2017年09月
2017.9.16
佐伯祐三のアトリエを出て、おとめ山公演を歩きゴールの高田馬場まで歩きます。
細い道に入り、坂道を下ると・・・。
薄暗い下落合野鳥の森でした。
暗いのでシャッタースピードが遅くなりボケました。写真よりかなり暗く少し怖かったです。
7.野鳥公園の隣に薬王院があり、山門は谷間にました。
両サイドに40種類1000株のボタンが植わり、ボタン寺と言われています。
本堂
薬王院庫裡
六地蔵
薬王院の上の道に出て、落合中学校の傍を通りおとめ山公園へ行きました。
8.おとめ山公園の芝生の広場に出ました。標高35mのおとめ山の頂上です。
森の中を下っていきました。
おとめ山は乙女山ではなく御留山で、将軍の狩場だった所です。
江戸城築城の太田道灌が室町時代若い娘から山吹の枝を献げられた故事(山吹伝説)がある場所とも言われていますが山吹伝説は各地にあります。
11:30に中井駅を出発したので4時間落合の台地を歩いていたことになります。
高田馬場駅まで、後10分です。
ホタルが生息する場所です。
神田川
川の上にある青い橋は東京富士大学の渡り廊下です。
写真をクリックすると拡大します。
JR高田馬場駅は早稲田側は行く機会があってっも西側に行ったことはないので写真のような飲み屋街があるのは知りませんでした。住宅街をずっと歩いていて急にこのような光景が目に入り驚きました。
落合散策おしまい
落合散策−1 坂道
落合散策−2 林芙美子記念館
落合散策−3 中井御霊神社・自性院
落合散策−4 佐伯祐三旧居跡
2017.9.16
自性院を出て、落合第二中学校の傍を歩き、下記地図5の延寿東流庭園を目指しました。
お寺のような大きな建物から太鼓の音に合わせ大合唱が聞こえてきたので表に回ると天理教本理世大教会と表札が掛かっていました。大教会は天理教本部直轄の教会です。
円柱が並ぶ円形の建物が見えてきました。なんだろうと思って正面に回るとVERT NAKAOCHIAI と書かれていました。調べると賃貸マンションでした。
VERTを NAKAOCHIAI
地図5の住宅街の角にある延寿東流庭園に到着です。
住宅一区画分の小さな庭園です。
東京大学医学部を出て、ドイツに留学後、東京医科歯科大学を創立し初代校長となった島峰 徹が目白文化村といわれているこの地に住み、妻元子が目白文化村の面影を残したいと庭園にしたそうです。
写真をクリックすると拡大し、詳細がわかります。
坂の上通りを歩き、今度は山手通りを歩きます。
山手通りの下は首都高速中央環状線が走り、高い排気筒が立っていました。
大きな建物に出くわしました。聖母病院でした。
社会福祉法人が運営する総合病院で産科が有名だそうです。産科看護系の付属の聖母大学がありましたが上智大学と併合し、総合人間科学部看護学科となっています。
6.路地を入って佐伯祐三旧居跡へ行きました。道はわかりにくく、まごつきました。
正面に廻りましたがドアが閉まっていましたので、?と、思っていると、向かいの管理棟から管理人さんが来て、ドアを開けてくれました。
部屋の中に入るとビデオで佐伯祐三の説明がありました。
佐伯祐三は大正・昭和初期の洋画家で、大阪中津で生まれ私の母校である北野高校(旧北野中学)を卒業し、東京美術大学(東京芸術大学)で洋画を勉強しました。
パリで絵を描いていましたが、日本に戻ってからは落合の風景を好んで描いていました。そして、二度目のパリ滞在中、30歳の生涯を閉じました。
絵を見ると当時の落合は田舎でした。
北側に大きな窓がありました。
アトリエの隣には落ち着いた感じの小さな書斎がありました。
つづく・・・おとめ山
落合散策−1 坂道
落合散策−2 林芙美子記念館
落合散策−3 中井御霊神社・自性院
2017.9.16
1. 8の坂を上りきった場所にあるのが中井の鎮守御霊神社です。
溶岩の上に狛犬がいました。
区で最古のあ、うんの狛犬だそうです。
2.目白学園の目白大学部の正門の前を通りました。
3.中井出世不動尊
出世には関係ない年になりましたがお参りしました。
4.招き猫の発祥の寺として知られている自性院です。
ススキと斑入りの葉のヤブランが植わり、その周りに猫塚がありました。
猫の足跡のような敷石
猫地蔵堂
地蔵堂は毎年2月3日に開帳されますが、中をカメラで撮影するとお地蔵さんの周りに沢山の猫の置物が置いてありました。
地蔵さんの横に立派な箱がみえました。箱の上に黒猫の絵が置いてあるので、この中に江古田ヶ原の戦いで太田道灌が一匹の黒猫に危機を救われたと言われている黒猫が入っているのかもしれません。
自性院は弘法大師が日光参詣の途中に観音を供養したのが始まりと言われています。
弘法大師像の周りに健康を願っての足つぼ石が敷いてあり、素足で歩くよう書いてありますが痛そうです。
菩薩像もありました。
お地蔵さん
つづく・・・落合散策−4 佐伯祐三旧居跡
落合散策−1 坂道
落合散策−2 林芙美子記念館
2017.9.17
四の坂にある林芙美子の居住地(林芙美子記念館)です。
見学者は上の勝手口から入るのでした。
崖にピッタリ付いた勝手口の門が見学者の入口です。
林芙美子は昭和5年から落合に住み、昭和16年から昭和26年亡くなるまで住んでいた住居が記念館として公開されています。
勝手口を入り左が居住棟、右がアトリエと執筆棟となっています。
記念館に入ると、ガイドが始まる直前だったので急いで入場料を支払い説明を聞くグループに加わりました。
勝手口を入った左の居住棟
右のアトリエ棟
勝手口正面から見える庭
はじめ、林芙美子の書斎として作りましたが、書斎にしては明るすぎるということで奥の納戸として作った部屋に移動しています。この部屋は寝室として使われたそうです。
天井はすだれを使った落ち天井になっています。
落ち天井とは茶室などに使われ、天井を一段低くすることで下座を表し、そこに主人が座り客に対して謙虚な気持ちを現したのです。
林芙美子が執筆していた部屋です。
北の入口は、にじり口になっており、庭が見える側は雪見障子がつけられています。
芙美子の夫の画家がアトリエとして使っていた部屋です。北側には光を取り込む大きな窓があり、障子で優しい光が入って来るように工夫してあります。
居住棟
資料室
以前は孟宗竹が植わっていた庭ですが、林芙美子の葬儀の折に取り払い現在の形になったそうです。
居間
右が客人を迎える玄関。左が家族が使う玄関です。
客人の玄関は特別の畳を三枚敷き、障子も3枚が一組となるサイズにして玄関が広くなる工夫をしています。
林芙美子は設計者とともに京都を度々訪れ、建築に対して勉強熱心で随所に工夫が見られる家となっています。
家の壁は漆喰に鉄粉を混ぜて風情を出しています。
その他、タンス類は無く、すべてはめ込み式の収納でした。女中部屋には二段ベッドが置かれていました。また、日本家屋には珍しいロフトもついていました。
裏庭に孟宗竹林が残っていました。
つづく・・・落合散策−3 中井御霊神社・自性院
運転免許証やパスポートの写真は皆さんどうなさっていますか?
最近は自分のカメラで撮影した写真を家庭のインクジェットプリンターで印刷すればOKです。
但し、光沢紙を使用します。
運転免許証の写真はCanonのプリンター付属のアプリに運転免許証のサイズのものがあったのでそれで印刷し、OKでした。
パスポート写真はCanonのプリンター付属アプリのサイズに合うものがなかったのでネットで探すと
下記のアプリが見つかりました。簡単でした。
パスポート写真プリントが出来る無料アプリ
上記リンクを開き、「→すぐ試す」をクリックする。そして写真を選び、パスポートの大きさに合うよう大体でよいので範囲を決定し、出てきたパスポート写真のリンクを保存し、保存したファイルを印刷すれば終わりです。
実際のパスポート申請に合格しました。
2017.9.16
八王子でブルーインパルスを見た後、都内に移動、西武新宿線中井駅に降り、落合散策です。おおよそ、下のマップの範囲で中井駅スタート、高田馬場駅ゴールです。
中井駅の北に落合台地があり、台地の坂は一の坂、二の坂・・・・八の坂と番号が付けられています。落合という地名は妙正寺川と神田川が交じる所(落ち合う)からつけられたようです。落合台地には林芙美子や吉屋信子、尾崎一雄などが住んでいたので「落合文士村」と呼ばれました。
一の坂はわかりづらいです。階段を上がったところに「一の坂通り」の表示がありました。
二の坂も階段でした。
二の坂で道を間違え、上に上がってしまいました。そこには大きな木があり、寺院のようです。あとで調べると獅子吼会という法華宗の寺院でした。歩いたときは得体が知れない感じがして中には入りませんでした。
四の坂の角は林芙美子が住んでいた林芙美子記念館があります。
四の坂の上の方です。かなり急勾配です。
八の坂を上がって台地に向かいました。
中井の鎮守、御霊神社が見えてきました。
つづく・・・落合散策−2 林芙美子記念館
2017.9.16
9月15日仕事終了が8時過ぎになり八王子に宿泊し、翌日、高尾山に久しぶりに登ろうと計画していました。しかし、天気予報を見ると午後から雨だったのでどこか行くところはないかと、ネットを見ていると9月16日八王子市制100周年記念行事として「全国都市緑化八王子フェア」が開催され、オープニングセレモニーに合わせ、ブルーインパルスが富士森公園上空を飛行するというのを見つけました。
ホテルからできるだけ近い場所で、何処でブルーインパルスを見るか?と、地図を睨んでいると八王子市立第三小学校が目に入り、グランドなら上空が広がり、富士森公園まで行かずとも見えると思い、出かけました。
ブルーインパルスいうと青空に描く飛行軌跡が思い浮かびますが、あいにく雨が振りそうな曇空です。
校舎の背後からブルーインパルスが現れました。
二度目は編隊を違えてネット裏から登場です。
編隊の形を変えならが数回飛んでくれました。
最後はライトを灯しながらの飛行でした。絵を描いてくれることを期待したのですが編隊飛行のみだったのが少し残念でした。周りからは前日のリハーサル飛行の方が良かったと声が聞こえました。
ブルーインパルスが発する音をお聞き下さい。
9:20から10分間の飛行でした。
ブルーインパルス機体
2017.8.21
国道駅で降りようとして電車とホームの隙間が広いのにびっくりしました。
階段を降りると足元注意の表示がありました。
国道15号線(第一京浜国道)が傍を走っているところから付いた駅名です。
ホームから右を見ても、左を見てもレールはカーブしています。
駅の外はマンションが立つ場所です。工場地帯とは全く違う景色です。
下に降りる階段です。写真は明るく写っていますが、実際はかなり暗いです。
橋を渡り改札に向かいました。
渡り廊下から覗くと下の通りが見えます。旧東海道側です。
国道15号線側です。
ここも自動改札です。
今は営業していません。レトロな看板です。
国道15号線
振り向くと昭和初期の名残を感じました。
実際は薄暗く女性が歩くには勇気が要ります。
黒澤明の映画「野良犬」のロケで使われました。
店は開いていませんが看板だけ残っています。
店は殆どなくなっていました。
空襲時の弾丸の痕が残っていました。
国道の反対側の通りは旧東海道です。旧東海道歩きの時に歩きました。
この先は生麦の魚河岸通りです。昭和20年頃は160店あったそうですが今は半分以下になっています。殆どが寿司店、小料理屋に卸す魚介類を扱っているのが特徴です。その先に生麦事件が起こった場所があります。
旧東海道を横断し、鶴見川まで行ってみました。
鶴見線の高架下の家が今も残っています。
鶴見川橋
鉄橋があるので国道駅は高架になっていたのです。
再び国道駅にもどりました。
電車は3両編成です。
鶴見駅の手前に古いホームが見えます。昭和17年に廃止された本山駅のホーム跡です。
鶴見駅到着。今回の Short Trip 終了です。
鶴見線−1 海芝浦支線1 海芝浦駅へ
鶴見線−2 海芝浦支線2 新芝浦駅から浅野駅
鶴見線−3 海芝浦支線3 弁天橋駅〜鶴見小野駅
鶴見線−4 海芝浦支線4 国道駅
2017.8.21
木造の弁天橋駅駅舎です。近くに弁天橋があったというところから駅名がついたようですが現在は弁天橋はありません。
駅舎の背後にJFEが見えます。
JFEの母体は日本鋼管と川崎製鉄です。JFEについてJFE・HPに次のように記載されていました。
「J」は日本(Japan)、「F」は鉄鋼(鉄の元素記号Fe)、「E」はエンジニアリング(Engineering)を意味し、鉄鋼とエンジニアリングをコア事業とした「日本を代表する未来志向の企業グループ」(Japan Future Enterprise)であることを表しています。
改札出口です。正面にコンビニがあります。
改札を出た所は工事中でした。
JFE前の花壇
新しいビルに挟まれてレトロな秩父屋食堂というのがありました。
駅舎横の藤棚がある公園です。
噴水がありますが、水が出ていませんでした。噴水が上がった後の水が残っていました。
床に丸い穴が開いています。
弁天橋駅ホームに戻ると噴水が上がりました。
外から見た弁天橋駅ホーム
AGCモノづくり研修センター
旭硝子の研修センターです。
竹中工務店設計で2007年グッドデザイン賞を受賞しています。
グッドデザイン賞受賞建物 AGCモノづくり研修センター
弁天橋駅舎
Cycle Tree 駐輪所
JFEが製造販売している立体自動駐輪所です。
Cycle・Tree
古びた表示板は古き時代を感じさせます。
ここにもレトロな場所が・・・使われていない線路のようです。
鶴見小野駅です。ここも木で作られた白いホームの屋根と板塀です。
向かいのホームです。
鶴見小野駅は上りと下りで改札が別々にあります。
上りの改札です。
改札を出た所に洒落た造りの酒屋さんがありました。
駅前の石碑の最初の文字は鶴見ですが後はわかりません。
上りの鶴見小野駅
地元の大地主・小野信行の名字を駅名にしたそうです。
今まで、駅前は工場でしたが、鶴見小野に来ると住宅街になっていました。
下り側の鶴見小野駅です。
踏切から眺めた鶴見小野駅のホームです。
この駅から多くの企業・研究施設へ行けるようです。
線路の横は遊歩道となっています。
百日紅の花
鶴見は川崎市に近いですが、横浜市鶴見区なのです。
横浜市は大きいので18の行政区を設けて自治体として認めているのです。
駅の中央部分の表示です。住宅が多い駅なので鶴見・横浜・東京方面へ行く乗客が多いのでしょう。
「後ろ寄りの車両をご利用下さい」です。鶴見駅の改札は車両前側にあるためです。
そろそろペンキ塗りが必要なようです。
つづく・・・鶴見線−4 海芝浦支線4 国道駅
鶴見線−1 海芝浦支線1 海芝浦駅へ
鶴見線−2 海芝浦支線2 新芝浦駅から浅野駅
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