2017.2.27 五日目
ロカ岬から15kmのシントラに向かいました。
ここにも一度乗りたかった蒸気機関車風観光バスが走っていました。
シントラは緑に囲まれた環境で、詩人バイロンが「エデンの園」と称賛した街です。
中央が宮殿です。今回はシントラ宮殿だけ訪問しました。
近くに「ポルトガルのイノシュバンシュタイン城」があり、興味がありましたが残念ながら訪問しませんでした。
上の写真の出典は下記です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Pal_nac_sintra_2.jpg#filelinks
シントラ宮殿玄関口
白い馬にまたがる巡回が見られました。宮殿らしい光景です。
山の上にはムーア人が建設した城壁が見えます。(写真をクリックして拡大するとよくわかります)
ムーア人とは8世紀初期以降、北アフリカ(モロッコ付近)からイベリア半島に侵入したアラビア語を話すイスラム教徒のことです。
宮殿に入ります。
宮殿の向かいに立つ建物は貴族が済んだ建物です。今はホテルだと思います。宮殿の周囲には多くの貴族が住んだのでしょう。
宮殿は15世紀から19世紀後半にかけてポルトガルの王家が避暑や狩りをするために住んだ建物です。
いよいよ宮殿に入ります。
床は多種類の色の大理石で造られていました。
天井には様々な姿をした白鳥が描かれていました。部屋の名前は白鳥の広間です。
窓から宮殿の塔が見えました。
貴族の接待に使われたカササギの間の天井には136羽のカササギが描かれていまいた。
カササギの口は「POR BEM」と書かれた布をくわえています。
これには下記の逸話があります。
侍女にキスをしているところを王妃に見つかったジョアン1世が、「POR BEM」=「善意でキスしたのだ」と言い訳したことに由来しています。王妃は何も言わなかったそうですが、噂は女官たちの間に瞬く間に広がってしまいます。王は、「おしゃべり」の象徴であるカササギを侍女の数である136羽描かせ、その足には王妃の出身であるランカスター家の紋章バラの花を掴ませました。
ドン・セバンチャンの部屋
お宝がいっぱいある宮殿です。
船底天井。ガレー船の間です。ガレー船とは、人力で櫂をかき進む軍艦で古代から使われ地形が複雑で風向きが不安定な地中海やバルト海では19世紀まで使われていました。
螺旋階段を上り次の間に行きました。
つづく・・・ポルトガルー37 シントラ宮殿2
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ポルトガル−23 旧コインブラ大学校内見学
ポルトガル−24 コインブラ大学を後にして
ポルトガル−25 コインブラで昼食
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ポルトガル−29 エドゥアルド7世公園
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ポルトガル−31 オビドス城壁に登る
ポルトガル−32 オビドス城壁内を歩く
ポルトガル−33 オビドスで昼食
ポルトガル−34 ロカ岬へ