花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2015年10月

東京スカイツリーが見える街ー2 北十間川沿い


2015.10.24

スカイツリー全景が見える言問橋東交差点です。
言問とは在原業平が詠んだ
 「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」
から来ているとか?
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まっすぐ進むとスカイツリーに到達します。何人かの外国人観光客が歩いて行きました。
私は源森橋方面へ戻り、北十間川沿いの道を歩きました。
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言問橋東マップ



















牛島神社の鳥居から真っ直ぐ伸びる「小梅牛島通り」からのスカイツリーです。
言問橋東交差点より小梅牛島通りからのスカイツリーの方が美しく見えます。
電線が残念です。
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源森橋
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源森橋から望むスカイツリーです。
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北十間川にスカイツリーが写っています。
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北十間川の水門とスカイツリー。
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東武鉄道の高架の脇から覗いているスカイツリーです。
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小さな公園から見るスカイツリー
IMG_5668合成

とうきょうスカイツリー駅ホームの向こうにスカイツリーの力強いパイプが現れました。
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ソラマチ墨田水族館と共に立つスカイツリー
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スカイツリーの手前の橋は「東武橋」と名付けられていました。
東武橋からの景色です。
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東武橋の照明ランプとスカイツリーのコラボ。
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つづく・・・ソラマチ


東京スカイツリーが見える街ー1 浅草〜隅田公園

東京スカイツリーが見える街ー1 浅草〜隅田公園


2015.10.24

スマホ専用アプリ「下町そら散歩」の中の「浅草→錦糸町スカイツリービューポイントを巡る」を使いながら、時にはコースを外れたりしつつ歩いてみました。

地図の上にルートが示され、ビューポイントや名所が写真と説明文と共に現れるので便利です。GPS機能で現在地を知らせてくれることを期待したのですが残念ながらGPS機能は組み込まれていませんでした。
「下町そら散歩」はスカイツリーコース以外多くの散歩コースが出てきますので興味のある方はインストールしてみてはいかがでしょうか?日本語と英語の音声説明も出てきます。


東京メトロ浅草駅吾妻橋出口を出ると、吾妻橋の向こうに右から炎のオブジェがあるアサヒビール吾妻橋ホール、アサヒビール本社そしてスカイツリーが見えます。スカイツリーの左は墨田区役所です。
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吾妻橋のたもとには招き猫が置かれ、目やお腹から覗くと縮小されたスカイツリーが見えます。
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墨田区役所の塔のように見えるスカイツリーです。
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東武スカイツリーラインを走る電車とスカイツリーとのツーショットです。
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隅田川越しのスカイツリー
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吾妻橋を渡ると線画で描かれた「あずま地蔵尊」がありました。

吾妻橋一丁目町会有志によって、震火災水難殉難者各霊供養、交通安全御守護のために建立されたそうです。
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墨田区役所前に指差している勝海舟の銅像が立っていました。勝海舟は本所の出身なのでこの場所に立てられたのでしょう。
指差す方向は東京湾です。下記の言葉がありました。観光で海外へ行くときは私も含め多くの人は下調べをした上で出かけると思いますが、ダメなのでしょうか?

   「外国へ行く者が、
    よく事情を知らぬからと言うが、
    知って行こうというのが良くない。
    何も用意しないでフイと行って、
    不用意に見て来なければならぬ。」
               勝海舟
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勝海舟の背後にスカイツリーが望めます。
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枕橋からのスカイツリーです。
北十間川に架かる橋で、川はスカイツリーの方向へ流れています。no title


向島1丁目にある隅田公園入口です。
桜の名所であり、隅田川花火大会の場所でもあります。
隅田川両岸の桜は徳川吉宗のはからいで植えられ、隅田公園は旧水戸藩下屋敷だった場所なのです。
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公園の広場の向こうに見えるスカイツリー。
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松の木越しに見えるスカイツリー。
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池の向こうにスカイツリーが見えました。
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池をよく見るとスカイツリーの姿が映っていました。
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隅田公園の片隅にある牛嶋神社拝殿です。

牛嶋神社は本所の総鎮守で貞観二年(860年)、慈覚大師の御神託により創建され、五年に一度の大祭では、鳳輦(牛車)を中心とする古式豊かな行列が氏子五十町安泰祈願巡行するとのことです。この神幸祭は、今日では珍しく黒雄和牛が神牛となり鳳輦を曳いているそうです。
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珍しい鳥居は三輪鳥居といいます。
三輪鳥居とは明神鳥居の左右に脇鳥居をつけたもので、三ツ鳥居とも言われています。奈良県桜井市三輪に鎮座する大神神社【おおみわじんじゃ】にある鳥居を標準とすることから三輪鳥居と言われているのです。
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体の悪いところを撫でると、その病気が治るとされている撫牛です。
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撫牛の説明は写真をクリックすると拡大し読めます。
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結婚式が行われていました。
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鳥居の向こうにスカイツリーが見えます。心もちスカイツリーが近くなったような気がします。
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つづく・・・・東京スカイツリーが見える街ー2 北十間川沿い





高枝ポールチェーンソー を使う


伸びすぎた庭木を切るために高枝ポールチェーンソー BLACK+DECKERを購入しました。
BLACK+DECKERは下記URLを参考にしてください。

https://www.youtube.com/watch?v=gv5DAlISSDo

回転数はエンジンチェンソーのように上がりませんが、高いところの枝を切るには満足度が高いです。
回転数がそんなに上がらないので初めて使う人にとっては安心感があると思います。
リチウム電池で駆動するのです。

まず、目障りになっていたユーカリの木を切断しました。

切断前の写真を撮り忘れましたが、写真より高い幹を切断したあとの写真です。
右に切断跡が見えます。
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切断したユーカリの幹です。
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青梅ー4 昭和幻灯館と猫


2015.8.29

赤塚不二夫会館の前の駐車場です。右隅にあるのは電話ボックスのデフォルメでしょうか?
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住吉神社

応安二年(1369)町内住吉山延命寺開山季竜が寺門守護のため故郷堺(大阪)の住吉大社の神を勧請奉祀したのが始まりだそうです。
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昭和の洋画は戦争絡みの悲恋の物語が多かったように思います。
ロバートテーラーと「風と共に去りぬ」のビビアンリーの映画です。背景は第一次世界大戦です。
下記URLから無料でご覧になれます。Part1と2に分かれてますが自動的に移行します。
https://www.youtube.com/watch?v=EawUzf3Vwzo
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昭和幻灯館に入ると懐かしいアイドルのブロマイドが飾ってありました。
昭和の時代はブロマイドがあちらこちらで売っていたものですが今は全く見なくなりました。
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青梅の街には猫がたくさん登場するので調べると
住吉神社の境内には「おおめ招き猫」が鎮座し、青梅の街に福を招いているとのことで、ここから猫のモチーフが多いようです。
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「猫にマタタビ」のことわざからとってきたカフェです。
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懐かしい昭和の赤い中央線列車が停まっていました。
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昭和の映画館のチケット売り場はこの感じでした。黒澤明の「羅生門」が上映されているようです。no title

ユルブリンナーとイングリッド・バーグマンの追想の映画看板です。ロシア革命の時代の恋の物語のようですが私は見ていないので詳細はわかりません。
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ここからは旧青梅街道の宿場町です。
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創業明治3年の行灯(あんどん)がある橋本屋旅館です。
骨組みは創業当時のもので、部屋は新しくしているそうです。
宿場町である青梅はたくさん旅館がありましたが現在は橋本屋旅館が残っているだけです。
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文武のマークが付いている武道具販売店「峯屋八光堂」です。
多摩地方は剣術が盛んだった地域で今でも12団体500名の剣道人口です。
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ゴールの東青梅駅です。
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青梅ー1  青梅駅  映画看板は駅からスタート

青梅ー2 昭和レトロ商品博物館

青梅ー3 赤塚不二夫会館
青梅ー4 昭和幻灯館と

青梅ー3 赤塚不二夫会館


2015.8.29

赤塚不二夫会館です。
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会館の中は赤塚不二夫の漫画で埋め尽くされています。
私は赤塚不二夫の漫画は好きでなかったのでほとんど読んでいないので
コメントはできませんが、撮ってきた写真を並べますのでご覧下さい。
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ダークダックスもシェーの時代だったのですね。
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タモリと一緒に写っています。
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トキワ荘時代は貧しく、雑誌に板を置いて漫画を描いていたそうです。
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古典も描いていたとは知りませんでした。

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つづく・・・・青梅ー4 昭和幻灯館と

青梅ー1  青梅駅  映画看板は駅からスタート

青梅ー2 昭和レトロ商品博物館




青梅ー2 昭和レトロ商品博物館


2015.8.29

「姿三四郎」、「七人の侍」、「ティファニーで朝食を」の三つの看板が掛かっていたのは「昭和レトロ商品博物館」です。

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「昭和レトロ商品博物館」の隣は「第三の男」の看板が掲げられている赤塚不二夫会館です。

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先にレトロ商品博物館に入りました。

懐かしい二眼レフが陳列してあります。私が子供の頃、父が二眼レフとジャバラのカメラを持っていて家でフイルムの現像/ペーパーへの焼付をしているのを見ていました。
引越しを繰り返している間に
いつの間にか二つのカメラはなくなってしまいました。残念です。
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子供の頃駄菓子屋で見たお宝が詰まっていました。
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最後の映画看板師久保板観が描いた映画看板です。

中学卒業後、独学で映画看板の世界へ入りました。青梅にある3館の映画館の看板絵師になったが映画の衰退と共に他の職業に就いたのです。しかし、平成3年青梅の町おこしで映画看板を再び描くこととなったのでした。
昭和レトロ商品博物館の女性管理人さんによると「
板観さんは高齢になって最近は描かなくなったのでここに残っているもので終わりです。弟子は取らない主義なので継ぐ人もいないと思います」とのことでした。

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久保板観についての記述です。
写真をクリックすると拡大し説明が読みやすくなります。
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久保板観が描く技法について書かれています。
拡大してお読みください。
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二階では「小泉八雲」の雪女についての展示がありました。

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小泉八雲は松江で小泉セツと結婚して中学の教師をしていたということなので「なぜ、青梅の地に?」と思って調べてみると、小泉八雲の怪談「雪おんな」の原伝説は青梅の多摩川沿いだったのです。
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二階全景です。
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つづく・・・青梅ー3 赤塚不二夫会館

青梅ー1  青梅駅  映画看板は駅からスタート





青梅ー1  青梅駅  映画看板は駅からスタート

 
2015.8.29

青梅駅から東青梅駅まで旧青梅街道の青梅宿を歩きました。
懐かしい映画の看板があちらこちらに掲げられている場所でシネマチックロードと名付けられています。

青梅駅ホームから降りる階段に「昭和の街 青梅へ」と看板が出ていました。
昭和の娯楽といえば映画でした。映画の看板が並ぶ旧青梅街道であり、昭和の香りがする商店の建物が並ぶ旧青梅街道でした。
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ホームと改札を結ぶ地下通路の両側には懐かしい映画の看板が並んでいました。
ここから「わくわく」の始まりです。

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昭和の映画の看板が多いのですが、最初に見た看板は高倉健、広末涼子の「ぽっぽや(鉄道員)」で、これは新しく、平成11年の作品です。
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子供の頃に見た「怪傑黒頭巾」かっこよかったな〜。大友柳太朗の鞍馬天狗は頭巾を取った髪の毛の姿もかっこよかったです。
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オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」。日本でティファニーブームが起こった映画です。
当時、日本人が好きな外国女優第一位がオードリー・ヘップバーンでした。オードリー・ヘップバーンが出る映画は日本では必ずヒットすると言われたのです。

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「終着駅」

最後には別れが来る終着駅。列車はテールランプを残して遠のいてい
く最後のシーンは印象的でした。悲恋の映画です。
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モンゴメリー・クリフト、ジェニファー・ジョーンズ
終着駅

今に残る映画看板はかつて青梅に映画館があったころに看板を手掛けていた看板絵師、久保板観氏自身の手によるものです。

地下道を出ると赤塚不二夫の漫画キャラクターが並んでいました。赤塚不二夫会館と書かれています。


赤塚氏は満州生まれなので、青梅市とは直接関係はないが、赤塚氏が新潟時代に映画の看板を書く仕事をしていたことから、映画看板で街おこしをしている青梅市に協力したようです。
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改札を出ると「天才バカボン」のパパが逆立ちした像がおいてありました。
つい触りたくなる像ですが「手を触れないでください」と書かれていました。多くの人が触れているのでしょうか?なんとなく顔が光っている感じがします。

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駅前にある映画看板は「凱旋門」イングリッド・バークマンですが残念ながら知らない映画です。
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青梅の梅とうぐいすのマンホールの蓋です。タイルは濡れています。
雨の中の青梅宿場歩きです。
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レトロな感じがする青梅駅舎です。
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青梅と書かれたはっぴを着て纏(まとい)を振る勇ましい姿のマンホールの蓋です。

1657年の明暦の大火後、江戸城や江戸市中復興には石灰を原料とする漆喰壁が防火壁として
 使用されました。これらの石灰運送や材木を江戸に送るため作られたのが青梅街道で大久保長安によって開設されたそうです。

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駅から旧青梅街道へ出た角にある鞍馬天狗です。これは嵐寛寿郎の鞍馬天狗です。
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旧青梅街道シネマチックロードの表示板です。
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薬局の回春堂です。
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宿場町だったので多く商店が並んでいます。
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珍しい傘専門店です。
創業天保年間という古い傘屋さんです。青梅傘の販売から始まったそうです。
青梅傘というのはいわゆる番傘です。ただ、他と違うのは防水のために和紙にひく油に黄土が混ぜられており、黄色味がかった色をしているそうです。黄土はカビを防止する役割です。今は絶えていて青梅郷土博物館に保存されているそうです。
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傘のホテイヤさんの映画看板は、ミュージカル映画の代表「雨に唄えば」です。なるほど!という感じです。
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「風と共に去りぬ」のパロディー「猫と共に去りぬ」で、描かれている女性は主演ビビアン・リーです。
猫のイラスト看板が多く出てくる通りです。山口マオというイラストレーターが協力をしているのです。久保板観以外に明星大学の学生が協力して映画看板を描いています。

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何かあるかな?と進みましたが、町家跡の感じでした。
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自転車屋で、「ニャジラ」というゴジラと猫の戦いを描いています。
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祭り用品を売る店は、「黄色いリボン」。ジョン・ウエイン率いるアメリカ騎兵隊とインディアンとの戦いを描いた西部劇映画は昭和にたくさん作られ、「カッコ良い」の代名詞を得ましたが、今はまったく見なくなりました。
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赤胴鈴之助は大ブームを起こしました。ラジオドラマが一番印象に残っています。
私の一番下の弟の時代でした。

  剣をとっては日本一に
  夢は大きな少年剣士
  親はいないが元気な笑顔
  弱い人には味方する オー
  がんばれ たのむぞ
  ぼくらの仲間 赤胴鈴之助
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真知子巻きでもブームを巻き起こした「君の名は」と夕陽のガンマンの映画看板です。
東京大空襲の夜、見知らぬ二人は、
たまたま一緒に逃げ、互いに生きていたら半年後の11月24日、それがだめならまた半年後にこの橋で会おうと約束し、お互いの名も知らぬまま別れたのですが二人は会えるでしょうか?というすれ違いの恋の物語で、当時、女性が夢中になった物語でした。
「夕陽のガンマン」イタリア作成の西部劇でマカロニウエスタンと呼ばれました。打ち合いが派手な西部劇でした。
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右は陶芸品を売る店、左はカラオケグッズの店でした。
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シェーンという映画のあらすじを短く書くと以下のようになりますが、決闘シーン、別れのシーンが印象に残る名作です。
高原に住む家族に縁あって厄介となるガンマン、シェーンは、得意の早撃ちで問題解決していく。その姿を見て、息子は憧れ、母親は恋心を抱く。シェーン本人も母親に好意を持つ。紛争の火種を早打ちで倒すが自身も傷を負う。その後、 シェーンはこの家族の元を去っていく。息子が、『シェーン、カムバーック!』と叫ぶが、シェーンを乗せた馬は前進するのみである。

美しい風景と共に息子ジョーイの「シェーン!!カムバック!!」がi耳に残る名シーンでした。
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映画シェーンのシーンを3分間にまとめたPR映画(?)がYouTubeに掲載されていたので掲載します。最後のシーンもあります。
最初はPRです。


映画シェーンの最後の8分間です。
こちらの方がガンマンを楽しめ、画像も音声も良いです。




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度々来日したグレンミラーオーケストラは、日本にスイングジャズを広めました。
グレンミラーが成功するまでを描いた物語です。


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つづく・・・青梅ー2 昭和レトロ商品博物館






みかんが食べごろ


2015.10.25

みかんが食べ頃になってきました。
そろそろ取り込まないと小鳥に食べられてしまいます。

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スズメバチの巣が!


玄関を出た右に写真のようなものが2個落ちていました。
何だろう?

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重ねると、スズメバチの巣?
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上を見ると、二階のベランダの下と玄関横の部屋の窓枠を利用して巣を作ろうとしたようです。
くわばら、くわばら。
近くのバラの葉にはキアシナガバチが巣を作り、キアシナガバチに刺されたのが夏でした。
ミツバチは少なくなっているのに、アシナガバチやスズメバチは増えているのだろうか?

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帰路


2015.9.29

宮島口に立っている鳥居です。宮島と書かれています。
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何かの養殖でしょうか。
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点々と棒が長んでいます。何かの領域を示しているのでしょうか?
廿日市市はあさりが名産です。個人別にあさりを採っても良い場所が決められているのです。
写真を拡大するとはっきりします。
現在、あさりの減少に悩んでいるそうです。
下記URLを参考にしてください。
http://www.city.hatsukaichi.hiroshima.jp/sumai/suisan/suisan/asari/documents/H260910_01_asarimanual.pdf
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向こうに見えるのは三井化学大竹工場がある石油コンビナートです。
覚えている方もあると思いますが2012.4.22に大爆発を起こしてしまいましたね。
https://www.youtube.com/watch?v=KZVkA5i_slM

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三井化学大竹工場のプラントです。
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三井化学正門からの景色です。
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三井化学大竹工場は小瀬川を挟んで左右にあります。
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岩国錦帯橋空港到着です。
昭和13年大日本帝国海軍飛行場として建設され、練習用空港でした。
現在はアメリカ海兵隊と海上自衛隊が使用する官有の飛行場で、岩国基地あるいは岩国空港と
呼ばれています。民間機に対しては岩国錦帯橋空港という愛称が付けられているのです。
民間機はANAが羽田ー岩国間を一日4便飛ばしているだけです。
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空港ターミナル
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これら二つの写真に写っているだけの広さの空港です。
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岩国の名産はレンコンだと初めて知りました。レンコン関連のお土産がたくさんありありました。
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空港からも三井化学のある石油コンビナートが見えます。
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山口県の柳井市の金魚ちょうちんが搭乗通路に飾ってありました。
「岩国錦帯橋だけでなく柳井市にも来てください」ということらしいです。
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飛行機には郵便マークが付いていました。郵便物を運ぶ飛行機かな?と思いましたがアテンダントに聞くと、「飛行機から手紙を出せる飛行機です」との説明がありました。
帰って調べると、やはり郵便物を運ぶ飛行機でした。郵便局以外の輸送手段に付けるのだそうです。委託輸送なのです。

航空機は基本的に公共交通機関なのです。
航空機に搭乗もしくは積載するものの優先順位は1:郵便物 2:乗客 3:乗客の手荷物 4:貨物です。 郵便物が一番とは知りませんでした。
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上空からは富士山と夕焼けを見ることができました。
デジブック・フルウインドウでご覧下さい。


iPadの方は下記URLをクリックしてください。
http://www.digibook.net/d/bb05ab77804fb58926a93d81475b4598/?viewerMode=fullWindow

羽田で夕飯を済ませ、藤沢行きシャトルバスに乗りました。
羽田からはいつもは京急ーJRを使い小田原に戻るのですが、人ごみを避けたいので、今回は藤沢までのシャトルバスを利用してみました。
藤沢からJRに乗ると立ってもわずかなので藤沢行きシャトルバスを使ってみたのです。
時間は京急利用より少し長くなりましたがシャトルバスの方が楽でした。

ベイブリッジからは横浜マリンタワーとみなとみらいが見渡せました。
走るバスの中からなのでシャッタースピード(1/125)を速くして撮ったため暗い写真になりましたが、写真をクリックして拡大するとHOTEL NEW GRANDの文字やコスモクロック21がわかります。ISO1600です。
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中国地方
1.
世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
2.
世界遺産石見銀山ー大森の町並み
3.
玉造温泉から出雲大社へ
4.
出雲大社
5.松江城
6.
松江城から足立美術館へ
7.
足立美術館
8.
足立美術館から広島へ
9.
広島城ライトアップ
10.
ホテルからの朝の風景
11.
平和記念公園
12.
平和記念資料館
13.宮島へ
14.
世界遺産 厳島神社
15.宮島散策
16.
帰路

宮島散策


2015.9.29

厳島神社の見学を終え、街の散策です。

大願寺の九本松 (大願寺の黒松 樹高30m、幹周3.6m)
伊藤博文公お手植えと伝えられる黒松です。
1本の木が根のところから9本に分かれている珍しい黒松で廿日市(はつかいち)市の天然記念物に指定されています。見事な松です。
写真をクリックすると大きな画像で見ることができます。
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大願寺山門
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厳島神社の桧皮葺屋根と五重塔
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後白河法皇御行幸松

承安4年(1174年)後白河院が滋子を伴って安芸国・厳島神社に参詣した折にお手植えになった松の遺木と書かれていました。明治初年に切り倒されたそうです。
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金鳥居(かねとりい)の辻
現在は鳥居はありません。
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お昼は「まめたぬき」という店に入り、穴子陶箱飯とカキフライを食べました。
どちらも宮島の特産です。
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穴子重はこれまで姫路・赤穂で食べましたが、「まめたぬき」の穴子重が一番おいしかったです。
ふっくらと柔く仕上がり、タレの味が格別でした。

穴子を乗せたご飯を蒸すそうで、熱々ほくほくの穴子飯となっていました。
陶器の箱に入って出されます。お勧めの穴子重です。
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牡蠣は大きくこれもおいしかったです。
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店内
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杓子は「敵をメシ取る」「幸運をすくい取る」縁起物です。宮島を代表する名産「大杓子」が飾られていました。

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神輿風に飾った杓子です。祭りの時に担ぐのでしょうか?五区参和会と書かれています。
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宮島杓子の由来です。
説明文をクリックすると拡大し、読みやすくなります。

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宮島といえば「もみじ饅頭」が有名です。

もみじまんじゅうが誕生したキッカケは、初代内閣総理大臣の伊藤博文の言葉だそうです。伊藤博文が、紅葉谷公園の茶屋で休んでいた時に、お茶を出してくれた茶屋の若い娘の手を見て、「この紅葉のような可愛い手を食べてしまいたい。」と比喩をした言葉を聞いた菓子職人が、もみじの形をヒントに、まんじゅうを作ったのが、「もみじまんじゅう」誕生のきっかけとなったという話が残っています。もみじ饅頭の写真は撮り忘れたのでもみじのマークが入っている地味なマンホールの蓋を掲載します。

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坂を上がり、国重要文化財五重塔を見に行きました。中に入ると天井に龍の絵が描かれているとのことですが、扉は閉まっていました。
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上からは厳島神社の檜皮葺きの屋根が見えました。
写真を拡大するとよくわかります。
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国重要文化財千畳閣(豊国神社)
1587(天正15)年、豊臣秀吉が戦没兵を弔うために安国寺恵瓊に命じて建てた
読経所ですが、1598(慶長3)年の秀吉死後建設は中断されました。板壁や天井板のない未完の状態です。島内では最も大きな建物で、畳857枚の広さがあることから「千畳閣」と呼ばれています。
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宮島のフェリー乗り場建物です。ここにふさわしい建物外観だと思います。
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フェリーに乗り宮島口に向かいました。
宮島の見納めです。
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輝く瀬戸内海

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つづく・・・・
帰路

中国地方
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世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
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世界遺産石見銀山ー大森の町並み
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出雲大社
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足立美術館から広島へ
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14.
世界遺産 厳島神社


世界遺産 厳島神社


2015.9.29


厳島神社あ、うんの狛犬。力強いです。
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浜辺の参道
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山の中腹に立つ目立つ建物は、新興宗教の建物とのことでした。
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神の使い、鹿が現れました。

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小舟に乗った観光客が大鳥居をくぐっています。
遊覧船に乗りたかったのですが、残念ながら時間的に無理でした。

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海に浮かぶ厳島神社です。
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厳島神社は推古天皇元年(593)、佐伯鞍職[さえきくらもと]によりご創建と伝えられています。
平清盛が久安2年(1146)安芸守に任官され、平家の守護神として尊崇し、平家一門の権力が増大するにつれてこの社を尊崇する度合いも増し、社殿を現在の姿に造営されたのです。

社殿の中はデジブック・フルウインドウでご覧下さい。


http://www.digibook.net/d/b954eb93b0099f89b60f3595e54084c8/?viewerMode=fullWindow


つづく・・・宮島散策

中国地方
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世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
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世界遺産石見銀山ー大森の町並み
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玉造温泉から出雲大社へ
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出雲大社
5.松江城
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松江城から足立美術館へ
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足立美術館
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足立美術館から広島へ
9.
広島城ライトアップ
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ホテルからの朝の風景
11.
平和記念公園
12.
平和記念資料館
13.宮島へ

宮島口競艇オートレース


2015.9.29

宮島口からフェリーに乗って宮島へ行く時、フェリーに乗りデッキへ行くと競艇オートレースが見えました。
観客が少ないので練習かもしれません。






宮島へ


2015.9.29

宮島へ向かって出発しました。
宮島は、神が住む島と云われており、島の神は女性です。
そのため、宮島の島の形は、女性が仰向けになって横たわっている姿に似ているということですがわかりますか?右端が冠、その左が顔、そして胸、お腹、足へと続いているそうですが
わかりにくいです。そう言われてみればそうですね。
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筏は広島名物、牡蠣の養殖でしょう。
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広島市内から宮島口まで走る路面電車(広島電鉄)の車両です。広島駅から宮島口まで約50分です。
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宮島へはフェリーを使って行きました。島まで橋は掛かっていません。
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フェリーは約10分で宮島に到着します。フェリーは厳島神社の左に着くので鳥居の後ろに厳島神社がある風景は見ることができませんでした。遊覧船に乗らねばならないようです。
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厳島神社の入場券です。
この写真の姿を期待して行ったのですが、残念でした。
写真をクリックすると拡大します。
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宮島のフェリーターミナルです。
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海岸沿いの道を厳島神社へ向かいました。
日本三景は宮島、天橋立、松島です。
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カヌーを楽しむ人もいました。
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つづく・・・・厳島神社



中国地方
1.
世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
2.
世界遺産石見銀山ー大森の町並み
3.
玉造温泉から出雲大社へ
4.
出雲大社
5.松江城
6.
松江城から足立美術館へ
7.
足立美術館
8.
足立美術館から広島へ
9.
広島城ライトアップ
10.
ホテルからの朝の風景
11.
平和記念公園
12.
平和記念資料館

平和記念資料館


2015.9.29

平和記念資料館です。

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入口には平山郁夫の絵がかかっていました。
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広島に投下された原子爆弾
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石仏の頭も原爆の熱線で、
表面が焼けただれてしまったのです。
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つづく・・・・・宮島へ


中国地方
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世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
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足立美術館
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広島城ライトアップ
10.
ホテルからの朝の風景
11.
平和記念公園





今年、接木したバラが咲く


秋バラの季節になってきました。
今年1月末に接木した二本のバラの花が咲きました。
春に蕾が付いたのですが、バラの木を成長させるため全部摘んだので
花を見るのは秋が初めてです。

ヘリテージ
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宴(うたげ)
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平和記念公園


2015.9.29

平和公園の北端には平和の時計塔が建っていました。
3本の鉄柱の下部は60度づつねじってあり、高さ約20mの塔上に、時計が三方向に付いていました。
広島鯉城ライオンズクラブが原爆ドームの永久保存に呼応して建設したもので、人類が初の原爆の洗礼を受けた時刻、8時15分に、毎日全世界の平和を祈り、この時計塔のチャイムが奏でられるそうです。ノーモア広島ですね。
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平和記念公園は太田川本流と太田川の支流元安川に挟まれた島のような場所の北端部にあります。原爆が投下された時、「熱い、熱い」と叫んで飛び込んだ人で埋まり、血の色に染まったと言われています。
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元安川の東に立つ原爆ドームで、「ノーモア広島」のシンボル的存在です。
正に爆心地で横風を受けなかった為、倒れずに残ったということでした。
写真をクリックすると拡大します。
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平和の鐘
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原爆供養塔
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韓国人原爆犠牲者慰霊碑
明治維新以後、朝鮮支配を進めた日本は、明治43年(1910年)の日韓併合により朝鮮を植民地としたため、生活基盤を失った多くの人々は職を求め日本に渡らざるを得ず、また、戦時中の労働力不足を補うため、強制連行や徴用によって多くの朝鮮人が日本で働かされ、敗戦時、日本には約300万人の朝鮮人がおり、数万人が広島市内で被爆したといわれています。

「死者の霊は亀の背に乗って昇天する」という故事にならって、亀を形どった台座の上に碑柱を建てました。
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平和を願って折った千羽鶴を掛ける場所です。
ぎっしりと千羽鶴が掛けられていました。
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説明文をクリックすると説明が読みやすくなります。
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禎子さんは1000羽の鶴を折れば病気が治るとお母さんから言われひたすら折り続けたそうです。
1000羽を超えても願いは叶わず、お母さんは気持ちが萎えないよう折った鶴の一部を隠したと言われています。
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原爆の子像と原爆ドームを見ることができます。
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丹下健三設計の「平和の灯」
 台座は、手首を合わせ、手のひらを大空にひろげた形を表現しており、水を求めてやまなかった犠牲者を慰め、核兵器廃絶と世界恒久平和への願いをこめています。
この火は、昭和39年(1964年)8月1日に点火されて以来ずっと燃え続けており、「核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けよう」という反核悲願の象徴となっています。
写真をクリックして拡大すると赤い灯がわかります。
バックの建物はは平和記念資料館です。
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原爆ドームと平和の灯を臨むことができます。
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平和の灯がわかりにくかったのでズームアップしました。
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平和記念資料館の向こうに大噴水が見えました。
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つづく・・・
平和記念資料館

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足立美術館
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足立美術館から広島へ
9.
広島城ライトアップ
10.
ホテルからの朝の風景



ホテルからの朝の風景


2015.9.29

ホテルには暗くなって着いたので窓からの景色はわかりませんでしたが、広島城方面(北側)の景色が翌朝良くわかりました。

三枚の写真を合成したものです。
写真をクリックすると拡大します。
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手前の円形の建物はひろしま美術館です。
美術館の向こうに小さく広島城が見えています。
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城の手前には広島護国神社が見えています。
お城の後ろの建物は高等学校です。
前夜は下部に写っている橋を渡った所まででした。機会があれば奥まで進み、広島城をじっくり見て、天守閣に登ってみたいです。
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上の写真の城の部分だけトリミングした写真です。
復元された城ですが堂々とした風格があります。昔は大阪城より大きかったとも言われています。
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右手前の建物は広島市民病院です。「熱を出すのが一日遅ければタクシーを使わず歩いて行けたものを」と家内にぼやかれました。
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広島城ライトアップを見に出かけた時、最初に写真を撮った櫓と城壁です。
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バスに乗り、平和記念公園へ向かいました。
新旧トラムが並んでいるのを見ることができました。
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つづく・・・平和記念公園


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足立美術館
8.
足立美術館から広島へ
9.
広島城ライトアップ




広島城ライトアップ


2015.9.28

地図を見ると、広島城がすぐそばだったので、食事の後、広島城のライトアップを見たくなり、ホテルのフロントで行き方を教わりました。
夜なので二の丸入口までしか入れないとのことでした。
広島城マップ


ホテルに到着後、部屋に入り、すぐ撮影した窓からの夜景ですが、目で見てもカメラのバック画面を見ても広島城が写っているのに気がつきませんでした。
広島城のライトアップの写真を撮影して帰ってきてから気がつきました。全体像を把握していないと見えないものです。
広島城わかるでしょうか?
写真をクリックすると拡大しますのでわかりやすくなります。。
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広島城のライトアップはデジブックフルウインドウでご覧下さい。
広島城は毛利輝元が築城しました。




iPadの方は下記URLからご覧下さい。
http://www.digibook.net/d/1105c97fa19aab5d2da2a733ed4b44ca/?viewerMode=fullWindow


つづく・・・
ホテルからの朝の風景

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足立美術館から広島へ





足立美術館から広島へ


2015.9.28

黄金に輝く稲穂を見ながら広島へ出発です。
山陰自動車道⇒松江自動車道⇒中国自動車道というルートです。
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中国山地のどまんなか、標高550mの「道の駅たかの」で休憩です。
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ここは冬には雪が多く降る所なので降った雪を貯める「ゆきむろ」がありました。
夏はジュース、ビール等を冷やすのに使っているそうです。
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9月末ですが、たくさん雪の塊が残っていました。
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大きなキノコにびっくり、香茸(こうたけ)というそうです。
とても高価です。それもそのはず、自然で取れるだけですので「幻の
香茸」と言われているそうです。
下記URLをご覧下さい。
http://kinokonojikan.com/koutake-1280.html
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「じゃんぼいなり」と名がつけられているように大きないなり寿司です。
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りんごも売られていました。
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珍しいトマトジャムです。
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以後、休まず走り、7時前に広島のホテルに到着しました。
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今日の宿泊はリーガロイヤル広島です。
大阪のリーガーロイヤルと雰囲気が似ています。
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荷物を置いてまず、食事のため
ホテルの裏側から隣りの「そごう」10F「広島お好み焼き みっちゃん」を目指しました。

ホテルと「そごう」の間の夜景写真です。
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ホテルリーガーロイヤル広島
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ホテルの裏口の前はそごうでも別館で10Fへ上がるとカルチャーセンターで食事するところはありませんでした。尋ねると本館ということが分かり、行き方を教わり、本館10Fの目指す場所に着きました。
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店は大阪に居た大学時代のお好み焼きの店とは違い、とてもおしゃれでした。
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厨房で作って運ばれてきます。鉄板と皿が選べます。熱々で食べたいので鉄板を頼みました。
焼きそばの上に薄いクレープが乗っているような感じです。
私は大阪風のお好み焼きの方が好きです。
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つづく・・・
広島城ライトアップ

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出雲大社
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松江城から足立美術館へ
7.
足立美術館


オンシジュームが咲きました


鉢で育てているオンシジュームの花が開きました。
オンシジュームは花が咲いている期間が比較的長く、周りを明るくしてくれます。
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足立美術館

 
2015.9.28

足立美術館に到着しました。
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美術館入口の苔の中に苔がくさらないように炭が埋め込まれていました。

木炭には苔の栄養分となるミネラル成分が含まれ、水中の汚染物質を浄化させる機能があるそうです。
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足立美術館は昭和45年、地元安来出身の実業家、足立全康氏によって開館されたものです。

足立全康は、安来の農家に生まれ、14,5歳から商いを手掛け、様々な事業を興しました。戦後は、関西で繊維業や不動産業等を商いながら、名作と謳われる日本画の数多く蒐集しました。当地に美術館を創設したのは、“郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思い”からということです。

足立美術館は部屋から見る日本庭園が有名です。背後の山々を借景としてうまく活用しています。
滝も人工のもので閉館すると水は止まるそうです。その他、横山大観の作品や陶器等美術品が陳列されています。写真撮影が許されているのは庭だけです。

枯山水の庭はデジブック・フルウインドウでご覧下さい。



http://www.digibook.net/d/ced4ad7b909f83192d82ad873551848e/?viewerMode=fullWindow


一回りして喫茶室で休憩しました。
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竹炭スプーンが添えられて、混ぜると甘みが増すとのことでしたが違いはわかりませんでした。
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金沢兼六園の灯篭と同じような灯篭がありました。
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池に当たった光が反射して天井を照らし、揺らいでいるのを見ることができました。



平らな山は月山富田城跡があるところです。代々尼子家が継いでおり、毛利の侵略により滅ぼされましたが山中鹿之助が再興したことで有名です。その後、横尾吉晴が松江の藩主となり、後に松江城を築城して、そちらへ移って行ったのです。

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つづく・・・
足立美術館から広島へ

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出雲大社
5.松江城
6.
松江城から足立美術館へ

松江城から足立美術館へ


2015.9.28


松江城二の丸には松江神社と興雲閣が建っています。
松江神社は徳川家康公、、松平直政公、(初代)松平不昧公などを祀っています。

松江神社で結婚式を挙げたのでしょう。松江城天守閣前へ移動していました。
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興雲閣は明治36年(1903年)に明治天皇行幸時の御宿所として建設された擬洋風建築の迎賓館
です。残念ながら巡幸は実現しませんでした。しかし
明治40年(1907年)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰道行啓にあたって、同年5月22日から25日まで御旅館となり、迎賓館としての役割を果しました。  現在は修復工事が行われています。
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四角い建物は島根県庁です。写真右下に鳥が写っています。
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鳥だけでなく、亀もいました。
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手鞠をデザインしたようなマンホールの蓋。
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武家屋敷をイメージしたマンホールの蓋
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堀川遊覧船
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松江市の見所を一周50分で巡る「
ぐるっと松江レイクライン」バスです。
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堀川遊覧船には「地ビール館」からも乗船できます。
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地ビール館の鯉
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島根県立美術館
美術館の西側は全面ガラス張りで宍道湖に沈む夕日が見えるように工夫されているそうです。
宍道湖の夕日は「日本の夕日百選」に選ばれています。
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嫁ヶ島
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山陰自動車道に入ると、前日の夜お世話になった松江市立病院が見えました。
お陰で、大事に至らず良かったです。
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山陰自動車道の島根県から見えた鳥取県の大山です。ガイドさんの話によると、「島根県から鳥取県の大山が見えるのはほとんどなく今日は空気が澄んでいる」と大興奮でした。私は男子の修学旅行がなかった高校だった為、生徒会が学校と交渉して男女ともに希望者のみということで、大阪から夜行で山陰地方へ行き、翌日、大山に登りました。
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黄金に輝く稲の向こうの湖は中海です。中央に大根島が見えています。

『出雲国風土記』には、杵築の御崎のたこを捕らえた大鷲がこの島に飛来したことにより「たこ島」と名付けられたとの言い伝えが紹介されています。たこから太根(たく)、そして大根(たいこ)と変化して現在は大根島(だいこんしま)」と呼ばれています。
牡丹やバラや朝鮮人参を栽培しています。
「てなもんや三度笠」に出演していた「白木みのる」が大根島出身だそうです。
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つづく・・・
足立美術館

中国地方
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玉造温泉から出雲大社へ
4.
出雲大社
5.松江城

松江城


2015.9.28

宍道湖の傍を走りながら松江城へ向かいました。
島のようですがよく見ると陸続きの岩です。
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ビニールがかかっているのはワイン用のぶどう畑です。出雲ワインや島根ワインと呼ばれているものがあります。
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バスが像の後ろを走ったので残念ながら誰なのかわかりません。
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スサノオノミコトはヒの川(斐伊川)のほとりに降り立ったといわれます。
その斐伊川です。

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蕎麦の花

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下の三枚は宍道湖でただ一つのの島と言われている嫁ヶ島(よめがしま)です。見る方向により形が違います。
全長110メートル、幅約30メートル、周囲240メートルで、約1200万年前に噴出した玄武岩でできた島です。

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松江城は元は島だった場所で、埋め立てて広げたので城の周りは堀(運河)が走っています。観光堀をめぐる船がありました。
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堀のそばにバスは停まり、松江城天守閣へ向かいました。

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松江城入口に立つ堀尾吉晴像
 堀尾吉晴は、天正元年(1573)の時点で、すでに百五十石を与えられていることから、秀吉の子飼いに近い存在であったことがうかがわれます。以来秀吉に従って戦功をあげ、小田原征伐後遠江浜松十二万石の大名となりました。
 秀吉の死後、家康に近づき、嫡子忠氏の関ヶ原の合戦では終始東軍として働き、戦後隠岐・出雲両国を与えられ、 松江城に入り二十三万五千石を領したということです。
尼子氏が築いた月山富田城に入りましたが、時代遅れの山城でもあり、慶長八年、松江に城を築くこととなりました。 このとき、吉晴は忠氏の後見役でした。

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大手門跡です。
復元するために資料を募る看板がた立っていました。
どのような門だったかが不明のようです。
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大手門の柱の基礎が描かれていました。
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二の丸の石垣と太鼓櫓   太鼓櫓の下には井戸がありました。

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一の門

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一の門をくぐると、天守閣が見えました。入母屋破風の屋根の形を千鳥が羽を広げた姿にたとえ、別名「千鳥城」とも呼ばれています。
四重五階天守です。
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松江城は国宝に指定されています。国宝となったのは、平成24年5月に発見された2枚の祈祷札から、「慶長拾六年正月吉祥日」などの文字が確認され、慶長16年(1611)とされていた城の築城時期が、慶長16年正月以前であることが確実となったからです。現存する古い城だということで平成27年7月に国宝に指定されたのです。
現在国宝の城は姫路城、松本城、彦根城、犬山城、松江城の5つです。熊本城や大阪城は立派な城ですが、復元された城なので国宝には指定されないのです。

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天守閣の入口は附け櫓となっています。
天守入口の防備をかたくするためにとり付けた櫓で、入口に鉄延板張りの大戸があり、入ると桝形の小広場が二段あって、侵入しにくくになっていました。

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入口を入ると鍵付き下駄箱が置いてありました。靴をぬぐ場合ポリ袋に入れてもって歩くことが多いですが、見学するのに楽でありがたいです。下駄箱に入らない靴は別に置き場が用意されていました。
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昔の天守閣の鯱でしょうか?ウロコがよくわかります。
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天守閣の中に深さ24mの井戸がありました。籠城の時は水が生命線です。
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天守閣を支える柱は板が貼られ鎹(かすがい)や鉄輪(かなわ)で留められているものがありました。割れ隠しなど不良材の体裁を整えるためのものと考えられています。
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天守閣は窓が大きく開放的です。
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天守閣からの景色
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宍道湖がよく見えました。嫁ヶ島も見えます。
写真をクリックすると拡大します。

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ハートマークが付いている柱が一本あります。松江城へ行った折には探してみてください。
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つづく・・・・松江城から足立美術館へ

中国地方
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玉造温泉から出雲大社へ
4.
出雲大社

出雲大社


2015.9.28

いよいよ、出雲大社内を歩きます。
参道の松並木です。
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因幡の白兎と大国主命の像です。大国主命は出雲の神様です。
因幡の白兎の話は古事記に掲載されている話なのです。
そして、兎を救った大国主命は医薬の神様でもあるのです。
古事記 因幡の白兎の話は下記URLを参考にしてください。
http://kojiki.co/kojiki/story1-07.html

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拝殿
現在修理中です。
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古代の出雲大社本殿は絵のように高くそびえていたそうです。高さは48mもあったのです。
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本殿を支える柱は一本ではなく、三本の大柱を束ねて一本として使ったのです。
写真は発掘した時のものです。
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こちらは本殿の柱の太さを現したものです。
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細かな流水紋が彫刻されている寛文7年(1667年)創立の八足門です。ここから参拝します。
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八足門の中には楼門があり、その奥に本殿があります。
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宝物殿
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横から見た本殿です。
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現在は24mの高さの
本殿です。桧皮葺の屋根は1mもあるのです。
現在60年に一度の遷宮で大修理が行われます。新しくなった屋根なので美しいです。
伊勢の遷宮とは違い、建て直すのでは無く神様にお移りいただいて大修理が行われます。no title



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出雲大社に関する資料が置かれている建物です。
かなり古そうです
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大国主大神の父神である
素戔嗚尊(スサノオノミコト)が祀られている素鷲社(そがのやしろ)です。
日本書紀では素戔男尊、と書かれ、古事記では速須佐之男命(たけはやすさのおのみことと書かれています。

創造神であるイザナギノミコトが黄泉から逃げ戻り、身を清めるために禊)をした際、鼻を洗った時に生まれたのがスサノウノミコトです。

亡き母を恋い、いつか黄泉の国へ行きたいと思っていたスサノウノミコトは高天原を訪れたが天上界で狼藉を働いたため、困った天照大神が岩戸に隠れてしまいました。

天の岩戸事件が解決した後、スサノコウノミコトは高天原から追放され、出雲の国に降り立ちました。スサノウノミコトがヤマタノオロチの生贄にされていたクシナダヒメをヤマタノオロチを退治し、救い出し、クシナダヒメと結婚したのです。
ヤマタノオロチを退治したときお腹から出てきたのが草薙の剣で、天照大神に献上したのです。

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裏から見た本殿
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19社
10月の神在月に八百万(やおよろず)の神々がお泊まりになる建物で、19の扉があり、神々の滞在中は扉が開かれます。
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出発点の神楽殿に戻ってきました。
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神楽殿では結婚式が行われます。
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大きな日の丸が上がってました。高さ48m
、国旗の大きさはなんと畳75枚分、重さは49kgもあるそうです。重いため、風の強い日や雨の日はあげないそうです。49kgもあるのに風になびいていました。48mといえば昔の出雲大社の本殿の高さです。日の丸の高さに本殿が立っていたとはすごいですね。
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つづく・・・松江城


中国地方
1.
世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
2.
世界遺産石見銀山ー大森の町並み
3.
玉造温泉から出雲大社へ




玉造温泉から出雲大社へ


2015.9.28

旅館の窓の外は朝霧が立ち込めていました。旅館の人の話によると朝霧が出ると晴れになるとのことでした。本当かな?と思いましたが、出雲大社に着く頃は快晴でした。
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昨日の熱はすっかり下がり、足もとのふらつきもなくなり、ほっとしました。昨晩のステロイドとロキソニンが効いたのでしょうか?

少し、旅館の前を歩きました。
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玉造温泉は玉作(たまさく)川沿いの温泉街です。
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玉造温泉街の玉作川には旅館ごとにあるかと思うぐらいたくさんの橋が掛かっていました。
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高架は山陰道です。
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川べりの遊歩道には竹灯篭が並んでいます。夜になると灯が入るそうです。
昨夜見るのを楽しみにしていたので、見られなくて残念でした。
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玉造温泉を後にして、出雲大社⇒松江城⇒足立美術館を回り、広島に行きました。
下のマップはクリックすると拡大します。
松江マップー1


宍道湖ではしじみ取りの船が出ていました。
漁ができるのは週に何回、何時間と制限されているそうです。
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旧大社駅

明治45年(1912)に国鉄大社駅が出来、大正13年(1924)2月に写真のような純和風の木造駅舎が建てられました。しかし、JR大社線は、平成2年(1990)3月31日に廃止され、今は駅舎としては使われていませんが国の重要文化財に指定されています。
現在は、
旧大社駅より出雲大社に近い場所に私鉄の出雲大社前という駅ができています。
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神門通りの一の鳥居が見えてきました。
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石で造られた大きな一の鳥居をくぐります。
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さらに二の鳥居が見えてきました。
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二の鳥居は木で造られていました。二の鳥居の前で右折し、駐車場へ向かいました。
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神門通りから少し入ったところにある創業130年の竹野屋という老舗旅館です。この旅館は竹内まりやの実家で、現在竹内まりやの兄さんが5代目を継いでいるそうです。
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二の鳥居前
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神楽殿に入る手前に、君が代の歌に出てくる「さざれ石」がおいてありました。
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「さざれ石」の後ろには、神迎祭の様子をレリーフにしたものがありました。10月に神様が全国から大国主大神の元に集まり縁結びの会議を開くのです。10月を出雲地方では神在月といい、その他の地方では神無月というのです。
この辺りの高校生は10月を神在月と覚えて試験で答えるので先生たちがその対策に苦労しているというガイドさんのエピソードがありました。
宍道湖から行列をつくり出雲大社へ入るのです。
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神楽殿

明治12年出雲大社教が組織化された当時、その布教のために大国主大神を本殿とは別に祀ったことに由来します。現在のものは昭和56年に新築されたものです。本殿と同じように朝夕の祀りの他、御神楽や御祈祷が奉仕され、結婚式もここで行われます。
しめ縄の長さは13m、重さは6トンです。
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つづく・・・
出雲大社

中国地方
1.
世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩
2.
世界遺産石見銀山ー大森の町並み

世界遺産石見銀山ー大森の町並み


2015.9.27


銀山に関わって発展した町並みを散策しました。銀を取り出していた頃の武家屋敷、商家、寺社などが残っている地区です。
瓦は赤茶色の石州瓦が殆どです。この地区に限らず、広島の山間部から島根の日本海沿いは赤茶色の石州瓦が多く、所々黒い石州瓦がありました。石見地方の粘土から作られた瓦で、寒さに強く雪が滑りやすいのでこの地方で多く使われているのです。
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島根県の日本海沿岸の石州瓦の屋根。
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「げたのは」と名付けられている食べ物はラスクのような食感で、硬めのクッキーです。
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自転車、電動自転車のレンタルがありました。
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石見銀山代官所同心遺宅柳原家
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郵便局
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世界一小さなオペラハウス大森座です。

大正4年の1915年、鉱山の経営会社が資金を出して、町並みの中心部に作った芝居小屋だそうです。
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勝源寺
大久保石見守長安と、竹村丹後守道清が大旦那となって、1601年に建てられた寺です。
当時、石見銀山は江戸幕府直轄の領地(天領)で、幕府から任ぜられた奉行・代官の下、一大産業都市として栄えていました。勝源寺は、そんな奉行・代官の菩提寺として、人々の尊敬を得たのでした。
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境内に入り、天井を見ると龍が描かれています。その下で手を打つと「ギー」と鳴く「鳴き龍」です。
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勝源寺で引き返し、駐車場に戻り、バスで宿泊地、玉造温泉に向かいました。
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風力発電が多い島根です。
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宍道湖の夕焼けは有名です。
宍道湖ではありませんがバスの中から夕焼けを見ることができました。
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玉造温泉の入口
の勾玉モニュメントです
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この日の宿の{出雲神々縁結び宿「紺屋」}到着しました。
http://yutei-konya.jp/story/

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庭を眺めながら「おうす」をいただきました。
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バスに乗っている途中から寒気がし、バスを降りると、ブルッと悪寒が走りました。
「おかしい」と旅館で体温計を借り、測ると39度近くになっていました。
風邪をひいたのかな?これからの旅二日間どうなるだろうか?
風邪にしては咳が出ない、明日から出るのかな?いろいろ考えましたが明日からのことが有り、とりあえず、手持ちのロキソニンとステロイドを飲み、夕食を済ませ、旅館のレセプションで教えてもらった救急診療を受け付ける松江市立病院へタクシーで行きました。昨夜泊まった羽田のホテルの近くで、海鮮丼を食べ、今朝ひどい下痢に二回見舞われたことを話すと「おそらくウイルスによる急性胃腸炎だろうから、ロキソニンを飲んで整腸剤を飲んでください」とのことでした。急患が次から次へと来るので採血をしてもらうのに30分待たされ、結局2時間も病院にいました。
病院から帰って温泉も入らず、すぐ寝て、翌日に備えました。お陰で温泉街歩きも無しとなりました。


つづく・・・出雲大社へ

中国地方
1.世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩

世界遺産石見銀山ー龍源寺間歩


2015.9.27


島根県の世界遺産石見銀山へ行ってきました。

銀山の発見は大永6年(1526年)、九州・博多の豪商神屋寿禎が仙ノ山(標高537メートル)頂上に露頭の光を見て開発を願い出て見つけたという伝説があるそうです。戦国時代後期から江戸時代前期にかけてが最盛期の日本最大の銀山です。江戸時代に大久保長安が初代奉行になり飛躍的に発展したのです。

 石見銀山遺跡は、環境に配慮し、自然と共生した鉱山運営を行っていたことが特に評価され、2007年7月に「石見銀山遺跡とその文化的景観」として、国内では14番目、鉱山遺跡としてはアジアで初めての世界遺産に登録されました。

龍源寺間歩(まぶ)へは車は入れないので、山間を歩いていくことになります。下記URLのパンフレットB〜Cまで45分とあります。急ぐと30分です。これを往復し、町並み歩きB〜Aを往復しました。

http://ginzan.city.ohda.lg.jp/files/20150519115416.pdf

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民家が所々立つ道を進みます。
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田園風景
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大田市立大森小学校校舎
明治5年に設立され、現在生徒数20名とのことです。
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保育園が隣接されていました。
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緩やかな坂を登っていきました。
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山里の景色を眺めながらのんびり歩くのが良い場所です。
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「もみじ」が多く植わっています。
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道端には銀を掘り出した坑道が所々に残っています。
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写真をクリックすると拡大し、説明を読みやすくなります。
山師個人が掘っていたそうです。
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龍源寺間歩へ入るチケット売り場です。
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ここから坑道に入りました。
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人一人少し屈んで通れる坑道が続きます。
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坑道内の温度計は12°Cを指しています。ひんやりしています。
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100m下へ水を流す立坑の排水坑だそうです。
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坑道の出口です。龍源寺間歩は一方通行になっていました。
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テンナンショウ属 ムサシアブミの 実です。毒があるので食べたら大変です。
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江戸時代の役人の武家屋敷です。
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つづく・・・世界遺産石見銀山ー大森の町並み

茗荷谷から小石川植物園へ−5 森の植物園


日本庭園から階段を上がり、植物園へ向かいました。
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鬱蒼とした森を歩く感じです。

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木は研究用で大きな木がたくさんある場所です。

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暗いのでシャッタースピードが遅く手ブレしていますが、木の大きさがわかると思いますので掲載しました。
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ニュートンのりんごの木。
ニュートンが庭のりんごの実が落ちるのを見て、「万有引力の法則」を発見するきっかけになったという話はあまりにも有名ですが、品種はこのリンゴでイギリスでケントの花といわれるものです。その当時の樹は枯れてしまいましたが、枯れる前に接ぎ木で殖やした子孫の一つです。

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「柴田記念館」

当時植物園内にあった東京大学植物学教室の柴田桂太教授が、植物生理化学の研究業績に対して授与された学士院恩賜賞の賞金を寄付し、それをもとに翌大正8年に建設された建物です。
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柴田先生(?)のレリーフ

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柴田記念館内部
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シダ園
世界にはシダが1万種もあるとは驚きです。
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ソテツには精子があることを発見した池野威一郎の鹿児島での研究用のソテツを株分けしたものです。
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都会に住んでいる人にとって手近な絶好の散策路でした。

「茗荷谷から小石川植物園へ」おしまい


茗荷谷から小石川植物園へ−1 縛られ地蔵と滝沢馬琴の墓

茗荷谷から小石川植物園へ−2 伝通院

茗荷谷から小石川植物園へ−3 播磨坂

茗荷谷から小石川植物園へ−4 日本庭園・旧東京医学校




茗荷谷から小石川植物園へ−4 日本庭園・旧東京医学校


2015.5.29


小石川植物園へ入園しました。
チケットには「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」と書かれ、これが正式名です。
植物学の研究・教育を目的とする東京大学の教育実習施設なのです。 この植物園は日本でもっとも古い植物園で、貞享元年(1684)に徳川幕府が設けた「小石川御薬園」が前身で、明治10年、東京大学が設立された直後に附属植物園となり一般にも公開されてきたそうです。
徳川綱吉の白山御殿があった場所です。
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入口を入り、坂道を上がっていくと大きなヒマラヤスギが植わっていました。
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本館の建物。
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ヒマラヤスギの枝ぶりです。
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最初は日本庭園を目指すことにしました。うっそうとした森の中の下りの小径を進みました。
東京医学校までは700mほどの距離です。

小石川植物園園内map1

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突然、開けて池が見えてきました。
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5月末なので「皐月」の花が水辺に咲いていました。
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花菖蒲田が細長く続いていました。
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黃花菖蒲
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赤い壁の2階建ての建物は旧東京医学校です。

明治10年、東京開成学校、東京医学校を母体として東京大学がつくられ、赤い壁の建物は医学部本部・病室をはじめ各種の用途に用いられたのです。
その後、建物が東大赤門脇と
神田錦町の学士会館に分けられましたが、昭和44年に小石川植物園に再建されたのです。

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屋根の上の塔は時計が取り付けられていたのですが、今はありません。
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玄関の車寄せです。擬洋風建築です。
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旧東京医学校の建物に行こうとしたのですが、一度出てしまうと再度植物園に入場できないので今回はあきらめました。
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つづく・・・・・大きな木が茂る場所

茗荷谷から小石川植物園へ−1 縛られ地蔵と滝沢馬琴の墓

茗荷谷から小石川植物園へ−2 伝通院

茗荷谷から小石川植物園へ−3 播磨坂






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