花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2016年02月

クリスマスローズ咲く


2016.2.28

クリスマスローズが咲いてきました。写真以外にもう一鉢咲いています。
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花と蕾を合わせて15個もありました。クリスマスローズでこんなに沢山花が咲くのは珍しいです。
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純白のカップ咲クリスマスローズ
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ピンクがかったクリスマスローズ
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クリーンがかったクリスマスローズ
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白い八重のクリスマスローズ
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東海道53次 NO54 −2 黄瀬川

2012.2.20 

地図からすると現在地から沼津港まで4〜5kmです。 一時間少しで沼津港へ着くと推測し、歩き始めました。


沼津港マップー1


八幡神社を出て歩いていると松並木が見えて来ました。
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清水町長沢の松並木です。

駿河の清水港ではありません。三島駅と沼津駅の中間地点です。

日本各地に同じ名前の場所があります。時々、推理小説に使われています。
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智方神社という小さな神社がありましたが

先を急ぐのでパスです。

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清水町のマンホールの蓋です。
柿田川に掛かる旧柿田橋(めがね橋)と遠くに見える富士山のデザインです。
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平家軍を攻める為、頼朝軍が陣を張ったと言われている黄瀬川に来ました。黄瀬川橋の架け替え工事だった為、仮橋を渡りました。

南西方向に見えている山は標高193mの香貫山だと思います。

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黄瀬川橋方向に目をやると愛鷹山越しに富士山が綺麗に見えました。
手前の橋は架け替えをする予定の黄瀬川橋です。その向こうに黄瀬川大橋が見えています。
こちらも工事中でした。
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黄瀬川マップ



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歌川広重がこの場所から雪の黄瀬川と富士山の浮世絵を描いています。
黄瀬川浮世絵




つづく・・・東海道53次 NO55−1 沼津港



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡
東海道53次 NO54 −1 頼朝・義経対面石


河津桜 満開


2016.2.24 

河津桜は満開で濃いピンクが鮮やかです。

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チューリップが芽を出してきました。春の息吹があちこちで感じられます。
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東海道53次 NO54 −1 頼朝・義経対面石


2012.2.20


街道筋に建てられていた常夜燈を再現したものです。
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伏見というと京都の伏見を思い出しますが、ここも伏見という場所なのです。バスは昼間一時間に一本しか走っていません。
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東海道(新宿付近)絵図です。右の方に茶屋、木町、時の鐘、千貫樋等の文字が見えます。
今いる辺りは、新宿付近とあるので三島宿の隣に新しく出来た宿が並ぶ通りだったのでしょう。
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さらに進むと、玉井寺と宝池寺に一里塚がありました。東海道の一里塚は当然ながら江戸へ上る側と江戸から下る道側に一対あるのですが、現在は一対として残っている場所は少ないです。

 ここには一対の一里塚がのこっていました。

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 玉井寺の一里塚。

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 玉井寺の横を走る道路の向こうには富士山が良く見えました。江戸時代にも、両方の一里塚に腰かけて富士山を眺めながら一息ついたことでしょう。

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 玉池寺の一里塚
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 玉池寺


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宝池寺の側面です。大きな寺です。

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「対面石 八幡神社」という大きな看板名が見えますが対面石とは? 何でしょう?
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一の鳥居のずっと奥に本殿があるようです。

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  八幡神社本殿

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扉がオートドアになっていて、本堂の中に入れるシステムは初めての経験でした。
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1180年、10月平家軍が富士川あたりまで攻めて来た折り、源頼朝は黄瀬川付近に陣取ったのです。奥州から義経が駆け付けて対面したのがこの辺りらしいです。二人は写真の二つの石に座って話をしたと言い伝えられていますが、本当のところはわからないとのことです。

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ねじり柿の木
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八幡神社の位置は地図をご覧ください。



腕時計を見ると既に12時を回っていました。柿田川の湧水を見学して、沼津港でお寿司を食べる予定でしたが、どこで計算を間違えたのか、はるか手前でお昼になってしまいました。

したがって、柿田川の湧水は以前行ったことがあるので今回はPassしました。やはり、沼津港でお寿司を食べたいので、ここから急いで沼津港へ向かうことにしました。

柿田川公園は後日訪問しました。

1.柿田川公園ー1 第一展望台

2.柿田川公園ー2 第二展望台
3.柿田川公園ー3 八つ橋


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つづく・・・・東海道53次 NO54 −2 黄瀬川




東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡
東海道53次 NO53−2 千貫樋




 





東海道53次 NO53−2 千貫樋


2012.2.20


伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅です。大雄山線も伊豆箱根鉄道ですので同じデザインの車両が走っています。駿豆線は三島と修善寺を結ぶ鉄道です。
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広小路とは、道幅の広い道のこと。江戸時代の1657年、「明暦の大火」とよばれる大規模な火事が起きました。これを受け、江戸幕府は広い道をつくって、類焼を避けるような対策をとりました。こうした大きな道が「広小路」とよばれるようになっていきました。三島には小路と名前が付く道が沢山あります。

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三島には八小路と呼ばれる八つの小路が存在します。
詳しくは下記URLを見て下さい。
http://mishimanokodou.fuma-kotaro.com/page020.html


「茶町」と書かれた石碑が立っていました。この辺りはまだ三島宿なので茶屋が並んでいたと考えられます。

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商店街を抜け、沼津へ向かう旧東海道です。
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林光寺:林光寺の開山上人とは、甲斐の国武田信玄の御子武田信景公が、母の志願に應じて弘治三年(一五五七)、同国山梨郡国坂帰命院岌徃上人の搨下において得度し「故信」と称した人物だそうです。

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「千貫樋」という看板があり、下記のような説明がありました。
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千貫樋と説明看板があった場所です。

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橋の上からのぞいた写真で、水が流れているところがありましたが樋の形がよくわかりません。
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地図で見ると赤線で囲った場所に水の流れがあります。
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 千貫樋は、清水町と三島市との境に位置し、楽寿園小浜池の湧水を、清水町にかんがい用水として送水するために、境川に架設されている掛樋です。現在の千貫樋は鉄筋コンクリート製ですが、関東大震災により崩壊する以前は、木造で、全長45.0m、深さ0.45m、幅1.8m、高さ4.5mでした。

なお、再建された現在の樋は、全長42.7m、深さ0.45m、幅1.9m、高さ4.2mで、従来のものと、ほぼ同規模です。

この樋を架設した経緯は諸説ありますが、天文24年(1555年)に、今川、武田、北条の三氏が和睦した際に、北条氏康から今川氏真に婿への引出物として楽寿園小浜池から長堤を築き、その水を駿河の今川領に送水したというのが一般的です。 また、名前の由来については、この樋が銭千貫に値するからという説や樋が高千貫の土地を潤すからという説、樋を造るのに銭千貫が掛ったという説があります。

 
下記URLが記事です。

  http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-620/rekishiteki/toubu/page/page11.html

 

 この水は柿田川へ通じています。

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つづく・・・東海道53次 NO54 −1 頼朝・義経対面石


東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡



 

東海道53次 NO53−1 三島駅出発


2012.2.20

三島駅出発です。度々訪れている三島です。駅前には三島農兵節踊りの人形がポストの上に置かれています。「富士の白雪ノーエ・・・・」の歌詞でおなじみの歌の発祥地が三島なのです。

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江戸時代の末期、伊豆韮山の代官「江川太郎左衛門坦庵公」 はわが国を外国の攻撃から守る必要性を幕府に訴え、韮山 に反射炉を設け大砲を製作するかたわら、若き農夫を集め、 彼らを兵力とするためその訓練に力を注いでおりました。

そんな時、海外の技術を学び、長崎から戻ってきた太郎左 衛門の家臣、柏木総蔵が伝え聞いてきた珍しい音律のノー エ節に「富士の白雪朝日で解けて‥」と歌詞をつけて鼓笛隊を組織したのです。

その後、音律豊かな農兵節として彼ら農兵の訓練に使われたことはあまりにも有名で、諸藩の藩士は先を競って三島を訪れました。 明治以降は舞を振り付け、ついには全国に知れわたる「三島農兵節」となり三島の代表的な民謡として三島夏まつりには欠かせないものとなっています。


三島駅前には、三嶋大社や楽寿園等があり、途中下車で観光する所が多くあります。
今回は、東海道53次歩きですから三島大社に寄り、旧東海道へ出ました。

三島観光マップ

駅前から愛染坂を下って行くと愛染の滝に出ます。そこには愛染院跡の溶岩塚があります。今から一万年ほど前、富士火山の爆発により噴出した溶岩が、約40厠下し凝固し、溶岩の中は空洞となっています。三島まで富士山噴火の溶岩が流れたとは驚きです。愛染院跡は室町時代の大寺院と思われ、その寺院の庭の一部ではないかと言われています。

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溶岩の前にロータリークラブ寄贈の「黄金の親子像」が建っていました。

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白滝公園入口には江戸時代の火消しポンプの模型があり、男の子と女の子が居ます。以前来た時は汚れた人形でしたが、今は綺麗になり、洋服・帽子が着せられていました。男の子と女の子は「めぐみの子」と言います。前に立つと、センサーが働き「三島のおいしい水をどうぞ」と言って「よいしょ」の掛け声と共に人形がポンプを動かします。

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富士山の雪解け水や雨水が溶岩の地下を流れ、白滝公園で湧き出しています。いつ来ても透明なきれいな水が流れています。この水は桜川へと流れて行きます。桜川沿いは「水辺の文学碑」が立ち散策に良い道です。桜川沿いを歩きながら三嶋神社へ向かうのが一般コースです。

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桜川沿いの道

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三嶋大社へは脇の鳥居から総門へ向かいました。

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客殿前の紅梅              
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本殿

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三嶋大社については、「オヤマるるぶ」にて桜の写真や源兵衛川で紹介しましたので今回はすぐ外へ出ました。


三嶋大社を出て向かった先は「三島市役所」です。最近、あちらこちらで立派な市役所が建っていますが、三島市役所は古い建物です。

2012年4月市制70周年にあたり、いちょうをデザインした「みしまるくん」と桜をデザインした「みしまるこ」をマスコットキャラクターとして採用しました。 
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三島農兵節踊りの元となった農兵訓練所は三島市役所がある所(韮山代官所)でした。

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三嶋大社と市役所の間の歩道に、広重の「三島 朝霧」の絵がありました。

朝早く、三嶋大社の前を行く人を描いています。

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雲が切れて富士山が見えてきました。

「歩いている間、富士山が見えてくれますように」と、祈りました。

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三島市役所から三嶋大社の方へ戻り、旧東海道へ入りました。これから沼津へ向かいます。
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徳川家光が上洛の際に使った三島の本陣を三島御殿と呼んだそうです。その近くにかかる橋なので上御殿橋というのでしょう。

その横のポールの番号は何でしょう?

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上御殿橋の向かいにも水くみ人形がありました。。
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三島駅からまっすぐ下がってくると 樋口本陣があった場所に出ます。

今は「刃物屋」「茶販売店」となっています
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源兵衛橋の下を流れるのは平成の名水百選に選ばれた源兵衛川です。

川沿いの道は良い散歩道です。 オヤマるるぶ「2008.8.26源兵衛川」で紹介しました。

希望の方は申し出て下さい。

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橋のたもとに「三石神社」があり、「時の鐘」がありました。
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江戸時代から旅人や三島の人に親しまれてきました。最初は寛永年間(1624〜1643)に鋳造(ちゅうぞう)され、その後何回か改鋳されました。特に大きな鐘は宝暦11年(1761)に川原ヶ谷の鋳物師(いものし)沼上忠左衛門祐重(すけしげ)によって造られ、三石神社境内に設置され三島八景の一つにも数えられていました。

 三島宿の人たちはこの鐘の音で時を知りました。しかし第2次世界大戦時にこの鐘も軍戦用に供出され、現在の鐘は昭和25年(1950)に市民の有志によって造られたものです。

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つづく・・・東海道53次 NO53−2 千貫樋




東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

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東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

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東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡






 


 

東海道53次 箱根から三島へ


箱根から三島への東海道53次はPCがまだ現れない頃に歩きました。
当時はまだフイルムの時代です。
したがって、ブログはありませんが、三島へ下る途中に山中城跡があり、ここへは2013年に訪れました。
下記ブログを御覧ください。
現在は大きなつり橋が掛かっています。

1.山中城跡ー1 いざ本丸へ
2.山中城跡−2 北の丸
3.山中城跡ー3 西の丸



つづく・・・・東海道53次 NO53−1 三島駅出発



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡






 

寒い日の散歩


今日は、梅畑の梅を見ながら歩きました。

満蔵院のしだれ梅

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梅畑の梅の花はデジブック・フルウインドウでご覧ください。
撮影はすべてスマホです。


ipadの方は下記URLからご覧ください。。
http://www.digibook.net/d/9f15cbdf818abf89af8dafa3875045d8/?viewerMode=fullWindow



 

東海道53次 箱根越え


2012年6月5日


湯本から箱根町までの箱根越えは、すでにアップしています。
下のリンクからご覧ください。
箱根越えマップ


東海道53次 箱根越えー1(湯本三枚橋出発)

東海道53次 箱根越えー2(正眼寺)

東海道53次 箱根越えー3(箱根一里塚)
東海道53次 箱根越え−4(最初の石畳)

東海道53次 箱根越えー5(びっくり大天狗)

東海道53次 箱根越えー6(自然探勝道)

東海道53次 箱根越えー7(再び石畳)

東海道53次 箱根越え−8(畑宿)

東海道53次 箱根越えー9(坂道・坂道・七曲がり)

東海道53次 箱根越えー10(甘酒茶屋)

東海道53次 箱根越えー11(最後の石畳)

東海道53次 箱根越えー12(賽ノ河原)


つづく・・・・東海道五十三次 箱根から三島へ 山中城跡



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ




河津桜満開


2016.2.19

TVで松田山の河津桜が満開になったと報じられています。
我が庭の 河津桜も満開になっています。

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小田原市役所食堂でランチ


2016.2.18


今日は仕上げた確定申告書を小田原税務署に持って行き、 そして、パスポートの更新手続きを小田原合同庁舎でしてきました。
ランチは小田原市役所7Fでとりました。
職員だけでなく、一般人も行ける食堂です。7Fなので見晴らしが良いです。
西・北東には箱根・丹沢連峰が眺められます。
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南は相模湾が見えます。(写真を拡大すると海がよくわかります)
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Cランチのカキフラを食べました。
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帰りに商品棚を見るとCランチはアジフライに代わっていました。
コストパーフォーマンスが良い食堂です。
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東海道53次 NO51 湯本駅 

2011.11.16 

小田急線の傍を歩いていると、小さな開梁を見つけました。走る電車を下から見上げられる場所です。「天王沢開梁201110月」と書かれています。新しく建て替えられたところでした。
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天王沢開梁の下をくぐって先を見ると、うっそうとした森の中に石段が続いている「牛頭天王神社」の鳥居がありました。誰もいないし薄暗いので危険を避けて先へは進みませんでした。
カメラは補正されて明るく写っています。実際は階段がほとんど見えませんでした。

「牛頭天王」を調べると、下記のように出ていました。

牛頭天王(ごずてんのう)とは、日本の神仏習合における神である。京都東山祇園播磨国広峰山に鎮座する神であり、蘇民将来説話の武塔天神と同一視された。インド釈迦の生誕地に因む祇園精舎の守護神とされ、祇園神という祇園信仰の神である。陰陽道では天道神と同一視された。神仏習合では薬師如来垂迹であるとともに、スサノオ本地とされた。現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社天王社で祀られた


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天王沢開梁の上を見上げると青空が広がっていました。電車が来ないかとしばらく待ったのですがなかなか来ないのであきらめて先に進みました。

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1号線から別れた道はわずかでした。箱根新道と箱根への道の分かれ目に出ました。

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西湘バイパスおよび伊豆そして箱根新道につながる道路の工事中でした。今は工事が完成しています。おかげで、東京・伊豆・箱根からの移動は楽になったようですが、小田原から箱根に行くのには出口で渋滞に会うようになりました。
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石畳を模した歩道が新しく造られていました。
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湯本手前の切通しから歩道が整備されて来ています。

旧街道は三枚橋を渡って箱根越えになりますが、この日は湯本駅へ行きました。
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旧東海道へ入る三枚橋です。

三枚橋の由来:

早川には中洲が2つあり、3本の橋が架けられてい たそうです。小田原側から地獄橋、極楽橋、そして 三昧橋といいました。 三昧橋を渡ると、かっては早雲寺の寺領でした。 早雲寺はここに逃げ込めば、どんな罪人でも救けると言われ、追手も地獄橋までしか追っては来ませんでした。最後の三昧橋は仏三昧の三昧で早雲寺に逃げ込んだ以上、仏三昧にて暮らせという意味です。この3枚の橋と三昧橋が掛け合わさって、三枚橋になったそうです。

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山は紅葉が始まっていました。

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三枚橋を過ぎてから山側に上がる道がありました。裏道を通り湯本駅の山側へ出られるのではと思い、車を避けて上がって行くと踏切に出、ロマンスカーを間近に見ることが出来ました。
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遮断機も警報も無い踏切で線路の向こうの家に入るための踏切のようでした。
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家の裏に道が伸びており、湯本駅の裏側に出そうだと歩いて行くと、突然、ガサガサと音がして、猿が飛び出してきました。びっくりです。「うっそうとしており、この道は何が出てくるかわからない」と思い、安全第一で引き返しました。


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歩道沿いには参勤交代の様子が描かれています。
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途中から河原に降りて湯本駅を目指しました。
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箱根湯本駅から湯本富士屋ホテルへ入るために掛けられた赤い橋です。
橋を渡ると湯本富士屋ホテルに入るエレベータ乗り場に着きます。
赤い橋

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湯本駅前は箱根へ向う車や、箱根から帰る車で渋滞し、観光客がその道路を横断し土産物店へ行くので非常に危険で、車の渋滞に拍車をかけているので、駅から陸橋で土産物店へ行くことが出来るよう工事が進んでいました。現在は工事は完了しています。

写真のように駅からデッキが伸びていました。

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下図は箱根湯本駅周辺整備計画です。
湯本駅整備

横断デッキは完成していたので上がってみました。

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折角、湯本まで来たので、温泉街への入口部分だけ歩きました。

滝通り入口の河鹿荘 
http://www.kajikaso.co.jp/
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昭和2年創業、木造3階建ての萬寿福旅館
 http://www.hakoneyumoto.com/hotspa/16?g=1


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小田急電車に乗って帰ろうと駅へ行くと、上に新しく「箱根カフェ」が出来ていたので寄ることにしました。
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電車が見える位置に長いカウンターが設置され、ホームを見下ろすことができます。
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カウンター席から見たロマンスカー。
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大正8年に開通した箱根登山鉄道の電車モハ1号の模型が飾られていました。
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鴨宮駅から湯本駅までの長い一日でした。

つづく・・・・東海道53次 箱根越え




東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ









初雪


2016.2.16

真夜中に雪が降りだし、今朝はうっすら雪化粧でした。
南足柄、今季、はじめての雪です。

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東海道53次 NO50 湯本へ


2011.11.16

箱根板橋から箱根登山鉄道に沿って湯本へ向かいました。 現在の1号線です。

板橋からマップ



箱根登山列車はスイスのレーティッシュ鉄道ベルニナ線をイメージして車体を赤い色に統一しています。小田急線の新松田〜湯本の各駅停車の車両も一部、統一して赤いイメージカラーになっています。

その電車を見上げながら歩きました。

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上は小田原厚木道です。

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小田原厚木道路の下の踏切の右に木製の鳥居があり、道が続いています。日蓮上人霊跡ということです。
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日蓮上人霊跡の説明文

文永11年(1274)日蓮聖人が鎌倉から身延山に赴く途中、513日当所を通り、巨石象ヶ鼻(石の形が象の鼻に似ている処からそうよんでいた)の上に登られ、遠く房総の諸岳を望んで故郷忘れ難く遙かに亡なられた両親を偲ばれ、回向して冥福を祈られた。曼荼羅本尊を書かれ石の宝塔を建て首題釈迦牟尼佛多宝如来菩薩を刻し衆生済度の病即消滅を祈願された。その後この地をお塔のふた親さんと呼ばれ里人信仰をあつめた。永仁元年(1293)僧朗慶日蓮の弟子がこの地に来て師の旧跡であるこの地に寺を建て、象鼻山妙福寺と命名。下総国葛飾郡中山村大本山法華経寺(末寺)同宗の人々はもとより一般里人から礼拝されていた。おしくも大正年廃寺となり同村蓮正寺に合併され、現在は同市板橋に移り御塔山生福寺となっております。
神奈川県皇国地誌残稿より 日蓮聖人讃仰の有志一同



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踏切を渡り、左に行くのが旧東海道です。また、入生田のしだれ桜を見に行くことができる道です。踏切を渡りまっすぐ登ると、我が家へ帰る山越えの近道です。
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本堂の屋根には北条氏の「三つ鱗紋」が付けられている。このことから北条氏と深い中出会ったことがわかる。



旧東海道沿いに建つ宝泉寺です。北条時長によって建立されました。
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写真をクリックすると拡大します。
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本堂の屋根には北条氏の「三つ鱗紋」が付けられています。このことから北条氏と深い中だったことがわかります。




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一車線の旧東海道です。一号線が混む時の抜け道で、よく使います。したがって、混雑するときはこの道も多くの車が走ります。
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「長興山紹太寺」の入り口です。

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春日局」ゆかりの稲葉一族の墓があります。稲葉氏は小田原城の城主でもありました。そして稲葉正則の忘れ形見天然記念物に指定されている「長興山しだれ桜」がある場所です。
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集落には写真のような家がまだ残っています。
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皇帝ダリア
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小さな鉄橋を渡るEXE30000型)小田急ホームウエイ(ロマンスカー)です。2011_1116鴨宮〜湯本0196


一号線と合流しました。
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東京電力山崎発電所の看板が見えます。車で箱根に行く時左手に見えるので気がついた方もあると思います。出力1.5kwの水路式発電所です。
詳細は下記URLをご覧ください。
http://blogs.yahoo.co.jp/nakagawa5939/39106896.html

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交通安全祈願の達磨さんが設置されています。スーパーヤオハンが近辺にいくつか設置したのです。


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車が走る道路を避けて階段を上りました。
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すぐ上を箱根登山電車が走っていました。この位置で電車を見ることは少ないです。

電車はスロー運転なので、ピッタリ位置で写真が撮れました。

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上の道はすぐ終わりました。
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階段を下りると一号線をそれる道があったので、そちらが旧東海道と勝手に決めて、車の少ない道を歩きました。


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つづく・・・東海道53次 NO51 湯本駅



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ










春一番、桜にメジロ来る


2016.2.14

春一番が運んできた暖かさで、庭の河津桜にメジロが3羽同時にやってきました。
急いでカメラを取りに行き、250mmズームをつけて、Tvモードでシャッタースピードを1/300 f=13 ISO400に設定し、少し離れた場所から撮影しトリミングした画像です。
メジロの動きは速いのでシャッタスピードはもう少し速くした方が良かったです。

デジブック フルウインドウでご覧ください。



ipadの方はこちらからご覧ください。

http://www.digibook.net/d/a784abff80ce9d80bb4faf07574385dc/?viewerMode=fullWindow

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道


2011.11.6


赤線が一号線から外れた旧東海道です。
板橋旧東海道マップ




小田原板橋の旧東海道には畳屋さんや石屋さんが古い家屋のまま今も住みつづけています。
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小ぶりの石のポストはどのように使うのでしょう。郵便受けには口が狭い。飾りかな?

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大正時代の建物「朝倉邸」です。隣には蔵があります。

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  明治36年に建てられた元醤油醸造業を営む内野邸です。店舗兼住宅、文庫蔵、穀蔵、工場などが敷地を取り囲むように並んでいます。裏には小田原用水が流れ醸造のために取り水がされていました。
詳しくは下記をご覧ください。
 小田原散歩ー6(内野邸)

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大きなイチョウの木が見えているのは正月に市が立つので有名な「板橋地蔵」です。2007_1004小田原板橋20039


地蔵堂の左右に大きなイチョウの木があります。
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板橋地蔵尊という名で有名ですが、正式には曹洞宗寺院の宗福院です。
写真をクリックすると拡大します。
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大黒様が置かれていました。非常に大きな木造の大黒様です。
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稲村邸
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1号線に出て、信号を渡り箱根方面へ行くと早川から小田原の市民のための取水口がありました。

写真左の川が早川本流で右の側溝が小田原用水です。
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写真をクリックすると拡大します。
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1号線の下を横断して小田原城下町に流れています。
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一号線沿いに建つ小田原市役所大窪支所です。大窪村役場として、昭和初期に建てられたものです。
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つづく・・・東海道53次 NO50 湯本へ




東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺



梅の花満開


2016.2.12


今日は梅畑方面を歩いてきました。(45分間)
梅の花は満開を迎えていました。

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東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺


2011.11.16

 
日本鋼管指定特約店の古川商店事務所です。 銅の屋根と窓がしゃれています。
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SIBATA SYSTEM と書かれた古い洋館です。
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火の見櫓が二つある小田原消防署です。
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一号線を箱根に向かうと右に「光円寺」、そして左に「大久寺」があります。


光円寺

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、『光円寺』の境内には春日局自身がお手植えしたとされている樹齢400年の『大イチョウ』があります。この光円寺は春日局が再建したのです。

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板橋見附マップ



 

「大久寺」は小田原藩主、大久保家の菩提寺です。
江戸幕府になってから大久保忠世が治め、その後忠隣が藩主になったが本多正信との勢力争いに敗れその後幕府直轄地となったのです。寛永
9年に稲葉正勝が小田原に転封となり、この稲葉氏の統治は正勝・正則・正往の3代のみです。

春日の局が結婚した相手が稲葉正成でその子、正勝が家光に仕え、春日の局の配慮で小田原藩主となったのです。春日の局や稲葉家の墓は入生田の長興山にあります。
長興山はしだれ桜で有名です。

貞享3年
(1686)、大久保忠朝は佐倉から小田原転封を命ぜられ、大久保氏が再び小田原藩主として治政を行うことになったのです。
忠朝以降の藩主は忠増―忠方―忠興―忠由―忠顕―忠真―忠愨―忠礼―忠良と続き、明治維新を迎えました。


写真は大久寺入り口です。

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本堂
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本堂の古瓦です。中央に大久保家の紋、「上り藤の大の文字」が見えます。写真をクリックするとよくわかります。
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大久保一族の墓です。
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つづく・・・東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

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東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室

東海道53次 NO49-1小田原城下町







東海道53次 NO49-1小田原城下町


2011.11.16

通称「かまぼこ通り」の出口(古清水旅館の隣)に「なりわい交流館」があります。「なりわい交流館」は昭和7年に建設された旧網問屋を利用して、市民や観光客の休み処、憩いの場として平成13年に開館したのです。

昔、小田原ではブリがよく捕れ、ブリを捕る網を売っていたのです。勤め始めた頃にはブリは少なくなり、「今日久しぶりに、寒ブリがあがったので食べに行こう」という会話がありましたが、徐々にその会話は無くなっていきました。
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赤い印が「なりわい交流館」です。その右が本陣古清水旅館です。
なりわい館



 

旧網問屋の建物は小田原の典型的な商家の造りで「出桁(でげた)造りです。二階正面は出格子窓(地図の上の写真を参照)で、旅籠の雰囲気です。

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裏から見た「なりわい交流館」です。

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「なりわい交流館」の隣は豆大福・だんごで有名な「伊勢屋本店」です。駅ビル「ラスカ」や鴨宮の西武百貨店(前ロビンソン百貨店)にも店を出しています。

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伊勢屋本店前の一号線のカーブです。ここから箱根湯本まで一直線に延びています。
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伊勢屋本店の隣に「えこ座」と看板が掲げられています。

扉が閉まっていたので中はわかりませんでした。


帰って調べると下記のような記事がありました。時々寄席をやっているそうです。

オール電化の体験展示場の名前で、ここの経営者が日大落研卒業生。「えこ座」2階が小さな寄席になり、1周年を迎えた。席亭えこ座でん助の先輩、林家正雀の一席を聞けて、大満足。ご縁満開一座というご当地フォークグループも加わって、いかにも小田原らしい企画だ。


寄席


「杉兼」というのは蒲鉾を製造・販売しているところです。

この通りはまだまだ見所が続きます。

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創業400年余り前の「こい勢屋」料理茶屋が 現在は小伊勢として新装されています。

こぎれいな内装でしたが平成27年に残念ながら閉店となってしまいました。

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小伊勢屋は「小田原どん」をやっていました。この店は天丼でした。

「小田原どん」は、下記三つのこだわりで小田原自慢の食材をおいしく調理し、遠来のお客様をおもてなすことが主旨です。

一つ、小田原の海と大地で育まれた食材を一つ以上用いること
二つ、伝統工芸品・小田原漆器の器に盛って供するること
三つ、お客様に満足していただき、小田原がもっと好きになるように、おもてなしすること

「小田原どん」が食べられる店は下記URLです。小田原にお越しの節はどうぞ!
http://genki-odawara.com/don/

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少し先には「小西薬局」という古い漢方の薬局があります。


「小西薬局は、江戸時代初期より東海道に面する現在地(旧中宿町)にあり、薬種商を営んできた老舗です。関東大震災で倒壊した店は、旧店舗の材料を一部用いて大正14年頃に完成したと伝えられえいます


小田原まちかど博物館になっているので見学ができます。
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調剤室
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薬棚や秤等、調合に使ったものが陳列されています。
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「小田原の旧東海道沿いに古民家が所々あるが、この辺一帯は815日の小田原空襲で火災になり消失した。したがって今建っている古民家はその後に建てたものもが多い」と小西薬局のおじいさんが教えてくれた。

小田原は関東大震災と空襲という二回の災害を経験しているのです。
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のれんには寛永10年創業と書かれています。寛永14年が島原の乱ですから、その少し前に創業されたのです。江戸時代になって間もなくで徳川幕府が形を作っている頃です。


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小西薬局の向かいにあるのは小田原城ではなく、歌舞伎の市川団十郎「ういろう売り」に出てくる「外郎(ういろう)の店」です。代々伝わる棟造りです。
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「ういろう」についてはブログ下記で紹介しましたので参考にしてください。

本:ういろう物語


「ういろう」とは名古屋の名物菓子の「ういろう」ではなく、薬の「ういろう」で、仁丹のような形です。
食あたりから風邪まで効く薬と言われています。以前は手に入りにくかったのですが、最近は比較的手に入りやすくなりました。菓子も作っており名古屋の「ういろう」と同じような「ういろう」も売っています。
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「ういろう」の効用
http://kosodatenonbi.seesaa.net/article/271181485.html
 

今回の小田原宿紹介は下図赤線の部分です。

小田原宿マップ


つづく・・・・東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館

東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室






東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室


2012.3.27

後日、マンション、プラージュ古清水を訪ね、本陣古清水旅館資料室を見せてもらいました。
 

小田原宿の本陣古清水旅館が平成17年までありましたが、現在は「プラージュ古清水」という高齢者専用賃貸マンションとして生まれ変わっています。

「プラージュ古清水」の1
F在住の管理人さん(古清水氏・孫)に「旅館の資料室を見たい」と頼めば、親切に案内してもらえます。

「賃貸マンションに建て替える時、資料として旅館を残すことが私の使命と思い資料室を作った」と話してくれました。



 

資料室入口には古清水旅館の半纏と古清水旅館出入りの者が着る半纏が飾ってありました。
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古清水旅館の看板です。古いので木は凹み、炭で書いた文字の部分が浮かび上がっていました。
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古清水旅館の間取りが額にはめ込まれ残っていました。なるほど、随分広かったということがわかります。

写真をクリックすると拡大します。

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旅館の欄間が残っていました。

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金の屏風
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大名を接待するための数々の品が陳列されています。
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弁当箱
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旅の心得を書いた本です。絵から判断すると東海道を長期間歩くので膝が痛くなるのでその処方でしょうか?
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旅手形です。旅手形はお土産売り場で売っているような木ではなく、このように紙に書かれていたのです。
下男に対し村長が許可を与えたものということでした。名前は書かれていません。箱根関所宛なので、仕事で箱根を行き来するため与えられたのでしょうか?
写真をクリックすると拡大しますから読んで、解読してください。
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古清水旅館の説明板の要約です。 

古清水旅館は江戸時代初めごろから小清水屋伊兵衛といって大清水本陣の東隣にあった脇本陣を務めていた。清水家の先祖は清和源氏、清和天皇御孫、源義仲を出として義噴(清水冠者)−義純(清水太郎)信州諏訪源氏の流れをくむ戦国武将であった。「関八州古戦記」によると、清水太郎左衛門安秀は、北条氏の重臣となって、二代、三代太郎は下田の鵜島城主で、四代太郎は下田、長久保城主を務め、いわゆる北条氏の海軍基地を任された。1950年秀吉の北条攻めの折、清水一族は海軍を率いて奮戦したが、落城して自害して果てたと言われている。

両人の墓は清水家の菩提寺蓮昌寺にある。徳川の世になり、小田原城主が大久保忠世になり、清水家の二男、三男に本陣を作るようにと命を受け、今に至っている。
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古清水旅館は「東海道中膝栗毛」にも登場します。しかし、本陣・脇本陣ですから弥次さんと喜多さんが泊まれるような宿ではなかったはずです。それぐらい江戸時代有名だったのです。

写真をクリックすると拡大します。

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JTBが出来た頃に作られたパンフレットだそうです。地図に古清水旅館の位置が書き込まれています。
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アメリカB29が宇都宮(?)爆撃の帰りに機体を軽くするため、小田原に投下した爆弾で焼けた小清水旅館の写真です。爆撃を受けた範囲がよくわかります。飛行機一機が通った範囲です。奥の左の家は爆撃を逃れています。

写真をクリックすると拡大します。
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家が焼けた時、旅館を再建するからと写真屋を呼んで撮影した写真で、B29に爆撃された直後の写真で小田原に残っているのはこの写真だけとのことでした。店主と従業員が写っています。
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古清水旅館の階段です。爆撃で火事になったが階段が残り黒く焼け跡が残っています。

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小清水旅館の桐の間が再現されていました。
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ふすまを開けると動物の絵が描かれ当時としては洒落ていたそうです。
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桐の間の欄間は部屋の外から見ると「鳳凰と亀」が掘られ、部屋から見ると「桐の葉と桐壺」となっています。
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内窓には桐の模様が付けられ、窓の輪郭も凝っています。本陣になる立派な旅館だったということがわかります。旅館をやっている間に一度泊まっておけば良かったと今頃思いました。

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資料室見学の後、「よろしかったら」と、マンションの部屋と屋上を見せてくれました。


高齢者対象なので、カメラが付いており、人の動きが見えなかったらセキュリティー会社へ連絡が行くシステムになっていました。「セキュリーティーが完備しているので若い女性の方が多く借りています」という話でした。

部屋数は60室で、1Fにはデイサービス、2か所にラウンジを作り、皆が集まることが出来るようになっています。海側の部屋からは相模湾が良く見えました。

屋上へも登れるようになっていて360°小田原の素晴らしい景色を見ることが出来きました。

初日の出が見られる場所です。

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 古清水旅館マップ


              東(鴨宮方面)      
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            西(真鶴方面)
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中央の道路は箱根に向かう旧東海道でもあり現在の一号線でもあるのです。
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写真中央の森は松原神社です。神社の右は遊郭があった宮小路です。私が入社した頃はキャバレーがたくさんあった歓楽街でした。今は寂れています。IMG_1186


小田原宿総鎮守 松原神社です。
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中央小高い場所が小田原城天守閣です。このような角度で小田原城を見るのは初めてです。
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望遠ズームで撮影した小田原城です。
クリックして拡大した写真をもう一度クリックするとさらに全画面になり細部がご覧になれます。
一番手前の門はいざ出陣の馬出門、その後ろが、銅門、小田原城天守閣に一番近いのが常磐木門です。
後ろの山は箱根連山のひとつ明神岳です。
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つづく・・・・東海道53次 NO49-1小田原城下町



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館




春の訪れ桜と梅


2016.2.7

近所で桜が満開になったので散歩がてら撮影してきました。
河津桜とは違うとのことです。桜の種類は不明です。
写真の桜が散る頃に河津桜が満開になります

写真はクリックすると拡大します。
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 撮影場所は「2」と書かれている場所です。
マップ1


上のマップを拡大したのが下のマップで、左が桜の撮影場所、右が梅や丹沢を撮影した場所です。
位置情報はEvenoteのカメラ機能を使い撮影し、PCでEvenoteを立ち上げ、地図を表示たものをコピーしました。
マップ拡大




ユートピア農園では早咲きの紅梅が咲いていましたが、見頃は過ぎていました。
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丹沢は雪が解けずに残っていました。
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牛の放牧がされている大野山です。雪が積もると綺麗です。
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寒さにも負けず残っているススキ。
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ビワの木はもう花のつぼみがついてました。
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東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館


2011.11.16

 

弥次喜多の話に「きょうは小清水に泊まるつもりだ」との台詞で登場するのが小田原宿の古清水旅館です。
「大清水」が本陣、「小清水」が脇本陣で、弥次喜多の泊まるような宿ではなかったと思います。両者は途中合併し現在の「合同本陣 古清水」となったそうです。
つい最近まで古清水旅館はあったのですが、古清水旅館の古い建物は無くなり、マンション「ブラージュ古清水」に建て替えられました。


インターネットに最近まであった古清水旅館の写真がありました。
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古清水旅館



しばらく、かまぼこ通りに来なかったら、古清水旅館は高齢者向け賃貸住宅「プラージュ古清水」に建て替え中でした。

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プラージュ古清水
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1945年8月15日にアメリカ軍B29一機に小田原の下記赤斜線で塗られた場所が空爆にあったのです。黒白写真が古清水旅館です。小田原はB29の爆撃目標ではなかったのですが、アメリカに帰る途中、機体を軽くするため、残りの爆弾を投下したそうです。
詳しくは下記写真をクリックし、出てきた写真をもう一度クリックしてください。写真が拡大し説明が読めます。
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2Fは「旧本陣古清水旅館資料室」と書いてあったので2Fへ行きましたが管理人がいないので締まっており見ることができませんでした。
エレベータ内に貼ってあった各階の名前です。
小田原にゆかりのある名前が付けられています。
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古清水旅館の隣の空き地は明治天皇が宿泊した古清水金左衛門本陣があった場所です。
敷地面積は240坪あったようです。明治天皇は5回宿泊しているそうです。

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明治天皇宮ノ前行在所趾の碑。
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明治天皇宮ノ前行在所趾の説明です。写真をクリックして拡大してください。
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後日、「旧本陣古清水旅館資料室」へ行って来ました。


つづく・・・・東海道53次 NO48-3 小田原宿本陣古清水旅館資料室




東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り






東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り


2011.11.16

新宿交差点を曲がり鍋町に入って来ました。

小田原北条時代に鍋 等を作る人が多く住んでいた地区です。


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鍋町の風景です。今は鍋を作っている店はなさそうです。
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鍋町の角を曲がると通称「かまぼこ通り」といわれている通りに入ります。浜に近く、13軒のかまぼこ製造会社・販売会社がある所からこのような名前が付きました。
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かまぼこ通り


明治11年創業の山上かまぼこ店です。
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このあたりは「よろっちょう」と呼ばれた場所です。
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よろずちょう



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かまぼこの「丸う」の田代総本店。
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「丸う」は「かまぼこ博物館」となっていて、かまぼこに関するものが展示されています。
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かまぼこ製造に使われた道具。
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かまぼこの最初の形は、現在の焼きちくわに似ていたそうです。この形が、
/∧の「蒲の穂」に似ている
蒲の穂は鉾のような形だった
以上から「蒲の穂」→「蒲穂子」→「蒲鉾」と呼ばれるようになったと言われています。

小田原かまぼこの起源は北条早雲の頃とも江戸時代ともいわれています。当時小田原では、沿岸漁業が盛んでたくさんの魚が獲れ、この魚の保存利用として誕生したのが小田原かまぼこです。


かまぼこ板は、余分な水分を吸い、雑菌が繁殖する環境をつくりにくくする役割があるんだそうです。天然の防腐剤です。かまぼこを食べる際、かまぼこ板から全部はがさずに、食べる分だけ切り取り、残った場合は板につけたまま冷蔵庫で保存するといいそうです。


「丸う」の中庭
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小田原おでん本店です。
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小田原の名産は歯ごたえのある蒲鉾ですが、食文化の多様化等で消費量が減少傾向となりました。そこで市内の水産加工業者が、蒲鉾と同じく白身魚の練り物等を使い、地元産の食材を生かしたおでん料理を発案し小田原の新名物として売り出すことにより町おこしを行うこととなったのです。


早速、業者を中心に「小田原おでん会」を発足させ、2003年10月に「小田原おでん宣言」を発表して企画をスタートさせたのです。



毎年「おでん祭り」が開催され、新作おでんの種コンクールがあります。

小田原おでん本店のメニューです。
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まだ、お昼には早いので今日はパスですが、門を入って入口を撮影しました。
和風にうまく設えてあります。
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高梨町は甲州街道の起点で旅籠(はたご)が並び、問屋場があったそうです。
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つづく・・・東海道53次 NO48-2 脇本陣小清水旅館



東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附





東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附


「小田原城址江戸見付」と書かれている場所は現在、新宿(しんしゅく)公民館前です。


2011_1116鴨宮〜湯本0077





















たいへん広い城郭を持っていた小田原城なのです。現在の小田原城は大手門、箱根口門の内側です。小田原城は戦国時代、最大級の城郭だったのです。城の周囲9kmに掘や土塁が築かれていました。
写真をクリックすると拡大します。


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大正時代の写真です。今と変わらないのは二子山ぐらいです。
2011_1116鴨宮〜湯本0080


江戸口見附の松が植わっている一里塚(現公民館内)。江戸時代の一里塚は街道からよく分かるように一段高くしてあったのです。   
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陸橋を渡り、向かい側の一里塚を見に行きました。
上の大正時代の写真と見比べてください。家屋・道路がずいぶん違っています。
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写真をクリックすると説明が読めます。一里塚の説明と、一里塚には槙の木が植えられているのが普通ですが、枯れた後、松が植えられたと書かれています。
2011_1116鴨宮〜湯本0085

浜町(はまちょう)の交差点を過ぎて新宿(しんしゅく)の交差点を左に曲り、一号線を外れ 、通称「かまぼこ通り」へ入ります

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新宿まっぷ2



つづく・・・・かまぼこ通り

東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り




旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る


2011.11.10

久しぶりに旧東海道53次の記事に戻りました。
小田原編です。

山王橋を渡れば小田原であることを強く感じます。


山王橋からマップ

















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山王橋を渡った所に山王神社があります。小田原城の山王曲輪(くるわ)であった場所です。

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星月夜の社(やしろ)と言われた山王神社の由来が書かれています。
写真をクリックして読んでください。
なお、星月夜の井戸は見つかりませんでした。
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小田原市指定保存樹林一号の松林です。
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山王神社の隣の宗福寺には美しい塀があります。
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宗福寺本堂
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山王大権現は宗福寺の鎮守だったのです。
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宗福寺の山王大権現です。
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「無念、無想、無我」になって神木である欅に触れると心願が成就するそうです。しかし「無念、無想、無我」は難しいです。


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寺から外へ出て街道を歩いていると「見ざる、聞かざる、言わざる」の碑がありました。街道で時々見かけます。

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日本橋から83kmの道標。
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小田原のマンホールです。酒匂の渡しに小田原城と箱根の山をあしらったデザインです。よく見ると、富士山も描かれています。
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つづく・・・東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附



旧東海道小田原編

東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

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