2017年02月
2016.11.6
辻堂駅南口から南へ伸びる一本道を歩いて辻堂海浜公園を目指しました。
約30分歩くと、辻堂海浜公園に着きます。
海浜公園北入口に一本大きなヤシの木(?)が植わっています。
入口の左は防風林(松林)が続きます。
松林には風景に合うよう松のデザインのマンホールの蓋が設置されていました。
プールの一部が見えました。左にジャンボプールがあり、夏は公園の駐車場へ入る車が渋滞を引き起こします。
公園内マップです。マップをクリックすると拡大します。
公園内にワーゲンがずらり列んでいました。日曜日なのでワーゲンフェスティバルでしょうか?ワーゲン愛好家が自分の車を持ち込んでいたのです。
さすが愛好家!綺麗なエンジンルームです。
クラシックカー風です。アレンジされているのでしょうか?
アチラコチラでワーゲンパーツが売られていました。
サーフボードの上に立ち、オールで漕いでいます。
調べると
スタンドアップ パドルボーティングというらしく、パドボと呼ばれているとか。
ワイキキビーチボーイたちが小遣い稼ぎのために波乗り体験をする観光客を写真撮影していて、そのカメラを濡らさないよう首からかけてサーフボードの上に立っていたのが始まりのスポーツだそうです。
芝生の広場では色とりどりのテントを張って楽しんでいました。
上空では食べ物を狙っているのか鳶が多く舞っていました。
絶好の子供の遊び場です。
つづく・・・辻堂海浜公園−2 浜辺
2016.11.16
引き続き伊勢佐木町を歩きました。
モニュメントが続きます。
通りの照明です。
伊勢崎町6丁目の標識
道幅も狭くなっています。
伊勢佐木モールから外れて、黄金町方面へ向かいました。
太田橋を渡り、進むと京急黄金町駅に行けます。
太田橋の袂に二つのプレートがはめ込まれていました。
ひとつは「オリンピ区開催記念昭和39年7月吉日 吉田町未吉三・四町内会」
もう一方は、「この旗のもとに 藤山愛一郎書」です。
東京オリッピックの応援でした。
橋の下を流れるのは桜の名所大岡川です。
紅葉の様子は下記リンクより御覧ください。
横浜 黄葉&紅葉
高架を走っている電車は京急です。高架に人が立っていますが、黄金町駅のホームなのです。
飲食店が並ぶ駅前の路地です。
高架下は特殊飲食店が列び「ちょんの間街」と言われていた所ですが、立ち退かされパネルがはられていました。
黒澤明の映画「天国か地獄か」の麻薬街のシーン他、ヤクザ映画などに登場した場所です。
今は、街をきれいにする運動が広がっています。
交番は近代的です。
再び大川橋を渡り伊勢佐木町モールへ戻りました。
帰り道に現在の歓楽街がありました。
スカジャン風ベストを着た外国人を見つけました。
若い女
伊勢崎モール関内側出入口。
伊勢佐木モール シンボルツリー クロガネモチです。
秋に雌株は赤い小豆大の実がなります。
伊勢佐木モールを歩きながら横を見ると赤い鳥居が目に入ったので路地を進むと「厳島神社」とありました。
家内と待ち合わせたので時間がなく神社の中までは入りませんでした。
おしまい
2016.11.
横浜伊勢佐木モールを久しぶりにぶらつきました。
一時、衰退していましたが現在、活気ある街となっていました。
赤線で囲った場所が伊勢崎モールです。
伊勢佐木町の名前は道路建設費用を寄付した三名(伊勢屋中川次郎兵衛、佐川儀右衛門、佐々木新五郎)にちなむとも、伊勢佐木町起立前に興行場を開場した伊勢文蔵・佐々木次年の両名にちなむともいわれている。最初はイセサキチョウと呼ばれていましたが現在はイセザキチョウと呼ばれています。
伊勢佐木モールのイチョウの木
1977年に造られたタウンピープルという名前のからくり時計が設置されています。
以前は30分に一度反時計回りに回転して音楽とともに働く人形がそれぞれの仕事をしたそうですが動いているのを見たことがありません。ずっと故障しているそうです。
鐘を鳴らす神父、フルイをかける農婦、パンを焼くパン職人、オルゴールを鳴らす芸人、
ラッパを吹く音楽家、ガラスを吹く工芸家、哲を打つ鍛冶屋、粉をひく農夫
が配置されています。
いつか動く日が来ないかな〜。
パチンコ店
関内駅に近い1丁目・2丁目は人通りが多く賑やかですが、3丁目、4丁目と関内駅から離れるに従い人が少なくなります。
4丁目のイセザキベルタワー。1982年と書かれています。このからくり時計も止まっているようです。
伊勢佐木町といえば、青江三奈の伊勢佐木町ブルースを思い出す方が多いと思います。
ピアノに歌詞が書かれているモニュメントです。台座のスイッチを押すと1分間伊勢佐木町ブルースが流れます。
伊勢佐木町はCafeが多いです。
自家焙煎のまめや本店です。店の前ではコーヒー豆を選り分けている人がいました。
まめや本店内部
つづく・・・横浜伊勢佐木町ブラ歩き-2
2016.11 .29
濃溝の滝の後、亀山湖を通り大多喜へ行く予定でしたが、途中がけ崩れで通行止めに会い、
久留里城へ行くことにしました。
途中寄った亀山湖です。
亀山湖は198年(昭和55年)に完成した比較的新しいダム湖です。
亀山湖を地図で見ると舌のような形をしているので、以前、バスの中から見た時は湖の感じがしませんでしたが、友達に案内された場所は確かに湖という感じがしました。
標高145mに存在する久留里城です。
車を駐車場に置いて約100m登ります。親切に杖が置いてありましたが、100のmだけ登るので私は使いませんでした。
行きは舗装された道を登り、帰りは山道(城山探鳥路)を下ることにしました。
帰りにここを降りてきました。
堀切です。
復元された二の丸長屋塀が見えてきました。
山の上から見た三の丸跡です。
位置図が掲げられており、見ている風景との対比が容易にできました。
位置図と風景の対比が容易な場所は珍しいです。周りが田圃が多く見通しが効くからだと思います。
写真はクリックすると拡大します。
写真の中央が大手門があった場所です。
久留里城は里見義堯(よしたか)が戦国時代本拠地を構えた場所で、
北条綱成と戦い勝利を収めました。
久留里城の歴史
資料館のシャチホコ
山々は紅葉していました。
久留里城天守が見えてきました。
天守閣からの景色です。
台形の場所が1743〜1746年にかけて黒田直純が再築した天守の跡です。
つづく・・・久留里城 探鳥路を下る
2016.8.28
JR松田駅にリゾートしらがみの指定席券を購入しに行ったついでに新しくなった駅舎の写真を撮ってきました。
松田駅は明治22年に国府津ー御殿場ー沼津という東海道線が敷かれて、賑やかな駅でした。しかし、東海道が熱海経由になるとともに寂れて行きました。更に小田急新松田駅ができてから、東京へは小田急の方が便利で益々寂れ、現在の利用者は1日平均3000人ほどに減っています。
旧駅舎
新駅舎。随分モダンになっています。
新宿ー沼津間を走る小田急特急「あさぎり」です。新宿へ行くのに時々利用します。
駅前の風景。正面に河津桜」で有名な松田山が見えます。右に古いコンクリート造りの建物がありましたが更地になっていました。
ファミリー通り商店街ですが現在は2,3軒しか店はありません。
二宮尊徳翁生誕地栢山道という石碑が新しく立てられ、二宮金次郎の銅像がある公園となっていました。こんな公園になっているとは知りませんでした。
真珠の御木本幸吉が二宮尊徳生誕地が荒れているのに心を痛め、購入し整備したそうです。
なぜ、このような石碑があるかというと、小田急がない頃に、松田駅で下車し、栢山(松田駅から6km)の尊徳生誕の地へ参拝する者が多くなり、明治42年にこのような道標が立てられたそうです。
写真をクリックすると拡大し説明が読めます。
新松田側のJR松田駅改札に行くには商店街をぐるっと回らなければなりません。
JR松田駅のホームが長いのは旧東海道線の駅だった名残です。
商店街を歩いて南口へ向かいました。
JR松田駅は東海道が国府津ー御殿場ー沼津経由だった頃に山北とともに栄えた町で、割烹、旅館、飲み屋が多かった場所です。現在の御殿場線は本数が少なく、待ち時間にちょっと一杯すると小山から通う職場の人が言っていました。そういう関係で飲み屋が多いようです。
毎年、開催されている「ちょい呑みフェスティバル」の広告です。
今まで見たことのない建物が立っていました。
炭酸水スパと書かれていたので温泉ができたのかと思ったら
ヘッドスパでした。
炭酸水スパ
付近は日本家屋しか立っていない場所でしたがビルが立ち始めていました。
随分新しくなってきている松田駅周辺です。
車両用トンネルの右に歩行者用トンネルが昔からあり、薄暗いトンネルでしたが、絵が描かれ明るくなっていました。
歩道には可愛いパネルもはめ込まれていました。
JR松田駅舎の小田急新松田側です。こちらの駅舎も新しくなっていました。
写真の上がJR松田駅のホームで下が小田急新松田駅のホームです。JRのホームは小田急の2倍以上の長さがあります。これは東海道が御殿場廻りだった時の名残です。
焼肉の店は昔から変わりません。焼肉屋の下はパン屋さんになり、その左のコスモス館は街の駅で、地域の特産物が売られています。
小田急新松田駅舎。私は現在住んでいる南足柄の前は開成町に住んでおり、小田急新松田駅が東京方面への最寄駅でよく利用しました。
交番は昔と変わりません。
久しぶりに松田駅周辺を歩きましたが随分変化していました。
松田は河津桜が咲く頃、多くの人が訪れ賑やかになります。
松田山 河津桜
2016.10.27
本陣から再び旧東海道を歩いて駒屋に向かいました。
田村家商家「駒屋」です。
田村家は元禄4年(1691)に医者として遠州から移ってきたのが始まりです。
商家としての駒屋は明和7年(1768)年に米穀類の小売りを始め、規模を拡大し、質屋も営み大商家と発展したのです。
駒屋の脇には二川宿を南北に通じる瀬古道が通っていました。
南北に長く、敷地の中央に道があり左右に屋敷、蔵が列んでいました。
離れ座敷。
慶応二年に販売していた薬「養榮散」の額
今は広場となっている駒屋の敷地です。
駒屋は現在は豊橋市の所有となっています。
北土蔵と中土蔵。
昼時となり、旧東海道から外れ、蕎麦屋「雪齋」へ行きました。
新しい店で、客は最初は私だけでした。
穴子天ぷらそばを食べました。
食後、大岩神明宮を訪ねました。
手水舎は神明造風です。
拝殿
大木の後ろには末社が列んでいました。
豊橋の手筒花火と吉田城がデザインされたマンホールの蓋。
吉田城は2013年に訪ねました。下記リンクを御覧ください。
豊橋観光ー3(吉田城)
二川宿おしまい
二川宿−1 JR二川駅から宿場を歩く
以前ミニコミ誌で南足柄ジオパークに因んだケーキ二種が紹介されていました。
ひとつは遠くから金時山登山に来た時、金時山と間違える人が多い矢倉岳の形をしたケーキです。
山に生える緑の木々を表した矢倉岳の形を抹茶チョコで表現しています。
矢倉岳の山頂ではパラグライダーが盛んです。
矢倉岳の写真は下記リンクより御覧ください。
矢倉岳
もうひとつは
小田原市と箱根町、真鶴町、湯河原町が2012年に日本ジオパーク委員会に登録申請し認定されたのを記念して大口(?)の地層をイメージして作られたケーキです。こちらもチョコレートが使われていました。
ケーキ店は足柄高校近くのロールケーキで有名なメロウレジェンドです。
メロウレジェンド
2016.10.27
二川本陣が見えてきました。
今は本陣資料館となっています。
本陣の屋根です。明治以降も取り壊されずに残った本陣の一部が1988年に改修・復元されたのです。
門をくぐると高札がありました。
入口を入ると右に資料館、左に本陣です。
本陣側の写真です。
最初に資料館に入りました。
二川宿の様子です。二川宿は1.3kmあったそうです。
日本橋から283kmの位置です。
弥次さん喜多さんでしょうか?
殿様の籠
こちらは庶民が乗る籠です。
資料館を出て本陣に入りました。こちらは本陣の奥となります。
広い本陣です。
本陣配置図です。ローカに相当する畳の部屋が1ヶ所のみで、部屋を通り部屋の行き来をしないといけないです。
街道に面している板の間で、ここは大名行列の籠やら長持ち等荷物を置くスペースです。
上下に開く蔀戸(しとみど)があり、上からも荷物を入れられるのです。
街道から見た蔀戸(しとみど)。
畳が敷き詰められています。写真の畳部分は廊下の役目をしているようです。
殿様が座る上段の間です。
上段の間から見える庭
殿様用の風呂や雪隠が上段の間の隣に設置されていました。
正面門
草津宿本陣は下記リンクを御覧ください。
草津宿本陣
隣に旅籠屋清明屋があり、人形で当時の様子が偲べれるようになっています。
客はまず、女中が持ってきた水で足を洗うのは時代劇でおなじみのシーンです。
これが標準的な一部屋の大きさです。
外から眺めた本陣
本陣の玄関口
つづく・・・二川宿−3 駒屋
2016.10.27
JR二川(ふたがわ)駅で下車しました。
駅前の光景です。常夜灯風の時計台がありました。
二川は東海道53次の33番目の宿場町で、二川宿本陣が再建されているのでそこを目指しました。駅から東へ1km程歩いたところが本陣です。
二川駅舎
豊橋と書かれたマンホールの蓋がありました。ここは豊橋市なのです。
宿場町らしい家が列んでいます。
豊橋市の名物 手筒花火がデザインされています。
二川宿暖簾
かなり古い家です。
二川宿常夜灯
大岩神明社、帰りに寄りました。
ここにも二川宿暖簾がかかっています。皆で宿場町を盛り上げている感じがします。
本宿まつりに大名行列があるようです。
大名行列の様子がYouTubeに掲載されていました。雰囲気が分かります。
二川宿大名行列
東海道松林を消防自動車が走っています。消防団の建物です。
高札場跡
つづく・・・二川宿−2 本陣
2016.12.9
前日、日本平ホテルから見えた観覧車が清水の街中にありました。
前日の日本平ホテルからの景色
清水から新東名に入りました。
紅葉の山の背後に富士山があるようです。
富士山は裾だけ見えていました。
帰りも駿河沼津SAで休憩しました。上りのSAと建物のデザインが違いました。
上りの方がヨーロッパの雰囲気です。
駿河湾と伊豆半島
フェアートレードコーヒーを呑みました。
フェアートレードとは
おしゃれなSA建物内
御殿場付近
大井松田インター
最後まで富士山山頂は見られませんでした。
日本平ホテル 駿河湾 おしまい
三島スカイウォーク 1
久能山 東照宮1
2016.12.9
途中で昼食を取り三保の松原へ行きました。
神社の長い参道のそばを走った先が三保の松原です。
階段を上がると海岸に出ます。
松原の木々は、風のため幹が斜めになっているのが多いです。
松は風防止のために植えられたものです。
三保の松原は日本三大松原のひとつです。日本三大松原とは虹ノ松原(佐賀県唐津)、気比の松原(敦賀)、三保の松原です。
広重の三保の松原
天女が羽衣を掛けたとされている羽衣の松(三代目)。
一代目羽衣の松は富士山の宝永の大噴火で海に沈み、二代目は樹齢650年で、立ち枯れとなったのです。
海と松原の写真はデジブックフルウインドウで御覧ください。
富士山は残念ながら雲の中でした。
IPad、iphonの方は下記リンクより御覧ください。
御穂神社への参道です。
羽衣の松と神社を結ぶ参道です。500mあり、「神の道」と呼ばれているそうです。
御穂神社の鳥居
つづく・・・三保の松原からの帰り道
三島スカイウォーク 1
久能山 東照宮1
2016.12.9
日本平ホテルを出て久能山東照宮へ向かいました。
富士山の形をした石が置かれ、背後に富士山が見えるはずでしたが、あいにく雲の中でした。
久能山東照宮へはロープウエイで下るのです。
ロープウエイゴンドラ
徳川家の三つ葉葵の紋が入っていました。
久能山駅の横に樹齢500年と言われているご神木がありました。
海岸線には石垣イチゴのビニールハウスが列んでいます。いちご狩りで有名です。
独身時代に行ったきりです。
楼門から東照宮へ入ります。
久能山東照宮のマップです。
写真をクリックすると拡大します。
楼門の中央にある蟇股(かえるまた)に獏(バク)が彫られていました。
蟇股とは二つの横木の間におく束(つか)の一種で上方の荷重を支える役目をし、装飾ともなっています。カエルが股を広げた姿に似ているところから「かえるまた」と呼ばれています。
獏は人の夢を食とすると言われていますが、悪夢を食することから平和の象徴とされています。
獏は想像上の動物です。
東照大権現の文字が楼門にかかっていました。後水尾天皇の筆になることから楼門は勅額御門とも呼ばれています。
楼門を守っているのは角があるので狛犬ではなくサイでした。
古い梅の木があり、家康梅と書かれていました。
唐門の前に修学旅行生らしい団体がいました。
神倉
唐門
葵の紋が入った古そうな井戸
つづく・・・久能山 東照宮2
三島スカイウォーク 1
2016.12.9
朝起きてもう一度、富士山を見に行きました。
写真をクリックして拡大すると富士山がよくわかります。(全ての写真はクリックすると拡大します)
笠雲が出てきています。笠雲が出ると天気が悪くなるといいますが・・・
外に出て写真を撮りました。
昨日は夕方で周りの様子がわかりにくかったですが、はっきりと見られます。
赤くなる芝生が敷かれていました。
日本平ホテル
静岡方面
6Fにスカイテラスがあることを知り、行きましたが、ドアが閉まっていました。そこで、6Fのエレベータホールに置いてある電話でフロントへドアが閉まっている旨を伝えると鍵を持ってきて開けてくれました。
今までより高いところから見た景色です。富士山は雲がかかり、空気もかすみ、わかりにくくなってきました。
三保の松原が見えていました。
チェックアウトの時間には富士山頂は雲の中に隠れてしまいました。
つづく・・・久能山 東照宮1
三島スカイウォーク 1
2016.12.8
夕暮れ時の富士と清水港、そして清水港の夜景は下記デジブック・フルウインドウで御覧ください。
上記からご覧になれない方は下記リンクより御覧ください。
日本平から見える富士と清水港夜景
清水港の夜景撮影の後、ザ・テラスでディナーにしました。
夕食の席はひな壇状になっています。
厨房が一番高い場所にあるので、ガラス窓には厨房が上部に映り、その下に清水港の夜景が見えました。
宿泊階の広いエレベータホール。
つづく・・・日本平ホテル 朝の富士山
三島スカイウォーク 1
2016.12.8
清水IC近くで雲の上に顔を出す富士山が見えました。
清水港へ降りていくと、クレーンや石油タンクが見えてきました。
清水湾が見えて来ました。
清水港近くを走っている時、人魚姫(?)が突然目に入り、慌ててシャッターを切りました。
清水港にはここ以外にも人魚姫が居るようです。
清水日本平パークウエイの途中で見えた富士山と清水港の写真です。
写真をクリックすると拡大します。
日本平ホテル到着です。
ホテルに入ると写真の光景が飛び込んできます。夕日に染まり少し赤く染まっている清水港の建物です。
その向こうには富士山が見えます。この景色を見たくて日本平ホテルに泊まりに来たのです。
写真をクリックして拡大して見て下さい。
ホテルのエントランスです。
西の空
静岡方面
つづく・・・日本平ホテル 夕暮れ富士と清水港のライトアップ
三島スカイウォーク 1
2017.2.2
空気が澄んだ日だったので小田原駅に隣接するラスカ6Fから相模湾がよく見えました。
6Fから見下ろした5Fの有隣堂です。吹き抜けになってゆったりし、屋根が駅舎の続きというのが感じられます。
屋上からは、ついこの間まで駐車場だった駅に隣接する土地の工事が進んでいました。
お城通り広域交流施設となる建物が計画されています。
ここには図書館や子育て相談施設等が入る予定です。
お城通りの雰囲気も大きく変わるようです。
屋上からは小田原城が見えるのですが、手前の工事現場を撮影したかったので天守閣が欠けてしまいました。
小田原城は下記リンクより御覧ください。
ラスカ屋上からの小田原城
2016.12.8
三島スカイウォークで昼食にしました。
みしまコロッケののぼりが立っていたので、ご当地グルメみしまコロッケカレーを注文しました。
普通のじゃがいもコロッケでした。
平成20年7月、まちおこしを目指す三島市、市民、農作物関係者を中心に結成された「みしまコロッケの会」が始まりです。みしまコロッケを全国にPRするため積極的に活動を行い、B-1グランプリにて2年連続(第4回、第5回)で入賞を果たしたのです。定義に「箱根西麓の三島馬鈴薯を使用すること」のみを掲げています。
三島スカイウォークのトイレは綺麗です。
男性用トイレ
女性用トイレからは坪庭が見えるとのことで家内が撮影しまいた。
富士山とスカイウォークを切り絵風に描いたお土産物です。
エスカレータで上った先にあるのはフラワーガーデンです。
スカイガーデンの傍は畑でその先に富士山が見えました。
スカイガーデンは天井から花が吊り下げられ、中央は広場で、周囲にショップが並ぶ空間でした。
スカイウォークは人が多かったですがここまで来る人は少なかったです。
干してある三島大根
この後、新東名を走り、日本平ホテルへ向かいました。
駿河湾沼津SAで一息入れました。
駿河湾と伊豆半島が眺められる素晴らしいビューポイントす。
お薦め出来るSAです。
つづく・・・日本平ホテルへ
記事検索
最新記事
月別アーカイブ