花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2014年02月

クリスマスローズ

少しづつ暖かくなってきたので、鉢植えのクリスマスローズが咲き始めました。

地植えは大雪が降り、まだまだです。


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恥ずかしげに下向きの八重のクリスマスローズです。

今年購入した小さな苗なので、来年から花が咲くのかな?と、思っていましたが二個花が咲きました。

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堺ー10 妙国寺 蘇鉄


2013.1.31

本願寺別院を出て、角を曲がると善長寺です。
1549年に三好政勝(みよし まさかつ、1536−1632年)が父の三好政長(1491−1549年、法名宗三) の菩提所として三好政長戦死の日を開基としてい建立しています。

南宗寺にも三好一族の墓がありましたね。
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11面観音菩薩を祀っています。
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境内が狭い寺です。
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妙国寺です。
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「右 そてつ」とは妙国寺の蘇鉄を指しています。「左 ふじ」は何でしょう?
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妙国寺の向かいにあるのは本受寺。
本受寺は西宗真(洗礼名るいす)の菩提所です。若くしてしばしば呂宋方面(フィリピン)に渡航し、スペイン語に通じていたそうです。徳川家康はルイスに南方の貿易を一任しました。
ルイスは3回朱印状を持ってフィリピンのルソンへ渡航しています。その際の朱印状が残されている寺です。
 
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いよいよ「夜泣きの蘇鉄」がある妙国寺へ入ります。

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門にはあ、うんの像が立っています。
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妙国寺は永禄5年(1562年)日蓮宗の学僧日Г開いたとされているのでこの像が日Г任靴腓Δ?、蘇鉄に囲まれています。

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固く閉ざされた扉で、菊と桐の紋が描かれています。
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本殿の向こうに見えるのは龍神堂です。
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龍神堂の先に「土佐藩11烈士」の墓があります。

許可なく堺港に上陸したフランス兵と、同兵の上陸を阻止し、艦内へ帰船させようとした土佐藩との諍いが刃傷事件に発展し、フランス側は帰艦したが、その際、土佐藩の旗を倒す等した事から、対応した土佐藩は、とっさに発砲しフランス人11人を殺傷又は海に落としてしまったのです。

フランスは、賠償請求は当然のこと、土佐藩20名の切腹を要求して来たので、事件に係わった藩士達29名が、現在の大阪市西区の土佐稲荷前で籤を引いて切腹者を決めて切腹を敢行しました。

 切腹は妙国寺で行われましたが、藩士達は切腹で自らの「はらわた」を摘みだし、立ち会いで居並ぶフランス水兵に次々と投げつけた事から、恐れを抱いたフランス側は11人目で切腹の中止を申し入れ、結果として9名が切腹を免れました。

これを「堺事件」といいます。

江戸開国の頃は言葉が通じず、誤解が起こった悲劇です。

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「夜泣きの蘇鉄」や「大蘇鉄」が見当たらないので、近くにいた男性に聞くと、本堂の階段下から入ると教わり、もう一度本堂の下へ行くと受付という表示がありました。

中に入ると撮影禁止で荷物は全て預かってくれ、ガイドがつきました。

【夜泣きの蘇鉄伝説】
大蘇鉄は織田信長の所望で安土城に移植されましたが、毎夜「堺に帰りたい」と泣いたので、信長は激怒して「切り倒してしまえ」と命じました。蘇鉄は切り口から鮮血を流し大蛇のごとく悶絶し、恐れをなした信長は再び妙國寺に返したという伝説の樹で国指定の天然記念物です。

パンフレットの写真です。
夜泣きのソテツ



別に、ソテツの枯山水庭園があります。
本殿の中から見るこちらの景色が素晴らしいです。堺へ行った時はぜひお立ち寄りください。

信長が堺に来た時は、妙国寺が宿泊所であったので、利休に茶を振舞われました。見事な蘇鉄の枯山水庭園を眺めて、安土城へ蘇鉄を持って行き「夜泣きの蘇鉄」となったのです。

また、枯山水の景色は家康が堺に来たとき、安らかに休めるようにと古田織部とその弟子小堀遠州が遠州の姿を再現したと言われています。

写真をクリックすると拡大します。
手前の砂を駿河湾に見立てています。
蘇鉄の枯山水庭園



つづく・・・堺伝統産業会館

大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日
3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説
6.南宗寺 八方睨みの龍
7.美々卯
8.鉄砲鍛冶屋敷
9.山口家住宅
10. 寺が並ぶ界隈



堺ー9 寺が並ぶ界隈


2013.1.31


土居川公園に沿って立ち並ぶ寺々を見ながら蘇鉄が有名な「妙国寺」へ向かいました。


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大きなクス木が植わっているのは月蔵寺です。
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門がしまっており、中には入れませんでしたが、豊臣秀吉側近の重臣で大野三兄弟(治長・治房・治胤)と称された内の三男、大野道犬斎治胤の墓があります。

また、夏の陣で灰燼と化した堺の街の復興を命じられた風間六右衛門の墓があります。
風間六右衛門は地割奉行となり、土居川の濠を再び開削して市街の規模を広げ、南北の大道筋と東西の大小路筋を基軸として碁盤の目の形に町割りしたのです。この町割りが今も続いているのです。

縦320僉濂190(本紙寸法は縦192.5僉濂149)あって、掛ければ本堂の天井から床まで届く大きさの釈迦涅槃図もあるそうです。

詳しくは下記URLを参考にしてください。
http://www.gatsuzouji.or.jp/index.html

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秋には庭の木々が紅葉して美しいとのことです。
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寺町通り
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十輪寺の向かいは大きなお寺です。
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立派な鐘楼があります。城の物見櫓のような感じです。
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本願寺堺別院の表札がかかっていました。
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本堂
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本堂の前には親鸞聖人像と蓮如上人像が立っています。
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境内案内図。クリックすると拡大します。

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鐘楼
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本堂の木組み
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柱の袴には狛犬(?)が掘られています。
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経堂
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会館の前には大きな一本立ち蘇鉄がそびえています。
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お手植えの松ですが誰か忘れました。
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拝殿越しに見えるのは蓮如堂(永代納骨堂)。
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堺本願寺別院の前の大通り(参道)です。
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つづく・・・妙国寺の蘇鉄

大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日
3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説
6.南宗寺 八方睨みの龍
7.美々卯
8.鉄砲鍛冶屋敷
9.山口家住宅


堺ー8 山口家住宅


2014.1.31


午前中に仕事終え、もう少し堺を「ブラオヤマ」しました。

堺の地図です。中央(紀伊街道)から上(東)の道路は碁盤の目になっています。
大阪夏の陣で堺の商人は自ら火を点け燃やしてしまったのです。その後の町割りが碁盤の目の通りとして残っているのです。紀伊街道から西(下)は太平洋戦争の空襲で焼けた跡の町割りです。
碁盤の目になっている道は観光する人にとって歩きやすいです。
深いグリーンが堺の街を囲んでいます。これは土居川といって堺が戦国時代自由都市として発展した時の堀です。現在は一部が残っているだけです。地図の上(東)の堀は現在埋め立てられ高速道路が走っています。
上部の土居川沿いには寺が並び、外部から攻められるのを防ぐ目的があったのです。


写真はクリックすると拡大します。
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常夜灯の頭がなくなっています。どのような常夜灯だったのでしょうか?
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昨日の最後に歩いた格子がある町界隈を歩きます。

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質店の広告を描いたちんちん電車が通る紀州街道です。
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しばらく歩くと山口家住宅です。
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山口家マップ



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山口家住宅の主屋は慶長20年(1615年)、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた、国内でも現存する数少ない江戸初期の町家のひとつとして、昭和41年(1966年)に国の重要文化財に指定されています。

江戸時代は庄屋を勤めていた家柄です。屋号は越前屋と元禄2年の堺大絵図に記述されています。


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玄関口には福助足袋の人形が勢ぞろいしているのにびっくりしました。1/8から2/2まで、街中福助人形展が堺の街のあちらこちらで開催されていたのです。

福助人形(ふくすけにんぎょう)は幸福を招くとされる縁起人形です。正座した男性で、大きな頭にちょんまげが乗っているが特徴です。

福助足袋で有名ですが、以前からあった福助人形を明治33年に福助足袋が商品登録したのです。福助足袋はもちろん堺が発祥の店です。
http://www.fukusuke.co.jp/museum/history/index.html

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まずは、山口家に入ってみます。

太い梁が建物を支えています。神戸淡路大震災でもびくともしなかったそうです。
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土間に面する部屋です。
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山口家案内図


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丸い窓と生花が効果を上げています。何気なく福助人形が置いてあります。

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天井には駕籠がぶら下げてあり、キレイに収まっています。
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土間の一番奥です。
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勝手口から裏へ回りました。手前の建物は、現在トイレとして使われています。
奥の白い建物は北土蔵です。
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江戸時代から使われていたであろう井戸です。そばに石臼があります。

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カマドですね。庄屋というと作男や女中など多くの人が住んでいたので多くのカマドが必要だったのでしょう。

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北蔵の中にも福助人形。
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木で作られた福助人形のようです。福助人形は福助足袋の福助のイメージしかありませんでしたが
多くの種類があることを知りました。
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茶室もあります。
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茶室に敷いてあったのは「堺緞通」。緞通とは絵柄を描いた敷物で、カーペットや絨毯の類でしょう。
原産地は中国で、九州の鍋島藩を通じて江戸時代後期に堺に伝わり、その後堺の商人により改良され、堺手織緞通が創案されました。
 一時は堺、泉州一帯の地場産業として栄え、明治中期には数多く輸出されました。

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茶室の外の廊下は、珍しい一枚板です。木の種類をきいたのですが失念しました。

山口家でもガイド付きです。受付の女性に昨日「清学院」に来られた方ですねと、声をかけられ、びっくりしましたが、昨日「清学院」で受付をしていたボランティアの方が今日は山口家にいたのです。堺はどこへ行ってもボランティアの方が案内してくれます。
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枯山水の庭です。

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欄間も洒落ています。
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各種福助人形をお楽しみください。

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西土蔵は資料室となっています

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見ごたえのある山口家住宅でした。

つづく・・・寺が並ぶ界隈

大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日
3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説
6.南宗寺 八方睨みの龍
7.美々卯
8.鉄砲鍛冶屋敷

堺ー7 鉄砲鍛冶屋敷


2013.1.30


高須神社からは七道駅を目指して歩きます。

七道マップ


下町風情が残る路地です。

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界隈は格子戸の家が多く残っています。
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「利休のふるさと堺」のノボリ。
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鉄砲鍛冶屋敷です。内部は残念ながら非公開です。
1543年、種子島に漂着したポルトガル人から伝わった鉄砲(火縄銃)とその製法は橘屋又三郎などによって堺にも伝えられました。

井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗で、「元禄二年堺大絵図」(1689年)にも記載されていることから町家建築としては日本でも最古の部類に入るとされています(市の指定有形文化財)

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写真をクリックすると拡大します。
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清学院という山伏修験道の寺です。
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不動明王が祀られています。不動堂内部は写真撮影禁止でした。
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建物全体
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江戸時代後期から明治初頭にかけて寺子屋が開かれていたのです。
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当時は硯に筆、そして5つ玉のそろばんだったのです。
先生の硯は使い込まれて中央部が凹んでいました。
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北旅籠(はたご)町で生まれ、仏典を求めて日本人で初めてヒマラヤ山脈を越えてチベットに入った河口慧海(かわぐちえかい)(1866年から1945年)もここで学んでいたそうです。私は河口慧海を知りませんでしたが、堺では有名らしいです。七道駅の西口に像が立っていると教えてもらい、翌日行ってきました。

ヒマラヤを歩いている河口慧海をイメージした像のようです。
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旧堺港灯台とは違う堺のマンホールです。

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七道駅高架下にある鉄砲鍛冶射的跡の碑と放鳥銃定限記の碑があり、下記の説明がありました。
鉄砲を作るとともに射撃練習所があったのです。 


 放鳥銃定限記 (ほうちょうじゅうていげんき)
 わが国に初めて鉄砲が伝来したのは,天文十二年(1543年)のことです。
 堺の貿易商人橘屋又三郎は,いちはやく種子島より鉄砲の製造技術と射撃場を持ち帰ったと言われています。また,紀州根来の津田監物算長も伝来の銃を持ち帰り,堺出身の刀工芝辻清右衛門に鉄砲を作らせました。清右衛門は,豊臣秀吉の「根来攻め」のあと堺に戻って製造を続け,鉄砲鍛冶芝辻一門の祖となりました。
 堺鉄砲の製造は,芝辻一門,榎屋一門など多くの鉄砲鍛冶によって国内最大の生産量を誇りました。それとともに試射場も次々と作られ,このあたりにも江戸時代初期につくられた試射場が,昭和の初めまでその面影を残していました。
 大正三年にこの付近で,運河の開削工事中に「放鳥銃定限記」と題した碑が,発見されました。この碑には,寛文四年(1664年)砲術家川名金右衛門忠重によって,「鉄砲 は優れた兵器で,正しく扱えば命中確実である。しかし,そのためには不断の習練が必要である。小濱民部丞嘉隆は文武両道を兼ね備えた人であり,堺の浜に射撃場を設け砲術家の養成や銃の試射を行うなど,大きな功績を残した。」と,恩師小濱丞嘉隆への讃辞と鉄砲試射場の由来が記されています。
 この碑もまた,堺鉄砲の歴史を物語る貴重な資料です。
      運河掘削工事の発起人であった柳原吉兵衛氏は,この碑を後世に伝
      え顕彰するために,自然石をくりぬいた中にはめこみました。その後
      昭和一九年に堺市に寄贈され,長らくザビエル公園に保存されてき
      ましたが,駅前広場の整備にともない,発見場所に近いこの場所に移
      設しました。
   平成二年三月
    堺市
    堺市教育委員会


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七道駅の傍には「ダイセル化学工業」の広大な敷地跡がありました。
イオンが建設される予定ですが10年以上そのままということです。

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ダイセル化学工業跡地のフェンス沿いに沿って仕事に向かいました。
第一日目の「ブラオヤマ」でした。

つづく・・・・・山口家住宅


大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
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3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説
6.南宗寺 八方睨みの龍
7.美々卯

堺ー6 美々卯


2013.1.30

ランチタイムになったので、ガイドさんにアドバイスを仰ぐと「チンチン電車の宿院の手前に 美々卯があり、鍋焼きうどんがお薦めで歩いていけます」と教えてもらい、「 美々卯」は久しぶりで、堺で食べられるとは感激です。

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温かいお茶にお絞り、有難いです。
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鍋焼きうどんです。鍋の中にはうなぎが入っています。
海老の天ぷらは別についてきます。「海老は味が付いていないのでお鍋に入れておたべください」とのことです。海老がふやけることなく美味しく頂けました。
たいへんおいしい鍋でした。ガイドさんに聞いて良かった!

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お腹がいっぱいになったので宿院駅へ向かいます。

宿院交差点にある大きな常夜灯です。「左海(さかい)」「たばこ」「包丁鍛冶」と刻まれています。堺の包丁は鉄砲鍛冶屋から発展したのでしょうか?有名です。 常夜灯は天保年間のものだそうです。左海は堺でしょうか?たばこは???調べてみるとたばこが伝わったのは十六世紀後半と伝えられ、次第に庶民の間に広まったそうです。その葉を刻むタバコ包丁こそが江戸時代の堺の特産物であったそうです。


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たばこ包丁


宿院から高須神社までチンチン電車(阪堺電軌阪堺線)に乗ります。天王寺と浜寺を結ぶ線です。
どこまで乗っても200円という料金です。観光で一日中乗り降りするのであれば「一日フリー切符(600円)」を購入するのがお得です。

架線が美しいです。道路の中央を電車が走ってます。交差点は道路の信号に従って走ります。
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会社の広告を描いた電車に乗り込みました。
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電車の中の風景です。のんびり出発です。
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宿院・高須マップ


駅名にもなっている高須神社なので、さぞ大きな神社だろうと思っていましたが、小さな町の神社でした。
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つづく・・・・鉄砲鍛冶屋敷

大阪&堺シリーズ

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2.堺市役所からの夕日
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4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説
6.南宗寺 八方睨みの龍


二回目の雪


以前の雪が溶け切らないうちにまた雪です。
東京は雪の後、雨も降り、大洪水の場所もあると報道されていますがみなさんいかがですか?

こちらは今のところ雨は降っていません。
朝は太陽が出て、雪かきしないで済むかな?と思っていましたが
昼前になって曇ってきました。
雨が降るのかな?降らなければ雪かき必要かな?悩ましいところです。

雪の量は前回の半分でした。

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堺ー5 南宗寺 八方睨みの龍


2014.1.30


坐雲亭
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仏殿の屋根です。この中の天井に八方睨みの龍が描かれています。
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中央に釈迦如来を祀っています。
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天井には狩野信政の八方睨みの龍が描いてあります。
どこから見ても、龍は見ている人を睨んでいます。
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写真は全てクリックすると拡大します。
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迫力のある龍です。
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落款ではなく直筆で「狩野外記信政筆」と書かれています。
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江戸時代に使われた火事を消すためのポンプが置かれていました。
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パンフレットに掲載されてあった南宗寺案内図、破線矢印通りに案内してもらいました。
写真をクリックすると拡大し、出てきた写真をもう一度クリックするとさらに拡大します。
南宗寺案内図



つづく・・・美々卯

大阪&堺シリーズ

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3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺
5.南宗寺 家康伝説

ルンバ購入

掃除機が壊れたので、どれにしようか?
サイクロンがいいかな?
いっそルンバにしようか?
と、いうことで
ルンバ76057にしました。
結構大きく、これならよく掃除してくれそうだと思いました。
前方部分の外側が浮いていて、ぶつかると引っ込みセンサーが働いて方向を変えます。
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裏を返すと、掃除機というより精密機器という感じです。ちゃんとしたメンテナンスが必要なようです。耐久性はどうなのでしょうか?
ブラシの掃除等をするときは注意を払ってやらないといけないような?
あちらこちらに光センサーが付いています。
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使用感は、
丁寧に掃除してくれ、私が掃除機でするより綺麗になります。
ゴツンゴツンとあちらこちらにあたりながら方向を変えて動きます。
こんなにゴッツン、ゴッツン当たって壊れないかな?という感じです。
音が大きいので、居間にいるときは居間の掃除はできないです。出かけるときに掃除をしてもらうのが良さそうです。

自動で綺麗に掃除してくれるので非常に楽です!

取扱説明書を読んでいると「フィルターのつまりの掃除は普通の掃除機で吸い取ってください」
とありました。これは、「普通の掃除機も必要です」ということかな?と笑ってしまいました。




堺ー4 南宗寺 家康伝説



2014.1.30

いよいよ南宗寺です。受付で拝観料を払い、ボランティアガイドの女性が私一人のためにガイドしてくださいました。

南宗寺は戦国武将の三好長慶が父・元長の菩提を弔うため、弘治3年(1557)に大林宗套を開山として建立した寺です。

大坂夏の陣で全焼しましたが、沢庵(たくあん)和尚によつて1617年に再建されました。
茶道の大成者、千利休(せんのりきゅう)や武野紹鴎
(たけのじょうおう)らがここで修行したといわれ、利休ゆかりの茶室「実相庵」(じっそうあん)や、遺愛の手水鉢などが残っています。また、枯山水の庭園は古田織部好みといわれ昭和58年に国の名勝に指定されています。


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重層で、内部には徳川秀忠、家光の御成を記した板額が掲げられているという「座雲亭」です。
徳川家康は後藤又兵衛の槍に倒れて、埋葬され墓が南宗寺にあるのです。
すごいことですね。


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秀忠、家光が御成した日付が記されている板額です。
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千家一族の供養塔、左から津田宗及、津田宗達・・・・
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中央が千利休の供養塔です。
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そばには利休好みの椿が植わっています。
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千利休の師である武野紹鴎の墓
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三好一族の墓
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開山堂跡:
南宗寺は三好長慶が開山した寺であるが、大阪夏の陣で消失しました。しかし、沢庵和尚が再建したので中興の開山の祖とよばれています。その沢庵和尚を祀る建物を開山堂として建設されましたが、昭和20年の空襲で焼けてしまいましたのです。
開山堂の床下にあったのが写真の卵型の無名碑と石板です。

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開山堂の床下から出てきた石版に刻まれているのは「無銘ノ塔 家康サン諾ス 観自在の文字です。
中央の行に「家康」の文字が見えます。写真をクリックして拡大するとよくわかります。
これは家康が後藤又兵衛に槍で突かれ、命を落としたとする説の根拠です。

日本経済新聞にも下記の記事が掲載されています。謎の多い家康の墓伝説です。
http://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00&uah=DF271220109157

大阪日日新聞
https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121130/20121130030.html

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方丈の縁から枯山水の庭が眺められます。
国指定の名勝で、古田織部好みと言われています。
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ガイドさんに教えてもらいましたが、砂の模様は時々変わるそうです。

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市松模様に円が描かれ水の流れを現しています。
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緑と白の境目がくっきりしているのが古田織部好みらしいです。
中国の逢菜山からの流れた水が海へ流れ実相庵の前へと流れているそうです。
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利休好みの実相庵茶室。
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にじり口
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水琴窟 非常に澄んだ音がしました。
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半井ト養は宗久の娘婿です。
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徳川の紋ののれんがかかる石には「徳川家康墓」と書かれています。
この場所には文政年間に東照宮拝殿があったのです。しかし、空襲に会い焼けたので
昭和42年、水戸徳川の家老の末裔、三木啓次郎によって建立されたのです。
裏には寄贈者として松下幸之助の名前も彫られていました。
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東照宮へ通じる唐門です。
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瓦には「葵の紋」が入っています。
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以上、家康伝説です。


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つづく・・・ 南宗寺 八方睨みの龍

大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日
3.菅原神社〜千利休屋敷跡
4.南宗寺内の寺

堺ー3 南宗寺(なんしゅうじ)内の寺


2014.1.30


宿院からチンチン電車に乗ってふた駅、御陵前で降り南宗寺(なんしゅうじ)へ行きました。
南宗寺


宿院駅
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電車を降りて少し歩くと瓦塀の上に大きな蘇鉄が見えてきました。
この寺が南宗寺です。
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総門「龍興山」と書かれています。脇から中に入っていきます。

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南宗寺受付までは少し距離がありそうです。
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総門をくぐるとまっすぐ参道が続いています。
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総門の裏壁ははげ落ち、時代を感じさせてくれます。
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すばらしい瓦塀です。
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1647年(正保4年)の建立で、国指定の重要文化財となっている堂々たる甘露門です。
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裏から撮った写真

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銭を屋号に持つ堺の商人松江宗庵が母徳泉を弔うために、慶安元年(1648年)に創建した「徳泉庵」でここから中へは入れません。

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門から見える景色です。手入れが行き届いています。右に「陵泉堂」があり、鳥居も見えます。
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鐘楼
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海会寺:

宿松山海会寺は臨済宗東福寺派で、堺でも古くから
建てられた寺院のひとつです。
 正平6年(1351)、乾峯士曇(かんぽうしどん)が開山で、当時この寺院は、
開口神社の西門前にありました。  非常に大きな寺院で、
塔頭(たっちゅ)も5院をもち、寺領300石であったと伝えられ
ています。 今もこの旧地には金龍水(こんりゅうすい)と呼んでいる
井戸が残っています。
 当寺第5世と思われる季弘大叔(きこうだいしゅく)が文明16年(1484)
から同18年にわたる「庶軒日録(しょけんにちろく)」という日記を残しており、
遣明貿易で栄えつつあった当時の堺の姿がわかる
唯一の資料となっています。
 その後、荒廃したので古渓宗陳が天正13年(1585)に、
現在の祥雲寺の処に再興をしました。 大坂夏の陣(1615)
で焼失したが、その復興には至らなかったので、南宗寺の
住職であった沢庵宗彭(たくあんそうほう)の助力によって、南宗寺の
寺域に再興されました。
 本堂庫裏及び門は重要文化財に指定されています。



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大きな緑は蘇鉄でしょうか?
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黄色い花はロウバイ。
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外から見た南宗寺の仏殿。この中に有名な天井画「八方睨みの龍」があるのです。
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天慶院ですが中には入れません。
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つづく・・・・ 南宗寺 家康伝説


大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日
3.菅原神社〜千利休屋敷跡





雪だるまに雪かき

今朝の仕事は
昨日、香港の孫娘とSkypeをして、雪景色を見せると
「雪だるまを作って!」とのオネダリに応えるべく
中位の雪だるまをデッキに作りました。

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続いて、新聞受けまで歩けるようにアプローチの雪かき。
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庭の雪はもこもこ状態。雪の下にはバラやらアガパンサスが埋もれています。
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大雪


2014.2.8

午前9:30撮影

9:30ですでに20cm程雪が積もっています。
夜がピークというがどれだけ積もるのか心配です。


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窓から見える雪景色。
写真をクリックすると拡大画面になります。もう一度クリックするとさらに拡大します。
窓から雪景色


クリスマスツリー状態
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つるバラの枝が雪の重みで垂れ下がっています。枝が折れるのではと心配です。
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堺ー2 菅原神社〜利休屋敷跡



2014.1.30

雨が降っていますが、折角、堺に来たので歩いてみることにしました。

堺の中心部には東西1.5mの中に3本の電車が走っています。
移動するには便利そうです。

まず、菅原神社、与謝野晶子生家跡、千利休屋敷跡を訪ねることにしました。

マップ1



歩き始めてまもなく旧堺灯台をデザインしたマンホールをみつけました。彩色され目立ちます。
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菅原神社南門から中に入ります。

菅原神社は菅原道真自作の木像が堺の浜に漂着し、これを祭ったのがはじまりといわれています

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東口の楼門は鉄砲鍛冶・榎並屋勘左衛門の寄進により、延宝5年(1677年)に建てられたと伝えられており大阪府指定有形文化財です

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桜門の左右にあるのは仁王さんではなく「小西行長の手植え 傘松の幹」と「樹齢850年の浜寺公園 千両松幹」です。
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西口桜門では随身像が守っています。
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北門
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開運招福の神牛。
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菅原神社は堺では天神さんの名で親しまれているそうです。
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拝殿
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常楽殿
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「えべっさん」で親しまれている戎神社も一緒にあります。
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紀州街道に出るとレトロな感じの街灯が交差点をはさんで2基ありました。
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今度は秀吉好みの黄金のマンホールを見つけました。秀吉は藤吉郎と呼ばれた頃信長の命令で堺の鉄砲を大量に仕入れたのです。その後、堺の利休とも懇意になったので堺と関係が深いのです。
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与謝野晶子生家跡の碑はチンチン電車が走る紀州街道に面してあります。
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与謝野晶子は歌人で、「みだれ髪」で与謝野鉄幹に対する愛の歌を詠み有名になったのです。生家は菓子商で、店をきりもりする後妻の母の背を見つつ、父の蔵書の古典に親しんで成長。22歳の時、10代から始めた短歌が「明星」に載り、与謝野鉄幹と出遇ったのです。
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碑の説明文です。写真をクリックすると拡大し、読みやすくなります。
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生家「駿河屋」の店舗の姿です。(明治16年)
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現在、駿河屋の裏に立っています。
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紀州街道の傍の歩道です。中央が自転車道、端が歩道です。
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自転車ゾーン
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歩道は「てくてくろーど」と呼ばれています。
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観光マップのタイルもはめ込まれています。
紀州街道に面した道路からひとつ奥に入った道に千利休屋敷跡があります。
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ビルに囲まれて利休屋敷跡がありました。

千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたと言い伝えられて。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。
椿は利休が愛した茶の花です。

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椿の井戸
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椿井来由記
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椿井来由記の内容。写真をクリックすると読みやすいです。
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つづく・・・南宗寺内の寺


大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両
2.堺市役所からの夕日


まだ雪残る


雪が降って三日目になるのにまだたくさん雪が残っています。
早く太陽の顔がみたい!
外は、ここ数日、冷蔵庫の中状態です。
土曜日はまた雪の天気予報、うんざりします。

朝9:30撮影
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よいしょの金太郎大雄山線に乗る


南足柄のキャラクター「よいしょの金太郎」が大雄山線小田原駅から大雄山駅まで乗車している画像です。
私の最寄駅は岩原または塚原です。
駅名には「原」「沼」「穴」「緑」「羅漢」「岡」などなど昔の里をイメージする名前が付いています。

今回は第一弾で今後、「よいしょの金太郎」が南足柄の観光地に出没するそうです。

大雄山線にはハートマークのつり革がついている車両がありますが私はまだお目にかかっていません。




昨日降った雪

2014.2.5


昨日降った雪が、今日も残っています。
花木のためには早く溶けて貰いたいが・・・


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堺市役所からの夕日

2014.1.29


堺東駅に到着し、まず、堺の観光マップを手に入れようと思い、駅員さんに観光案内所の位置を聞くと、なんと駅構内にはなく市役所の北向かいにあるとのことでした。
下図の堺東駅南口交差点にあるビルの1Fです。綺麗で大きな案内所です。
観光マップを手に観光スポットを聞くと「今日は遅いので全部閉まっているので、市役所21Fの展望台から夕日を眺めるのが良いでしょう」と言われ展望ロビーに上がりました。

市役所マップ

堺市役所
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21Fからは360度展望できます。

正面に見えるのは仁徳天皇陵です。手前に小さな古墳がいくつかあります。
仁徳天皇陵は前方後円墳ですが、この高さからでは形がよくわかりません。
仁徳天皇陵はピラミッドと始皇帝陵と並び3大墳墓と言われています。
五世紀築造と言われ全長468mです。
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インターネットより仁徳天皇陵
仁徳天皇陵


入江は堺港です。関空、六甲山も見えるそうですが残念ながらモヤがかかりよくわかりません。
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「利休にたずねよ」という映画・小説が話題となり、現在、堺は利休で観光客を呼ぼうとしているようです。

展望ロビーに映画「利休にたずねよ」に使われた茶室のセットを模したものが置いてありました。
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堺は鉄砲・刀の街でもあります。火縄銃の陳列です。
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ロビーのCafeコーナーです。
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沈む夕日をじっくりご覧下さい。(17枚)




堺港に立つ灯台を模した電話ボックスです。旅先で地元ならではのテレフォンボックスを見かけると旅の気分が盛り上がります。
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iPadの方はこちらの夕日をご覧ください。

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つづく・・・・菅原神社〜千利休屋敷跡


大阪&堺シリーズ

1.女性専用車両


大阪・堺へ

2014.1.29

久しぶりに大阪&堺に3泊4日(2日間仕事)で行ってきました。

新大阪から地下鉄御堂筋線で「なんば」へ、ここから「難波」に移動、南海電鉄高野線で堺東というルートです。

地下鉄のホームへ降り、少し歩いたところに女性専用車両のマークがありました。小田急線は
平日朝7時30分〜9時30分に新宿駅に到着する 上り「快速急行」「急行」「準急」のみに女性専用車両があるのですが、下を見ると「平日の終日」と書いてあるのにびっくりしました。帰りの大阪環状線も「平日の終日」でした。

関東では山手線も中央線も女性専用車両はありません。東京は乗客数が多いので女性専用を作ると混雑が激しくなるためでしょうか?

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女性専用車両は広告付きで派手です。
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こちらが一般車両です。
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南海電鉄高野線の車両です。空いています。このまま高野山へ行きたいな!
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つづく・・・・堺市役所からの夕日



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