリックすると拡大します。
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米川にかかる朝日橋のたもとには地ビール「長浜浪漫ビール」の醸造所・販売所があります。ここに寄っていると次へ進めなくなりそうなのでPassです。

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米川沿い
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舟板塀:
琵琶湖で活躍した木造舟の廃材を使った壁です。堅牢な舟板は釘のあとや留金具の跡などがあり、朽ちた木目がなんとも言えません。
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秀吉のひょうたん印のマンホール。秀吉の長浜城がある街を感じます。
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いよいよ北国街道歩きです。
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開知学校:
明治4年、滋賀県で最初の小学校「滋賀県第一小学校」が建てられ。この第一小学校は明治7年、洋風の校舎の「開智学校」となったそうです。

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どこかで見たことあるような形の建物だと思っていると、松本の「開智学校」に似ています。明治時代のこのような洋風建築の小学校を「開智学校」と呼んだのでしょうか?

松本の「開智学校」の写真
松本開知学校











北国街道には古い家が並んでいます。下の写真は浄林寺の山門です。

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12時が過ぎ、どこか食事をするところをと探して、入ったのは翼果楼(よかろう)という店。翼果(よくか)とは、カエデの種のことです。二枚の翼を持っていて、ヘリコプターのように遠くに飛ぶのです。
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イロハカエデの翼果
翼果














 翼果楼は長浜郷土料理の店です。「鯖とそうめん」専門店です。

昔、日本海で獲れた鯖をびわ湖西岸を通り京都へ運ぶ道が“鯖街道”と名付けられました。長浜の北国街道も鯖街道と呼ばれていたのです。そして焼鯖そうめんが郷土料理となったのです。

客は多く入っていました。我々は2Fへと案内されました。
壁には竹生島の海の守り神、弁天様が描かれています。
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そうめん











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焼鯖寿司と焼鯖そうめん

焼鯖そうめんは汁なしでそうめんに味が沁み込ませてあります。
そうめんに乗った焼鯖はニシンそばのニシンのようで大変おいしいです







つづく・・長浜ー6(黒壁スクエアとゆう壱番街)



今までの長浜シリーズ

長浜ー1(大阪から長浜へ)


長浜ー2(竹生島へ)


長浜ー3(竹生島観光)


長浜ー4(慶雲館と長浜鉄道スクエア)









鉢で落花生を育てる

鉢で落花生を育てて
収穫が望めるか試みました。
葉は茂っています。

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収穫は出来ますが
落花生の数は少なく
小さいです。
やはり、栄養が足りないようです。

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では、
プランターでは?
プランターに二粒撒きました。
鉢よりましですが
収量が少ないです。

やはり日の当たる地植えがよいです。


プランターでの落花生

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長浜ー4(慶雲館。長浜鉄道スクエア)

車はホテルYes長浜みなと館の駐車場に置いたままにして裏へ出ると、「従是東 長濱領」と書かれた石柱が石垣の上に立っています。何という意味だろうと思いながら街へと進みました。
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慶雲館入口傍にあった「従是東 長濱領」の説明。

写真をクリックすると説明が読めます。






「従是東 長濱領」と書かれた石柱は天正19 年(1591)に、秀吉が町屋敷の年貢米三百石を免除する朱印状を与えた時の境界柱を再現したものだそうです。
この朱印状は、賤ヶ岳の合戦の際に長浜町衆が秀吉軍に従軍し、兵糧・弾薬の運搬や戦闘にまで参陣した結果、その恩賞として与えられたものです。年貢米免除の特例は、長浜を除くと京都・大阪・大和郡山しか与えられていないそうです。

「従是東 長濱領」の石柱が立っていたのは慶雲館の敷地の境界線上でした。


慶雲館マップ












慶雲館は明治20年、明治天皇の行在所(一時的な滞在に使用する施設)として長浜の豪商浅見又造が建設し、館名は当時総理大臣だった伊藤博文が命名した由緒ある建物です。下記写真をクリックして説明をお読みください。
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素晴らしい庭です。

下記URLデジブックでご覧ください。
私のデジブックは遂に150冊目となりました。

http://www.digibook.net/d/4ad5cb1bb0d9ad192f0bada5bb5044d8/?viewerMode=fullWindow


慶雲館の向かいに「長浜鉄道スクエア」があります。
長浜スクエアは旧長浜駅舎、長浜鉄道 文化館、北陸線電化記念館の3施設の総称です。

明治15年に建てられた駅舎で日本に残る一番古い駅舎だそうです。
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旧長浜駅舎は木骨構造の石灰コンクリート造りで、四隅に花崗岩を積み、窓枠と出入り口はレンガを使っているしゃれた建物です。

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現在の長浜駅の外壁は旧長浜駅と同じイメージで造られています。
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15観光施設の中から5施設を選んで入館出来、、44の協賛店舗で割引や粗品進呈などの特典が受けられる得な「長浜浪漫パスポート」を購入して長浜鉄道スクエアに入ります。





駅舎には3等の待合室、1・2等の待合室があり、3等の待合室は木のベンチですが、1・2等の待合室は絨毯が敷かれ、ビロード張りのソファーに暖炉付きです。大きな格差があります。
駅長室には初代駅長高橋善一の像があります。高橋善一は後に東京駅初代駅長になりました。東京駅より長浜駅の方が早く出来たのです。

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3等待合室







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1・2等待合室






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駅長室





駅長像






初代駅長の像
























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「口札改」
の表示の下をくぐりホームへ?
写真をクリックすると「口札改」と書いたプレートが解ります。






プラットフォーム(?)
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子供には駅長の服と帽子を貸してくれ、記念撮影ができます。子供ははしゃいでじっとしていないので、写真を撮るお母さんは大変です。






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手動式信号機


















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ホームのベンチ









北陸線電化記念館には、山地を走るために設計された馬力のあるD51と電化時走ったED70型60ヘルツ交流電気機関車が並んで置かれています。
ED70型電気機関車が保存されているのは日本では長浜鉄道スクエアのみです。
D51は運転席に座れます。

デジブックでご覧ください。

http://www.digibook.net/d/8204871f911d875dafc925231949c59e/?m


長浜鉄道文化館では長浜の鉄道歴史パネルが飾られ、模型電車を動かして遊べます。

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つづく

長浜ー1(大阪から長浜へ)


長浜ー2(竹生島へ)


長浜ー3(竹生島観光)

本:花宴

霧が発生しやすい季節となってきました。
窓からの今日の霧模様です。

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花宴

(あさのあつこ)

(朝日新聞出版)


 

「あ花宴さのあつこ」の時代物小説。ひじょうにきれいな文体で、心情あふれた物語です。





代々、嵯浪藩の勘定奉行を務める西野家の一人娘・紀江は、父に仕込まれた小太刀の名手。父の弟子の三和十之介と結婚するはずだったが、家の事情で果たせず、父の推挙する藤倉勝之進と結婚する。結婚した後も、十之介を忘れることができない紀江。これではいけないと自分を諌める紀江だが・・。夫婦・男女の悲哀を描いた物語で、最後は読んでいる私が熱くなる。

心を描いた読みごたえのある小説です。


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