花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2021年07月

トルコ旅行ー3 遺跡巡り1トロイの遺跡


2006.6.13

第三日目 6/13(火)
朝、余裕を持って起き、海が見えるプールで記念撮影してバスに乗り込みました。
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ホテルの部屋のキーです。
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ホテルの部屋から見える海とツアーバスです。
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3日目はチャナッカレという港町を出発してトロイ→ベルガマ→イズミールと巡ります。
エーゲ海沿岸を走る旅で、ギリシャに近く、遺跡めぐりが主体です。
この地中海エリアは多くの遺跡が残っているので有名です。ある本によると、ギリシャよりトルコの方が多くの遺跡が残っており考古学者の研究の場になっているとのことでした。
350Kmほどの移動になります。
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昨日は穀倉地帯を走りましたが、この付近はオリーブの木が多いです。
花はバラに代わり赤いキョウチクトウを多く見ましたが、日本のように
背は高くなく、1mぐらいです。雨が少ないためでしょうか?
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最初の遺跡はトロイの遺跡。古代ギリシャの詩人ホメロスが書いた最初の叙事詩であるトロイの戦争の物語を学生時代に習いました。紀元前7世紀に書かれたというから驚きでです。そしてここが伝説のトロイとわかったのが1873 年。シュリーマンという人が発見したということですから、長い間なぞの場所だったというのも驚きです。

遺跡の入り口にはトロイの木馬が飾ってありました。もちろん当時のものではありません。階段を使って木馬の中に入れました。
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初期の遺跡はBC3000 年のものです。
紀元前3000 年の城壁の跡です。
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日本の城の石垣でいう野面(のずら)積みです。
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石垣の間から咲いている背の低いポピーです。
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BC1000 年のギリシャ時代のアテナ神殿の基石の上から市街を見下ろしていますが今は人家がない野原です。
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紀元前からある石畳を歩きました。すごい歴史の産物です。
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小規模の円形劇場です。
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写真でわかるように、歴史ある大昔の遺跡ですがロープひとつ張っていません。自然にそのまま残っています。この後、3つ遺跡を巡りましたが出入り自由で手に触れて感じることが出来ました。

トロイの遺跡見学後、車窓からエーゲ海を眺め、次の目的地ベルガマのアクロポリスへ向かいました。
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トルコの家づくりを見て驚きました。大きなビルも小さな家も、全部レンガを積んで造っていました。小さな家はレンガのみ、大きくなると柱はコンクリート(鉄筋が入っているかは不明)で、コンクリートの柱と柱の間にレンガを積んでいました。
地震が多い国と聞くが大丈夫なのかな?と心配しました。
レンガの表面にモルタルを塗り、その上をヨーロッパ風の軽いパステル調のペンキで仕上げているのもありました。但し、屋根は全部朱塗りのかわらでした。外壁材質が揃っているので家並みが非常に美しいです。今後、出てくる写真を注意して見てください。
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トイレ休憩場所からの景色です。
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トイレの表示は「WC」と書かれています。入口には人が
座っていて入るにはお金が必要です。
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有料なのでトイレは清潔です。日本の有料トイレのように
近代的ではありません。タイルの壁には帯のデザインが施してあるのが多いで
す。
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男性用トイレは日本人の背丈には高いです。トルコ人の背は、そんなに高くないのに!多分、観光客用でしょう。トルコへ来る観光客はドイツがトップでヨーロッパ人が多く、意外とロシア人が第2位とのことです。考えれば黒海に面しているのがトルコですので頷けます。日本観光客は第7位か第8位とのことです。
でも、この年はワールドカップ開催中なのでヨーロッパからの観光客はなく日本人が多いとのことです。なるほど、旅行中、ヨーロッパ人の姿は少なかったです。


ベルガマの手前で、トルコの市民が利用するようなレストランで昼食でした。写真のようにトルコ料理が並べられており、陽気な店員さんが盛り合わせてくれるシステムでした。黙っていると山のような料理の盛り合わせが出来上がります。
野菜、肉の煮込み料理で、香料が苦手な私は香りが鼻につきました。
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食事中にスコールがあり、店員さんがトイレへの通路に溜まる水を掃き出していました。水が無くなった時を狙って順にトイレに行きました。
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レストランには監督が一人いるようでその人は新聞を広げて何もしません。店員さんは大きな声でよく働いていました。
そういう場面によく出会いました。上下関係がはっきりしているようです。
トルコは雨が少ないと聞いていたのに、遺跡めぐり初日に雨とは驚きでした。でも、この後、雨は一度も降らず、やっぱりトルコは雨が少なかったです。

つづく・・・トルコ旅行−4 遺跡巡り2 ベルガマ・アクロポリスの丘

トルコ旅行−1 出発
トルコ旅行−2イスタンブールからチャナッカレ



 

トルコ旅行−2イスタンブールからチャナッカレ


2006. 6.12

第2日目6/12(月)
朝4時にドーハ到着。空港へ着き、飛行機から出た時「ムーッ」と熱風が体に吹き付けました。気温34度とのこと。
でも、空港内は冷房がガンガン効いていて震えていました。
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ここでイスタンブール行きに乗り換えます。アラビア文字とターバン姿に出会い、中東へきたことを実感しました。
アラビア文字は芸術的で大変美しいですが文字の意味は全くわかりません。乗り継ぎ場所のDuty Freeは狭く左の写真に写っている範囲。1Fの奥にあるCafe で時間をつぶしました。早速、チョコレートのお土産を9つ購入。
8:55ドーハを出発。12:30ついにトルコのイスタンブールへ到着。
長時間の旅、頑張りました!!(今じゃ無理です)
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乗り継ぎ便へはバスで滑走路近くに停まっている飛行機まで行
き、タラップを上りました。搭乗の様子をカメラに収めて
いたら注意されました。理由はわかりませんが、保安上のことでしょうか?
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トルコリラは出発時羽田空港で両替できないので、到着後、ここイスタンブール空港で多くの人が両替していました。我々は姉が大阪の銀行で2万円分交換してくれていたので面倒な作業を省略出来ました。ガイドブックによるとトルコはインフレで100円交換するとゼロがたくさんついて戻ってきて大金持ちになった気分になり、支払うときゼロがたくさんついて金銭感覚が無くなるとのことでしたが、今は切り下げが実施されて1トルコリラ=70〜80円の換算なので計算が楽になりました。二年前はビール一杯が600リラだったそうです。

最初驚いたのはトイレが有料であること。値段は0.5 リラ/人。1.5 時間か2 時間ごとのトイレ休憩で1リラ=80 円がなくなっていく。もう少し多く両替しておいた方がよかったかな?

バスは真っ白なベンツ大型バスで全行程を走りました。トルコ人ガイドさんも専属で一人ということ。今まで行った海外ツアーのガイドさんとバスは2〜3日で交代になるのが普通でした。
今回はイスタンブールを出発してイスタンブールに戻るからでしょうか。どんなバスでどんなガイドさんになるかで旅行の質がかなり決まってしまいます。今回はどちらも良くラッキーでした。
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イスタンブール旧市街はボスポラス海峡とマルマラ湾を挟んでヨーロッパサイドとアジアンサイドに分かれています。西へ行くと陸続きでギリシャ、ブルガリアに通じます。イスタンブールに着いてトルコはヨーロッパの続きなのだとわかりました。
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来るまではイスラム教の国ということで中東の国だと思っていました。また、北は黒海、南はエーゲ海でこの二つをつなぐ地点がイスタンブールです。イスタンブールからボスポラス海峡のヨーロッパ側を海岸線に沿ってバスは走ります。海岸線は避暑地になっているとのことできれいな建物が続きます。
確かにヨーロッパ風の建物が続き、庭にプールがある家も多く、バラの花が多くの庭に植えられています。バラの栽培第一位はブルガリア、第二位がトルコとのことです。
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郊外に出ると北海道のような景色です。どこまでも続く小麦畑。
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バスはのろのろ走ります。「ねずみとり」の取り締まりが厳しいとガイドさんの説明。ガイドさんは男性で日本語が達者です。「ねずみとり」という言葉が出てきたのにびっくりしました。坂道になるとさらにスピードダウン。ベンツは丈夫なエンジンで有名のはずだが??これから毎日400km〜600km と走る予定になっているのにこんなスピードでは旅の行く末が心配です。道路は決して良いとは言えない状態です。来るまでは400km〜600km といっても高速道路をすっ飛ばすので時間はそんなに掛からないと思っていたのですが、様子が違います。

2 時間走っての休憩の時にのろのろ運転の理由が判明。イスタンブール空港で一人置いてきたそうだ。
今、タクシーで追っかけてきているので時間調整とのこと。添乗員さんは添乗員暦1 年未満のかわいい女の子。泣きべそをかいていました。みんなに慰められていました。イスタンブールでバスに乗り込む時、人数確認しっかりしてなかったようです。これは添乗員さんのミスだと思います。35名のツアーなので、全員の顔がわかるまで時間がかかりそうです。

空港は廊下が長く曲がっているので付いていくのが大変で、迷子になりやすいと常々思っていましたが、今回の置き去りはそうでなく、本人によると、リラに交換する時、手間取って見失ったとのことです。ベテランの男性旅行経験者であったので油断したのでしょう。
本人は長距離バスを探してホテルへ行こうと思ったが、「旅のしおり」に現地緊急連絡先が載っていたのでとにかく連絡しておかねばと電話したら、「タクシーで休憩場所まで行くよう」指示があったそうです。電話で添乗員さんが知ったようでした。タクシー代はだれが払ったかは知りません。相当な額だったでしょう。海外旅行に参加したときは電話のかけ方と緊急連絡電話番号は確認しておかないといけないと思いました。本人は落ち着いていました。

全員が揃ってからバスはPM7 時のフェリーに間に合うようフルスピードで突っ走りました。スピードが出ることが確認出来、ほっとしました。

ダーダネルス海峡をアジアン側に渡るフェリーは1時間に一本なので遅れると1 時間波止場で待つことになります。ぴったり7 時に到着。しかし、フェリーは満杯。どう考えても大型バスが入れる余地はなさそうです。皆心配そうに見ていると少しずつ詰めたらしくスペースが生まれ、歓声が上がりました。セーフ。
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フェリーの後ろに見える光景は長崎ハウンテンボスから離れる時のようです。
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岬の向こうはエーゲ海です。エーゲ海のクルージングの旅も楽しかったです。
「エーゲ海ツアー」
1.ギリシャ・エーゲ海−1(エティハド航空)
2.ギリシャ・エーゲ海ー2(アブダビ空港)
3.ギリシャ・エーゲ海ー3(カランバカへ)
4.ギリシャ・エーゲ海ー4(カランバカのホテル)
5.ギリシャ・エーゲ海ー5(ホテルの朝)
6.ギリシャ・エーゲ海ー6(メテオラー崖の上の修道院)
7.ギリシャ。エーゲ海ー7(メテオラー大メテロン修道院)
8.ギリシャ・エーゲ海ー8(メテオラ アギオス・ステファノス修道院)
9.ギリシャ・エーゲ海ー9(カランバカ村でランチ)
10. ギリシャ・エーゲ海ー10(テルモピュレの戦い)
11.ギリシャ・エーゲ海ー11(ピレウス港を出港)
12.ギリシャ・エーゲ海ー12 (ミコノス島上陸)
13.ギリシャ・エーゲ海ー13(ミコノス島の夕暮れ)
14.ギリシャ。エーゲ海ー14(クシャダス1−要塞へ)
15.ギリシャ・エーゲ海ー15(クシャダス2ーバザール)
16.ギリシャ・エーゲ海ー16(クシャダス出航 ランチ)
17.ギリシャ・エーゲ海ー17(パトモス島1 聖ヨハネ修道院)
18.ギリシャ・エーゲ海ー18(パトモス島2 ロバの道を下る)
19.ギリシャ・エーゲ海ー19(パトモス島3 スカラの街中)
20.ギリシャ・エーゲ海ー20(クレタ島1−朝焼け)
21.ギリシャ・エーゲ海ー21(クレタ島2 要塞へ)
22.ギリシャ・エーゲ海ー22(クレタ島3 オウガストウ通り)
23.ギリシャ・エーゲ海ー23(クレタ島4 マーケット)
24.ギリシャ・エーゲ海ー24(クレタ島5  アキオスミナス大聖堂)
25.ギリシャ・エーゲ海ー25(サントリーニ島1 上陸)
26.ギリシャ・エーゲ海ー26(サントリーニ島2 ホテル)
27.ギリシャ。エーゲ海ー27(サントリーニ島3 ホテル前の散歩)
28.ギリシャ・エーゲ海ー28(サントリーニ島4 ディナー)
29.ギリシャ・エーゲ海ー29(サントリーニ島5 ホテル前の夕焼け)
30.ギリシャ・エーゲ海ー30(サントリーニ島6 イアへ)
31ギリシャ・エーゲ海ー31(サントリーニ島7イアを歩き始める)
32.ギリシャ・エーゲ海ー32(サントリーニ島8 イアを歩く)
33.ギリシャ・エーゲ海−33(サントリーニ島9 夕日スポット)
34.ギリシャ・エーゲ海ー34(サントリーニ島10 Free Time)
35.ギリシャ・エーゲ海ー35(サントリーニ島11 ワイナリー)
36.ギリシャ・エーゲ海ー36(サントリーニ島12 フィラでランチ)
37.ギリシャ・エーゲ海ー37(サントリーニ島 13 ランチ後の散策)
38.ギリシャ・エーゲ海ー38(サントリーニ島14 帰り道)
39.ギリシャ・エーゲ海ー39(サントリーニ島15 夕食)
40.ギリシャ・エーゲ海ー40(サントリーニ島16 さようなら)
41.ギリシャ・エーゲ海ー41(アテネ1 ランチ)
42.ギリシャ・エーゲ海ー42(アテネ2 アクロポリスの丘)
43.ギリシャ・エーゲ海ー43(アテネ3 パルテノン神殿)
44.ギリシャ・エーゲ海ー44(アテネ4 近代第一回オリンピック会場)

45.ギリシャ・エーゲ海ー45(アテネ5 衛兵交代式)

46.ギリシャ・エーゲ海−46(アテネ6 ゼウス神殿)

47.ギリシャ・エーゲ海ー47 (アテネ7 アクロポリスのライトアップ)
48.ギリシャ・エーゲ海ー48(アテネ8 朝の散歩1)
49.
ギリシャ・エーゲ海ー49(アテネ9 朝の散歩2)
50.ギリシャ・エーゲ海ー50(アテネ10 朝の散歩3)
51.ギリシャ・エーゲ海ー51(アテネ11 空港)
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イスタンブールからチャナッカレまで320Km移動してチャナッカレのホテル到着です。

夕食は海辺のデッキで。夕暮れは遅く、8 時半。食事開始です。
疲れましたがサンセットとデッキでのゆったり感でホッとしたひと時を過ごせました。
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トルコのホテルでのお酒の価格です。物価が安い国ですがお酒は割高でした。
グラスワイン:1200円〜800円(宿泊したホテルは1200円)
ビール:400円程度
ワインの方がビールより高い国でした。
この後、ワインを注文する人は激減。私も以後ビールに切り替えました。
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つづく・・・トロイの遺跡
トルコ旅行−1 出発




トルコ旅行−1 出発


2006.6.11

2006年にトルコを旅した時の「オヤマるるぶ」を加筆、修正してブログに掲載します。15年前のことで記事内容が古いところがあったり、デジカメ性能が悪いことはご容赦ください。


トルコへ行くきっかけは家内が大阪の姉の家を訪ねた際、どこか一緒に行きたいという話になり、東京発で関西空港を経由して出かける旅行はないかとパンフレットを見ていたところクラブツーリズムのトルコの旅を見つけました。私も便乗して家内の姉夫婦と私たち夫婦の旅となりました。 

家内は代々木上原駅近くのモスクでのJTBのトルコ旅行説明会に参加し、モスクの中やトルコの知識を得て来ました。もらったトルコ紹介DVDを見ると、ヨーロッパに近い地中海地方は、ローマ時代の遺跡が多く、海岸が美しいと説明されていました。中部の山の中は雨が少ないため日本では見られない大自然に触れられ、北の黒海地方は雨の恵みのある地域で、変化のある景色を楽しめそうだということが解ってきました。またイスラムの社会を経験できる等、楽しみの多そうな国ということを感じ、期待が大きくなってきました。

 

第1日目6/11(日) 

 18:55羽田集合なので午後3時に家を出て、開成町の駐車場に車を置き小田急線で本厚木へ、そこからバスで羽田へ行きました。成田発でないのは非常に楽でした。
18:00ごろの搭乗口は非常に混雑し列が通路をふさいでいました。
我々の搭乗検査は20時ごろだったので混雑がなくなっていました。フライトが20:55なので軽く夕食をすませ、チェクインからフライトまで1時間ほどあったのでクレジットカードのラウンジへ行くと20時で終了でした。
「搭乗検査を済ませた中にも2ヶ所ラウンジがある」と紹介されました。中のラウンジは余り知られていないのか、人が少なく、飛行機を見ながらゆっくり時間を過ごせるのでお薦めです。
 


ラウンジから
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カタール航空とANAの共同運行で関空へ行きました。
関空でカタール航空に乗り換えました。この頃はカタール航空は羽田発関空経由でした。
カタール航空とあったのでマイレッジカードを持って行かなかったのですが後でANAのマイレッジ登録すればOKとのことで半券をなくさないように持ち帰り後日登録しました。

カタール航空は「空の★★★★★(5つ星)」なので当時としては良い飛行機でした。 

〆太粉岾屬心持ち広いように感じる。 

foot restがついている。 

座席に枕が着いていて(本当の枕もあり)頭が横にぶれないようにガードできる。 

さ‘發濃藩僂垢襯哀奪困袋に入って支給される。 

イ發舛蹐鷽事も良い。帰りの機内食は和食があり、うなぎがアツアツ。そば、まき寿司等疲れた胃にも食べやすいよう気配りしてくれる。 

Π貎涌貎猶嫋TVが座席に付いている。でも、近すぎて見づらい。隣の席からはプライバシー保護を考えて見えない構造になっている。 

このようにエコノミーにしては上質のサービスでした。(2006年のことです)
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 つづく・・・二日目(ドーハ経由イスタンブール)

 





ミナカ小田原 足湯庭園


2021.7.27

小田原駅隣のミナカに用事で出かけました。
用事を済ませ14Fの足湯庭園へ行き、デッキから小田原の町を眺めました。
足湯
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西に小田原城が見えます。
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南東方面
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相模湾が見える南側
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 東にはJRと小田急が見えます。

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眼下に見えるのは小田原駅ラスカの屋上庭園と小田原駅東口ロータリーです。
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北側の南足柄方面
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ブルーの小田急ロマンスカーが駅に停車しています。
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小田急列車が小田原駅へ入ってきました。
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新幹線と小田急ロマンスカー
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小田原ー湯本を走行している赤い車体の小田急普通列車
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足湯庭園から見える小田原の街です。


外が見えるエレベータで駐車場へ下りました。
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ミナカ小田原の開業前の状態は下記リンクです。
ミナカ小田原の現在





東海道53次 NO.4-3 品川宿3


2010.3.26

品川寺(ほんせんじ):大同年間(806〜810年)に創立された品川区内で一番古いお寺です。 本尊は観世音菩薩(水月観音・聖観音)、 開山は弘法大師空海です。 

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写真の地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれました。品川寺には、その第一番東海道の尊像として、「天下安全(てんかあんぜん)、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。 

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幹回り5.35m、樹高25m、樹齢約600年の大いちょう。幹や大枝から垂れているのは乳というそうです。

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英霊堂
 中央に聖観音、脇に軍馬・軍犬・軍鳩(馬の上)があります。
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東海七福神マップがありました。旧東海道に沿ってあります。
距離にして4.5kmで地図によると七福神間隔は1時間です。京急沿線なので疲れたら電車に乗り周れます。
写真をクリックすると拡大します。
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品川寺の隣は「品川の神さん」で知られている海雲寺でした。
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荒神堂の千躰荒神は江戸時代より「かまどの神様」、台所の守護神として信仰されているそうです。
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平蔵地蔵と平蔵地蔵の由来がありました。
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民話:地蔵になった平蔵
いまはむかし、平蔵という、正直者のこじきがいた。こじきといっても、平蔵はいつも、人さまのおなさけをもらって、生きるのがきらいだった。歳の瀬も迫ったある年のこと、その日は久しぶりに仕事があった。鈴ヶ森の刑場で屍を土にうめる仕事だ。一日中、泥まみれになって、働いて六文もらった。品川の宿を越え、芝、高輪あたりまできて、一休みしようと、ふとあたりを見まわした。すると、ちょうど、腰かけるのに手ごろな枯れ木が横たわっていた。さて、しゃがみ込もうとすると、枯れ木のそばに何やら包みが落ちているではないか。「一体、何が入っているのだろう」手にとった包みはずっしりと重い。平蔵は、包みをといて、びっくりぎょう天。そのはずだ。包みの中には何と、大判、小判がびっしり入っている。「ああ、これだけあれば、いやな仕事もしないで暮らせる」一度は、そう思った平蔵、あの忘れもしない雪のふる夜、死ぬ間際にいった、おっかあの声がうかんで来た。「平蔵、ここさすわれ、人間、一生かかっても、銭こいくらあっても、買えん物があるど。そらな、正直という心だべな」平蔵は、一夜明けて、まだ星のあるうちに、こじきの宿を出ると、包みの落ちていた場所に座った。やがて日が昇って、職人衆や旅商人があわただしく通るようになった。すると平蔵の前を、一人の武士が何か探しものでもしているかっこうで通りかかった。平蔵は、立ちあがると、武士に呼びかけた。「もうし、お武家さま、お金を落とされたのでは」平蔵の手には、しっかりと大判、小判の入った包みがにぎられていた。武士はとびあがらんばかりに驚き、目を喜びいっぱいにして輝かした。「おぬしがひろわれたか、かたじけない」武士は、包みの中から、小判を三枚つかむと、「これを礼にとって欲しい」と差し出した。ところが、平蔵は首を横にふって、なかなか受けとろうとしない。さんざん問答のすえ、ようやく、平蔵は小判を一枚だけもらった。平蔵はその足で食べ物と酒を買い、こじき宿にもどると、仲間達にふるまい、今までの出来事を話した。酒の酔いがまわるにしたがい、仲間たちは平蔵をののしりはじめた。「一生のうち、一度だっておがめねえ大金を、おめおめと、落とし主に渡すとは、何たる馬鹿もんだ」「そうだ、そうだ、放り出しちまえ」その夜のうちに、宿から放り出された平蔵、あわれ、翌朝には、品川の海岸で、水死体となって発見された。平蔵の屍は品川の海雲寺に、ねんごろに葬られた。お墓と並んで、地蔵が祀られ、今でも香華が絶えないという。

海雲寺の鐘楼
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立会川沿いあった浜川砲台跡の説明文です。
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立会川の由来:
その昔、川を挟んで小競り合いがあったことから「太刀会川」とした説や鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、その親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所から「立会川」となった説がある。
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浜川橋の親柱です。
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浜川橋から暫く歩くと歌舞伎・講談で出てくる江戸の刑場・鈴ヶ森刑場跡です。
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鈴ヶ森刑場の最初の受刑者は由比正雪の乱に加わった丸橋忠弥と言われています。
八百屋お七もこの地で最期を迎えました。
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中央の穴に鉄柱を建て縛られ周りに火をくべられ生きたまま焼き殺されたそうです。
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磔台
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明治4年の刑場閉鎖まで10〜20万人が処刑されたと言われています。
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この先は京浜第一道路を歩くことになります。
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江戸日本橋からの東海道53次の最初の宿場町品川宿までの記事で一休みし、今度はブログを始める前の海外旅行「トルコ」を掲載したいと思います。
トルコは景色の変化を楽しめ、物価が安く女性たちは大喜びの旅行で面白かった海外旅行でした。

東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋
東海道53次NO.2−3 浜松町
東海道53次 NO.4-1 品川宿1
東海道53次 NO.4-2 品川宿2
東海道53次 NO.4-3 品川宿3




 

イワタバコの花


2021.7.24

青紫色のイワタバコの花が咲きました。
日陰の湿った岩や崖で育つので浅鉢でモッコウバラの根元に置いて育てています。
星型の花で花径は2cm程です。
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花言葉は「涼しげ」「愛らしい心」です。
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花数は多く、やや下向きに咲く花です。
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葉は柔らかく二、三枚しか出ません。
葉がタバコの葉に似ていて岩場で育つので名前がイワタバコとつけられています。
葉は冬には枯れますが春に芽を出します。
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鎌倉の東慶寺や海蔵寺、浄智寺で見られるそうです。
















 

東海道53次 NO.4-2 品川宿2


2021.3.26

品川本陣を出てさらに西へ進みました。
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品川橋は目黒川に掛かる橋で、江戸時代は「境橋」とよばれていました。
北品川と南品川の境に掛かる橋なので境橋と呼ばれました。橋の袂には高札場がありました。
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品川橋
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品川橋は渡らず右に曲がり荏原神社に向かいました。
京浜急行新馬場駅の近くで、東海道は京急線に沿っています。
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赤い橋は荏原神社前の鎮守橋です。
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荏原神社です。七福神の恵比寿さんがいました。
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荏原神社は元明天皇の御代、和銅2年(709年)に、奈良の元官幣大社・丹生川上神社より高神(龍神)を勧請し、長元2年(1029年)9月16日に神明宮、宝治元年(1247年)6月19日に京都八坂神社より牛頭天王を勧請し、古より品川の龍神さまとして、源氏、徳川、上杉等、多くの武家の信仰を受けて現在に至っています。現在の社殿は弘化元年(1844年)のもので、平成20年で164年を迎えました。このように大変由緒ある神社です。 

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鎮守橋の親柱でしょう。
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街道松の広場です。
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浜松から寄贈された東海道・品川宿のシンボルとなっている街道松です。
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明治7年に開校した城南小学校跡です。もとはお寺の境内でした。
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今は幼稚園の敷地になっており、城南小学校は近くの土地に移っています。
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徳川ゆかりの天妙国寺に寄りました。最寄り駅は青物横丁です。
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天妙国寺:日蓮の直弟子の天目上人の創建と伝えられる古刹。徳川歴代将軍が宿舎にしたことで徳川家とのゆかりが深い寺です。家康が1回、秀忠が2回、家光が44回宿泊したと記録されています。
  本堂は18世紀中ごろに再建されたもの 

歌舞伎「与話情浮名横櫛」の主人公「斬られ与三郎」と「お富」の墓があり、ほかにも桃中軒雲右衛門,お祭り佐七,伊藤一刀斎などの墓もあるそうですが案内してくれませんでした 

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本堂は18世紀中ごろに再建されたものです 

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つづく・・・東海道53次 NO.4-3 品川宿3


東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋
東海道53次NO.2−3 浜松町
東海道53次 NO.4-1 品川宿1

 

カサブランカ倒れる


カサブランカの花がもうすぐ 咲きそうと思っていたら
突然倒れていました。
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根元を見ると食い荒らされていました。
犯人はカミキリムシかカミキリムシの幼虫かな?
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グラジオラスと共に娘宅で花瓶に生けておくと蕾が開きました
先端が少しピンクがかったカサブランカです。
元は全体ピンクの色をしたカサブランカでした。
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東海道53次 NO.4-1 品川宿1


2010.3.26

東海道53次歩き二回目は品川宿から川崎宿まで歩きます。 

ガイドは女性で参加者38名でした 

品川駅集合です。 

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JR品川駅を出て八ツ山橋を渡り京急北品川駅方面へ歩きました。
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JRの線をまたぐ橋に旧東海道の文字がありました。 

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八つ山橋から見る線路。走っているのは踊り子号でしょうか。

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橋を渡ると「八ツ山橋」「屋つやまはし」と書いた橋の石柱と親柱があります。 

明治5年鉄道開通に伴い掛けられた橋であり、この辺りの海に突出した洲が八つあったところから「八ツ山」と呼ばれました。なぜ「屋つやまはし」と書かれているのかはわかりません。ゴジラが日本上陸の第一歩を印したのはこの八つ山橋でした。 

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橋を渡ると整備中の小さな公園に出ます。 

地下道の出入口らしいです。

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向こうには御殿山ガーデン、ラフォーレ東京のビルが見えます
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新しい石に「戸塚」の文字がありました。この道を行くと戸塚に出るという道案内でしょうか?
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「旧東海道」町歩きマップの掲示板がありました。 

グリーンの線が旧東海道です。 

東海道歩きは一号線を歩くのだと思っていましたがそうではないようです。思うに、江戸時代の東海道の左右には店や宿がぎっしり建っていたので、幅の広い幹線道路にはできなかったのでしょう。宿場町より少し離れた余裕のある場所に幹線道路を引いて一号線にしたのでしょう。写真をクリックすると拡大します。

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公園のトイレです。
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東急の踏切を渡り旧東海道の「北品川本通り商店街」へ進みました。 

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商店街を進むと左側に路地があります。この路地は坂道で低くなっていきます。ブラタモリが好きな坂で平坦になっている場所は江戸時代に海だったのです。 

広重が描く品川宿は東海道のすぐ傍まで海です。 

「問答河岸跡」とは海岸の先の波止場で、三代将軍家光が東海寺に入る時、沢庵和尚が迎えに出て問答をした場所ということです。 

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広重は「品川 日の出」で御殿山の麓を通過する大名行列最後尾を描いています。
海が迫り、茶屋が並び客引き女性が描かれています。江戸時代の品川宿の様子がよくわかります。

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品川宿の江戸寄りには宿場の役務として人足を出していました。そこは「歩行新宿」と名づけられました。家業としては「印」がつく「食売旅籠」や水茶屋が多かったそうです。実質遊郭です。歩行新宿の中でも大きな旅籠が、現在の北品川1-23角にあった「土蔵相模」です。これは歩行新宿にあった「相模屋」という意味です。旅籠と言うよりもむしろ妓楼で、外壁が土蔵のような海鼠壁だったため通称「土蔵相模」と呼ばれました。

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土蔵相模は高杉晋作や伊藤博文等、幕末の志士が密会した場所です。また、長州藩士による英国大使館焼き討ち事件の際はここから出発しました。また、桜田門外の変で狙撃した水戸藩士17名がここで訣別の宴を開催しました。いろいろ歴史の舞台になった場所です。当時の建物は昭和になくなり、コンビニとマンションになっています。
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「台場横町」 

ペリー来訪を受け守りを固めるため台場が建設されました。御殿山台場下へ下る横町を台場横町と言われていました。

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一心寺

安政2年(1854)日本開国の機運高まり、大老井伊直弼が「品川宿で鎮護日本・開国条約・宿場町民の安泰を願え」との霊験を得て開き、町民代表の手で建立されたと伝えられています 

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「品川宿 川崎宿二里半 日本橋より二里」と書かれています。
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品川本陣跡。今は公園になっています。
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つづく・・・東海道53次 NO.4-2 品川宿2


東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋
東海道53次NO.2−3 浜松町


夕やけ


2021.7.20

我が家から見えた夕やけです。
真っ赤に染まった西の空
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東の空の柔らかなピンクの雲
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東海道53次NO.3 品川へ


2010.3.12

増上寺付近から東海道の金杉橋(マップの赤印)へ移動し、再び東海道歩きです。
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屋形船の係留場所になっています。
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安藤広重「名所江戸百景」に「金杉橋芝浦」があり、橋を渡る池上本願寺帰りの参拝者一行と江戸湾の風景が描かれています。江戸時代は橋のすぐ先は海でJR東海道本線は海の中だった事がわかります。
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江戸開城のため西郷隆盛と勝海舟が会見した場所です。
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会見場所はJR田町駅の少し東です。
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拡大したマップの12の文字が見える海岸沿いの「薩州クラヤシキ」と書かれている部分です。
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江戸時代の東海道は、今は京浜第一道路となり江戸時代の面影はありません。
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「11」は「高札場」があった場所です。
近くの「札の辻刑場」でキリシタン50名が処刑されました。
家光の禁教令を受け、見せしめで江戸市中を引き回され火炙りの刑に処されました。
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現在の地図では中央部の現在地と書かれている場所です。
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江戸への出入口だった高輪大木戸跡です。土塁のみが残っています。
夜は門が閉められ治安維持の交通規制が敷かれていました。
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高輪大木戸の説明板です。
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左の「5」が大木戸があった場所です。
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赤穂浪士47名が眠る泉岳寺です。
私は3回目の訪問です。
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桜が咲き始めていました。
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血染の石 

浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている石です。

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吉良上野介を討ち果たし、首を洗った「首洗井戸」です。
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川上音二郎は荒れた赤穂浪士の墓を見て、寄進しました。
「川上音二郎建之」と書かれている石碑です。
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浅野長矩の墓、現在は修復され新しくなっています。
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赤穂浪士47名の墓の図
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大石良雄の墓
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高輪海岸の石垣石です。西郷隆盛・勝海舟対談・大木戸の切絵図からもわかるように今日では想像できませんが海岸線だったのです。
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高輪海岸の石垣石の説明と風景画です。
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最初のイギリス公使館が置かれた東禅寺 です。眼前に東京湾が広がることから海上禅林とも呼ばれました。

初代イギリス公使はオールコックで、東禅寺に水戸浪士ら十数人が斬り込んだ際、警護の武士ら20人以上の死傷者を出しながら、公使のオルコックを守り抜いた事件の舞台です 

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本堂です。開国時、公使館は殆ど寺が充てがわれました。
本堂は「海上禅林」と書かれていました。
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三重塔です。
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オールコックが襲われた時の弾痕の跡です。

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日本橋から品川までは直線にすると8kmばかりの距離ですが、第一日目は10時に東京駅を出発して品川駅に着いたのは17時でした。
私にとっては早足で歩いている感じでしたので、東海道を黙々と歩くというよりいろいろな場所で時間を使っていたことが分かります。
 

江戸時代、日本橋を出て品川宿に泊まる人はいなかったとのことです。東海道を何日もかけて下るので費用もばかにならず、一日で出来るだけ歩いたのでしょう。速い人は戸塚宿まで歩いたとのことです。 

品川宿は江戸へ入る人が泊まった宿場です。ここで体を洗い、着ているものも替えてさっぱりして江戸に入るのです。 

品川宿は品川駅の西で二回目に歩きました。

つづく・・・品川宿
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東海道53次NO.2−3 浜松町



東海道53次NO.2−3 浜松町


2010.3.12

新橋から浜松町大門へ来ました。
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芝大神宮へ寄り道です。
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芝大神宮は伊勢の内宮外宮の分霊を祀っている千年の歴史がある神宮です。。 

東海道を下る人はここで旅の安全を祈って出発したのでしょう。また伊勢参りを出来ない人々が伊勢参りの代わりに訪れたのでしょう。 

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我々も旅の安全を祈りました。
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この辺りには生姜畑がたくさんあり「生姜」を作って売っていました。今は生姜祭りが開かれています。生姜飴を貰いました。

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江戸時代には力比べが催され、その時使った石もありました。 

境内では相撲、芝居小屋、見世物が行われ、鳶頭と相撲取りとの間にトラブルがあり「め組の喧嘩」として歌舞伎に取り上げられている。


 

徳川家の菩提寺増上寺の三解脱門が見えてきました。
この門をくぐると
三毒(3つの煩悩):貪欲、怒り、愚痴から解脱できるとされています。
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切絵図にも増上寺が記載されています。
当時は広い範囲が増上寺関係で、赤く塗りつぶされている範囲がそうだったようです。
青い四角の中に14と書かれているのが先ほど訪れた大神宮です。
マップをクリックすると拡大します。
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増上寺本堂と東京タワー
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本尊の阿弥陀如来(室町時代)
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戦後再建された鐘楼
江戸時代の川柳に「今鳴るは芝(増上寺)か上野(寛永寺)か浅草(浅草寺)か」
とか「江戸七分ほどは聞こえる芝の鐘」」「西国の果てまで響く芝の鐘」と謳われるほどよく響く鐘でした。
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本堂から三解脱門を望む
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徳川家の墓所です。門には葵の門があり閉まっています。

二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公の、六人の将軍各公の正室と側室の墓が設けられています。

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門が閉ざされていますが、横の墓から覗くことができました。 
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増上寺の西隣りに慈雲閣・東照宮が並んでいました。慈雲閣は増上寺の一部で結婚式場となっています。

昭和20年戦災で焼失した開山堂を平成元年に再建したものです。
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ザ・プリンスパークタワーが見えました。
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徳川家康を祀る東照宮です。
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徳川家光が植えた大イチョウです。
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いちょうの木の説明です。
写真をクリックすると拡大します。
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 つづく・・・品川

東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋



東海道53次NO.2−2 新橋

2010. 3.12

新橋と銀座8丁目の境に「芝口御門跡」があります。
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芝口御門跡の位置です。
新橋駅の傍に神幸門、土橋があり汐留JCTが見えます。現在は埋め立てられて高速道路になっていますが、江戸時代には川が流れていた所です。
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切絵図にも芝口橋、土橋、御幸御門が書かれています。浜御殿と書かれてれている所は現在、浜離宮です。また、汐留のビルが立ち並ぶエリアは松平陸奥守・肥後守の所有地でした。
写真をクリックすると拡大します。
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立派な芝口御門ですが、今は石垣も撤去され何も残っていません。
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芝口御門の説明板です。
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新橋の親柱です。
新橋は芝口御門が出来た時、芝口橋と名前を変えましたが芝口御門がなくなった後、再び新橋と橋の名前が変わりました。
大正14年に建てられた親柱で、汐留川にかかっていましたが、前回の東京オリンピックの時、川は埋め立てられ高速道路が走るようになりました。
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高架を越えた所に柳が一本あり「銀座の柳二世」の立て看板があり、傍に歌碑があります。 

銀座は埋立地であったため、土は水分が多く、選ばれたのが水気に強い「柳」だったそうです。 

しかし、昭和43年、大規模な道路工事に伴って遂に姿を消しましたが、16年後のある日、撤去された銀座の柳が日野市に移植されているのが判明しました。
勝又康雄さんが接ぎ木をして再び、銀座に植えられたということです。
 


https://note.com/ktnhr/n/na931aa28283d

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旧新橋停車場へ向かいました。明治5年に開業した旧新橋停車場の駅舎を、当時と同じ場所に、開業当時の外観で再現したものです今でもモダンな駅舎です。
正面玄関 

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ホーム
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つづく・・・浜松町
東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座




東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座


2010.3.12


東海道は日本橋から八重洲、銀座、新橋と続きます。

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東京駅が見える八重洲通りに平和の鐘と「ヤン・ヨーステン」の碑があります。ヤン・ヨーステンは徳川家康の外交顧問に登用されたオランダ人です。彼がこの辺りに住み「ヤン・ヨーステン」⇒ヤンヨース⇒ヤヨース⇒八重洲となったそうです。
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東海道から少しそれて路地に入った所にあったのは歌川広重の住居跡でした。亡くなるまで10年過ごした場所です。
広重は幕府の定火消組同心の長男として生まれ、15歳の時歌川豊広の門人となり26歳の時、火消同心の家督を譲って浮世絵師に専念しました。天保3年(1832)保永堂から出した「東海道53次」がヒットしました。
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京橋近くに「江戸歌舞伎発祥の地」があります。

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江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)中村座の猿若勘三郎が中橋(日本橋と京橋の中間)で旗揚げをしたのが始まりで、市村座がこれに続き、やがて森田座、山村座と非常に賑わったそうです。
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「江戸歌舞伎発祥の地」の石碑の横に「京橋大根河原青物市場跡」の石碑があります。
京橋川の袂のこの場所は歌舞伎小屋や青物市場がありにぎやかだったと思います。
川を使って大根を中心にした野菜を運搬し荷揚げ後、江戸八百八町の住民に提供されました。市が立ち、人が集まり芝居小屋が建ったのでしょうか?
市場は「大根河岸」と呼ばれ明治・大正と続き、関東大震災後、築地に移りました。
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江戸時代の地図は現在と違い、要所要所の切絵図として存在します。その切絵図は必ずしも地図の上が北とはなっていないので現在のものと照合するのが難しいです。
下の写真は切絵図と現代の地図が掲載されているものです。
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左の水路が銀座通りに相当します。
中ノ橋と京橋の間の右(青地に1)に「大根カシ」という文字が見え、江戸時代に存在した証拠です。
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警察博物館と書かれていたビルです。
警察博物館は各地にあります。
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京橋の親柱です。
江戸は木造でしたが明治8年に石橋に架け替えられました。その時の親柱です。昭和38年に埋め立てられ橋は無くなりした。
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銀座発祥の地の碑です。この場所に銀貨をつくる役所があったようです。
写真をクリックすると拡大し説明が読みやすくなります。
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つづく・・・新橋


東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋





 

千両の花


秋から冬にかけて赤や黄色の実がなる千両の花は?と花が咲くのを待っていました。白いのが蕾で白い花が咲くのではと・・・
いつまで待っても花は咲きません。
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気がつくと実がなっていました。花が咲いた記憶がない。
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調べてみると、
花弁や萼がなく、雄しべと雌しべが1つづつついている不思議な植物でした。
あらゆる植物は花が咲き、実がなると思い込んでいました。こういう植物もあるのですね。
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では、万両の花は?
こちらは白い小さな花が咲くらしいです。庭に万両が植わっているのですが花には気がつきませんでした。来年、気をつけてみます。
 

東海道53次 NO.1−3 日本橋


2010.3.12

日本橋に到着しました。
日本橋の親橋の文字は徳川慶喜の文字です。 

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 日本橋は東海道や中山道等多くの道の起点で「日本国道路元標」が橋の中央に埋め込まれています。

 

 日本橋の記事は下記リンクで写真及び説明を御覧ください。

 東京駅から日本橋ー3 お江戸日本橋



つづく・・・八重洲・京橋・銀座

 東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越

東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越


2010.3.12

江戸時代、常磐橋は江戸城外堀に掛かる橋でした。その橋の内側(江戸城側)は大名が住む場所で、外側は商人が住む街でした。

常盤橋を渡ると正面に日本銀行が見えました。
この辺りは江戸時代、金貨、銀貨、銅貨を製造していた場所で日本銀行の場所は金座でした。
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日本銀行は見学可能なので玄関先に観光バスが停まっていました。
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現在と江戸時代の建物名が入った地図プレートがありました。
赤の点線ルートを歩きました。
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右に見えてきたのは日本橋三越です。
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三越の前身は時代劇によく出てくる「越後屋、おぬしも悪よのう」「いえいえ、お代官様ほどでは」という決り文句の越後屋です。本当に悪だったのかはわかりません。豪商の代名詞として使われたのでしょう。
江戸時代の呉服商は反物を大奥へ持ち込み、正札をつけず掛け値で販売していました。
三井家の家業は高利貸し部門と呉服商部門あり、呉服部門が越後屋呉服店だったのです。
詳しくは下記URL三井広報委員会の記事をご覧ください。
https://www.mitsuipr.com/history/meiji/03/ 

 

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日本橋三越の建物は外観も內部も時代の豪華さを感じさせてくれます。
2015年に掲載した下記ブログを御覧ください。

東京駅から日本橋ー2 日本橋三越本店



三越の向かいの建物は洋風建築です。
三井本館で、隣接する三井タワーに三井美術館が入っており、美術館は旧財閥三井の伝来品を収蔵展示しています。
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三井本館の建物全体と內部の写真があります。
https://www.mitsuitower.jp/mitsuimainbuilding90th/

振り返って三越と三井本館を撮影した写真です。
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三越の角を曲がるとすぐ日本橋です。

つづく・・・東海道53次 NO.1−3 日本橋

東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から






東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から


2010.3.12

2010年から歩き始めた東海道53次の記事は当初はブログを書いていなかった為、「ブラおやま」としてword・PDF変換で友達の発信していました。
小田原宿から箱根越え、そして原宿辺りまで記事としてブログに掲載していました。コロナの影響で出かけることが減ったため旅記事が少なくなったので江戸を出発したところから東海道歩きを加筆してブログ化することにしました。

東海道53次の歩き方がよくわからないので最初のうちはクラブツーリズムの「東海道53次を歩く」というツアーに参加し、要領を得てから一人で歩きました。

ツアー集合場所はJR東京駅日本橋口で多くのツアーの集合場所なので自分のツアーを見つけるのに少し骨が折れました。
35名の参加でした。このツアーは最初は多くの参加があるのですが徐々に落伍者が出て京都三条大橋までたどり着くときは少なくなっているそうです。

東京駅日本橋口の状況です。今は新型コロナの影響で閑散としていることでしょう。
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 最初のチェックポイントは「北町奉行所跡」でした。大丸の裏手のビルの谷間に石垣が残っているだけでした。

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北奉行所跡の説明は下の写真をクリックし出てきた写真を更にクリックすると拡大し読みやすくなります。
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北町奉行所跡の位置です。南奉行所跡は有楽町駅の傍です。
両方の奉行所で手腕を発揮したのは「遠山の金さん」だけです。

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 北奉行所跡から一石橋(いちこくばし)⇒常盤橋⇒日本橋へと向かいました。

一石橋は親柱が残っているだけでした。
橋の北側に金座の後藤屋敷、南側に呉服の後藤邸があり、両方の後藤(五斗)を合わせて一石というところから付いた名前ということです。
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一石橋のたもとに「一石橋迷子しらせ石標」がありました。
安政4年(1857)、町の有力者が建てた石柱です。
柱の左側に「たづぬる方」、右側に「志らする方」と掘られています。
「たづぬる方」には迷子や訪ね人の特徴を、「志らする方」には迷子を保護した者が迷子の特徴を紙に書き石柱に貼ったそうです。
この辺は江戸時代、盛り場であり、多くの人が集まったので迷子が出たのでしょう。現在のイベント会場の迷子センターの起源かもしれません。
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常盤橋公園に立つ渋沢栄一の像です。
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3月12日ですが2010年は暖かったのでしょうか桜が咲きかけていました。
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常盤橋門があった場所には石垣のみが残っています。
将軍家光の頃までは浅草口・追手口と呼ばれ、橋詰に北町奉行所がありました。 

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常盤橋門は江戸城大手門に通じる門で登城・退場のために通る門です。

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常盤橋門のすぐ先に常盤橋が見えています。
最初は木橋でしたが明治10年に洋式の石橋に掛け替えられ、東京最古の石橋でした。
しかし、2011年の東日本大震災により橋の崩落の危険があるため補修工事に入り2021年4月に補修工事が終了しました。
東海道歩きは2010年で復元工事前だったので渡ることが出来ました。
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2015年8月にこの近辺を歩いたときのブログ掲載記事です。
常盤橋修復工事中の様子の写真を掲載しています。
東京駅から日本橋ー1 常盤橋

常盤橋修復工事令和3年完了し、修復状況の記事は下記URLです。
https://www.youtube.com/watch?v=W4TJWCYJrhU


つづく・・・東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越


 

ブログ総訪問者数


私のブログの総訪問者数が11万人を超えていました。
皆さまのおかげです。
ありがとうございます。
今後も情報発信をしていきたいと思いますので
ご愛読のほどよろしくお願い致します。
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赤い実


2021.7.5

家内がこの赤い実は何?と持ってきたのが下の写真です。
秋に赤くなるはずのヤマボウシの実です。
秋に濃い赤になるヤマボウシの実は食べられ甘い味がするはずです。
まだ熟し切っていないのものの食べるとサトウキビのような甘さでした。
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ヤマボウシの実のほとんどはまだグリーンです。
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赤くなり始めた実です。
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青いつゆくさ


2021.6.29

日本古来のつゆくさが咲き始めました。
上を向いた大きな青の2枚の花びらと、殆ど目立たない1枚の白い花びらからなります。
名前の由来は朝露を浴びながら咲く様子や、朝咲いて昼には縮む朝露のようだということから付けられたと言われています。
花言葉は「尊敬」「小夜曲」です。
花は野菜として食べられます。新芽もサラダとしても食べられるようです。
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以前紹介したツユクサと名前が付いている花です。
ムラサキツユクサ&トキワツユクサ




 

大雨後の散歩道の川


2021.7.3

今年は梅雨入り宣言後、雨の日が多く、特に昨晩から今朝にかけては強い雨が降りました。
熱海では衝撃的な土石流が発生し、私が住む南足柄市に土砂災害警戒警報が早朝発令されましたが私の家は大丈夫でした。
15時過ぎに雨がやんだので散歩に出かけました。
下の動画はいつもはほとんど水が流れていない矢佐芝川ですが、大きな音をたてて流れていました。






 

新しく植えたブルーベリーの実がなる


2021.6.30

今年1月に植えたブルーベリーの苗木が実をつけました。
各枝に花が咲き実をつけましたが、苗木を植えた年なので、苗木を丈夫に育てるため摘果するほうがベターです。どんな実がなるのか確かめたいので一枝に二個残して摘果しました。
大きめの実がつきました。
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植えた苗木は下記リンクです。
ブルーベリー苗木の植え方


隣に植わっているブルーベリーは少し小粒ながらたくさん実がついています。
こちらは収穫時期が、新しく植えたブルーベリーより遅いです。
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小田原フラワーガーデンー散策


2021.6.29

トロピカルドームを出て、バラ園を一巡りし、梅園を通ってハナショウブ池の方
へ向かいました。
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もうすぐ7月というのに、薔薇がたくさん咲いていました。
写真では小さく写るのでよくわかりませんが、実際は満開の感じでした。
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バラ園から渓流の梅園へ降りてきました。
花菖蒲シーズンになるとデッキの左右に花菖蒲が咲くのですが今は終わっています。アガパンサスが咲いていました。
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木陰には紫陽花が咲いていました
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しばらく、公園の端に咲いている紫陽花を眺めながら池へ向かいました。
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カンゾウだと思います。
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黄色くニッコウキスゲのような気もしますが。
ニッコウキスゲは、やや横向きに咲き、カンゾウはどちらかというと上向きに咲くと言われていますが区別はむつかしいです。
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睡蓮が少しだけ咲いていました。スマホではこれが限界です。
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1つだけ残っていた花菖蒲です。
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クリーム色の小さな睡蓮で埋め尽くされています。
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雨が降り出し、急いでトロピカルドームのフラワーショップに戻り、ケイトウとコリウスの苗を購入して帰りました。
二時間の気分転換でした。

小田原フラワーガーデンー10年に一度咲く花





 
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