2018.3.30
大多喜駅改札口近くでは鎧を着た本多忠勝と忍者がお出迎えでした。
大多喜城は徳川四天王の一人本多忠勝が築いた城と言われていましたが、現在、大多喜城の下に遺構が発見され、真里谷信清が小田喜城として築いたのが始まりとされています。
その後、本多忠勝が10万石の大多喜藩を与えられ三層四階の天守閣を築きました。
立派な大多喜駅舎です。
まず、向かいの大多喜観光本陣へ行き、観光マップを貰い、帰りの高速バスの乗り場と時刻を確認しました。
観光本陣の入口に人力車に乗った夏目漱石が・・と、思ったのですが正岡子規のようです。
正岡子規 大多喜を訪ねる
大手門をくぐり、大多喜城へ行きました。
行きは遠回りですが舗装されているメキシコ通りを、帰りは急坂で道が悪い大多喜高校の裏の道を戻りました。
「本多忠勝・忠朝親子の話をNHK大河ドラマに」という幟が立っていました。
大多喜城の外堀に相当する夷隅川(いすみがわ)、城主が江戸時代魚を取る事を禁止したので御禁止川(おとめがわ)とも言われている川を見下ろして坂を上りました。
大多喜に何故「メキシコ通り?」
メキシコ通りの起源
大多喜城天守閣は天保13年(1842年)に焼失し、現在の天守閣は昭和50年(1975年)に文政10年の写し絵図に基づき復興した天守閣です。
天守閣からの風景
大多喜城下町
手前は大多喜高校
東屋の右に高校の側へ降りる道があったので帰りはそこを下りました。
左は高校のグランドで右に校舎が有りました。
大多喜城二の丸の薬医門が残っていました。
つづく・・・いすみ鉄道−6 大多喜城下町
亥鼻城(千葉城)
国立歴史民族博物館へ
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