2016.6.1(月)四日目
民族舞踊の後、再び歩き遺跡に向かいました。




遺跡配置図の前でガイドさんより説明を受けました。
説明が長く、疲れました。一通り説明が終わるとフリータイムとなりました。

遺跡の配置は年代ごとにA,B・・・Hとブロックで分けられています。説明を受けている場所はCブロックに近い場所で、一番良い状態で遺跡がのこっている場所です。
ベトナム戦争の米軍の空爆で多くの遺跡が破壊されてしまったそうです。

ミーソン遺跡は2世紀末から17世紀にベトナム中部から南部にかけて栄えたチャンパ王朝の遺跡で、7-13世紀の間に築かれたチャンパの聖地であったと考えられています。
4世紀チャンパ王朝では王位を継承するごとに新しい祠堂を建立するのが慣例となってい為に伽藍の数も多くなったのです。

最初の宸殿は木造でシヴァ神を象徴するリンガが祀られていたのです。リンガとは男性器の象徴である陽性を示し、宇宙の柱の意味です。そしてリンガは常に女性器、陰性を象徴する二ヨと結合し、リンガとニヨが一つになることによりシヴァ神の創造の姿を現しているそうです。
シヴァ神はインドのヒンズー教の神様です。インドのヒンズー教は三位一体の神で、ブラフマー(創造神)、ヴィシュヌ(維持神)、シヴァ神(破壊神)を祀るそうです。

残っている遺跡で一番大きなものです。中には財宝が眠っていたとか?

遺跡はすべてレンガを使って建てられています。長い間ずれることなくレンガ同士が接着しているのは脅威的なことだそうです。現在の様なセメントは無い時代で、いまだに大きな謎に包まれています。仮説としてあるのは一種の有機物で接着したのであろうということです。

女性の像が残っていました。

入口です。自由に出入りできます。とりあえず、周りを見学してここに戻って来て後で中を見ることにしました。


中央には女性の像が彫られ、建物は左右対称に作られているのが特徴です。

とにかく暑い!!

Gグループへ行くと、遺跡の前で民族衣装での舞が見られました。



記念撮影

日本人女性が一人!

E,Fグループへの道。


現在復元中です。


崩れている遺跡が多いです。



再びCグループに戻り遺跡内を見学しました。






重要な遺跡物はダナン等の博物館に展示されているようです。








つづく・・・・・ベトナム中部−31ミーソン遺跡を後にして
ベトナム中部ー1 出発
ベトナム中部ー2 ハプニング
ベトナム中部ー3 朝の散歩
ベトナム中部ー4 フエへ
ベトナム中部ー5フエ カイディン帝廟
ベトナム中部ー17 絹工場
ベトナム中部ー18 ホイアン旧市街内へ
ベトナム中部ー19 福建会館
ベトナム中部ー20 ホテル
ベトナム中部ー21 夕食
ベトナム中部ー22 ランタン灯るホイアン
ベトナム中部ー23 プールで泳ぐ
ベトナム中部ー24 フリータイム
トナム中部ー25 舟旅
ベトナム中部ー26 投網漁
ベトナム中部−27 ミーソン遺跡へ
ベトナム中部28 カートに乗りミーソン遺跡へ
ベトナム中部−29 ミーソン民族舞踊
ベトナム中部−30 ミーソン遺跡