2016.5.9

「天平の礎石が語る国分寺」です。国分寺は天平十三年(741年)、聖武天皇の「国分寺建立の詔」をうけて全国に建立されたのです。

「天平の礎石が語る国分寺」と書いてあったのは下図の左下の場所です。

建物を復元したイメージ図です。

建物の後はコンクリートが打たれ礎石が復元されています。境内は芝生の広場となっています。
小学生の通学路らしく帰宅する小学生が次々歩いて行きました。

中門跡からの景色です。左に七重の塔の基壇が見えています。右が金堂が建っていた場所です。

中門跡から西に向かって見た南面回廊跡

中右門から東に向かって見た南面回廊です。回廊の大きさが実感できます。





石碑の辺りが金堂の位置と思われます。

七重の塔の基壇です。想像していたとおり大きな塔だったのです。
昭和四十一年(1966年)と平成四年(1992年)に行った発掘調査で基壇は、一辺の長さが20.4メートル、高さは1.3メートルの規模であったことが確認されています。

塔の礎石

写真の建物は大正7(1918)年に海老名村役場庁舎として造られたものです。
現在は一部を改修し、海老名市立郷土資料館「海老名市温故館」として使われています。

大正の面影が残る玄関です。

年に5回ある休館日に当たってしまい内部見学が出来ませんでした。

奥行が長い建物です。

温故館の裏からの景色です。ビナウォークが見えています。
国分寺が建っていたのは台地の上でした。


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相模国分寺−1 七重の塔の1/3モニュメント
相模国分寺−2 現在の相模国分寺