2014.1.30
雨が降っていますが、折角、堺に来たので歩いてみることにしました。
堺の中心部には東西1.5mの中に3本の電車が走っています。
移動するには便利そうです。
まず、菅原神社、与謝野晶子生家跡、千利休屋敷跡を訪ねることにしました。
歩き始めてまもなく旧堺灯台をデザインしたマンホールをみつけました。彩色され目立ちます。
菅原神社南門から中に入ります。
菅原神社は菅原道真自作の木像が堺の浜に漂着し、これを祭ったのがはじまりといわれています。
東口の楼門は鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進により、延宝5年(1677年)に建てられたと伝えられており大阪府指定有形文化財です
桜門の左右にあるのは仁王さんではなく「小西行長の手植え 傘松の幹」と「樹齢850年の浜寺公園 千両松幹」です。
西口桜門では随身像が守っています。
北門
開運招福の神牛。
菅原神社は堺では天神さんの名で親しまれているそうです。
拝殿
常楽殿
「えべっさん」で親しまれている戎神社も一緒にあります。
紀州街道に出るとレトロな感じの街灯が交差点をはさんで2基ありました。
今度は秀吉好みの黄金のマンホールを見つけました。秀吉は藤吉郎と呼ばれた頃信長の命令で堺の鉄砲を大量に仕入れたのです。その後、堺の利休とも懇意になったので堺と関係が深いのです。
与謝野晶子生家跡の碑はチンチン電車が走る紀州街道に面してあります。
与謝野晶子は歌人で、「みだれ髪」で与謝野鉄幹に対する愛の歌を詠み有名になったのです。生家は菓子商で、店をきりもりする後妻の母の背を見つつ、父の蔵書の古典に親しんで成長。22歳の時、10代から始めた短歌が「明星」に載り、与謝野鉄幹と出遇ったのです。
碑の説明文です。写真をクリックすると拡大し、読みやすくなります。
生家「駿河屋」の店舗の姿です。(明治16年)
現在、駿河屋の裏に立っています。
紀州街道の傍の歩道です。中央が自転車道、端が歩道です。
自転車ゾーン
歩道は「てくてくろーど」と呼ばれています。
観光マップのタイルもはめ込まれています。
紀州街道に面した道路からひとつ奥に入った道に千利休屋敷跡があります。
ビルに囲まれて利休屋敷跡がありました。
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたと言い伝えられて。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。
椿は利休が愛した茶の花です。
椿の井戸
椿井来由記
椿井来由記の内容。写真をクリックすると読みやすいです。
つづく・・・南宗寺内の寺
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2.堺市役所からの夕日