花咲かすおじさん

グリーンヒルに移ってから、薔薇を中心とした庭を造り、一年中花が咲いている庭を目指しています。ブログには庭を中心とした花や、旅ブラで撮影した画像をデジブック等で紹介しています。庭もブログも花いっぱいにしたいと思います。

2023年12月

湘南平に登る−4 下山


2011.11.11
 
湘南平からは善兵衛池コースを下山しました。
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道はかなり荒れていました。
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根がむき出しになっている傍を歩きました。2011_1011湘南平0061

木が倒れていた場所で下から登って来るご婦人に会い、しばらく立ち話をしました。木が倒れたのは15号台風の影響とのことでした。下の住宅街に住んでいるらしく、しばしば登っているそうです。
また、大磯と隣町の二宮の違いについて話が弾みました。私も旧東海道を両町歩いているのでその違いがよく理解できました。
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しだれ桜が植わっている大きな屋敷が「善兵衛池」の上に建っていました。
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湘南ナビに掲載されていた桜の頃の写真です。
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「善兵衛池」は今は荒れていて水は溜まっていませんでした。
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善兵衛池の説明板です。
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足柄上郡大井町に横穴がたくさんありますが「善兵衛池」付近も横穴が多くあるようです。
横穴:昔の墓で、頭蓋骨等骨がよく出ます。5 世紀後半の九州北部の豊前地域に源を持つと考えられ、6 世紀中頃に山陰・山陽近畿・東海まで盛行しました。7 世紀初頭までには北陸・関東・東北南部まで分布し8 世紀中頃までに終焉したそうです。
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このコースはすぐ住宅街に出てしまいました。新しい住宅が多い場所ででした。
山を削って家を建てているため写真のような高基礎の家が並んでいました。
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石垣を積み上げた下が公園になっており網のフェンスが付けられていました。
遊んでいる人はいませんでした。
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絵が描かれているJR 東海道線を潜る地下道です。大磯らしく魚の音符でした。
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地下道をくぐると旧島崎藤村邸へ出ました。島崎藤村が晩年の2年間を過ごした家です。
https://www.town.oiso.kanagawa.jp/material/files/group/22/tousonteipanfu.pdf
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まだ、ブログに掲載していませんが旧東海道53次を歩いた時に島崎藤村旧宅を訪ねました。
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10:30 に大磯駅を出て15:00 には大磯駅に戻りました。気楽にハイキングできる湘南平でした。

湘南平おしまい

今年もブログを見ていただきありがとうございます。
来年もよろしくお願いいたします。

湘南平に登る−1 高田公園
湘南平に登る−2 雑木林の道
湘南平に登る−3 湘南平
湘南平に登る−4 下山



湘南平に登る−3 湘南平


2011.11.11

大磯駅から一時間半で到着しました。標高約180mの泡垂山山頂を湘南平といい手軽に山歩きを楽しめる場所でした。
見えているのは展望台です。
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湘南平に立つTVの電波塔です。我が家の地上デジタル電波は湘南平から受けています。
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展望台に上りました。。
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湘南の海が見える平らな場所で湘南平です。
しかし、モヤがかかりはっきり湘南の青い海は見えませんでした。
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北には丹沢山系大山がみえていました。
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展望台から見えたTV電波塔です。
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現在はきれいに整備され、令和5年に海の上テラスとしてオープンされています。
バスでも車でも行ける場所になっています。
平塚観光サイトの湘南平URLです。
https://www.city.hiratsuka.kanagawa.jp/kanko/page-c_02820.html

山と渓谷オンラインにも湘南平が紹介されていました。
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=2277

つづく・・・湘南平に登る−4 下山

湘南平に登る−1 高田公園
湘南平に登る−2 雑木林の道

 

湘南平に登る−2 雑木林の道


2011.11.11

高田公園を出ると雑木林の坂田山の中に入って行きました。
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イノシシが出没するようなので早朝、夕暮れの登山は避けた方が良さそうです。
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木漏れ日が心地よい雑木林でした。
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山の中に一軒家があり車が停まっていましたので、歩いてきた道以外に車が走れる道があるのでしょう。
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階段と坂道がありましたが、山の中を楽しみたいので道の方を進みました。
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登山気分を味わえました。
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東小磯配水池とありました。ここまでポンプで水道水を上げ、町にヘッド差で送るのでしょうか?
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平坦な道もありました。
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階段が作られていました。
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道が崩れている場所がありました。
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道の両脇は刈り込まれた低木が続いていました。
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電波塔が木の間から見え湘南平到着です。
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つづく・・・湘南平に登る−3 湘南平

湘南平に登る−1 高田公園




湘南平に登る−1 高田公園


2011.11.11

2011年にJR大磯駅から湘南平に登った時の記事です。
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登山路は4つあります。往きは坂田山ハイキングコースを、帰りは善兵衛池コースを選びました。


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大磯駅から妙大寺に寄り登山道に入りました。
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大磯駅前の岩崎家大磯別邸の石垣です。
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高級洋菓子店 鴫立亭の前を通り右に曲がりガードをくぐりました。
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妙大寺に寄ってみました。
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松本順先生と書かれた大きな墓石がありました。
松本順は日本で初めて大磯に海水浴場を開設した人物であり、新撰組の近藤勇の診察をした医者です。
当時の名は良順です。
詳しくは大磯HPをご覧下さい。
https://www.town.oiso.kanagawa.jp/soshiki/kyoiku/shogaigakushu/event/kikaku/h19/1360830030578.html
松本順と新選組近藤勇との関係は下記URLです。
https://ameblo.jp/fujisan3216/entry-12139860939.html
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妙大寺を過ぎ、古い家が並ぶ住宅街を抜けると、次第に、急坂となりました。
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大磯の町が一望できました。相模湾と空の境は曇っていてよくわかりませんでした。
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住宅街の坂の途中に多くの花が咲いている「楽遊苑」と書かれているスペースを見つけ、中に入って休憩しました。
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さらに坂道を進むと高田公園にでました。
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大磯港や兜岩、三浦半島、遠くは房総半島まで見ることができる公園のようですが、この日は曇っており見えませでした。
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広い原っぱという感じの公園でした。
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高田保の墓碑です。かたわらに高田保の碑がありました。
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大磯町観光サイトでは下記のように高田保について述べられていました。

高田保は明治28年3月28日茨城県土浦町生まれ。大磯には太平洋戦争が激戦を極めていた昭和18年2月から住み始めました。昭和20年に東京日々新聞に連載された「ブラリひょうたん」では、占領下の政治・経済・社会・文化の百般にわたる風刺的評論執筆が世の好評を得ました。また、昭和24年からは島崎藤村亡き後の町屋園 ( 藤村邸 ) に住み、大磯町の社会教育に力を尽くし教育委員長を務めましたが、昭和27年2月20日午前11時15分行年57才の若さで亡くなりました。葬儀は地福寺で行われました。代表作に『天の岩戸』『馬鹿』等があります。

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つづく・・・湘南平に登る−2 雑木林の道


 

小田原板橋地区散策−5 小田原城主大久保家一族の墓所とういろう


2007.11. 4(土)

旧東海道から一号線に出ると左に「光円寺」、右に「大久寺」があります。
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光円寺
北条氏や春日局との関係等、寺の歴史は下記URLです
http://www1.plala.or.jp/kt/history.html
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小田原城主大久保家一族の墓所がある大久寺山門です。
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「大久寺」は小田原藩主、大久保家の菩提寺です。江戸幕府になってから大久保忠世が治め、その後忠隣が藩主になりましたたが、本多正信との勢力争いに敗れ、その後幕府直轄地になりました。
寛永9 年に稲葉正勝が小田原に転封となり、この稲葉氏の統治は正勝・正則・正往の3代にわたりました。春日の局が結婚した相手が稲葉正成でその子、正勝が家光に仕え、春日の局の配慮で小田原藩主となりました。春日の局や稲葉家の墓は入生田の長興山にあります。長興山はしだれ桜で有名です。
貞享3年(1686)、大久保忠朝は佐倉から小田原転封を命ぜられました。大久保氏は再び小田原藩主として治政を行うことになったのです。忠朝以降の藩主は忠増―忠方―忠興―忠由―忠顕―忠真―忠愨―忠礼―忠良と続き、明治維新を迎えました。
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本堂の古瓦です。中央に大久保家の紋、「上り藤の大の文字」が見えます。
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大久保家一族の墓です。
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再び一号線に戻ると、光円寺境内の春日局自身がお手植えしたとされている樹齢400年の『大イチョウ』が見えました。箱根に向かって右側にあります。
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伊豆半島と箱根の分かれ道の角に建っている白い建物は消防署南分署です。火の見櫓は砦の見張所のようです。
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大正・昭和初期を思わせる建物です。SIBATA SYSTEMと書かれています。
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三軒長屋のような感じです。
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日本鋼管指定特約店古田商店の看板がある建物は、銅葺きの屋根で、洋風の感があります。
大正末期の建物と思われます。
文春文庫、華の東海道五十三次では
  このベランダを肝試しベランダと紹介しています。
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小田原には上のような古い建物がいくつか残っています。
http://www.kindaikenchiku.com/odawara/odawara_kanban_1.htm


一号線道路脇に建っているお城は小田原城ではなく、薬の「ういろう(外郎)」本店です。お菓子
の「ういろう」も販売しています。
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小田原の「ういろう」に関して詳しく書いてある本の紹介を以前、ブログでしました。
本:ういろう物語


旅行のALLAbout内に掲載されていた「ういろう」に関する記事です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/457497/

25代目外郎藤左衛門の話です。
https://chienotomoshibi.jp/uirou-chie/

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大正初期のういろう本店です。
大正初期のういろう


薬のういろう
pills



「ういろう」の向かいに創業400有余年、江戸時代初期から東海道に面した現在地で薬種商を営んでいる済生堂薬局小西本店があります。入りませんでしたが昔ながらの薬を入れる棚があり薬の博物館になっており「百味箪笥(ひゃくみだんす)」や生薬を粉末にする道具の「薬研(やげん)」などが置いてあります。隣の酒屋の建物も古そうです。
済生堂薬局小西本店については下記リンクを御覧ください。
東海道53次 NO49-1小田原城下町
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「ういろう」のある一号線から小田原城の堀に沿った桜並木道に入り新しく出来た小田原駅へ向かいました。
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正面の近代的な建物が小田原駅です。
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建て替わる前の小田原駅です。
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カフェで一息入れてから大雄山線に乗り塚原駅で降り、駅前の園芸店でウインターコスモスを購入しました。ウインターコスモスをぶら下げて30分歩いて家に帰りました。

おしまい


小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発
小田原板橋地区散策−2 松永記念館
小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵
小田原板橋地区散策−4 内野邸等古い家




小田原板橋地区散策−4 内野邸等古い家


2007.11. 4(土)

丘陵地から平地の旧東海道へ出ました。
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旧東海道沿いなので古い家が並び、現在も多くの人が住んでいます。

最初に見えたのは手前に蔵がある、黒塗りの「内野邸」でした。
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黒格子の門構えが目を引きました。
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2012年に松永記念館の紅葉を撮りに行った時の帰りに内野邸の公開に偶然出くわしました。
下記リンクです。
小田原散歩ー6(内野邸)


稲村邸です。
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正月に市が立つので有名な「板橋地蔵」です。入口の角と地蔵堂の左右に大きなイチョウの木が立っています。少し色づき始めた位でした。
板橋地蔵尊角の大イチョウ
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地蔵堂前の二本の大イチョウ
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地蔵堂の左に格子窓がありました。
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地蔵堂の右に木彫りの大きな大黒天像がありました。
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板橋地蔵尊の正月の大祭の様子は下記ブログです。
箱根板橋地蔵尊大祭−1 露店を覗きながら
箱根板橋地蔵尊大祭−2 板橋地蔵尊参詣

板橋地蔵を出て南に行くとすぐ一号線に出ます。
信号を渡り箱根方面へ行くと早川から小田原の市民のための用水取入口があります。この用水は小田原北条時代に敷設され、ここから旧東海道の板橋村を通って、小田原城の見附門蓮池に流れていました。江戸時代には城下町17町で飲料水として利用されていたそうです。
内野邸は醤油製造を行っており工場裏を用水が流れ、その水を使っていました。
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用水取入口から引き返し、一号線を歩いて小田原駅に向かいました。

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かながわ西湘農業協同組合大窪支店です。
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大窪支店の先を左に折れると正面に大正時代の建物「朝倉邸」が見えてきました。隣に蔵があります。
この後、空き家になり、2003年9月にCafeになっているようです。
https://www.townnews.co.jp/0607/2023/09/16/697532.html
Cafe内の写真が多数出ているXサイトです。機会があれば寄ってみたいと思います。
薬膳喫茶KURA公式X(旧twitter)
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旧東海道には畳屋さんや石屋さんが古い家屋のまま今も住み続けています。
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参考に私の板橋旧東海道のブログは下記です。

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道
長興山しだれ桜−4 旧東海道を歩いて帰る(前半、風祭まで)


つづく・・・

小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発
小田原板橋地区散策−2 松永記念館
小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵


小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵


2007.11. 4(土)

曇り空がお昼頃から青空に変わり暖かい日差しになってきました。松永記念館のあとは隣にある香林寺に寄りました。その後、山月と古稀庵を訪問しました。
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香林寺山門
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香林寺の鐘楼
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香林寺本堂
香林寺は文明16年に創建された寺で、一夜城へ行く途中の早川・海蔵寺と小田原フラワーガーデンの近くににある久野総世寺と共に曹洞宗の小田原三寺と称されています。私は三つとも訪ねたことがあります。
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秋咲き桜がありました。小ぶりの花でした。秋咲き桜は花数が少ないものが多いですがこれほどたくさん花を付けているのは初めて見ました。
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本堂の裏は竹やぶで、その間を通って「山月」へ出られるかな?と思ったのですが無理でした。
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表に回って別の竹やぶの小道を通り「山月」へ行きました。
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山月の門に到着しましたが、閉まっており入れませんでした。
国登録有形文化財「山月」(旧共寿亭)は実業家・大倉喜八郎の別邸です。
大倉喜八郎は天保8年(1837年)新潟県に生まれ、慶応元年(1865年)に東京神田に鉄砲店を開業。明治6年(1873年)には、大倉組商会を設立し、貿易商を始め、戦争の度に軍需物質の輸送・調達によリ巨利を得ました。また、その財力を利用して様々な事業を展開し、大倉財閥を築き、大倉高等商業学校(現:東京経済大学)の創立や、日本初の私設美術館「大倉集古館」の設立など、文化の面にも大きな足跡を残しました。
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門の内側は道が続き建物は見えませんでした。
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小田原市の山月の情報HPです。https://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/property/tourokubunkazai/kenzoubutsu/tourokusangetsu.html

山月の貴重な写真が掲載されているブログです。
https://4travel.jp/travelogue/11674726


「山月」から少し下ると山県有朋の別荘「古希庵」があります。現在は「あおい銀行」の持ち物で、研修所として使われています。庭は日曜日に公開されています。富士フイルム時代、時々研修で利用しました。
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古稀庵にあった洋館は栃木県矢板市の山縣有朋記念館に移築されています。
https://www.scn-net.ne.jp/~yanya/gymm.htm


門を入り右に曲がると庭への木立の道があり「木漏れ日」の中を歩きました
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13:00を過ぎましたが、お昼を食べるところはありませんでした。おにぎりを手に入れておいたのは正解でした。庭に座り込んでお昼にしました。
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庭から研修棟が見えていました。入社研修の頃は木造だったような気がします。
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渡り廊下が見えました。
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古稀庵に隣接する別庵『暁亭』の門ですが暁亭は駐車場となり門だけが残っていました。
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板橋の森はこれでお別れ、旧東海道へ出ました。

つづく・・・小田原板橋地区散策−4 内野邸等古い家
小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発
小田原板橋地区散策−2 松永記念館








小田原板橋地区散策−2 松永記念館


2007.11. 4(土)

八幡山から城山の方に移動しました。
小田原競輪場です。相洋高校のグラウンドから撮影した小田原競輪場です。
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MRAアジアセンターからの方がよく見えるのですが、MRAアジアセンターは強度調査で強度不足が判明して、「補強or建替え」を検討した結果、資金不足のため、壊すことになり工事中で中に入れない状態でした。
MRAアジアセンターは富士フイルムが新入社員研修、その他の研修、泊まり込みの打合せ等によく利用していました。
**MRAアジアセンターとは:
MRAアジアセンターは1962年(昭和37 年)に、アジアにおける平和的活動(MRA活動)の拠
点として設立されました。開所式には池田勇人首相(当時)をはじめ、有力指導者が多数参列したそうです。同施設における当時の主なMRA活動は、国際会議やボランティア、助成活動などです。
時代の変遷と共に、国際化支援のため英会話教室の草分けともいえる日本外国語教育研究所(LIOJ)の設立や、企業の研修の場としての役割を担うようになりました。
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MRAアジアセンター跡地は現在小田原城三の丸外郭堀土塁となっています。
下記URLは小田原市デジタルアーカイブです。地図や写真が掲載されています。
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/darc/item/685/


MRAアジアセンターの向かい側に空堀「小峰御鐘ノ台堀切東堀」があります。小田原城の空堀はここが東で、中堀、西堀があり、小田原城の守りの広大さを感じます。東堀は幅が25〜30m、深さは12〜15mあることが解っています。傾斜は50〜60度という急斜面です。堀はクランク部分もあるという念の入れようです。篭城にも適した城構えになり秀吉も一気に城取りは出来ず、一夜城まで作ってじっくり攻めるより他無かったのでしょう。
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小峰御鐘ノ台堀切東堀の説明板です。拡大すると読みやすいです。
この堀は三の丸外郭堀土塁へ続いています。
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アジアセンターを過ぎると急に視界は開け相模湾が見えました。半島は真鶴半島です。
眼下に見える街が板橋地区です。手前の緑の森が今回の目的地です。
「松永記念館」→「香林寺」→「山月」→「古希庵」を訪ねて、旧東海道の旧家、寺等を訪問しました。
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秋の「すすきの穂」が風にゆれる急坂を降りて、最初は「松永記念館」を訪ねました。
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ルートは下図です。
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土塀の中が松永記念館です。
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松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家・松永安左ヱ門(耳庵)の住まいです。
数寄茶人としても高名で、昭和21 年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34 年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設しました。昭和54 年の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。
市では、昭和55 年10 月に小田原市郷土文化館の分館として設置し、特別展や平常展示を本館・別館展
示室で開催しています。
また、昭和61 年に移築した野崎廣太(幻庵)の茶室「葉雨庵」や平成13 年から公開している安左ヱ門の居宅「老欅荘」など、国登録有形文化財となっている貴重な建物があります。
また、庭園は平成19 年2 月「日本の歴史公園100 選」に選ばれ、四季を通じ様々な花を観賞できます。
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記念館の前庭には静かな池があり、池の側の木が鏡のように映っていました。
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松永記念館本館
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日本経済新聞や三越百貨店の社長を努めた野崎廣太(幻庵)の茶室、葉雨庵(よううあん)です。
野崎廣太(幻庵)については小田原の下記URLを御覧ください。
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/kyodo/works/h27/kenzobutu-relay-4-gennan.html
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樹齢400年と言われている大欅
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今回は老欅荘の奥に入れませんでした。
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松永記念館本館から見えた池です。
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2012.11.25(日)に訪問した松永記念館の紅葉の写真です。



つづく・・・小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵
小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発


小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発


2007.11. 4(土)

明治時代の有名人が別荘を建てた小田原の板橋地区を2007年に訪ねたときの記事です。
一回目は家から歩いて大雄山線の駅に行き小田原の八幡山に登ったところまでです。

小田原は温暖な土地で、冬は暖かく夏は涼しく、海も山もあり、お城もあり、温泉も近く、明治大正昭和と多くの文人・知識人が別荘を構えたり、隠居生活を楽しんだりしました。

10時に家を出て、近道になる日影山の祠がある急坂を下り、茶畑に出ました。
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自宅が見える梅畑の横を歩いて大雄山塚原駅へ向かいました。
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人家へ出る手前に一本の「大きな、大きな柿の木」があり、たわわに赤い実をつけていました。こんなに大きな柿の木がこの道にあるのを始めて知りました。南足柄の名木に指定されていました。曇り空であるのが残念でした。
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後日、真っ青な空の日に撮影しました。
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日影と呼ばれる地域を歩いて駅に向かいました。
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塚原駅の手前の信号が赤になり、その前を小田原行きの電車が走り去りました。次の電車が来るまで12分あるので、狩川の橋まで散歩して電車に乗りました。
狩川の橋の上からの撮影で、中央の橋の向こうの白い建物が富士フイルム足柄工場です。
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塚原駅に停まる伊豆箱根鉄道大雄山線
2007_1103小田原板橋10009


小田原駅に11時に到着しました。
板橋地区は森の中なのでレストラン等、食事ができる所は無い可能性があるので念のためコンビニでおにぎりを購入しました。
新幹線側の玄関口の「北条早雲公」の銅像前が板橋地区への出発点です。
銅像の傍の木の紅葉が始まっています。
2007_1103小田原板橋10010

歩いたルートです。
SN00002


新幹線に沿って西に歩き、「八幡曲輪(はちまんくるわ)から、小田原高校への坂(通称100段坂)を登りました。ここは長女が高校時代毎日上り下りした坂道です。当時は狭い古びた石段でしたが、新しく石を敷きなおし幅が広くなっていました。坂の左右は、武家屋敷が並んでいましたが新しい家に変わり家の前に車が通れる道まで出来ている所もありました。ここも古いものがなくなってきている感がありました。
この坂道は、昔「裏大門」と呼ばれ、地名「八幡曲輪」は中堅武家屋敷が並んでいましたが、幕末には八幡山という名に変わっていたと言われています。
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小田原の海も見えました。
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新しくなった小田原高校です。
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小田原高校の上は桜の名所になっています。
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落葉前の桜の紅葉が不思議な色合いでした。
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つづく・・・小田原板橋地区散策−2 松永記念館




大雄山最乗寺へハイキングー8 グリーンヒルの紅葉2


2007.12.2(土) 

グリーンヒルの中腹から紅葉を眺めつつ、さらに下って行きました。

斜面を利用した平屋が四つ繋がっている家の周りの紅葉です。
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大山が少し顔を出しています。春の桜が素晴らしい場所です。
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中央の黄葉した木は、一週間前には優しい色合いが気に入っていましたが一週間経って黄葉がすっかり進んでしまいました。
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登り坂が急に下りになりました。
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正面に何度か登った大山(1252m)と東名高速が見える場所です。松田の河津桜会場も正面の山の中腹にあり、桜の頃はピンクに染まります。
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松田山も紅葉しているようです。
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みかんとお茶畑
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旧第一生命ビル(現ブルクッス)がある丘陵も紅葉しています。
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現在は財政難で閉鎖されている市営プールです。以前は家から水着で出かけました。空いているプールでした。
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真っ赤なドウダン
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14:30家に到着しました。9時に出発したので5時間半のハイキングでした。
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おしまい

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線
大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径
大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット
大雄山最乗寺へハイキングー5 結界門から奥の院の階段手前まで
大雄山最乗寺へハイキングー6 山門経由の帰路
大雄山最乗寺へハイキングー7 グリーンヒルの紅葉1




大雄山最乗寺へハイキングー7 グリーンヒルの紅葉1


2007.12.2(土) 

グリーンヒルの地図です。の場所から自宅まで標高差200mほどを下ります。
紅葉を見ながらぶらぶら歩きました。
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使われていないグリーンヒルちびっこ野球場
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グリーンヒルで一番高い位置に建つ黄色い家です
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10号公園
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足柄平野と相模湾を見下ろせる位置です。
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紅葉を見ながら下って行きます。
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大きなデッキが二階と一階にある絶景を望める家です。
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グリーンヒル内の紅葉した木々が見えました。
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大きなイチョウ
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芝生と桜の9号公園。桜の木が紅葉真っ只中でした。染井吉野ではなく少し遅く咲く桜のようです。
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桜の木の間からの景色
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グリーンヒルの南西方向の山のふもとに光が当たり黄葉した木が輝いていました。
2007_1202導了尊帰りGH0031

つづく・・・

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線
大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径
大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット
大雄山最乗寺へハイキングー5 結界門から奥の院の階段手前まで
大雄山最乗寺へハイキングー6 山門経由の帰路












大雄山最乗寺へハイキングー6 山門経由の帰路


2007.12.2(土) 

帰りは山門を通りました。
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山門
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天狗の面を飾ってある店で食事をして帰りました。
今回は紅葉を主体にした大雄山最乗寺でした。
詳しく知りたい方はネット検索すると多くのサイトが出てきます。
また私のブログにも何回か大雄山最乗寺が登場しています。
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帰りは地図の□、→家のルートです。からグリーンヒルです。
SN00003

地図,療世ら箱根方面への道(地図には掲載されていない道)が「さざんか林道」です。以前、途中まで歩いたのですが林道で面白い道ではありませんでした。ここから明神ヶ岳へ通じる金時ハイキング道の中間の見晴台に出るようです。
「さざんか林道」入口にはサザンカの木が植わっていました。しかし長い間、手入れを怠っていたらしく木の状態はよくありませんでした。
「さざんか」の復興を目指す取り組みも始まったという記事をどこかで見た記憶があります。
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林業の方が手入れのために作った脇道がありました。
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ずーっと下の写真のような道が続いていました
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グリーンヒルの住人が林道のままではもったいないと、散歩道として3 時間コースを開拓し、地域の広報誌グリーンヒルニュースで紹介されていました。お披露目ハイキングが企画されましたがその日参加できませんでした。その入り口かな?と思います。2007_1202導了尊帰りGH0003

グリーンヒル入口まであと一歩の場所です。
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写真のゲートから下がグリーンヒルです。通常、ゲートは閉まっています。
2007_1202導了尊帰りGH0005

つづく・・・大雄山最乗寺へハイキングー7 グリーンヒルの紅葉1
大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線
大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径
大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット
大雄山最乗寺へハイキングー5 結界門から奥の院の階段手前まで




大雄山最乗寺へハイキングー5 結界門から奥の院の階段手前まで


2007.12.2(土)

大雄山最乗寺の境内から階段を上がりさらなる紅葉を求めて進みました。

金剛堂の横の紅葉です。金剛堂には開山以来600年枯れること無く湧き出している霊水があります。これは諸病を治してくれる金剛水と言われています。
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結界門が見えてきました。そのバックの黄色い紅葉も紅葉スポットで結界門をくぐった場所に多くの写真愛好家が三脚を立てている姿がよく見られます。
訪ねたときは近くで落ち葉を燃やしており、煙できれいに見えないのは残念でした。
結界門の間では大天狗と小天狗が守っています。
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更に階段を上がると御真殿があります。
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御真殿の横にある天狗の下駄です。
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最乗寺を開山した了庵禅師が亡くなった後に法衣を着て白狐に跨った天狗の姿になって天降したと伝えられています。写真では白狐の耳が写つているだけでした。
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三面殿の屋根が見えています。
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ここから先は奥の院への216段の階段になりますが、紅葉は見られないのでここから引き返しながら紅葉の写真を撮りました。
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江戸時代末の文久3年(1863)年に建立された多宝塔
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つづく・・・大雄山最乗寺へハイキングー6 山門経由の帰路

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線
大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径
大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット


大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット


2007.12.2(土)

いよいよ導了尊境内です。
参道は三手に別れ、
中央は山門から瑠璃門、本堂へと通じる歩道、
左手は大雄川沿いの杉並木そして瑠璃門、本堂へ合流する歩道、
右手は駐車場へ通じる車道です。
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左手のルートで上り、下りは中央の道を遣いました。
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導了尊入口の左手に「開運橋」があるので運が向くよう渡りました。
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橋を渡るとしめ縄を張った夫婦杉がありました。
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杉林を進みました。
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瑠璃門下の紅葉です。道了尊一番の紅葉スポットです。
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明神ヶ岳への登山道入口です。何回かここから登りました。
手前は和合下駄です。
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つづく・・・大雄山最乗寺へハイキングー5 結界門から奥の院の階段手前まで

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線
大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径



大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径


2007.12.2(土)

遂に明星林道から導了尊の参道へ出ました。導了尊の周りには自然に触れる場所がたくさんあります。ここから、丸太の森、どんぐりの家、郷土資料館、ふれあいの村へ行けます。看板には書かれていませんがさらに山北の「酒水の滝」へ抜けられます。そして「おんりーゆ〜」という温泉も加わりました。
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導了尊の参道へ出たところは「18丁目茶屋」の傍でした。「麦とろ」が有名です。食事するところは
ここと上に一軒あるのみです。黄色いもみじが目を引きました。
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自動車道路に沿って歩行者用の「天狗の小径」が整備されています。
遊歩道を歩き導了尊へ向かいました。ここより下の「天狗の小径」にはアジサイが植えられているので6月ごろ歩くのも良いです。また桜並木もあり4月上旬には見事な桜のトンネルになります。
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参考:大雄山駅から天狗の小径を歩いた人のブログです。
https://machimori.main.jp/details9269.html

導了尊の入口に到着しました。観光バスも来ていました。バスはここまでです。
自家用車はもう少し先まで行けます。
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つづく・・・大雄山最乗寺へハイキングー4 紅葉スポット

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道
大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線 







 

大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線 


 2007.12.2(土)

林道明星線は、道路の両脇に落ち葉が積もる道でした。
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杉、ヒノキが殆どの山です。遠くから山を見ていると風が吹き一斉に黄色い花粉が飛ぶのが見られます。花粉シーズンになると大変です。
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道路の幅いっぱいにゴムのベルトを埋め込んだところが時々ありました。何のためでしょうか?
‐し坂になっている場所に設置されているので雨が降ったとき土砂が流れないようにしている。
雨水の勢いを弱める
K汁族が高速で走らない様、障害を設けている。林業の車も走るので硬い障害物でなくやわらかいゴムにしている。
等々考えてしまいました。
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歩いている森は「水源の森林づくり」の契約地です。勝手に木を切ることは出来ないのでしょう。南足柄のあちらこちらにこういう場所があります。
杉、ヒノキから、保水するナラ類の木に植え替えている場所もあります。
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道端に慶雲長公大禅定門と書かれた石がありました。戒名だと思い調べると下記URLがありました。
https://niemonbridge.com/kagosima/kedoin/dotyu/daioujiatoniou.html
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鳥のさえずりと落ち葉が落ちた時のカサカサという音しか聞こえない静けさでした。写真には落ちる枯葉が写っています。3〜4枚ありますがわかるでしょうか?
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野アザミが咲いていました。良くあるアザミは球形に針状花弁が出ていますが、これは放射状に花弁が広がっています。西相模独特のアザミで「相模アザミ?」とタウン誌で見た気がします。
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一般的なアザミ
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橋を渡るともうすぐ大雄山最乗寺の参道に出ます。
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橋から見えた川です。滝のように水が流れていました。
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写真の川の上流に「ほたるの里」(地図△琉銘屐砲出来ていました。夏には蛍が飛び交うことでしょう。ここまで、分岐点から50分で、家から1時間半でした。
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ほたるの里へ立ち寄ってみました。
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蛍の鑑賞は暗い中なのでしっかり柵が作られていました。
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蛍が住みやすいように小川を引き、土手を作ってありました
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つづく・・・大雄山最乗寺へハイキングー3 天狗の小径

大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道






大雄山最乗寺へハイキング−1 登り道


2007.12.2(土)

大雄山最乗寺(通称導了尊と呼ばれ以降道了尊と呼ぶ場合が多い)の紅葉を見るために2007年に家から歩いて行った時の記事です。

ルートは往きは長泉院の傍の道を登り、帰りはグリーンヒルの上に出て、グリーンヒル内を降りました。
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長泉院はよく散歩コースでブログにいくつか掲載していますがその一つが下記URLです。
http://buraoyama.blog.jp/archives/5640611.html


竹やぶの向こうに紅葉した木を見つけたので最初のシャッターを切りました。
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実がたくさんついたレモンの木です。
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山に入る前に「鳥獣之碑」が建っていました。猟銃会の人が獣類、鳥類の供養のために建てました。この辺は、ハンターにたまに出会います。碑の右の道を進みました。
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薄暗い舗装されている山道を登っていきました。
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山の中の川に掛かる手すりのない素朴な橋です。
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普段、水が流れていない川です。
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導了尊、明神ヶ岳方面の林道(サザンカ街道、細い道で地図には出ていません)への分かれ道に到着しました。(地図,琉銘屐
家を出てからここまで約50分でした。
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今までは登り道でしたがこれからの導了尊への道(林道明星線)は未舗装の緩やかなアップダウンの道になります。
ここは箱根外輪山の東側の麓になるので東西方向は坂道が急で、南北方向は比較的なだらかな道になります。
東に歩くと下り坂、西に歩くと登り坂です。帰りは分かれ道からグリーンヒル方面の道を歩きました。
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つづく・・・大雄山最乗寺へハイキング−2 林道明星線 



 

鳴子峡の紅葉−3 展望デッキより


2009.10.31

鳴子峡駐車場にある展望デッキからの紅葉風景ですが、小雨で見通しが悪く残念ですが下の写真の状態でした。
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少しでも紅葉の様子を楽しみたいと補正を加えた写真が以下です。
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おしまい
鳴子峡の紅葉−1 鳴子峡入口から
鳴子峡の紅葉−2 大深沢遊歩道 
鳴子峡の紅葉−3 展望デッキより







鳴子峡の紅葉−2 大深沢遊歩道 


2009.10.31

鳴子峡歩きはこの先通行止めの為、階段を上り大通りへ出ました。
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階段を登った時に見た紅葉です。
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上り切ると山が紅葉した木で埋めつくされていました。
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明るい紅葉の中、車道を歩きました。
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初めての大深沢遊歩道に入りました。
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赤紫の線が大深沢遊歩道です。地図を見ると鳴子峡の2/3が通行止めです。
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何とか保って欲しいと願っていた空模様ですが、ついに雨が降り出しました。
道も沢道になってきました。
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大深沢の説明板です。重要な街道の一つだったようです。
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落ち葉で滑らないよう、気をつけなければならない場所でした。
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鳴子峡駐車場にあった温度計は10℃でした。とにかく寒かったです。
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大深沢遊歩道は整備された歩きやすい遊歩道でした。
小雨降る中でしたが色とりどりの紅葉を楽しめました。
晴れていればもっと素晴らしい紅葉だったと思います。

つづく・・・鳴子峡の紅葉−3 展望デッキより

鳴子峡の紅葉−1 鳴子峡入口から

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