花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2012年12月

本:アダムとイブ−1

今年最後の本の紹介です。

アダムとイブ

(岡田温司)

(中公新書)

 


アダムとイブと言えば、「最初の人間で、禁断のリンゴを食べたため、エデンの園から追放された」

ということぐらいしか知らないのでタイトルに惹かれ読みました。

アップルマーク

 右上にかじった跡があるリンゴのアップル社のロゴがこのエピソードによるものです。

 

本


この本は西洋の絵画と共にアダムとイブをひも解く本です。

 


 








備忘録として内容を記しておくので興味のある方は本を読んでください。

 
【第一章】イブがどこから生まれて来たのか?という疑問解明です。

疑問解明と言っても諸説があり、相矛盾する事象がありなかなか難しいです。

 

ユダヤ伝承では「リリス」なる女性の存在があり、イブに相当する。旧約聖書「イザヤ書」には「夜の魔女」と呼ばれた悪魔的女性が登場するがこれは「リリス」と言われている。

後に、長くて豊かな金髪は男を惑わし縛る「運命の女」の代名詞となる。 no title

 


 


 














イスラム教啓典である聖書旧約聖書)の最初の書「創世記」には「神はアダムの肋骨からイブを作った」と書かれている。アダムが眠っている時、つまり知性が働いていない時につくられたイブは感覚を象徴しているということで、男性は理性、女性は感覚の持ち主である。

イブはアダムの肋骨から出来たのだがどこから生まれて来たのか?脇腹から生まれて来た図がたくさんある。アダムとイブは両性具現体と考えられていた。キリスト教ではアダムがキリストでありアダムの脇腹から生まれたのがイブがマリアとされている。下図の左が脇腹から出ている図であり、右はキリストの脇腹からマリアが生まれている。すなわち、アダム=キリスト、イブ=マリアである。

キリストから誕生
























































分子生物学ではイブについては「ミトコンドリア・イブ」がそれで、女性にのみ受継いでいる。

アダムは「Y染色体アダム」なるものがそうでオスにしか出てこない染色体である。

 

【第二章】エデンの園はどこにある?

 神が東の方に設けたエデンの園は4つの川があり、水が豊富で琥珀など宝石が豊富で多くの動物や花があり、中央に「命の木」と「善悪の知識の木」があるという。4つの川とはビション、ギホン、チグリス、ユーフラテスをいう。ギボンは現在のナイル川である。ビションはガンジス川と言われている。この4つの川が流れる源流を皆さん想像してみてください。 候補は14世紀〜16世紀の絵画に多く描かれ、考えられたが「ここだ!」と言う場所は無い。しばしば極東の地と考えられているが、アフリカの説もある。昔の地図は必ずしも上が北を示していない。

1450年頃フラ・マウロは地図の外にエデンがあると描いている。

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【第三章】原罪と追放

 アダムとイブはエデンを守る天使に追い立てられるのではあるが、1426-27年マザッチェは打ちひしがれた二人を描いているが20世紀シャガールは軽やかに飛翔する二人を描いている。これからの未来に喜んで飛び込んでいくようである。全く違うのは?時代に寄る考え方の違いだろうか?

   マザッチェ            

 アダムとイブ追放落胆


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 


 











シャガール
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「創世記」には絶望の淵でアダムとイブは去ったとはどこにも書いていない。勿論、二人には大きな罰を与えている。すなわち、死の現実に直面することと、裸であることを認識することである。

さらに女には産みの苦しみ、男にはパンを得る苦しみを課した。

しかし、神はアダムとイブに川の衣服を着せ、暮らすに必要な鍬と糸巻きを与えている。すなわち、後世が罰をどう考えるかである。

 道具を与える


 


 

















いつ頃からアダムとイブが罪深きと強調されるようになったかは、使徒パウロにある。彼は「一人の人(アダム)によって罪が世に入り、罪によって死が入った」「罪によって多くの人が死ぬようになった」という。そして「一人の人(イエスキリスト)によってその罪が償われたと結び付けている。さらにユダヤ人もギリシャ人も罪の元にある・…正しいものはいない。罪を負っているということで人間は平等だということです。

 

14世紀から15世紀にはアダム派が現れ、聖書の記述を真に受けて、人間がエデンの生きていたころの純粋さと無垢を手本にしようとする。それは裸で生活するということを意味する。聖書によれば「裸であったが恥ずかしがりはしなかった」である。20世紀に起きた「ヌーディズム」が「自然に還れ」「無垢なる裸」だったのです。



つづく・・・・アダムとイブー2

本:アダムとイブー2

本:アダムとイブのつづきです。


アダムとイブはどちらが罪深いか?

聖書では最初に悪魔の蛇にたぶらかされてリンゴを食べたのはイブで、そのリンゴをアダムに与えた。神と悪魔を両極に置くとすれば

  創造:神→アダム→イブ

  原罪:悪魔→イブ→アダム

と、ちょうど反転した関係になっている。

「感覚は、現象を外部から内部へもたらし、理性に伝え示す」。感覚=女性的原理が無ければ、男性=男性的原理は事物を把握することはできないのです。

 

イブだけに罪をかぶせるのは妥当ではない。トマス・アクナスはイブだけの罪であれば子孫に罪を伝えることは無かったであろう。なぜなら子の性質(形相)は男親だけから伝えられ、母親は子宮で材料(質料)を提供するにすぎないからである。

 

イブはこの世に命をもたらしたものである。アダムの妻として彼女はキリストと結ばれる教会を象徴している。

 罪深いイブは、マリアと対比される。EVAを反対から読めば、マリアを祝福する「アヴェ」となり、二人は反転した関係になる。


現代のヌード





ハンス・バルデウングのアダムとイブに絵はアダムは背後からイブを抱きかかり、イブは放漫な裸体を向け、まなざしは鑑賞者をけしかけ巻き込もうとしている。イブはリンゴを手に持っているがもう食べたのであろうか?これから食べるのであろうか?罪深いのはどちらだろうか?

 














【第四章】エデンの東

 アダムとイブを待ちうけていた運命とは?

 「創世記」によると「アダムとイブはカイン(兄)とアベル(弟)をもうけている。兄カインが弟アベルを殺害してしまうのです。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。カインは土の恵みをアベルは肥えた初子を神に差し出すが、神はアベルのものは受けいるれが、カインのものは、はねつけてしまう。それに怒ったカインは弟アベルを殺してしまうのです」。

人間は第二の罪を起こしてしまうのです。カインに罰が下り、耕していた土地を負われ、さすらい人となり、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んで、町を建てることになる。ここに町の起源が作られるのであるが、罪の産物だったのです。この者の罪により大洪水が起こるが、知恵は粗末な木材を導びき救ったのです。これがノアの箱舟です。

フロィンは言う。

「傲慢で嫉妬深いカインは自己愛、自己中心主義の別の名である。そればかりか、知識を悪用して言葉巧みに操る詭弁家の代名詞である。カインとアベルの物語は人間だれもが直面しうる心の葛藤を表わしている。

カインとアベルの絵1473-80年は中世の世界地図の様式になっている。上にアジア、左下にヨーロッパ、右下にアフリカ。すなわち東を上に書き「エデンの東」はアジアになる。東の果てには丸く囲われた楽園があり、善悪を知る木をはさんで小さくアダムとイブが描かれている。

その下に描き込まれたのは楽園追放後の人間の運命である。アダムとイブは皮の衣類を付け夫は畑仕事、妻はカインとアベルの子育て中。さらにその下にはカインのアベルの殺害と最初の町エノクが小さく描かれている。地上の上には神の国が描かれ、中央には大きくキリストが描かれ、天使がが音楽を奏で、宝石をちりばめた城壁に囲まれている。

 カインとアベルの物語

































アダムとイブにはアベルの生まれ変わりとしてセツが産まれている。アダムは930歳で病に倒れ、イブとセツに門を守る天使に頼んで「かの木」から「生命の油」を貰ってきてほしいと頼み、二人は楽園へ行く。蛇や獣に襲われながら楽園の門にたどり着く。そこへ天使ミカエルが現れ「憐れみの木の油」をもらえた。旅立ち5500年後のことであった。つまり、その時、極めて愛すべき神の子キリストは地に降って、そなたの父アダムは楽園へ、憐みの木へと導くであろう」と予言するのでした。

セツ葉罪を犯すことになった木の枝を貰ってきて、アダムの墓に植えたという。この木が大きくなってイエスキリストが磔になった時の材料だったという。

アダムからのイブの誕生、そしてキリストが現れるまでの長い解説でした。

 

色々書きましたがアダムとイブの解釈は難しく、色々な人が相矛盾したことを言っております。要は後の人がどう解釈するかであり、私が記述したことは一部であり、勘違い間違いもあるということはご容赦ください。


著者岡田温司は下記の本も執筆しています。

  ・マグダラのマリア

  ・処女懐胎

  ・キリストの身体

 

香港ー4(沙田(Sha Tin)の街へ)

2012.12.15(土)PM 二日目

午後は孫たちが昼寝タイムになり、私たちと娘は沙田(Sha Tin)の街に出かけることとしました。
街まで下りで歩いて15分ということなので歩くことにしました。

沙田マップ














マンションを出たところに咲いていた花
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「近道を行こう」とメイン道路から外れ、古い屋並みの路地裏を歩きます。シートを張って屋根とし、シートが飛ばないように石を置いている家があります。
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次は樹木が植えられている高速道路の下を歩きます。IMG_5963
















バスケットボール練習のゲージも高速道下にあり、存分に高架下を活用しています。
こんな所も掃除する人がいて道はきれいです。香港では掃除する人が公園・公道にたくさんいます。政府が雇っているのでしょうか?そのため、香港の公園・公道は何処もきれいという印象があります。
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今度は高速道路下の陸橋です。
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陸橋は中国へ行く鉄道を跨ぎます。上は高速道路です。
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鉄道を渡ると沙田の街となります。
沙田の香港文化博物会館です。次回来た時、行ってみたいと思います。

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帝都酒店(酒店はホテルのことです。因みに酒家がレストランです)

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赤いラインの入ったビルの所に、ピークワン専用シャトルバスが停まります。
15分おきに出るそうです。帰りはこのバスに乗って帰りました。
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沙田(Sha Tin)をたくさんの写真で紹介したHPを見つけました。

http://www.hongkongnavi.com/special/5002314


Wikipediaには下記の記述がありました。新しく出来た大きな街です。

沙田(サーティン)は、
香港新界にある住宅・商業地区である。
香港の一大
ベッドタウン、そして衛星都市としての様相を呈している。
人口の多さは香港随一であるが、同じ人口の多い
九龍観塘地区と比べると、所得水準が中流以上とやや高い住民の割合が高いことが特徴である。
沙田には、すべての政府機関がそろっており、地域の中心としての役割を果たしている。また、公園、プール、スポーツ施設などレジャー施設、文化施設の管理運営をつかさどる香港政府の一機関「康楽及文化事務署」の本部は、ここ沙田にある。
ニュータウンの様相を見せている沙田であるが、他方古くからの住民もおり、そういった住民の村も、いまだ点在している。

あるショッピングセンターから別のショッピングセンターへ行くため、歩いていると沙田の駅に出ました。
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新しいショッピングセンターです。人があふれています。
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山の方角がピークワンです。
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一番右には、名前が分かりませんが動物の頭ごとぶら下がっています。
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三個約100円と少し、安いですね。
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ショッピングセンターの広場(外)では太極拳の大会が開かれていました。
太極拳は、香港の住民が愛する健康法で、広場があればいたるところで見かけます。
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観客
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開場運営の人たちは緑のユニフォームです。
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階段には映像が映し出されています。香港のショッピング街でよく見られます。
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少々疲れてきたのでショッピング内で休憩することにしました。何処も満席でしたがあいている席を見つけて座り、コーヒーを頼むと「香港スタイル」のみあると言われてしまいました。「香港スタイル?」、試しに注文しました。

すでに、ミルクが入っていると思って口を付けると?????
なんとも表現しにくい味、まずい!
娘が「思い出した!香港スタイルとはコーヒーと紅茶を混ぜたものだった」とのことでした。
コーヒーに紅茶を混ぜるとこんな味になるのかな?
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香港スタイルコーヒーで調べてみると「コーヒーと紅茶が半々でエバミルクを加える」
という記事がありますが「香港ミルクティー:濃いめの紅茶にエバミルクを加えたもので砂糖で甘さを加減する。
香港及びその周辺地区において、茶餐廳(チャーチャーンテーン)と呼ばれる喫茶レストランなどの大衆的な飲食店で広く供され、喫茶文化の一部となっている。このような店では、割れにくい厚手のコーヒーカップか、ガラスまたはプラスチックのコップに入れて出されることが多い。」とありました。
どうも香港ミルクティーが出てきたようです。砂糖を加えればもう少し飲める状態になるのかもしれないが砂糖なしでコーヒーを飲む習慣の私は砂糖を入れませんでした。



キャラメル・クリーム・カスタードは無難だろうと注文して出てきたのはプリンです。
名前を考え、なるほどとうなずく。但し、もっちりプリンという感触です。
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もう一品は、スイートポテトレモングラスを注文しました。
日本のスイートポテトを想像していたら、出てきたのは黒っぽい液体でした。
これがスイートポテト?と液体を混ぜると底から紫芋が出てきました。
味は?シナモンか生姜?この味がレモングラスでした。
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座ると、中国茶がまず出てきたので、サービスが良いと思っていたら、後でレシートを見ると一杯30円がついていました。
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意外性が多く、話が弾んだコーヒータイムでした。


帰りはマンション専用のシャトルバスに乗り、5分間でマンションに到着しました。娘は
40円ほどのチケットを常備しているようです。マンションに着くと、エントランスで孫二人がスケートで遊んでいました。

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愛里スケーター



















つづく・・・香港ー5(山登り)

今までの香港シリーズ

1.香港ー1(香港へ)

2.香港ー2(娘の住まい)

3.香港ー3(孫の体操教室)


香港ー3(孫の体操教室)

2012.12.15(土)AM


マンションで寛いでいると孫(愛里)の体操教室の時間になったので娘の夫の車で見学に行くことにしました。
駐車場はマンションの地下にあります。
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場所は、オーストラリアインターナショナルスクールの体育館です。
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体育館では鉄棒、平均台、跳び箱、マット等が所狭しとと設置され、幼児から高校生までが体操に励んでいます。間近で見ると体操は迫力があります。
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幼稚園児は基本練習です。
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斜面を使って後転練習        

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次はマットで後転。
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高学年は助けを借りてこのようにバック転。もう少しレベルが上の人は一人でバック転を決めていました。
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前転が終わって駆け足で戻っています。
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平均台は徐々に3段階で高い場所へ進みます。
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ブリッジは得意だよ!お姉さんに負けないぞ!
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お家で練習
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週一回(日曜日)の体操教室で「じじバカ」をしてしまいました。
上の孫はバレエのレッスンから戻り一緒に見に行きました。



学校からエアコン廃棄場所が見えます。
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つづく・・・香港ー4(沙田(Sha Tin)の街へ)

今までの香港シリーズ

1.香港ー1(香港へ)

2.香港ー2(娘の住まい)


香港−2(娘の住まい)


2012.12.15(土)香港二日目AM

朝起きて早速、娘が孫の毎日の通園に契約しているハイヤーを手配してくれマンションに向かいました。
宿泊ホテルから娘が住む銅鑼灣山頂 壹號雲頂(ピークワン)まで約12.5km、高速道路を使って15分、千円程です。日本のタクシーよりかなり安いです。

下記はGoogleマップで「香港 壹號雲頂」と入力して出てきた地図です。
ピークワンーマップ






















航空写真Aの場所で、緑に囲まれた一角です。
ピークワン航空写真


















壹號雲頂(ピークワン)の建物
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壹號雲頂(ピークワン)の入口
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入口でガードマンがしっかり警備し、タクシーは止められチェックされます。
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マンション全景
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エントランス  IMG_6015
















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マンションへの入口。ここにもガードマンがいて、住人にはドアを開けてくれます。
そして、エレベーターへのドアも開けてくれて部屋に行くことができます。
私たちの顔もすぐ覚えてくれて出入りの度に笑顔で接してくれました。

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ロビー、タクシーを待ったりする場所です。
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ロビーに置かれている花
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ガードマンの席
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17Fエレベータホール。正面が娘の部屋です。
玄関脇に何か置いておくとすぐ注意されるそうです。
カメラででも監視されているのだろうかと不思議がっていました。
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エレベータは1フロアー4世帯で二台使用できます。
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エレベータホールのシャンデリア
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17Fエレベータホールに部屋見取り図が貼ってありました。
各家トイレが三か所、お風呂が二か所あります。
写真をクリックすると拡大します。
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ドアを入るとすぐリビングなのは以前住んでいた香港やシンガポールののマンションと同じです。
ベランダには大きなクリスマスツリーを置いています。
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ベランダに出ると正面に山が迫っています。
後で、写真中央の白い建物がある所まで山登りをしました。
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下を見ると、庭と遊歩道が見えます。
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街の方向
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寝室は4部屋ありますが窓からの景色すべて緑で環境の良いロケーションです。
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つづく・・・・孫の体操教室

今までの香港シリーズ

1.
香港ー1(香港へ)






香港−1(香港へ)


2012.12.14(金)第一日目

横浜で乗換に使った南口(小田原寄り)地下通路。
人が少なくCafeもすいています。

横浜南口通路












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亀戸付近から東京スカイツリーが見えます。















10番ホームに登ると、「明るーい!」天井がこのホームだけ写真のようになっているのです。このホームは貨物専用のホームだったのです。今は横須賀線・湘南新宿ライン・成田エクスプレスラインとなっているのです。
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千葉駅を超えると急に畑と丘陵の森の景色になります。
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第二空港に到着し、スーツケースを預けて、いつものごとく、カード会社のエグゼクティブラウンジへ直行です。成田第二空港はチェックインした後のラウンジがないので、チェックイン前のラウンジです。チェックイン後のラウンジだと飛行機を見ながら飲み物が飲めるのですが。

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ラウンジの近くに空港見学ロビーがあったので、飛行機の見学に行きました。
梅のマークはチャイナ航空です。
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管制塔
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81番から98番ゲートへはシャトルで移動しなければなりませんが我々はシャトルを利用しないで済みました。no title

















香港の航空会社キャセイパシフィックで香港へ向かいました。
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機内のクリスマスリースです。新しい飛行機できれいでした。映画等を見るLCD画面は大きく、美しい画面でした。
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乗り込むと間もなく夕焼けとなり、日が暮れました。
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香港到着時はすでに日が暮れており、写真はランタオ島の船積みコンテナを置いている場所です。写真はバスの中からです。
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マンション群です。
夜のマンション群









夜景の写真はISO1600にしてPV(シャッタースピード)モードで1/30 


ぺニンシュラホテルの前はSOGOでした。

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宿泊ホテルは近代的なロイヤル・パシフィックホテルです。
ブランド店が並ぶ尖沙咀(チムシャ―ツイ)の商業地区の近くで、九龍半島のハーバ
ーの傍です。

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ロイヤルパシフィックホテルの位置



















角部屋でカントン(廣東)ロードという幹線道路の真上になり16Fでもうるさくて仕方がないので翌朝、家内が交渉して道路から離れた部屋に替えてもらいました。移った部屋は静かでした。

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明日はいよいよ直美の住むマンションです。

つづく・・・
香港ー2(娘の住まい)





江戸探訪ー2(待乳山)

吉原遊郭の後、待乳山へ向かいました。

土手通りから馬道通りへ出て、待乳山へ行くコースです。

馬道通りマップ



















馬道通りは江戸時代、遊客が馬を利用して新吉原へ通う道筋であったことから起ったともいわれる道です。当時は狭い道でしたが今は道幅が22mもある道路になっています。関東大震災で焼けた跡に整備された道路です。当時は呉服、足袋、袋物という商家が多く立ち並んでいたそうです。
 
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馬道通りは特別なものはありません。馬道通りから路地を入って行くと、大きなガンダムが飾ってありびっくりしました。等身大です。

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乳山聖天公園に到着しました。
公園の南側の小高い丘が待乳山聖天宮
no titleです。



















公園に入り一瞬ドキッとしました。男子トイレがむき出しです。
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浅草聖天町の説明です。写真をクリックすると字が大きくなります。
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待乳山付近が「池波正太郎の生誕の地」だそうです。
待乳山聖天の少し南で生まれたそうです。
池波正太郎の時代劇小説には聖天町や隅田川周辺がよく出て来るのはこういう事情があったのですね。
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待乳山聖天の説明です。
写真をクリックしてお読みください。

古い縁起によりますと、推古天皇3年(595年)9月20日、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りたと伝えられています。
 この不思議な降起は実は十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」がご出現になるおめでたい先触れであったそうです
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公園のはずれの階段を上がると聖天宮です。

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階段には二股大根と巾着が描かれています。この二つが聖天宮のキーワードです。
二股大根はもちろん夫婦和合、縁結び、子孫繁栄を表すものです。巾着は財宝で商売繁盛を表わしているのです。


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平日ですが、若いカップルが結構人力車で観光地を巡っていました。人力車のお兄さんが各場所で説明してくれるのです。
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提灯にも二股大根が描かれています。
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奉納用ダイコンが一本200円で売られています。
大根を持ってこなかった人はここで購入できます。
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本殿内は暗いので手ぶれを起こしていますが大根が奉納されています。
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本堂の屋根
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本堂の裏に回ると色々なものがあります。まず、歓喜地蔵尊がありました。
下記の説明がなされています。
「数度の火災に遭いその尊容とどめていないが古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな尊として信仰されている」
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糸塚
十一世杵屋六左衛門(後に三世杵屋勘五郎)建立
この糸塚は元治元年(1864)十一世杵屋六左衛門が父十世杵屋六左衛門の遺志に依り供養の為建立せるものにして十世六左衛門三世勘五郎共に長唄三絃の名人と云われた人である
 昭和63年(1988)4月 六世杵屋勘五郎記

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待乳山へ登るケーブルカーがありました。急坂なのでお年寄りのことを考えたのでしょう。
待乳山の下が隅田川で、江戸時代に吉原へ行く人はここで舟を降り、待乳山聖天にお参りし吉原に向かったのです。
当時は天狗坂と呼ばれ、うっそうとした樹木に覆われていたそうです。この坂を降りたところに「竹屋の渡し」があったのです。

浅草田原町で生まれた久保田万太郎は、
「天狗坂 夕木枯の おもいでに」
という句を残しています。

浅草には、山谷堀の土手(日本堤)から吉原に下りる坂道「衣紋坂」がありましたが、すでに、その坂はなく、現在、浅草に残っている江戸時代から続く坂はこの天狗坂、ただ一だそうです。no title
















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現在は待乳山から東京スカイツリーが見えるようになりました。
待乳山からのスカイツリー

















































築地塀:広重の錦絵に描かれているとありますが、どの錦絵か解りませんでした。
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築地塀の向こうには庭園があり、つつじがたくさん植わっています。
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境内はいちょうの黄葉で埋まっています。いちょうの写真は下記デジブックでご覧ください。


http://www.digibook.net/d/fb0585b3a0daad54b4432d818f418598/?viewerMode=fullWindow


つづく・・・江戸探訪ー3(隅田川沿い)


今までの関連シリーズ

1.
江戸探訪ー1(吉原)

本:石見銀山街道殺人事件ーその1

グリーンヒルの今日は一日、霧の中で視界は20~30mの時間帯もありました。


石見銀山街道殺人事件

(木谷恭介)

(祥伝社文庫)





石見銀山街道殺人事件

2005年に発行された本です。したがって2007628日、石見銀山が世界遺産に登録されたので、石見銀山が世界遺産に登録される前の本です。



江戸時代初期、世界の銀産出量の3分の1が日本産銀であり、なかでも石見銀山が量・質ともに最高だったそうです。そこに目を付けたのが大久保長安。長安は死後、私腹を肥やしていたとして「奸賊」と糾弾され、一族郎党処刑されることになったのです。

 この背景もと、今回の物語が進みます。

「東京にいるはずの兄・卓也がが石見銀山跡で不審の心中を遂げた」と妹多香子に連絡が入る。調べるうちに兄は有能なファンドマネージャだったことが判明してくるのでした。そして、ディスカウント店(シンドバッド)の放火の疑いをかけられます。多香子の友人である康代が宮之原警部を紹介してくれ、警部の登場となります。





康代は「
みち子がお届けする浜焼き鯖寿司」の空弁を持って多香子の元を訪ねました。

みち子がお届けする浜焼き鯖寿司は下記URLにでています。私が長浜で食したのと同じような鯖寿司でたいへん美味しかったです。

http://www.umi-megumi.com/



金融ファンドに関する話が満載の推理小説です。


兄は第二咸臨丸という投資会社に努め、何億という金を動かしていたらしいのです。

第二咸臨丸は、「2008年に日本は多額の借金で国家破産する。そうすると、日本の札も国債も紙くずになってしまうのでユーロなりドルなりにかえておかないと行けない」

「ひょっとすると国も国債発行で首が回らなくなる可能性がある。したがって第二咸臨丸に乗せてお金を海外に移そう」という会社なのです。2005年に木谷恭介は国家破産の警告を発しているのでした。



日本は1946年(昭和21年)一度、国家破産しています。貯金はすべて封鎖され、お札は使えなくなりました。その後、新しい札に変わりました。このようにしてインフレを抑え込もうとしたのです。政府は国債が紙くずになったので丸儲けしたのです。

 日本は太平洋戦争の国債でこりて、財政法4条で国債の発行を禁止したのです。

 でも毎年特例公債法を提出して借金を増やしているのです。



現在、日本の借金は923兆円あり国民一人当たり750万円ほどあるのですが、皆さんどう思いますか?



日本の借金時計より
  http://www.takarabe-hrj.co.jp/clockabout.html


小説が書かれた平成
17年で借金が770兆円なので今年(平成24年)には923兆円に膨れ上がっている。(以上は私が本を読んだ時点(一カ月ほど前)の借金です。ブログをアップするため1222借金時計を確認すると926.8兆円になっていました。一カ月で3兆円ほど借金が増えているのです。借金を返さないので利息が増えているのです。恐ろしいです



現在の国の予算は給料に相当する収入が46.9%。借金に相当する公債が49%。

毎年、収入より借金の方が多いのです。家庭なら完全に破産しています。こういう状態をずっと続けていれば、いつかはやっぱり日本は破産すると考えざるを得ないという心境です。


国の収入












特例公債は平成6年から始まり、平成10年を境に急激に増えています。


公債発行















http://www.zaisei.mof.go.jp/num/detail/cd/2/


石見銀山街道殺人事件ーその2につづく
(なぜなら、無料Livedoorブログは文字数3000に制限されているからです)

本:石見銀山街道殺人事件ーその2

本:石見銀山街道殺人事件ーその2

本:石見銀山街道殺人事件のつづき

大橋巨泉は国家破産しても困らないそうです。なぜなら、カナダに移住し、オーストラリアかニュージーランドに別荘を持ち、夏は涼しいカナダ、冬は温かい南半球に住み、時々日本に帰ってくるぐらいなので日本円はさほど持っていないからです。


 今はデフレで国債利子は少なくて済むのですが、インフレになり利息が3%、5%に上がると利子が20兆円、35兆円と上がって来て税収が40兆円しかないので利息を払うために国債を発行することになり、「日本はもう保てない」と世界メディアが騒ぎ、一斉に日本から金融資金を引き揚げることになるのです。そして日本破産。今のうちに国債借金を返しておかなければならないのに政府は反対の道を行っているように思うのですが?



話は小説に戻り

では、大量に金をどうやって持ちだすのか?大金は日本から持ち出せないが、現在、イトーヨーカドーやイオンなど企業がしきりに海外へ進出している状態です。海外拠点建設の為と言えば大金が持ち出せるのです。これを第二咸臨丸ファンドがやろうとしていたらしいです。これを巡っての利害関係が銀座のママも絡み物語は進むのです。



【宮之原警部の素顔】

いつもチェックのジャケットを着ている

身長1m80cmでヘビー級のボクサーのよう。

年齢4050歳になっている。

   

 宮之原警部は1998年の京都木津川殺人事件の時点で警視庁をやめたかと予想しましたが、2005年現在、まだ辞めていませんでした。








江戸探訪ー1(吉原)

今回の江戸探訪は花魁で有名な吉原、待乳山、隅田川沿いを歩いてゴールは両国です。

吉原は何処にあるのかご存じない方もいらっしゃると思いますので、まずは吉原の位置確認です。
吉原の位置は地図に表示しているように浅草の北です。
吉原位置マップ





















吉原へ行く方法は色々ありますが、私は吉原の北、三ノ輪駅から行きました。
東京メトロ日比谷線三ノ輪駅で降り3番出口から出ると目の前は明治通りです。明治通りを東へしばらく進むと土手通りに出ます。
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明治通り








吉原大門マップ












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土手通りと交わる道路は少しづつ低くなっています。土手通りが高かった証拠です。





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土手通りから見た家です。
土地が一段低くなっています。







さて、どうして土手通りという名が残っていて、土手通りは高い位置にあるのでしょうか?

吉原遊郭は元は日本橋葺屋町にあったのです。江戸城に近く、風紀上良くないということと手狭になってきたとのことで、明暦3年(1657年)に三ノ輪の地に移ってきたのです。したがって、江戸時代は新吉原と呼ばれていました。
吉原は昭和33年(1958年)売春防止法が施行されるまで続いていたのです。戦後は赤線と呼ばれ、昔の吉原の品格は無くなって行ったようです。

当時、三ノ輪の吉原周辺は、周囲が沼か田んぼで人は住んでいなかったのではないかと思われます。吉原遊郭へ来るために土手を造り、遊郭は造成した場所だったのです。したがって土手(土手通り)と遊郭内は一段、高くなっているとともに土手通りという名が残っているのです。

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土手通りには古い割烹が残っています。








日本堤




当時の土手通りの浮世絵です。
絵の右上には日本堤と書かれています。
堤には店がたくさん並んでいます。腹ごしらえするための食事処や飲み屋が建っています。江戸時代は草履・下駄の時代なので、吉原に到着する頃には、草履はすり減り履物店で新調して吉原に乗りこんだり、遊女に土産を買うための店に寄ったりしながら遊びに行ったのでしょう。













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「吉原大門」交差点です。
ここが吉原への入口となっていた所です。






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現在の吉原大門交差点を浅草循環バス「北めぐりん」が走って行きます。
バスのアナウンスで「ここが吉原の入口で~す」と説明しているのでしょうか?





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現在は、土手通りからスカイツリーが見えます。
手前に見えている木(柳)が「見返り柳」です。
晩秋なので葉っぱがないので雰囲気が出ません。

遊び帰りの客が後ろ髪惹かれる思いを抱き、このあたりで遊郭を振り返ったと伝えられる「見返り柳」です。








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柳の葉が茂っている頃の見返り柳です。(インターネットより)
見返り柳




























吉原大門があったとされる道です。右にカーブしているのは、土手からは遊郭の様子が見えないように配慮しているのだとも、遊女が逃げにくくするためとも言われています。当時のままの姿で残っている場所です。
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吉原大門拡大マップ















広重の「雪の吉原大門」です。
道がカーブしているのがよくわかります。
雪の吉原ー広重











北斎が描いた吉原大門。よく見ると遊女ではなさそうな女性もいます。
吉原は男性だけが行くところだけでなく、女子も行くイベント会場だったのです。
たぶん、現在のショッピングモールのような場所で、吉原の中には女性が好むアクセサリー、着物等が売られていたのでしょう。遊女は遊郭から外へは出られないので吉原の中で必要なものは全部調達できるようになっていたのです。銭湯も多くあったそうです。
吉原大門ー北斎















「花の吉原」です。
メイン通りには桜の木を移植して、盛大な花見を開催し、子供も女性も楽しんだそうです。吉原は結構明るく、多くの人に愛された場所でもあったようです。
花の吉原ー広重














吉原公園は一段高い場所にあります。
これが吉原遊郭の高さなのです。
遊女が逃げ出さないように遊郭の周りは堀がめぐらせてあったのです。幅3.6mあり、黒い水が張ってあったそうです。
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古図を見ると、吉原の外は「畑・田地」で、吉原の傍を河が流れ、吉原の周囲は水色で囲まれ、堀だったことが分かります。
古図


















吉原公園
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吉原公園を出ると、写真の様な建物がずらーっと並んでいます。
現在の吉原です。黒い服を着た若い衆が3人がかりで黒い車を磨いている風景もあり近づくのが怖い感じでした。通りは新宿歌舞伎町のような賑わいはなく、静かです。夜も人通りはないそうです。ここへ来る人は車を利用するようです。

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城つくりの「角えび本店」、調べるとソープランドでした。
好奇心で入らなくてよかった。高級ソープランドが多数集まっている場所です。
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古図を見ると道路が斜めに敷かれています。現在も道路はこのままです。
吉原古図













吉原の南の端「花園通り」です。
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路地から見えるスカイツリー
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【不思議】クレーンがスカイツリーのアンテナ部分を抱き込んでいるように見えますが???
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スカイツリーの謎


拡大して見ると
クレーンの白いボックスがうまい具合にスカイツリーの電波塔の場所に重なり、クレーンがスカイツリーを抱き込んでいたように見えたのです。










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紙洗橋という交差点がありました。
土手通りから東の辻に入ると「紙洗橋」があります。
周辺では「浅草紙」と呼ばれる紙を漉いていたのです。この浅草紙というのは、古紙を漉き返したいわゆる再生紙のことで、墨が取り除かれないために鼠色で、漉き方も雑な品質の悪い紙でしたが、安価であったために江戸の庶民には親しまれ、鼻紙や落とし紙として常用されたとのことです。


土手通りの東側に、「山谷ふれあい緑地」が隅田川までつづいています。地図のグリーンのゾーンです。江戸時代は運河だったのです。吉原へは隅田川からこの運河を舟で来た人もいたのです。

山谷緑地




















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紙洗橋のたもとの地蔵さん。













山谷ふれあい緑地。
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下町風景
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銭湯「鶴の湯」。花魁・遊女は吉原から出られないため吉原内に多くの銭湯があったらしいです。
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【参考資料:インターネットより】

吉原で遊ぶ料金

遊女にはランクがあり、下は「局女郎」と言って1000円から2000円程度の料金。上は江戸後期で一人約10万円ぐらいかかりました。

では10万円(金一両一分)握りしめて吉原へ行けば、高級遊女と遊べるかと言えば、そうは問屋が卸しません。花魁一人だけではなく、マネージャーである番頭新造、妹分の女郎さんたちや音楽など奏でる芸者さん連中、下働きの男性のたいこもち数人、料理番や船頭さんなどなどたくさんのスタッフを呼びます。それぞれにお金がかかるのです。

ここでケチケチしていては花魁に嫌われてしまいますから、大盤振る舞いしなくてはなりません。そのため吉原で遊ぶと、今のお金で数百万がすっとんでいきました。



遊女のランクは時代によって少しずつ変わっていきました。

1701年刊行の「傾城色三味線」には新吉原初期の遊女の人数がランク毎に掲載されています。
‖隻廖    。橘
太夫格子 99名 (以上高級遊女)
散茶   493名
に簔磧  。横牽位勝 憤幣綯羌虱圭)
ジ淦6鼻 。苅横玉
B三寸局  44名 (以上下級遊女)
並局  400余名(最下級遊女)
╂攜世女郎
計1750余名。



吉原について詳しく書かれているレポート

http://hidenrpg.web.fc2.com/Hiden/PDF/yosiwara.pdf


つづく

香港に行っていました

香港に住む娘が引っ越して以来訪ねられなかったので14日から18日まで様子を見に行ってきました。

最初のマンションは香港島のコウズベイ。ハッピーヴァレイという有名な競馬場の上。
二度目はセントラルのビクトリーピークの中腹。
三度目の今回は九龍半島の沙田の丘陵地。
徐々に空気の良い場所に移動です。
私はおかげで住居が変わるたびに香港を訪問して楽しんでいます。

娘が住むマンション
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1881ヘリテージ:1881年創建の水上警察の建物
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夜の1881
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1881のTIFFANYの前は入場制限の為、行列ができている
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九龍から香港島を望む
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旺角のショッピング街
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九龍公園の薔薇園
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詳しくは後ほど報告します。

渋沢丘陵散歩−4(林の中の散策)

2012.12.5


震生湖から再び、丘陵に戻り、小田急渋沢駅を目指します。
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大山山頂

写真をクリックすると山頂の建物が見えます。





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紅葉の丹沢








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秋の丘陵







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林の下は震生湖







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道は徐々に狭くなります。






小鳥ー2


名前は知りませんが小鳥が道を横断中。近づいても逃げませんでした。






渋沢駅まで3.7km。頭高山(ずっこうやま)入口5.1kmと書かれています。次回は頭高山コースも歩いてみたいと思います。
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菊栽培の畑です。
遅く咲かせ、市場か花屋に持っていくのでしょう。
垂直に枝を伸ばしています。






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キャベツ畑






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自然薯(じねんじょ)を栽培していました。

自然薯の実「むかご」を売っていましたので購入し、家内に「かき揚げ」と「むかごご飯」にしてもらい楽しみました。豆類の味です。
特に「かき揚げ」は酒のさかなとして絶品でした。




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木漏れ日が美しい林の中を行きます。
写真をクリックすると拡大し、「ヤマユリの里」という看板が見えます。夏になると林の間にヤマユリが群生するのでしょうか?






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丘陵尾根の道です。








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写真をクリックし拡大すると相模湾が見えます。
建物が見えるのは秦野の南、中井町です






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道祖神










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丘陵から降りて、大山道を歩いていると、大きな銀杏の木が見えてきました。
渋沢駅近くの稲荷神社のイチョウです。

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「大山道(おおやまどう)矢倉沢往還(やぐらさわおうかん)」です。写真を2回クリックすると拡大写真になり説明が読めます。
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大山道は江戸時代の関東各地から、相模の国大山阿夫利(おおやまあぶり)神社への参詣者が通った古道の総称です。大山街道(おおやまかいどう)とも呼ばれています。有名なのは赤坂見附から大山へ向かう道です。

矢倉沢往還は
律令時代より東海道の本道にあたり、鎌倉時代に湯坂道(箱根峠)が開かれるまで官道として機能していました。江戸と矢倉沢(神奈川県南足柄市)との間を結んでいた矢倉沢往還ですが、途中で大山付近を通るため、江戸時代に入って大山講が盛んになる享保年間から、江戸から大山へ、あるいは足柄から大山への道としても機能しました。急峻な箱根峠に対して足柄峠は緩やかであり、また、江戸-沼津間の短絡路であったために、東海道の脇往還としても発達したのです。

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見事な銀杏の木です。
秦野市指定天然記念物に指定されたいます。













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渋沢の駅前通りは駅舎の改造とともに非常におしゃれになりました。









渋沢駅南口
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駅舎から望む震生湖部沢丘陵
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渋沢マップ














渋沢駅13:50着。ドーナツとコーヒーで一休みして自宅に帰りました。冬の散歩には余裕を持ってちょうど良い時刻にゴールです。山里は昼間あたたかくても15:00になると急に冷えてきます。

渋沢丘陵の散歩 おわり

今までのシリーズ

1.渋沢丘陵散歩ー1(今泉名水桜公園)


2.渋沢丘陵散歩ー2(今泉神社・白笹神社)


3.渋沢丘陵散歩ー3(震生湖)


渋沢丘陵散歩−3(震生湖)

2012.12.5

丘陵への登り道に入りました。30年ほど前は一面畑でしたが今は住宅が丘陵を登ってきています。

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震生湖(しんせいこ)へのルート
震生湖へマップ



















丘陵中腹からの丹沢連峰。中央の高い山は大山(おおやま)。中腹から下は秋色ですが中腹から上は冬仕度の状態です。
写真をクリックすると拡大します。
丹沢連峰ー1






丘陵からは富士山がきれいに見えます。
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秦野側からの震生湖入口はゴルフ練習場の脇道を行きます。
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ゴルフ練習場を降りた場所に駐車場があり数台車が停まっていました。震生湖へは車でも気軽に来れる場所なのです。
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震生湖は関東大震災で出来た湖です。
地震動によって付近の丘陵が
200mにわたって崩落し、市木沢(いちきさわ)最上部をせき止めたため、その川筋と窪地が湖となったものです。流入河川・流出河川ともに存在せず、地下水脈で周囲の水系とつながっています。

一般的に、震生湖の名は「天災は忘れた頃にやってくる」という言葉を残したとされる物理学者寺田寅彦が名付けたといわれていますが、1927年発行の「神奈川県中郡南秦野村郷土誌」には既に震生湖の名前が出ており、寅彦が当地に来た時には既に震生湖の名称があったと考えられます。

震生湖は周囲約1,000メートル、水深は平均4m、深いところで10mといわれています。

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震生湖の南(中井町側)の遊歩道は整備がされていなくて足場が悪いですが、通れます。こちらからは日が当たった紅葉の写真が撮れます。






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震生湖の北側(秦野側)は整備された遊歩道となっています。こちら側からは逆光の明るい紅葉写真が撮れます。






震生湖の紅葉写真は下記URLをご覧ください。

http://www.digibook.net/d/cb058757805a8f50202e27a33d5045de/?viewerMode=fullWindow




釣りをしていたおじいさんに話を聞くことができました。
「震生湖ではヘラブナや鯉が釣れるので多くの釣り人がいたが最近はブラックバスが増え、フナの放流もやめてしまったのでヘラブナがめっきり減って、釣り人も減った。私も朝から釣っているが一匹も釣れなかった。舟に乗っている人も同様の様だ。」


つづく

今までのシリーズ

1.渋沢丘陵散歩ー1(今泉名水桜公園)


2.渋沢丘陵散歩ー2(今泉神社・白笹神社)


渋沢丘陵散歩−2(今泉神社・白笹神社)

2012.12.5

震生湖へ行く道には今泉神社と白笹神社があります。
地図を参考にしてください。
神社マップ





















今泉神社:地元の氏神様です。IMG_5650




































天社神
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秦野のマンホール









白笹神社の大鳥居
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大鳥居の傍にある像は「栗原宣太郎翁」
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日に映えるモミジ
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鳥居と本堂
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大いちょうはすでに落ち葉になっています。
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白笹神社本堂

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お参りを終え、大鳥居をくぐり、震生湖に向かいます。no title
















丘の向こうが震生湖です。
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つづく・・・・渋沢丘陵散歩ー3(震生湖)



今までのシリーズ

1.渋沢丘陵散歩ー1(今泉名水桜公園)




渋沢丘陵散歩−1(今泉名水桜公園)

2012.12.5

久しぶりに、晴れたので震生湖の紅葉観賞へと出かけました。小田急秦野駅から出発です。

コースは下記を参考にしてください。
http://www.odakyu.jp/walk/17/print/guide_6.pdf



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小田急秦野駅の秦野南口コンコースから眺めた光景です。駅前は整備され丘陵の半ばまで新しい住宅が建つようになりました。
写真をクリックすると拡大します。

震生湖へのスタートは10時10分前です。



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小田急秦野駅









今泉マップ

最初の訪問は「今泉名水桜公園」です。
平成17年に秦野市制施行50周年を迎えた記念として整備されたそうです。







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公園の入口に太岳院があり、まず、そこに寄りました。

太岳院のモミジ







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大きな銀杏の木があります。















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太岳院には平安時代の作と言われている木像
千手観世音菩薩がまつられているそうです。
この地域は昔、今泉村と呼ばれていたのです。







太岳院

太岳院本堂:元は薬師堂だったらしいです。
近すぎて全景写真を撮れなかったのでインターネットから借りてきました。
薬師堂を想像できない近代的な建物になっています。大胆ですね。
平成19年に世界的に著名な建築家、安藤忠雄氏の設計で改築されました。




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鐘楼








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今泉名水桜公園











富士山が見える場所です。池の周囲には桜が植えられています。
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つづく・・・渋沢丘陵散歩ー2(今泉神社・白笹神社)

長浜ー7(大通寺)

大通寺は真宗大谷派(東本願寺)の別院。正式には無礙智山(むげちざん)大通寺といいますが、一般に「長浜御坊」の名で呼ばれています。
安土桃山時代末期、京都に東本願寺が建立され、御堂を大通寺とし、その4年後に現在地に移築したそうです。


大通寺の山門を入るとこの光景です。
さすが東本願寺別院です。
4枚の写真を合成しました。
大通寺全景






下記URLで大通寺内部をご覧ください。
狩野派の襖絵・屏風があります。
http://www.digibook.net/d/f055ed53b1998755242e2703435345d8/?viewerMode=fullWindow


大通寺を見学の後は「ながはま御坊参道」を歩き、曳山博物館を見学し、ホテルの駐車場へ戻りました。

大通寺から帰りマップ


















参道
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大手門通りの入口。











文泉堂という本屋。老舗で一風変わった本屋です。
写真をクリックし拡大した写真をもう一度拡大して説明をお読みください。
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文泉堂の和風庭園no title


















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長浜城外堀跡











曳山博物館:二台の本物の曳山と曳山祭りの映像が見られます。
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長浜では歌舞伎のことを「狂言」または「芸」と呼び、曳山を持つ町(山組)の5歳から12歳くらいまでの男子によって演じられます。演目は曳山の四畳半舞台用に、そして子ども役者用にアレンジされます。また、毎年新しい演目で演じられ、長浜独自の外題(題名)がつけられます。上演時間は約40分で、本番の前に行われる線香番と呼ばれる公開稽古で時間が計られます。子どもたちの稽古は振付師の指導により、3月下旬(春休み)から4月の祭まで約3週間行われ、まず読み習いがあり、それに続いて立ち稽古、最終的に三味線・太夫と合わせて本番を迎えます。

下の写真が絢爛豪華な曳山です。写真の舞台で子供が歌舞伎を演じます。
龍村や川島織物製の織物が使われているとのことでとても豪華です。
曳山






































曳山祭りの歌舞伎の様は下記URLでご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=5Ou8XJy-fdM



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大手門通りアーケード









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JR長浜駅









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長浜鉄道スクエア








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ガス灯










長浜は9:00の竹生島への出発から16:15まで十分堪能した一日となりました。

長浜シリーズおしまい。


今までの長浜シリーズ

長浜ー1(大阪から長浜へ)


長浜ー2(竹生島へ)


長浜ー3(竹生島観光)


長浜ー4(慶雲館と長浜鉄道スクエア)

長浜ー5(北国街道)


長浜ー6(黒壁スクエアとゆう壱番街)





グリーンヒルは秋色

寒い日が続いていますね。

晴れた暖かい日に紅葉の写真を撮りに出かけたいのですが
このどんよりした寒い日続きではどうしようもありません。
待ち切れず、今日、寒い天気の悪い中、グリーンヒルを歩いて来ました。
すっかり秋色になっています。
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