花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2022年07月

三島・源兵衛川−5 三嶋大社


 2008.8.26

最後に三嶋大社に寄りました。三嶋大社は数回訪れています。ここの鳩は近づいても飛び立ちませんでした。いたずらをする人がいないのでしょうか?うずくまっている鳩もいました。参道の先に本殿があります。
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三嶋大社境内は下記URLを御覧ください。
http://mishimataisha.or.jp/precinct/


神池です。
三脚を立ててカメラを設定していた人によると、神池にカワセミが来るとのことで、水面に浮かび上がってくる小さな魚を取りに来るそうです。この日は3時間待っているが一羽もカワセミは来なかったそうです。
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亀が列をなしています。
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舞殿
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本殿
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本殿の大屋根には菊の紋がついていました。
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樹齢1200年という金木犀です。1200年前は西暦800年。というと、794年に
桓武天皇が京都に都を構えた平安時代初期で藤原不比等の活躍した時代、遣唐使の時代です。すごい、すご〜い。大きいです。花芽がもう付いていました。木のそばに居た人によると3年ほど前から葉の数が減ってきたそうです。
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御神木の金木犀の根元です。
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三嶋大社と三島駅を結ぶ道です。私はこの柳の道が好きです。
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以前よりきれいに整備され「水辺の文学碑」という名が示すように川筋に小説家の文学碑がいくつか立っています。三島を舞台にして本を書いた人達です。

井上 靖 「少年」より
  三島町へ行くと
  道の両側に店舗が立ちならび、
  町の中央に映画の常設館があって、
  その前には幡旗が何本かはためいていた。
  私たち山村の少年たちは、
  ひとかたまりになり、
  身を擦り合わせるようにくっつき合って、
  賑やかな通りを歩いた。

太宰 治 「老ハイデルベルヒ」
  町中を水量たっぷりの澄んだ小川が
  それこそ蜘蛛の巣のやうに
  縦横無尽に残る隈なく駆けめぐり
  清冽の流水の底には
  水藻が青々と生えて居て
  家々の庭先を流れ縁の下をくぐり
  台所の岸をちゃぶちゃぶ洗ひ流れて
  三島の人は 台所に座ったままで
  清潔なお洗濯が出来るのでした。

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三島駅まで戻って来て、彼女に「豊田まで遠いのでこのまま帰ります?それとも一息入れ
てから帰ります?」と聞くと、すぐ、「一息入れてから帰ります」との返事なので三島駅付
近でカフェを探しました。しかし一軒(ひまわりという名の喫茶店)しかありませんでした。駅前に喫茶店が一軒しかないのは40年前からです。帰ってからインターネットで三島を見ていると「駅前整備の要望書」の欄に「駅前に喫茶店がないので造って欲しい」とありました。同感!駅前整備が終わった現在のgoogleマップを見ると喫茶店はなくなり、駐車場になっていました。食べログで検索すると閉店中とでました。

カフェでの話しに戻ります。暑い日ですが私は暑くてもホットコーヒー派ですので、もち
ろんホットコーヒーです。彼女もホットコーヒーでした。彼女に聞くと「やっぱりコーヒー
はホットでなければ」と、話が合い、しばらくコーヒー談義が続きました。
彼女の研修は仕事を休んでの研修参加で「腹話術」をやっているそうです。幼稚園や老人
ホームで活躍とのこと。無表情の老人が腹話術で笑顔を見せることもあり、腹話術は感情
を呼び起こすのに貢献しているらしいです。

古風な構えの三島駅南口です。写真を撮り忘れたのでネットからです。
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源兵衛川コースは歩くだけだと2時間コースです。美術館に寄り、カフェでお茶をしたので3間になりました。
「道連れの旅」はじっくり写真を撮ることは出来ませんでしたが、自分の気がつかないことに気付かされたり、新しいことを知ったり、結構楽しいものです。
相手がおしゃべりでしたので私も普段よりおしゃべりになったようです。


おしまい





三島・源兵衛川−4 佐野美術館、祐泉寺

2008.8.26

源兵衛川散策が終わり、駅へもどる途中、まず佐野美術館に寄りました。
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佐野美術館では静岡出身の漫画家「しりあがり寿」の墨絵のアニメが展示されていました。佐野美術館は日本刀の収集で有名ですが、それだけではなく、いろいろイベントを企画しています。
次会は陶器の「ノリタケ」ということでした。
私は立ち寄るつもりはなかったのですが彼女が「寿楽園で一緒になった人が、ここが良いと推薦された」ので入りたいとのことでした。彼女は水墨画を書くそうです。彼女も私も「しりあがり寿」を知りませんでした。
展覧会場では縦2.5m横20mぐらいの紙に絵巻物風に子供が主役のアニメーションを墨で書いてありました。部屋を一回りする長さでした。
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彼の漫画はペンで簡単に書いたもので独特のタッチの絵にファンが多いようです。
液晶画面に映る彼のアニメーションがありました。
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後でネット検索すると、佐野美術館の隣に佐野隆一が作った隆泉苑という日本家屋と回遊式の庭があったことを知りました。気が付かず残念なことをしました。
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三島田町駅の前を通過し、しばらくして左折して大社前の大通に出ます。新しく整備された道です。この道から右に少しそれると祐泉寺がありますが、彼女に「お寺はもういいね」と言うと、「ハイ」という返事なので大社へまっすぐ進みました。
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しばらく歩くと、パンフレットを見ながら歩いていた彼女が突然、「大きな石の在る寺へやっぱり行ってみたい」と言いだし“旅は道連れ、世は情け”で少し戻りました。彼女は番号の付けてある見所は行かないと気が済まないらしいです。

祐泉寺は小さなお寺で戦国時代の北条早雲の孫、北条新三郎が建立した寺でした。
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ここは奈良時代前の白鳳に建立された大興寺跡の伽藍のあった所だそうです。
下の写真の大きな石は、この付近から三島大社の方面にあった薬師寺式の伽藍配置の西塔の中心の柱の基礎だそうです。このような大きな石を基礎にし、その上に柱をたてていたのです。奈良時代の前の時代に加工して使った石が出てきたとは歴史を感じさせてくれました。
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礎石の横を見ると北条早雲の孫の墓があると書いてありました。家の庭先を通って行くような感じなので彼女は「ここ入って行っていいの?」、旅先ではいろんな処へ入りこむ私なので「大丈夫、正面・奥と書いてあるので行こう」と奥に進みました。
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墓の並びの奥左に手厚く葬られていました。竹の囲いがしてあり、坪庭風情の墓です。
歴史上の人物の墓は殺風景な場所に墓石だけというのが多いです。
彼女は北条早雲を知りませんでしたので「戦国時代、早雲は今川の家臣で・・・小田原城を築城し・・・・・豊臣秀吉に北条家は滅ぼされた。・・・・・・一夜城・・・・・小田原城の近くに私は住んでいる」とうんちくを垂れてしまいました。
彼女曰く「お城と言えばこの間、姫路城へ行って来ました。素晴らしいお城で、今まで見た中で一番きれいで大きな城でした」「私は姫路城の近くに子供のころ住んでいてよく行きました。・・・・」等々話が弾みました。
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祐泉寺を出ると正面に法華寺がありました。この寺は珍しく門が閉じてました。特別な寺なのでしょうか?それとも、ここは裏門なのでしょうか?
マップを見るとこの界隈は寺町のようです。7つの寺があります。
法華寺には源頼朝が伊豆へ流罪になった折、般若心経を写経したものが奉納されているそうです。
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つづく・・・三嶋大社から三島駅
三島・源兵衛川−1 子供が遊ぶ源兵衛川
三島・源兵衛川ー2 川沿いのカフェ
三島・源兵衛川−3 梅花藻
三島・源兵衛川−4 佐野美術館、祐泉寺




三島・源兵衛川−3 梅花藻


2008.8.26

源兵衛川の下流に進むと緑の藻が密生し、白い点がたくさん見えました。
藻の中に白く見えるのは「バイカモ」だと彼女が教えてくれました。冷たいきれいな水にしか育たないそうです。どういう字を書くかと尋ねると「梅のような花が咲くので梅花藻と
書く」と教えてくれました。ここのは「ミシマバイカモ」と言うそうです。
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梅花藻の花言葉は「幸せになります」です。
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梅花藻の花が咲くのは6月から9月です。10度〜20度の水温の清流にのみ育つ植物です。
五弁の花が水から顔を出し、梅の花に似ています。
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醒ヶ井宿を訪れたときも花は咲いていませんでしたが梅花藻がありました。
醒井宿−4 梅花藻

カンゾウの花に止まっているクロアゲハを狙いましたが、残念ながら飛び立ってしまいました。
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「水の苑緑地」です。
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「水の苑緑地」の先は桜並木になっていました。花の季節はきれいなことでしょう。
この先は普通の川の土手になっているようなので少し歩いて戻り、佐野美術館へ行くことにしました。戻って適当に右に折れました。大体この方向だろうと見当を付けて歩くのが私の流儀ですが、彼女は人がいるとすぐ聞く名人でした。信号が青になっても渡らず親切に教えてくれるのが三島の人です。みなさん親切に道を教えてくれます。彼女いわく「方向音痴なので人に聞かないと不安でしょうがない」そうです。
それで、私が寿楽園を出たところで捕まって尋ねられたのでしょう。また、マップに書いてある番号の「見所」を丹念にチェックしています。私は自分の好きなものを見れば良いと常に適当に歩いています。

つづく・・・
三島・源兵衛川−4 佐野美術館、祐泉寺
三島・源兵衛川−1 子供が遊ぶ源兵衛川
三島・源兵衛川ー2 川沿いのカフェ




 

三島・源兵衛川ー2 川沿いのカフェ


 2008.8.26

源兵衛橋は旧東海道に掛かる橋です。
東海道53次を歩いた時にこの橋を渡りました。
http://buraoyama.blog.jp/archives/5008759.html

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源兵衛川の由来を書いてある立て看板です。
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川沿いに歩くと、常林寺に出て、時の鐘と名づけられた鐘楼がありました。江戸時代、三島宿で時を知らせていたそうですが、今は梯子が外されていますので「大みそか」ぐらいしか鐘をつかないのでしょう。近代的なコンクリートの鐘楼ですから建て替えたのでしょう。
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三石神社
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さらに進むと、緑の多い川筋にでます。田舎の風情が残っていました。2008_0827三島0022

土手の上に登り歩いて行こうとすると、線路の下を歩いて来た子供連れの女性に「こちらの方が面白いですよ」と言われ、下の道(石伝いの道)を行きました。

石が歩きやすく並べられています。童心に戻った気分で歩きました。
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川の上の鉄橋を伊豆箱根鉄道の電車が走って行きます。修善寺から三島への電車です。電
車の下にいるというのが、なんだか嬉しくなります。
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きれいに並べられたコンクリートブロックの先は、また木道です。教わらなかったらこんな良い所を歩きませんでした。声をかけてくれたお母さんに感謝です。写真の右手にカフェらしきものが見えます。
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カフェのこの席は一等席ですね。客が来ないのでオーナーが寛いでいるのでしょうか?それとも、常連客が寛いでいるのでしょうか?許可を得て、写真を撮らせて貰いました。ドラマのワンシーンのようです。この日一番の写真だと思っています。
2004年に出来たカフェで、今はイタリアンレストランになっているようですが健在です。
http://www.dilettantecafe.com/
https://susonocity.com/mishima-dilettantecafelunch

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歩く先を見ると木の橋の上では雀も遊んでいました。
ギターの音色に惹かれて遊びに来たのでしょうか?
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つづく・・・
三島・源兵衛川−3 梅花藻

三島・源兵衛川−1 子供が遊ぶ源兵衛川


三島・源兵衛川−1 子供が遊ぶ源兵衛川


2008.8.26

大学時代のメル友に「わが町南足柄の清左衛門地獄池が平成の名水百選に選ばれた」とメールしました。すると、東レに就職し三島に住んでいたことがある彼から三島の源兵衛川も平成の名水百選に選ばれていると返事が来ました。そこをよく散歩したことがあるのでお薦めの川だとのことでした。そこで三島の源兵衛川に出かけました。

当時、新幹線で三島駅に降りるのは初めてで、新幹線のホームから降りる階段は中央付近にあるものだと思っていましたが、三島駅はホームの端(東京側)にあり、列車を下りて、階段を探して一瞬とまどってしまいました。
南口へ出ると昔のJR の改札口があり、記憶が戻って来ました。駅のロータリー前はさすが「水の街三島」、富士山からの湧水が見られます。(デモンストレーションで、ポンプで水を循環しているのかもしれませんが?)
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駅前のポストの上には「三島農兵節(踊り)」と書いてある人形が飾ってありました。
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インターネットで調べてみると下記のように記されていました。知らなかったです。
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江戸時代の末期、伊豆韮山の代官「江川太郎左衛門坦庵公」はわが国を外国の攻撃から守る必要性を幕府に訴え、韮山に反射炉を設け大砲を製作するかたわら、若き農夫を集め、彼らを兵力とするためその訓練に力を注いでおりました。
そんな時、海外の技術を学び、長崎から戻ってきた太郎左衛門の家臣、柏木総蔵が伝え聞いてきた珍しい音律のノーエ節に「富士の白雪朝日で解けて‥」と歌詞をつけて鼓笛隊を組織したのです。
その後、音律豊かな農兵節として彼ら農兵の訓練に使われたことはあまりにも有名で、諸藩の藩士は先を競って三島を訪れました。 明治以降は舞を振り付け、ついには全国に知れわたる「三島農兵節」となり三島の代表的な民謡として三島夏まつりには欠かせないものとなっています。
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まずは「観光案内でマップを仕入れて・・」と思いましたが、駅舎に観光案内が見つかりませんでした。来る前にインターネットで源兵衛川の位置を確認した記憶を頼りに歩きはじめました。伊豆箱根鉄道の改札近くに「ロッカー→」と書いた張り紙を見つけ矢印をたどるとロータリーの出口に観光案内所がありました。観光案内所でマップをもらい歩きはじめました。
地図の赤線のコースです。
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駅からの中央道路を行くと左手に「三島文化会館ゆうゆうホール」があり、タイミング良く音楽とともに「からくり時計の人形」が現れました。


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文化会館のすぐ先に寿楽園がありますが一度、行ったことがあるのと、今回は源兵衛川を歩くのが目的なので入口の写真だけ撮りパスしました。
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寿楽園を通り過ぎた次の角で、女性に「源兵衛川にはどう行ったらいいのでしょうか?」と尋ねられました。マップで確認し、次の角に「源兵衛川」の標識が見えたので、「私も行くので一緒に行きましょう!」と二人で歩きだしました。

源兵衛川は川幅が狭く、浅瀬で透き通った水が流れ、夏でも冷たい水です。川に掛った木の橋を渡るのは良い気分です。彼女は「写真を撮ってください」とウエストポーチからカメラを取り出しました。
彼女は天城で研修があり、正午に終わりこのまま帰るのはもったいないので三島を散策することにしたそうです。
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夏休みなので、小学生がお母さんと一緒にたくさん来ていて、水遊びに夢中でした。この辺の水深はくるぶしのちょっと上ぐらいです。
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網を持っている親子がいましたので何を捕っているのかと聞くと、「魚と海老」と言ってバケツを見せてくれました。
川をよく見ると小さな魚がたくさん泳いでいます。
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子供の頃、あぜ道の近くを流れる川に入って魚やザリガニなどを捕ったのを思い出しまし
た。こんな自然の川がある三島の子供たちは幸せです。寿楽園へ行ってきた彼女曰く、「寿楽園」の小浜池は三年前から水が湧き出なくなり涸れていたとのこと、私が訪ねたときも水はありませんでした。最近、寿楽園へ行った人から水が戻ってきていると聞いています。
小浜池の水位と、水がある時と枯れた時の写真が掲載されているサイトは下記です。
https://www.city.mishima.shizuoka.jp/rakujyu/kohamaike_current.html

源兵衛川の元は小浜池ですが、友人から「源兵衛川は東レからの冷却水を流している」と聞いていました。
寿楽館では10:30と13:30から30分間一般公開があり説明が聴けるので一緒に歩いた彼女はタイミング良く案内して貰ったそうです。

広場には昔の井戸のポンプが置いてあり、人力で水が流れ出るのを子供たちには楽しんでいました。汗を流して一生懸命でした。今の子供はこんなポンプは郷土資料館のような所でしか見ることはできないでしょう。自然に触れられる、生きた教材です。川の水をくみ出し、川へ返しているのです。昔の道具を遊び道具として備えるのはいいアイデアだと思います。
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つづく・・・三島・源兵衛川ー2 川沿いのカフェ




竹取物語の里−4 泉の郷


2005.9.29

竹採公園から東に歩いて行くと南方向が開けた、見晴らしの良い場所に出ました。遠くには伊豆半島が見えていました。
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台地に立った様です
が富士山の裾野を横に歩いているのだと気がつきました。南に向かうと坂を降りる。北へ向かうと坂を登ることになります。東西に歩くと平坦な道を歩けるという位置に立っていることを理解しました。
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歩いている山側は新しい家がたくさん建っていました。土地は南が低いことがわかります。
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竹取物語のロマンの郷”にさよならして“泉の郷”へと入っていきました。
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「泉の郷」入り口です。
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富士山からの湧き水が出ている場所で、水も緑もきれいです。憩いの場になっているのでしょう。
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マップによると、すぐ先にデッキでコーヒーが飲めそうな“「ハイホー」(焼きたてパン屋)”があり休憩しようと向かったのですが、潰れたのか?現在、建物は撤去され普通の家が建築中でした。しかたなく缶コーヒーで喉を潤しました。

岳南富士岡駅舎に到着です。駅の周辺には全くお店がありません。岳南鉄道2 駅分歩いたことになります。
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駅の側にあった観光案内板です。
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ホーム横に赤ガエルと電気機関車ED129が停車していました。キバナコスモスがローカル線に彩りをそえています。
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車庫に停まる岳南鉄道車両です。
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岳南鉄道を使った旅は終わりました。
JR東海道線吉原駅のプラットホームへの階段から富士山が見えました。
左に古い跨線橋が見えています。
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貨物列車の背後に見える富士山です。
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おしまい

竹取物語の里−1 岳南鉄道
竹取物語の里−2 永明寺
竹取物語の里ー3 竹採公園
竹取物語の里−4 泉の郷

竹取物語の里ー3 竹採公園


2005.9.29

永明寺から東に向かって12 ,13分歩くと目的の竹取物語の世界に到着しました。
現在は竹採公園になっています。

岳南原田駅から少し行ったところにあった案内碑です。
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竹採公園入口です。
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「富士に伝わる竹取物語」について下記のように書かれていました。
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富士に伝わる竹取物語 竹採りの翁(おきな)と竹から生まれたかぐや姫の竹取物語は、古くは奈良・平安時代の頃から語りつかれてきた。この竹取公園には、竹採姫刻んだ自然石の塚があり、古くから翁と姫が住んでいたと伝えられている。月の世界に帰っていくあらすじの竹取物語は童話や絵本で良く知られているが、富士に伝わる物語は多少異なる。 728年から805年の頃、この地に翁夫婦が住んでいた。翁は籠を造ることを生業としていた。ある日、竹の中から一寸余の少女を授かった。成長するに従い、美しく、容顔麗、無双美女となり、かぐや姫と名付けた。このことを知った国司は姫の元に押し掛け、数年間を一緒に過ごした。ある日、姫は暇をもらい富士山の仙洞に帰りたいと願い出るが許されず、一つの箱を残して去ってしまった。国司は大変悲しみ、後を追う。富士山の頂にある大きな池まで来ると、池の中に宮殿があり、姫は人間でなく天女になっており、容顔が変わっていた。これを国司は悲しみ、姫が残した箱と一緒に池に身を投げて死んでしまった。この周辺はかぐや姫、籠畑などの地名があり、かぐや姫との関係を暗示させるような雰囲気を持った地域である。
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モウソウチクの竹林があり、かぐや姫の生まれ故郷に近づいてきました。
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竹採塚
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近くのベンチに腰掛けておにぎりを食べ、次に向かいました。
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つづく・・・
竹取物語の里−4 泉の郷
竹取物語の里−1 岳南鉄道
竹取物語の里−2 永明寺




 

竹取物語の里−2 永明寺


2005.9.29

岳南原田駅を降りてまず訪ねたのが永明寺です。六地蔵が並んでいました。永明寺は今川・武田・豊臣・徳川の庇護のもと栄えた寺です。

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「掃けば散り、はらえば またも塵つもる  庭の落ち葉も 人の心も」と彫られた石碑の上に立つ小坊主が出迎えてくれました。
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本堂から庭を鑑賞するつもりでしたが閉まって鍵がかかっていたので無理でした。人がいれば聞けるのですがだれも居ませんでした。
仕方なく本堂の左へまわると、「七福神参道」がありました。
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七福神参道を上ると庭が見下ろせました。
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つつじの花の時期は見事だと思います。忍び込んだ状況なので、お坊さんが出てきてどなられないかちょっぴり心配でした。滝不動がありそこに女性がいたので聞いてみるといつもは開いているそうです。出かけたのかな?と言っていました。
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東海屈指の回遊式庭園で「富士乱水の庭」と言われています。
あちこちの岩場より水が吹き出していました。
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滝不動です。小さな滝に不動が打たれています。
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つづく・・・
竹取物語の里ー3 竹採公園
竹取物語の里−1 岳南鉄道



竹取物語の里−1 岳南鉄道


2005.9.29

以前から歩いてみたいと思っていた「竹採り(竹取物語)の里」へ行ってきました。小田原から東海道線下りに乗りました。三島駅近くから愛鷹山の右に富士山が見られます。電車が進むと共に富士山が左に動き、愛鷹山の左に富士山が移っていく様子をのんびり眺められました。

東海道本線吉原駅で下車し「岳南鉄道」に乗り換え目的地に向かいます。
吉原駅から見えた富士山です。
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時刻表を確認せず出かけたので岳南鉄道への連絡が悪く、待ち時間が25分あり、駅付近を歩きましたが何も無い駅周辺でした。学生時代、叔母が一時、吉原に住んでいたのでその折、訪ねたことがあります。その頃とほとんど変わっていませんでした。何故だか駅前の「トンボタクシー」を覚えていました。多分「トンボタクシー」を利用したのだと思います。

目的地到着はお昼になるのでコンビニでおにぎりを買おうと思いましたが駅の周辺にありませんでした。「岳南鉄道」の職員にたずねると、「竹採公園」に一番近い駅は比奈駅だが、一つ前の岳南原田駅の近くに「セブンイレブン」があるのでそこで調達するのが良いだろうと親切に地図で教えてくれました。さらに、電車が少ない(30 分に1 本程度)からと時刻表までくれました。吉原駅以外は無人駅です。
待ち時間がたっぷりあったのが幸いしました。
全長9.2kmの岳南鉄道路線図です。
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岳南鉄道吉原駅ホームに入ると一両編成のレトロな電車が停まっていました。屋根に丸みがあり、ライトが頭についている一時代前のかわいい電車です。
7000系の新赤ガエルです。岳南鉄道はこの他、二両編成の赤ガエル、青ガエルと呼ばれている車両があります。
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路面電車に乗っているような感じで、電車の窓のすぐそばに家の軒・窓が見られます。
煙を吐き出している煙突がならんでいます。吉原は製紙会社の街です。
吉原は、富士山の伏流水による豊富な湧き水を利用した製紙業が盛んです。旧昭和製紙、王子製紙等大企業もありますが、多くは中小企業です。
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古紙が積み上げられている製紙工場です。
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ドアは3 ヶ所。後ろの扉から乗り、岳南原田駅で後ろの扉から降りようとすると閉まっていて、あわてて前の扉へ行きました。帰りに観察するとワンマン車で、真中乗車、前降りでした。真中に整理券箱があり、前と後ろに料金箱がありました。なぜ前後に料金箱があるかというと終点になるとそのまま前後が反対になるからです。ここがワンマンカーのバスと違うところで電車はUターンできないのです。
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岳南原田駅はまさにローカル線の駅舎です。
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セブンイレブンでお昼のおにぎりを購入した後、目的のかぐや姫の生誕地へ向かいました。まず、永明寺というお寺へ寄りました。
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つづく・・・
竹取物語の里−2 永明寺






 

酒田−4 相馬樓


2005.9.9

 最後に、相馬楼を訪ねました。江戸時代から続いていた「相馬屋」という料亭です。
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相馬樓の格子戸の前で一瞬立ち止まってしまいました。普通観光できる建築物へ入るときは入り口ドアは開放的に開いているのですが、閉まっていてだれも周りに居ません。知らない料亭へ一人で入ったことなどないので「良いのかな?」と躊躇しましたが、意を決して格子戸を開けると、真っ赤な世界にびっくりしました。
江戸時代の絢爛豪華な料亭遊びとはこういうところでの遊びだろうと思いました。床は赤い毛氈が敷かれ階段手すりは赤い塗り、そして赤い壁でした。
二階への階段(備忘録にあった写真ですがパンフレットの写真だと思います)
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大広間には扇をデザインした金の座布団がずらりと並んでいました。
ネットの写真ですが現在は観光化して座布団も変わっているようです。
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玄関右手の階段を2 階へと上がりかけたところで二人の舞娘さんにばったり、「おいでやす」の言葉にうっとりしてしまいました。真近で声をかけられてどきっとしました。再度2 階から階段を降りきったところで又、出会いました。
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階段を降りてくると料亭の女将さん風情の人が居て一緒に歩いていろいろ説明してくれました。

相馬樓はバブルの頃まで開業していましたが「一見さんお断り」の料亭であった為、商売が成り立たなかったそうです。このままつぶすのは惜しいと郷土の平田牧場が買い取り、観光向けに改造したとのことでした。建坪250 坪?とか言っていたように思います。国の登録文化財になっています。


蔵を取り囲むように部屋が配置され、建物の中に水を張った場所を四角い飛び石づたいに、舞台へ行くようになっているところがあり、楽しむ料亭になっていました。
観光用にリニューアルした時、日本一大きなお内裏さまをしつらえたそうです。建物を歩いていると三味線の音が聞こえてくるのでそちらへ行くと舞娘さんになるための稽古場があり数人、化粧をして稽古に励んでいました。舞娘さんの踊りは午後2 時からだそうですが、行ったのは午後4 時過ぎでした。残念でしたが観光客が居ずゆっくり出来てよかったです。帰りには「予約を入れていただければ食事(お弁当だと思います)も用意します。舞娘さんの踊りを見ながらどうぞ!」と言われました。

現在は竹下夢二美術館を兼ねています。

蔵の写真や舞娘の写真がある相馬樓のHPは下記URLです。
https://www.somaro.net/

酒田の観光は終わりました。自転車を返してホテルで一休みしました。翌朝早く帰ることにしました。
列車は特急が10 :40 発で遅く、高速バス発着所へ切符を買いに行くと7 時、8 時、9 時台全て満席でした。10 時がかろうじて1 枚ありそれを購入しました。
 
夕食はホテルからさほど遠くないすし屋へ行きました。味は「まあ、まあ」可もなし不可もなしというところでした。カウンターは結構満席に近く、私のような観光客が多いようでした。

おしまい

酒田−1 酒田へ
酒田−2 本間美術館&本間家旧本邸、鐙屋
酒田−3 山居倉庫
酒田−4 相馬樓




酒田−3 山居倉庫


 2005.9.9

4 番目に立ち寄ったのは川の側に建っている米倉庫群、山居倉庫でした。
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山居橋から倉庫に入りました。
山居橋

山居倉庫は1893年(明治26年)に旧庄内藩酒井家により山居島に建てられた米倉庫です。
14棟建てられ12棟が残っています。現在も米倉庫として使用され、一部、資料館や観光物産館に利用されています。
ケヤキ並木が美しい場所です。借りた観光用自転車のマークのおかげで道路のそば、神社の片隅、どこに停めてもお咎めなしでした。
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下記URLは山居倉庫のPR動画です。
https://sakata-kankou.com/spot/30159


日本海を見たくなったので、酒田港へ緩やかな坂道を下りました。サイクリングはグリーンヒルに移っ
てからすっかりご無沙汰で、久しぶりに風を切って走る気持ち良さを味わいました。下る先は南ではなく北西方面です。

昼の喫茶店で「海鮮市場があり寿司が旨い」と言われましたが昼食後わずかしか経っていないし寿司でもないし・・・市場といってもほんの小さな建物でした。展望台に上って日本海と鳥海山を眺めました。海岸を走るとたくさんの風力発電のプロペラが回っていました。やはりこの地方は風が強いのでしょう。この日は快晴で微風でした。翌日は曇りで鳥海山は見えなかったです。

少しのんびりするため、日和山公園へ登りました。
日和山公園

日和山公園は大きな芝生があり、池に江戸時代活躍した帆船の1/2の模型が浮かんでいました。母親と子供が広い芝生でボールで遊んでいました。ソフトクリームを見つけたのでソフトクリームを食べながらベンチで親子を眺めていました。船のむこうに見える白い建物は日本で一番古いだろうという木製の灯台です。その向こうは日本海で、沈む夕日が眺められるそうです。
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日和山公園の続きの日枝神社(下日枝神社)への遊歩道を歩くと歌碑がたくさんあり、その中に夢二の「ここの山は全部、松ばかり」という意味の碑がありました。この辺りの土は砂土でした。ハマナスも植わっていました。
下日枝神社は下記URLを御覧ください。
https://sakata-kankou.com/spot/30401

つづく・・・酒田−4 相馬樓

酒田−1 酒田へ
酒田−2 本間美術館&本間家旧本邸、鐙屋









酒田−2 本間美術館&本間家旧本邸、鐙屋


2005.9.9

酒田で最初に向かったのが本間美術館です。
マップ1

文化10年( 1813 年)豪商4代目・本間光通が建てた別荘で、藩主酒井候より名付けられた「鶴舞園」という回遊式庭園が見事でした。
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清遠閣という日本家屋は、ふすまが取り外され雨戸が全部開けられており、涼しい風を感じながら畳に座って眺める庭に気分が安らぎました。
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本間美術館のがYou Tubeに出ていました下記URLです。
https://www.youtube.com/watch?v=1JXRiDR_MG4


お昼近くになったので観光協会で聞いたレストラン街へ、もらった地図を眺めて自転車をこぎました。
道は碁盤の目になっていてわかりやすかったです。寺町街を走り、時間があれば寺院をのぞくのも良いだろうと思いながら大ききな塔や酒田大仏を横目に昼食のしゃれた喫茶店、夕飯用のレストランと探せど、探せど、見つからず。あるのは小さなスナック・居酒屋のみでした。
寺町を歩いた人のブログを見つけました。
https://blog.goo.ne.jp/sakatanohito/e/b3a198879010ee257f087b7b7c90fe0d

酒田大仏です。
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結局、駅近くの古びた喫茶店を見つけて入りました。カレーとコーヒーを注文しました。店にはお客が居ず、店の人と話しながらカレーを食べました。店の人に聞くとやっぱり「しゃれたところなどない」とのこと。考えるに、自転車で走っていても人がいなかったです。(平日のせいもありますが)。商店街も人が歩いていないので自転車で通り抜けました。この町は米の町、漁師の町なのでスナック・居酒屋が多いのがうなずけました。

入った喫茶店はマリンという喫茶店だったような?
https://www.japan-cafe.com/entry/67423166


昼食後は「本間家旧本邸」へいきました。
マップ2


「本間家旧本邸」は明治5 年に酒井藩主のために、幕府巡視者用宿舎として大地主の本間家が建造し、差し出した旗本2000 石級の武家屋敷です。
書院造りの門構えで、奥は商人の屋敷づくりになっていました。これらが一体化しているめずらしい建物です。
玄関口には樹齢400 年といわれている立派な松が植わっています。
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書院づくりの「床窓」はハイカラで素晴らしいと思ったら、説明によると障子の桟は逆卍のデザインでした。
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邸の中はがっしりした大きな梁を使い、角館の武家屋敷に比べスケールが大きかったです。

本間家旧本邸のHPです。
http://hommake.sakura.ne.jp/


次に向かったのは「廻船問屋鐙屋」でした。
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鐙屋惣左衛門は酒田36人衆の一人。井原西鶴の「日本永代蔵」にも出てくる商人でした。「北の国一番の買い入れ惣左衛門といふ名を知らざるはなし」と「日本永代蔵」に記されています。
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旧鐙屋の帳場、台所では人形が当時の様子を再現していました。
鐙屋1


「本間家旧本邸」は武家なので、かわらの立派な屋根ですが「鐙屋」は商家のため、わらぶきに丸石を置いた粗末なものであったそうです。


つづく・・・酒田−3 山居倉庫

酒田−1 酒田へ
 

酒田−1 酒田へ


2005.9.9

17年前に酒田に出かけた時の話です。昔のことでPCを新しくする際、デジタル写真の引き継ぎがうまくいかなかったらしく無くなってしまいました。一部、備忘録として書き留めておいたものをコピーして使い、ネットからの情報を加味して仕上げたいと思います。

酒田とは?
山形県の北部日本海側の町です。
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酒田といえば「おしん」、また昭和51年大火事があったところ、と若者に話してもわからないかもしれません。
江戸時代、米の廻船問屋で栄えた町です。その頃の名残があるものと興味を持ち、出かけたのです。
アクセスは仙台から酒田までの高速バス利用が便利とわかりました。トイレ休憩なしのノンストップで3時間です。前日、仙台に宿泊して7 : 40 発で10 : 30 酒田着でした。切符は予約制で前日に予約しました。満席になるようなので前日に手配しておくのがよさそうです。発車は駅ではなく広瀬通りからで、R&Bや紅陽グランドホテルが便利です。

バスに乗り出発しました。車窓からススキと黄金の頭をたれた稲穂を見ながらの旅でした。
月山、湯殿山を貫くトンネルを走りぬきました。トンネルは月山第一トンネル2.6 Km、月山第二トンネル1.5kmです。月山については後日ブログを書こうと思います。
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酒田に近づくと鳥海山が勇姿を現わし、万年雪の筋が見えました。
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途中、鶴岡に停車しましたが周辺は何もなさそうでした。

酒田到着後、まず、酒田駅の観光協会に寄り自転車を無料で借りました。16 :30 まで可です。酒田は小さな町で、自転車で東西南北15 分ほどの距離で便利です。予約しておいた東急インに荷物を預けました。宿泊を東急インにしたのは駅に近く便利だからです。当時、インターネット予約で¥5888 (室料¥4600 、消費税¥230 、朝食¥997 )。古いですが、ホテル内の調度品もよく、朝食もたっぷりでこの値段でお得感がありました。
現在はホテルイン酒田駅前になっています。

つづく・・・酒田−2 本間美術館&本間家旧本邸、鐙屋




コスパの良いミニPC購入


2022.7.12

私はPCを移動させることがなくなったので、次のPCはミニPCにしたいと思っていました。最初、富士通のESPRIMOを念頭においていましたが調査するとESPRIMOの半額以下で性能の良いミニPCがあることがわかりました。
miniPC

MINISFORUM(ミニスフォーラム)というメーカーのミニPCです。
MINISFORUMは2012年に中国深センで設立され、技術者が次の時代はミニPCと、開発、製造、販売まで行っている会社です。
多くの種類のミニPCを製造・販売しています。
下記URLです。
https://store.minisforum.jp/collections/all-product

2022年2月に発売されたコストパフォーマンスが良いMINISFORUM Elite Mini UM350という製品を購入しました。

メモリー16GB+ストレージSSD512GB、windows11です。セールを利用して、なんと50,133円でした。
CPUはRyzen5 3550Hという少し古いCPUですが現在使っているノートPCより断然速いです。
もう一段上のRysen7にしようかと思いましたが、速さは変わらないようなのでRyzen5でいいだろうと考えました。

RysenのCPUはアメリカのAMDという会社のCPUでi5,i7等のCPUに比べ速く安価であるのが特徴で最近多く使われだしました。

購入したミニPCは何より小さく重量が軽いPCです。手のひらに乗る大きさです。12.7×12.7×5.13cmの大きさで、重さわずか500gです。

以前、大きな文字で作業したい、写真を大きくして見たい、とノートPCを大型液晶ディスプレーに接続して使っていたときの様子です。机の上は作業するスペースがありませんでした。
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ミニPCに変更して机の上に余裕ができました。ミニPCの側においている私のスマホの大きさと比較するとミニPCが非常に小さいことがわかります。
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アプリのインストール、アプリやファイルの読み込み等とても速く、今まで使っていたノートPCと格段の違いです。動画配信のスキップ動作も今まではなかなか進まなかったものがスムーズにできます。
そして、全く音がしません。ノートPCはしばしばファンが回りうるさかったです。

メール、文書作成、表計算、検索、画像処理、動画鑑賞に使用し、3DゲームをしないのでMINISFORUM Elite Mini UM350のミニPCで十分です。

中国製機器に不安を持っている方にはオススメしませんが、スマホの場合、最近、機能・品質がよく安価です。私はカメラ性能が良い中国製のRedmi Note 9Sを使ってますが何ら問題なく使えて満足しています。

液晶ディスプレイ1.5万円、USBキーボード1.5千円、ZOOMカメラ1.5千円の投資でミニPCデスクトップシステムを構築できます。

MINISFORUM Elite Mini UM350について興味のある方は下記URLを御覧ください。

https://store.minisforum.jp/collections/all-product/products/minisforum-um350?variant=41996367364262

MINISFORUMの製品はアマゾンや楽天サイトでも購入できますが
価格が一番安かったMINISFORUM JPで購入しました。
深センの工場で作り香港経由で送られてきますので発注して届くまで2週間はかかります。
余裕を持っての注文が必要です。




 

柳川−8 柳川からの帰り


2009.3.23

西鉄柳川14:45 発の特急で帰路につきました。帰りの特急は往きと違って特急らしい車両でした。
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大牟田駅でJR乗り換えまで20分待ち時間があったので、まず、西鉄側の西口改札から外を見ましたが何もありませんでした。それで今度はJR側の東口改札に回り、駅員に「列車待ちで外に出してほしい」と頼んで駅の外に出てみました。
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駅前はそんなに賑やかではありませんでした。目についたのは高い三本のヤシの木(?)です。
もう一つは「日本のかるたの発祥地です」という看板です。
大牟田が「かるたの発祥地」とは知りませんでした。インターネットで調べると下記のように出てきました。

カルタは16 世紀末にポルトガル人の影響を受けて三池で作り始められたといわれている。日本で唯一のカルタの博物館収蔵点数は1 万点以上に及び、復元天正カルタ、江戸前期の貝形源氏歌カルタなどのほか、明治から現代までの児童むけカルタ、17世紀から現代にいたる80 ヶ国のトランプ・タロットなどが展示されている。また、見るだけでなく、プレイングルームでいろいろなカルタを使って遊ぶことができる。

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暑くなってきたのでソフトクリームでも食べたいと探したのですが見当たらず、駅舎の売店で「アイスもなか」を購入してホームのベンチで食べました。
目の前に「燃える石のふるさと」と書いてあるケースがありました。ケースの中には大きな石炭の塊が置いてありました。三池炭鉱で掘り出されていた頃は大牟田はにぎやかだったのでしょう。最近の子供は石炭は見たことがないでしょう。私の子供の頃は風呂を沸かすのに石炭を使っていました。貴重な石です。
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有明高専の学生や後援会の人たちが作った「ロボ大蛇」が飾られていました。
近くに行くと人感知センサーがあり首を振りました。大牟田の夏のお祭りの主役だそうです。
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大牟田駅のロボ大蛇が動く様子は「大牟田駅ロボ大蛇有明高専」で検索するとYou Tube動画が多数出てきますのでそちらを御覧ください。

大蛇山については下記URLを御覧ください。
http://www.omuta-daijayama.com/about.html


大牟田駅での20 分の列車待ち合わせをせを退屈せず過ごすことができました。
このあと、JRで上熊本に戻り市電で辛島駅に着いたのが16:32 でした。ホテル東急インで預けていた荷物を受け取り熊本空港行き17:10 発のリムジンバスに乗り込みました。

柳川−7 三柱神社


 2009.3.24

柳川駅近くに戻ってきましたが14:45 発の電車に乗るまで少し時間がありました。
お昼を食べた時、マスターに電車の時間調整に駅近くにどこか良いところはないかと尋ね、三柱神社を教えてもらっていたので行ってみるにしました。
三柱神社と西鉄柳川駅の位置関係の地図を見ていると京町、小道具町、鍛冶屋町等、城下町を思わせる名前が出ていました。知っていれば一泊して柳川の町を歩けばよかったと思いました。写真をクリックすると拡大します。
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三柱神社の入口に私が乗ったのとは違う会社の船着き場がありました。
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欄干橋から神社への参道はかなりの距離(地図で見ると3 5 0 m)がありました。橋の擬宝珠は柳川城二の丸前の橋から移したものです。柳川城は明治5年の失火で天守、二の丸等は消失しました。くわしくは下記URLを御覧ください。
https://www.city.yanagawa.fukuoka.jp/kyoiku/rekishibunka/bunkazai/yanagawabunkazai/yanagawajyo.html
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神社の二つ目の鳥居付近は桜並木になっていて、予定外の花見ができました。
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3つ目の鳥居が見えます。
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心字池
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神社の拝殿は新しい感じがします。
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2005年6月に放火により拝殿を始め楼門、回廊、唐門が全焼したそうです。
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そばに「完成予想図」が貼ってありました。立派な神社でした。
楼門は日光東照宮お陽明門、回廊は安芸の厳島神社を模したものだそうです。これらを見たかったです
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三柱神社は「西国一の強者」と称された初代柳川藩主立花宗茂公、岳父戸次道雪公、宗茂室千代姫の三神を祀っています。
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本殿は焼失を免れました。
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電車の時間が迫って来たので西鉄柳川駅に向かいました。

つづく・・・柳川−8 柳川からの帰り

水郷柳川−1 熊本から柳川へ
水郷柳川−2 川下り前編
水郷柳川−3 川下り後編
水郷柳川−4 御花
柳川ー5 柳川・うなぎと柳川鍋
柳川−6 柳川散歩

柳川−6 柳川散歩


2009.3.24

お腹がいっぱいになり、お城の堀に沿って歩いて西鉄柳川駅まで戻ることにしました。天気も良く、のんびり一人歩きの旅です。川下りの堀には桜が美しく映っています。水の流れが緩やかです。
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歩いている道は「白秋道路」と名付けられていました。
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歌を記した碑がありました。

  有明睦五郎の歌
 ムツゴロウ、ムツゴロウ、なんじ     
 佳き人の潟(ガタ)の畔(ホトリ)の
 道をよぎる音、聴(ささや)きたるべし、かそけく
 寂しく、その果てしなき  想ひの消ゆる音      
  壇 一雄

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「白秋道」が終わると「日本の道百選」に選ばれた道に入りました。
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歩いたのは赤い破線の道です。
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柳が美しい道でした。
100選に選ばれたのがわかります。
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日吉神社
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並蔵と呼ばれているレンガ造りの明治時代の倉庫群です。
現在は鶴味噌醸造所が所有しています。
倉庫、御花、武家屋敷等古い建物が残っている柳川です。
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 屋根がお寺のように「軒」付近が反り返っています。鬼瓦には家紋まで付いていました。家の前には一本、真っ赤な見事な花桃が植わっていました。
地図で探すと天理教本文分教会だとわかりました。
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出発点近くに戻って来ました。堀の水は流れがほとんど無く、水面には柳の若葉がきれいに映っています。
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レンガタイルの建物は安田歯科医院です。
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白い建物は柳川古文書館です。国指定重要文化財「大友家文書」や「立花家文書」等代々柳川藩に伝わる古文書が保存されています。
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つづく・・・柳川−7 三柱神社

水郷柳川−1 熊本から柳川へ
水郷柳川−2 川下り前編
水郷柳川−3 川下り後編
水郷柳川−4 御花
柳川ー5 柳川・うなぎと柳川鍋


柳川ー5 柳川・うなぎと柳川鍋


2009.3.24

「御花」見学後は柳川川下り観光通りを散策することにしました。
  • 散策

沖の端橋からの写真です。ここには大きな雛人形が川に浮かんでおり、舟着場がありました。
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この付近の食堂は「うなぎ」の店ばかり並んでいます。これは予想外でした。お昼時ですのでどの店も観光客が多く落ち着かないのと、前夜うな重を食べたところなので、うなぎはパスし、レストランを探したのですが、なかなか見つかりませんでした。

柳川には有明海の海水と筑後川、矢部川の淡水が混じり合う河口があり、そこで天然うなぎが捕れたそうです。そのため、江戸後期から柳川の特産品として売れ、その売上が藩の財源だったそうです。

柳川鍋は柳川の名物だと思われがちですが、柳川鍋は「どじょう」を使った江戸の食べものです。
柳川鍋の名前の由来は諸説あり
 ・作った店の屋号が「柳川」だったとする説
 ・作った鍋が柳川焼きだったとする説
 ・鍋にどじょうを並べた姿が柳の葉に似ていたとする説
等です。

水天宮は道路傍にこじんまりとありました。何故か、軽自動車が鳥居をくぐって水天宮の前に停めてありました。毎年5月3日から5日まで水天宮祭が行われ水天宮の周囲には露店が立ち、堀には6隻の舟がつながる舟舞台が作られ堀を進むそうです。

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北原白秋生家記念館です。北原白秋生誕百年を記念して白秋とゆかりの深い酒造業北原家の旧跡地に建設されました。中には北原白秋の著書や遺品が並んでいました。

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訪ねたのが3月だったので「さげもん」が飾ってありました。
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幹が沢山の桜は満開でした。
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御花ちかくまで戻り、コーヒー付きのビーフカレーがメニューに出ているグロットという店を見つけました。花を飾った窓のある2F です
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薄暗い階段には「GROTTO 」の文字がスポットライトで照らされていました。
夜はバーになるのでしょうか?
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一人なのでカウンター席に座りました。目の前にはやっぱり洋酒が並んでいます。
40歳ぐらいの夫婦で切り盛りしているようでした。マスターは静かな人で、ぽつりぽつりと話してくれました。
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お客さんは、観光客はいませんでした。
カウンターの他、テーブル席もありました。写真のように夜にお酒を飲みながら過ごす場所でした。
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昼食後のコーヒーです。普段から昼食後、コーヒーを自分で豆から挽いて飲んでいます。
部屋も渋いですがコーヒーカップも渋い陶器のものです。カップの取っ手はついていません。手作り感のあるコーヒーカップとお皿でした。
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電車に乗るまで二時間ほど歩くとしたらどう歩くのが良いかをマスターに訊ねて、教えてもらった道を歩きながら柳川駅に向かいました。
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つづく・・・柳川−6 柳川散歩

水郷柳川−1 熊本から柳川へ
水郷柳川−2 川下り前編
水郷柳川−3 川下り後編
水郷柳川−4 御花


水郷柳川−4 御花


 2009.3.24

船を降り御花へ入いっていきました。初めて御花という名前を見たとき、花がたくさん咲いている場所をイメージしましたが、花は見当たりません。
「御花」は、旧柳川藩主・立花家の別邸だったのです。
江戸時代中期、元文年間頃( 1763〜 1740)には、藩主が政務の疲れを癒やす為に、たびたび立ち寄っていたことが日記にも書かれています。当時、この辺りは「御花畠」と呼ばれていたことから、柳川の人々は親しみをこめ「御花」と呼ぶようになりまったそうです。
写真の洋館は明治43 年に立花家の迎賓館として建てられたもので、明治時代を代表する鹿鳴館風の建造物です。
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現在は宿泊できる料亭になっているため見学は玄関と大広間のみでした。
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屋敷に入ると「下げもん」と「お雛様」が出迎えてくれました。
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裏庭には雛人形を飾っていました。
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洋館の天井の木組みと白いデザインが素敵でした。
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廊下には金箔を貼ったの兜がずらりと飾ってありました。
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日本家屋の庭は松濤園と呼ばれ、仙台藩松島の景を模した設計で、園内約280 本の松は樹齢200 年から300年の古木だそうです。
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池と日本家屋の写真です。御花HPより
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水郷柳川−1 熊本から柳川へ
水郷柳川−2 川下り前編
水郷柳川−3 川下り後編

水郷柳川−3 川下り後編


 2009.3.24

カモが気持ちよさそうでした。
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なまこ壁の前の川下り乗船記念の札には、その日の日付が入っていました。
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柳川の川下り近辺はたいへん静かです。家があるのに人の姿は見えず、物音も話し声も聞こえませんでした。
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嵐山の川下りと同様、甘酒、地酒等を売っている店が一軒あり、そこに舟をつけお客さんに勧めていました。
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お雛様、さげもんが飾ってありました。
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舟旅も終わりに近づき川幅が広くなりました。
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柳川ではこのような屋根の家が見受けられるそうです。屋根の下は藁葺きで、ほとんどが武家屋敷の跡だそうです。
柳川の武家屋敷は今でも人が住み生活をしているのが特徴だそうです。
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この武家屋敷の前は小さな公園になっていて「待ちぼうけ」のわらべ像と歌詞の一部が書かれていました。

待ちぼうけ待ちぼうけ
ある日せっせと野良(のら)かせぎ
そこへ兎(うさぎ)が飛んで出て
ころりころげた木のねっこ
北原白秋

つづきは
待ちぼうけ待ちぼうけ
しめたこれから寝(ね)て待とか
待てば獲(え)ものは駆(か)けて来る
兎ぶつかれ木のねっこ

待ちぼうけ待ちぼうけ
昨日(きのう)鍬(くわ)とり畑仕事(はたしごと)
今日は頬(ほお)づえ日向(ひなた)ぼこ
うまい伐(き)り株(かぶ) 木のねっこ

待ちぼうけ待ちぼうけ
今日(きょう)は今日はで待ちぼうけ
明日(あす)は明日はで森のそと
兎待ち待ち木のねっこ

北原白秋の生家は柳川です。そして長い間小田原に住んでいました。
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今風の家も川辺に建つようになってきたようです。たくさんの鉢を飾りきれいにしてあります。カヌーもありました。
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熊本に着いたときは雨でまだ桜も満開でないところが多かったのですが、2日間の晴天で柳川は満開になっていました。
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舟は御花の船着場に着き、約1 時間半の船旅を終えました。
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つづく・・・水郷柳川−4 御花

水郷柳川−1 熊本から柳川へ
水郷柳川−2 川下り前編





水郷柳川−2 川下り前編


 2009.3.24

柳川駅に着くと、まず、川下りの船着き場へ向かいました。柳川城を囲む堀が現在は川となり水が静かに流れています。この堀を舟で下るのです。
川下りコース

googleマップで柳川を検索すると水路が無数にありました。
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船着場では写真のような小さな舟が沢山並んでいました。
舟底に布団を折りたたんでその上に座るのだと思ったら「布団の左右に座り、寒かったら足や手を布団に入れてください」とのことでした。10 時15 分に船着場に着きましたがお客さんで舟がいっぱいになるまで出ませんでした。一般の人は少ないので、結局、団体さんが来るまで一般の人は待たされることになりました。私のグループの一般客は4 人でした。団体さんが10:30に来たので出発しました。
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二番目にくぐった橋は朱塗りの橋でした。この辺りはまだ駅前の大通りのそばです。
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橋をくぐると旅館らしき建物が見え、船着場があり舟が並んでいました。
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芽吹きの柳のそばを舟はゆったりと進みます。この辺は車が走る町中です。駅からまっすぐ来るとこの辺にたどりつきます。帰りはこの岸辺を歩いて帰りました。
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玉石を並べた川堤があるところに出てきました。この辺から柳川風情を感じることが出来ました。
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高さも幅も、ぎりぎりのところを通って行きます。橋の名前は「水郷橋」です。
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昔ながらの日本家屋の庭に、花桃が咲いていました。多くの場所で花桃を見ました
。花桃はピンクと白の花が混ざり、花が大きく優雅でやさしい感じです。
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雪柳の花も見られ、相変わらず水面と橋の距離が狭いところを舟は進みました。この辺りは人家の建物が川辺りに建ち、川に垂れ下が庭の花を見ながら進みました。
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「山吹」に似ている花ですが、ちょっと違うようです。台湾◯◯と言っていたように記憶しています。
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花桃だけでなく桜も見られました。花のオンパレードでした。
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頭すれすれに舟は進みました。
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私が乗った舟の船頭さんです。以前は漁師をしていたそうです。味のある声で歌も披露してくれました。
柳川の川下りは京都嵐山のような流れがないので竿をささなければならず大変疲れるそうです。なるほど夏は大変でしょうね。
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つづく・・・水郷柳川−3 川下り後編

水郷柳川−1 熊本から柳川へ

水郷柳川−1 熊本から柳川へ


2009.3.24

熊本での用事の後、福岡県の柳川へ行き川下りを楽しみました。
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まず、熊本のホテル前から市電で市電上熊本駅まで移動です。上熊本駅はレトロな駅でした。レトロな市電とレトロな駅舎を見ただけで旅に出た気分になります。
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市電上熊本駅とJR 上熊本駅は100 mほど離れていました。
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真っ青な空の下、楽しい旅への期待が高まりました。
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JR九州 の各停列車はスマートなデザインです。大きな窓にグレー一色の車体。そしてドアが真っ赤でアクセントになっています。明るいグレーに赤はよくマッチしています。この電車に大牟田まで乗りました。
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車窓からの景色はすっかり春でした。黄色いのは菜の花畑で、若草色の畑は麦畑でしょうか?
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西南戦争の激戦地で有名な「田原坂」の駅。薩摩軍はここの戦いに負けて熊本城を明け渡し、敗走したのでした。
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現在、戦場の跡地は田原坂公園として整備されています。
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熊本県民謡「田原坂」です。
  雨は降る降る人馬(じんば)は濡れる
  越すに越されぬ田原坂
  右手(めて)に血刀(ちがたな)
  左手(ゆんで)に手綱(たづな)
  馬上ゆたかな美少年
詳しくは下記URLを御覧ください。
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/minyo/tabaruzaka.html

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熊本の名湯「玉名温泉」駅です。向かいのホームには鉄の塊のような列車が止まっ
ていました。正面は鉄仮面を思わせる顔をしている「リレーつばめ」です。
「つばめ」は東海道本線を特急として走っていたのですが、その後、九州に来て特急列車として走っていました。
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九州の特急「つばめ」は九州新幹線が一部開通してから「リレーつばめ」と呼ばれ博多ー新八代を走り、新八代から鹿児島中央まで九州新幹線「つばめ」に引き継いだのです。「リレーつばめ」は2004年から2011年まで運行されました。現在は九州新幹線が全線完成し真っ白な「つばめ」が運行されています。
リレーつばめ路線


長洲駅のホームに着くと大きな金魚の張子がありました。毎年5 / 3 に九州金魚すくい選手権がこの町で開かれているようです。金魚すくい選手権たるものがあることすら知りませんでした。長洲町は金魚、鯉の養魚場がたくさんあり、金魚の館もある金魚の町です。その関係で金魚すくい九州選手権大会があるのでしょう?ここで九州チャンピオンが決まり全国大会へ行くのでしょう。
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大牟田で西鉄特急電車に乗って柳川へ向かいます。大牟田駅の様子は帰り便で紹介します。写真が乗った特急電車です。あまり特急らしくありません。車内に入ると、シートは普通電車仕様でお世辞にもきれいな車内とはいえませんでした。西鉄の特急はこんなものなのか?と思いました。しかし帰りの特急はきれいな特急らしい座席でした。運が悪かったようです。
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柳川駅に着くと「つるし雛」が出迎えてくれました。
柳川では「さげもん」と呼ばれています。
日本三大「つるし雛」は「東伊豆の稲とりのつるし雛、酒田の傘福(笠福)、柳川のさげもん」です。傘福は江戸時代北前航路で伝えられたとされ、子どもが健やかに育つことを願い傘に手作りの縁起小物を吊るしたものだそうです。
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駅を出たところに観光協会があったので、柳川での川下り場所を聞いてマップをもらい出発しました。

つづく・・・水郷柳川−2 川下り前編






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