2012年04月
水上バスは浅草に着き、幹事の「お花見を続けるか?浅草仲見世を歩くか?」の問いかけに圧倒的多数が「お花見はもう良い、仲見世を歩こう」と返事しました。
2012_4.10(当日)の東武浅草駅の姿です。
開業当時の浅草駅のイメージに近づいています。
ネットの中では工事が進められているようです。
完成後のイメージ画像(インターネット画像より)
ネットの中の姿はこのようになるそうです。
外壁をネオルネッサンス様式にし、開業当時の面影を再現させるそうです。
開業当初の浅草駅(インターネット画像より)
東武鉄道の浅草駅(当時は浅草雷門駅)1931年(昭和6年)5月、関東初となる百貨店併設のターミナルビルとして開業しました。正面の大階段には1人乗りのエスカレーターが設置され、“日本のアール・デコ建築”のひとつともうたわれたモダンな姿は東京の新名所となり、多くの人で賑わったそうです。
少し前まではこの姿でした(インターネット画像より)
この姿が皆さんの記憶に残っているのではないでしょうか?
リニューアルされる建物の方がずっと素敵ですね。
雷門付近は、花見客が流れてきたのでしょうか?
多くの人でごった返しています。
一年前は閑古鳥が鳴いていると報道されていましたね。
仲見世も人・人・人
平日ですよ。
当然、仲間とははぐれる。
宝蔵門
浅草寺の宝物の収蔵庫。門全体の大きさは高さ22.7m、間口21m、奥行き8m。
当初は仁王を納めていたので仁王門と言われていました。平安中期に建てられたと伝えられているが、空襲で本堂とともに焼け、ホテルニューオータニの創業者、大谷米太郎氏の寄進で再建されたのは昭和39年(1964)です。
五重塔
942年(天慶5)に平公雅によって本堂の東南側に建てられましたが、何度か火災による焼失の後、1648年(慶安元)徳川家光が再建、これも昭和20(1945)年の戦災で焼失。その後、昭和48(1973)年参道を挟んで反対側、本堂の西南に再建されました。
地上からの高さ:53.32m(搭の高さ48.32m、うち九輪部分15.07m)。
浅草寺本堂
本尊は聖観音菩薩像
江戸市中の多くの寺院の中でも最古の寺で、幕府の庇護とその政策により近隣に歓楽、遊興の街が形成されたことなどから多くの人を集め江戸一番の繁華街となりました。
現在の本堂は昭和33年(1958年)に再建されたものです。
本堂から宝蔵門を望む。
本堂から西へ出ると
「浅草奥山風景」と書かれた門ができており
店が並び、江戸の風景を再現していました。
江戸時代、大道芸人が野天で芸を披露し大勢の見物客でにぎわった地区です。
薬師堂と桜
西参道商店街の入口脇に大きな柳の木が植わっていました。芽ぶきの柳はきれいですね。
西参道商店街内。
浮世絵が飾られています。
写真をクリックすると拡大されます。
「花やしき」健在です。
1853年に千駄木の植木商、森田六三郎により牡丹と菊細工を主とした植物園として開園したのがはじまりで、当時は、「花屋敷」と漢字表記で、江戸時代は茶人、俳人らの集会の場や大奥の女中らの憩いの場として利用されていたようです。
花屋敷は、戦時下において徐々に規模を縮小し、1935年(昭和10年)に仙台市立動物園に動物を売却し、1942年(昭和17年)には強制疎開によりついに取り壊されました。戦後の1947年(昭和22年)東洋娯楽機と松竹の関連会社との共同経営で再び開園し、遊園地「浅草花屋敷」と改名、2年後には東洋娯楽機に経営が委ねられ「浅草花やしき」と改名したのです。2004年(平成16年)にトーゴ(旧・東洋娯楽機)が会社更生手続きの開始を申し立てたことにより、バンプレストの子会社の株式会社花やしきが8月31日にその事業を承継し現在に至っています。 長い歴史のある「花やしき」なのです。
西参道商店街を抜けると、六区ブロードウエイ街です。きれいに整備されています。
ずいぶん長い間来なかった間に、様変わりした浅草寺西側でした。
劇場が並び、大衆娯楽、活動写真(映画)常設館発祥の地です。
ロック座もROCKZAと近代的になっていました。
浅草フランス座演芸館東洋館
こちらもストリップ劇場ですが
渥美清、コント55号等、多くの芸人を生み出した場所でもあります。
フランス座の隣は
浅草演芸ホール
落語、漫才を演ずる寄席です。
ここから脇道にそれて、コーヒータイム。12名は一度に座れず、席を分けて座り、昔の話・現在の話に花が咲きました。
可愛いウエイトレスのお勧めは「マンゴウ○○」
笑顔につられて、会話を楽しみ「マンゴウ○○」を注文する人が増え、
一日ツアーの疲れがいやされました。
この後、バスで上野駅まで行き、解散でした。
良い一日でした。幹事さん、またの企画をお願いします。
終わり
築地とスカイツリーを巡る会−1(築地場外市場)・・・・4/11
築地とスカイツリーを巡る会−2(浜離宮庭園)・・・・4/16
築地とスカイツリーを巡る会−3(隅田川から見るスカイツリー)・・・・4/20
旧横浜港へ到着した後、海岸沿いに歩き、横浜三塔が一度に見える場所を探し求めました。
横浜三塔が一度に見える場所は3か所あると言われていますが、そのうちの一つは木が茂り現在は3塔一緒に見えないと言われています。
「赤レンガ倉庫は行ったことがある」
という方は多いと思いますが
青線のコースを歩いた方は少ないのではないかと
思います。
海を楽しみながら歩けるコースです。
遠くには大桟橋の屋上(茶色い芝生)が見えます。
大桟橋には客船が停まっていました。
望遠レンズで拡大すると
ROYAL WINGと書かれていました。
(写真をクリックすると拡大できます)
しばらく歩くと
美しい「横浜ベイブリッジ」が現れます。
海上保安庁の巡視艇でしょうか?
赤レンガ倉庫の屋根の上の飾り
赤レンガ倉庫
芝生の上のモニュメント
見つけました。
三塔が見える場所のプレートです。
(場所はtopの地図参照)
プレートのレリーフのように見えるはずです。
三塔が確かに見えました。
左から
キングの塔、ジャックの塔、クーンの塔
(写真をクリックしてみてください)
次の三塔が見えるスポットに移動です。
赤レンガ一号棟には
美しいベランダがあります。
赤レンガ倉庫から大桟橋に通じる新港橋にも
レールが敷かれています。
高島貨物線(横浜臨港線・山下埠頭線)と呼んだそうです。
旧横浜港から山下埠頭まで2km。
昭和40年(1965年)に開線し、昭和61年(
1981年)廃線となりました。
たった21年の命でした。
つづく
これまでのシリーズ
横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16
横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
横浜、大人の休日散歩道ー9(再び馬車道)・・・・4/6
横浜、大人の休日散歩道ー10(旧横浜港駅を目指す)・・・4/12
まだ、のどに違和感があるものの
復活しました。
記事をがんばって書きますので
御贔屓に願います。
申し訳ありませんが、しばらくアップはお休みです。
浜離宮恩賜庭園の水上バス乗り場には
多くの人が並んででおり
乗れるか心配でしたが
浅草から乗ってきた人が多く下りたので
並んでいた全員が乗れました。
私は写真を撮りたかったので
浅草まで後ろの甲板に立ち通しで、少し疲れました。
浜離宮の水門すれすれに水上バスが進みます。
長い船体を上手に操っているのに感心。
水門を出ると
正面に美しいフォルムの
レインボーブリッジが見えました。
ビルの間に顔を出したのは「東京タワー」
デッキから前をみると水上バスの屋根です。
下の座席から天井越しのスカイツリーが見られるようになっています。
下の写真は日の出桟橋に到着した時です。
日の出桟橋からも多くの人が乗り込み
満員になりました。
日の出桟橋を出、浅草・吾妻橋へ向かいました。
レインボ−ブリッジは間近
本牧埠頭のクレーンが近づきます。
日の出桟橋を出て
船首を浅草に向けると
東京スカイツリーが姿を現わしました。
まさに、雄姿というところですね。
ここから先は
デジブックにしました。
「桜と橋とスカイツリー」をたっぷりお楽しみください。
http://www.digibook.net/d/5594a1ffb15d8541bbedb5a1594b4588/?viewerMode=fullWindow
つづく・・・・>4/27
築地とスカイツリーを巡る会−1(築地場外市場)・・・・4/11
築地とスカイツリーを巡る会−2(浜離宮庭園)・・・・4/16
下記URLです。
ご覧ください。
これで見られるのかな?URLを張り付けたのですが、お友達でなくてもよいのかな?
まだ、Facebookを始めていない方、Facebookに登録し、友達になってください。
http://www.facebook.com/media/set/?set=a.107825609352695.9174.100003757695811&type=3#!/pages/%E8%96%94%E8%96%87%E3%81%A8%E3%83%96%E3%83%A9%E6%AD%A9%E3%81%8D/334780249917537
我が家の庭のチューリップをご覧ください。
その他は
下記デジブックでご覧ください。
http://www.digibook.net/d/29d48f9f809caf08abc8b5b3994144d8/?m
築地とスカイツリーを巡る会第二弾です。
築地本願寺で記念撮影をして柳の若葉の下を歩き
浜離宮庭園へ向かいました。
築地本願寺は正式には「浄土真宗本願寺派本願寺築地別院」と言います。
元和三(一六一七)年、西本願寺の別院として、
第十二代宗主(ご門主)准如上人によって建立されました。
この建物は、インド様式の石造りとなっていますが、
本堂内は伝統的な真宗寺院の造りになっています。
(写真をクリックするとすべて拡大画面となります)
橋を渡ると浜離宮庭園の入口です。
皇室の離宮らしい大手門橋です。
浜離宮は江戸時代には江戸城の出城としての性格もあわせもち、
城郭の構造を今も残しています。
したがって、周りは堀で囲まれています。
明治維新の後は、皇室の離宮となり、名前も浜離宮となりました。
昭和20年11月3日、東京都に下賜され浜離宮恩賜庭園となり
公開されています。
今回は浜離宮庭園の桜を見た後、水上バスで
浅草へ行くので
桜のポイントのみをめぐりました。
浜離宮恩賜庭園の桜の様子を
デジブックにまとめました。
下記URLです。
http://www.digibook.net/d/22d4edbfb01d8f41abcf37a1c95145d8/?viewerMode=fullWindow
浜離宮恩賜庭園では
春は菜の花、
秋は黄花コスモス
が咲いている場所があります。
以前に秋に浜離宮恩賜庭園行った時
の写真をデジブックにしました。
下記URLでご覧ください。
http://www.digibook.net/d/e144a733801f8d4c23c9bf31a15a048a/?m
次回は隅田川を水上バスで浅草に向かい
船上からの「桜と東京スカイツリー」をお届けします。
築地とスカイツリーを巡る会−1(築地場外市場)・・・・4/11
築地とスカイツリーを巡る会−3(隅田川スカイツリー)・・・・4/20
今日のしとしと雨で今年の桜は終わりでしょうか?
一日雨なので本の紹介です。
夜の桃
(石田衣良)
(新潮社)
中年や遠くみのれる夜の桃 西東三鬼
「風花」という本を調べた時、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」の欄で見つけ、図書館にリクエストして得た本です。
主人公雅人は40代なかばにしてネット広告企業の社長。六本木に会員制のクラブをもち、自宅は青山にある。若々しい妻がいながらも、30代の愛人もいる。
すなわち三角関係。
本人は「三角形の頂点に自分が居て安定状態にある」と言っていた。
そこへ契約社員として入ってきた20歳の千映という人物が入ってきて四角関係となる。
本人は新しい愛人2(千映)と会う場合は、愛人1または、妻を通るか、愛人1と愛人2を入れ替かえる作業をしないと会えない。すなわち、自由にコントロール出来ない状態になる。
ある日、愛人2(千映)に、ベトナムに居る山師の父から電話が来る。若い女性は「もう電話に出ないでください」と意味ありげな様子につい・・・・・・
三角形の安定が崩れ四角形の不安定な状態になる。
さて、物語は?
「主人公はいう、
仕事は経験を積めば大体予測がつくが恋愛はそうはいかない。中年になっても上達しないし、学習もしない。なんでも簡単にわかってしまい誰かに全部解説されてしまう世のなかで、いつもゼロかイチの繰り返しで恋愛みたいな謎はない」
なるほど!
肌が合う女性とは手が触れただけで電流が流れる状態になるらしい。
最高の快楽は恐怖の別名で、主人公雅人は恐怖と欲望の間で立ち尽くす。
官能的なシーンもある恋愛小説。この手の小説は「主人公が有頂天になり、最後に破滅する」と解っているがその過程を楽しむのが読むコツ。破滅への起爆剤や最後への行き方は小説によって違う。
「女を振り回していると勘違いしていたのだな。実際には遊ばせて貰っていただけだった。いざとなれば、全てを決めるのは女だっていうのに。男はいつだって自分のことしか見えていないのだな」。が主人公が呟く感想。恋(不倫)とはそんなもの。
石田衣良のファンは若い女性が多いそうだがこんな本も読むのかな?私は石田衣良初めてでした。この小説は2007年週刊新潮に連載されていたので64章に分かれいて読みやすく言葉が良い。
桜木町駅前の横浜みなと博物館横からトラスト橋に向かって、線路が埋め込まれているのをご存じでしょうか?この線路は旧横浜港へ続いているのです。
この道は、汽車道と言って桜木町駅から赤レンガ倉庫への道です。
港第一号橋梁という名が付いています。
明治42年にかけられました。アメリカで製造されたのです。
写真をクリックすると拡大します。
汽車道の脇には桜の木が植わっているので
桜の時期に歩くのがよさそうです。
東海道本線の貨物線として鶴見駅から高島駅、桜木町駅へ高島線というのが走っていました。
この線から分岐してかつて横浜港一帯に伸びていた貨物線が通称横浜臨港線(よこはまりんこうせん)で赤レンガ倉庫へ続いていました。これを記念して、今も一部、線路が残っているのです。
1912年ごろの線路です。
港第二号橋梁は工事中でした。
最近のはやりなのでしょうか?
ケープを着た若者がいました。
黒いケープの若者も見ました。
橋がかかっているの名は「大岡川」です。
「ナビオス横浜」というホテルの下を線路は続いています。
このホテルの部屋からの夜景はきれいだと思います。
調べるとリーゾナブルな価格で泊まれるようです。
「ナビオス横浜」の先で線路は途絶えています。
車道があるからでしょう。
線路の先に見えるのは赤レンガ倉庫です。
そこまで線路は続いていたのでしょう。
赤レンガ倉庫二号館の前にくると
やはり線路がありました。
赤レンガ倉庫から荷物を出し入れしていたのですね。
赤レンガ倉庫二号館の裏に回ると
二本の線路が始まっています。
線路の横には赤いバスが停まっていました。
(写真をクリックして拡大するとよくわかります)
レールの傍にバス停がありました。
バスの横には「あかいくつ」と書かれています。
バスの前に行くと「循環」とあります。
循環ルートは下記URLです。
大人100円ですので、疲れたらこのバスを利用する手がありますね。
休日は15分間隔で走っています。
http://www.yokohama-bus.jp/akaikutsu/map.html
バスの向こうにプラットホームらしきものが見えます。
遂に、
旧横浜港駅プラットホームへ到着しました。
クリックして説明文を読んでください。
駅の横に船が停泊出来たのです。
ここで線路は終了です。
旧横浜港駅から見える
赤レンガ倉庫ニ号館。
レールを追っての散歩でした。
この後、海岸線をぶらぶらと歩きました。
つづく
これまでのシリーズ
横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16
横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
横浜、大人の休日散歩道ー9(再び馬車道)・・・・4/6
会社時代の一時期一緒に仕事をした仲間13人が
2012.4.10(火)
AM10:00に新橋に集合しました。
新橋駅にあるD51機関車の動輪と鉄道唱歌の碑
大正時代の新橋駅の写真を見つけました。
味わいある駅だったのです。
明治・大正時代はレンガ造りの建物が
よく建てられていたようですが
今はレンガ造りの建物は少なくなりました。
著作権は切れている写真です。
「ウイキペディア新橋駅」に掲載されていました。
ファイル:Shinbashi eki.jpg
足柄から東京へ住まいを移した仲間のガイドで
築地場外市場(ここで寿司の昼食)ー浜離宮(花見)
−水上バス(東京スカイツリーを眺める)−浅草(仲見世を歩く)
のコースを巡りました。
新橋周辺マップ
写真をクリックするとすべての写真が拡大されます。
以前に築地市場を訪れた際には中に入れましたが
残念ながら今は入れなくなっていますので
場外築地市場へ行きました。
新大橋通りに面している
築地場外市場です。
何故か中華そば店があり、行列ができていました。
魚介類が入っているわけではなく普通のラーメンのようです。
「井上」は1986年から開店している老舗の店で
築地の魚河岸の人達を相手に始めたのでしょうが
今は築地見物らしき人が並んでいます。
築地場外市場は新大橋通りと晴海通りが交差する角にあります。
いよいよ市場の中に入っていきます。
上野アメ横のような感じの店が並んでいます。
狭い間口で商売をしています。
声をあげての呼び込みも盛んです。
場外市場のある通りから築地本願寺が見えます。
場外市場から晴海通りに出ると
勝鬨橋が見えます。
勝鬨橋は大きな船が通る時、橋が跳ね上がったのですが
1980年に電力供給を止め、可動部はロックされました。
復活させる運動もありますが、都の試算では10億円かかるとのことです。
勝鬨橋の反対側を見ると
「門跡橋」という交差点の表示が見えます。
今は埋め立てられ橋はありません。
築地は江戸時代に埋め立てられた場所なので
運河が多く、当然、橋が多くかかっていたのでしょう。
はたして橋があったのか調べてみると、
門跡(もんぜき)橋という橋があったのです。
下記URLに写真が載っていました。
http://blog.goo.ne.jp/ryuw-1/e/3a7ce8da8be99e1c7b48975e669eeaeb
現在も「門跡橋」の親柱が残っているとのことでした。
http://finches.exblog.jp/12410592/
門跡(もんぜき)とは平安時代以降、皇族や貴族が出家して
居住した特定の寺院を指していたのですが
室町時代からは格式のある寺を門跡寺院と呼ぶようになりました。
築地本願寺の傍を流れていた川にかけられた橋なので
「門跡橋」と呼ばれたのでしょうか?
お昼は「すしざんまい本店」でお寿司を食べました。
「すしざんまい」は多くのチェーン店があるようです。
http://www.kiyomura.co.jp/shop/shop01_01-00.html
階段を上がって3Fに通されました。
昼食後晴海通りに出ると
オープントップのSKYBUSが交差点で停まっており
車内放送で築地場外市場の説明があったのか
乗客はこちらを見ていました。
おそらく、東京タワー・レインボーブリッジコースの人でしょう。
SKYBUSは東京駅丸の内から出ている観光用バスです。
詳細は下記URLをご覧ください。
http://www.skybus.jp/?gclid=CLL3zsSZrK8CFUlNpgodBBAslw
この後、浜離宮の桜見物へ行きました。
つづく
築地とスカイツリーを巡る会−2(浜離宮恩賜庭園)・・・4/16
朝8時半に家を出て
山北駅線路沿いの桜を撮影してきました。
10:20に家内が車を使うので
滞在は40分間でした。
山北の桜見物は久しぶりでした。
天気に恵まれ、豪華な桜を見ることができました。
下の写真は
「山北駅南口」改札です。
無人なのでホームへは誰でも入れます。
南口改札を入ると線路で
線路を渡りホームへ上がります。
ホームの端はスロープになっているので
容易にホームへ上がれます。
踏み切りはなく自己責任で線路を横断します。
山北駅は松田駅と同様ホームが非常に長いです。
これは、東海道が小田原ー熱海ー沼津を走る前
国府津ー山北ー御殿場ー沼津が東海道だった時の名残です。
石炭や水の補給基地でもあったので
特急「つばめ」も停車しました。
御殿場へは急坂なので蒸気機関車一台では登れず
山北駅で後ろに蒸気機関車をつけて押して上がったのです。
多くの蒸気機関車が待機していたので
蒸気機関車の煙がすごく
「山北のスズメは黒い」と言い伝えられています。
駅の近くに蒸気機関車が展示されています。
デジブックの中に入れました。
線路を渡りホームから桜を撮影しました。
下の写真は駅の北と南を行き来する陸橋からの桜並木です。
写真下部は山北駅ホームです。
駅舎と反対側に
駐車場が整備されていました。
では、下記デジブックで線路沿いの桜をご覧ください。
http://www.digibook.net/d/8dc4af37b1db8d0d3b8bb51381490598/?viewerMode=fullWindow
今日、
足柄上郡中井町の厳島湿生公園の
中心部にあたる厳島神社横の一本の桜を
湿原と一緒に撮影しようと
出かけましたが
湧水に囲まれた桜は
残念ながらまだ2~3分咲きでした。
散策木道では
カワセミの撮影を狙って
かなりの人が来ていました。
広場の桜は7~8分咲きでした。
下記デジブックで
厳島湿生公園の桜をご覧ください。
デジブックの後半は
帰り道での桜を載せています。
http://www.digibook.net/d/6714c377b09b870d3f4db5112b4b85da/?m
再び馬車道に戻りました。
馬車道で気がつくのは馬に因んだ造形物です。
ベンチの背もたれについているプレートは馬のデザインです。
写真をクリックすると拡大するのでよくわかります。
昔は馬をつないだポール。
今は道路の飾りです。
散水栓の蓋
にも馬のデザインがあります。
ベンチのプレートと同じデザインです。
太陽の母子象
1869年7月(明治2年6月)に夏の季節にあわせて、
氷水店をしていた町田房三が始めてアイスクリームを売りました。当時のアイスクリームは「アイスクリン」と呼ばれていました。
1976年(昭和51年)日本アイスクリーム協会より、アイスクリーム発祥の地を記念して、横浜馬車道通りに「太陽の母子像」が寄贈されたのです。
イギリス国会議事堂に灯っているガス灯と
同じスタイルのガス灯です。
写真をクリックして拡大すると説明が読めます。
馬車道中央のアーチです。
「生チョコレート菓子・発祥の店SILSMARIA」と書かれています。
1988年にこのお店の厨房で生チョコ生まれました。
隣は横浜馬車道ビルという名の複合ビルです。
横浜馬車道ビルに入っている店名を書いた案内塔の
一番上にも馬のデザインがあります。
SILSMARIAの前にある円錐形の置物は?
「日本写真の開祖・写真師 下田蓮杖 顕彰碑」です。
碑の頂点にあるのはカメラで円錐状の物体は人を表しているのでしょうか?
下岡蓮杖は長崎の上野彦馬とともに日本の商業写真師の草分けとして知られています。
下岡蓮杖は伊豆の下田に生まれており、開港後に下田に着任したハリスの給仕となって、オランダ人通訳ヒュースケンから写真を学んだのだそうです。下岡が弁天通り沿いに写真館を開いたのは上野彦馬が長崎に写真館を開いたのとほぼ同時期で、1862年(文久2年)頃です。弁天通りはブログtopの地図で確認できます。
なお、下田に蓮杖写真記念館があります。
SILSMARIAの向かいには
旧川崎銀行横浜支店の建物があります。
現在は日本興亜 馬車道ビルとなっています。
写真を拡大すると入口の見事な装飾がはっきり解ります。
3Fまでが旧川崎銀行横浜支店の建物で
その上に新しい建物が乗っています。
旧川崎銀行横浜支店の隣は
以前に紹介した旧横浜正金銀行の建物を利用した「神奈川県立歴史博物館」です。
横浜県立博物館の建物を描いているグループがいました。
次回は、「旧横浜港駅を目指します」 乞うご期待!
これまでのシリーズ
横浜、大人の休日散歩道ー1(関内)・・・1/6
大人の休日散歩道ー2(横浜開港資料館)・・・1/12
横浜、大人の休日散歩道ー3(横浜三塔)・・・1/22
横浜、大人の休日散歩道ー4(大桟橋)・・・1/27
横浜、大人の休日散歩道ー5(象の鼻からジャックの塔へ)・・・2/3
横浜、大人の休日散歩道ー6(旧横浜正金銀行本店へ)・・・2/8
横浜、大人の休日散歩道ー7(日本丸)・・・・・2/16
横浜、大人の休日散歩道ー8(馬車道〜六道の辻)・・・・・3/30
バラの周りに埋め込んだ
チューリップが咲き始めました。
早咲きのチューリップでしょう。
これから他のチューリップも咲き始めることでしょう。
今年の冬は寒かったので
河津桜が終わりに近づくと春めき桜が咲き、まだ咲いているのに
白モクレンが咲き、チューリップが咲くというように
次から次へと春の花が咲き出しました。
下記URLデジブックでご覧下さい。
http://www.digibook.net/d/d085e717b0588f442640ad214f5345de/?viewerMode=fullWindow