今日は久しぶりの雨ですので本の紹介です。
「デンデラ」という小説です。デンデラという映画がありましたが見損なったので小説を読みました。なかなか痛快な小説です。


デンデラ

(佐藤 友哉)

(新潮社)



姥捨山というのが昔ありました。貧しい東北の村ではみんなが食べていけなくなるので70歳以上の年よりは「お山参り」と称して、自ら冬の山に入り、極楽浄土へと行くのでした。飢饉に遭遇した時は60歳で「お山参り」をしたそうです。みんな、心から納得して「お山入り」をしたでしょうか?本当は「生きたい」という気持ちがあったのではないでしょうか?

こういう疑問から生まれた小説では無いでしょうか?

デンデラ小説のあらすじは

「老婆たちの「小山参り」の後、生きること死んで極楽浄土へ行きたいことの選択は別にして生き残りを余儀なくされる。

飢饉で食べ物が亡くなった羆はある日、「二本足が羆(ひぐま)の領分へ入ってきたのはけしからん。二本足を襲って何が悪い!」という羆の理論で二本足の蔵番4人を襲い、蔵の食べ物と二本足を食べてしまう。

老婆たちは怒り、羆退治に出かける」。

老人だと思い知らされながら必死に戦い生きる老婆に拍手です。


幸せ論、極楽・地獄論などなど、あの世の思いが老婆たちから語られる。


デンデラに住む老婆たちは「お山入り」のシステムを作った村に怒りを感じて村を襲撃し村を亡くしてしまうというグループ、デンデラが出来たのだからもっと住みよい場所にしようとするグループ、無関心のグループで構成される。人が集まると派閥が出来上がるのが人間のようだ。主人公斎藤ユカは、大目標が見つからず悶々とする。


この派閥争いと、赤毛の熊の論理と二本足の論理がぶつかる物語。

とにかく引き込まれてしまった小説です。


老人にとっての大目標は

「死にたいのか?生きたいのか?どのように死にたいのか?どのように生きたいのか?」



【参考】

姥捨てで有名なのは、恐れ山の「楢山節考」。そして、遠野物語の「デンデラ野」。遠野物語のデンデラ野をイメージしたようだ。遠野へ行った時、「デンデラ野」へも行きたかったが、山の中なので交通の便がなく、時間も無く行けませんでした。今は何もない野原に碑が立っているだけとのことです。

遠野物語のデンデラ野については下記URLを参照してください。

遠野のデンデラ野は「楢山節考」のように悲惨なものではなく、60歳の老人になると新しい土地デンデラ野へ移り、共同体で過ごしながら静かに死を迎えるというものだったようです。