
待乳山からの隅田川に架かる最初の橋は言問橋です。

「言問」という名称は在原業平が詠んだ歌にあるという説があります。
「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」
実際にこの業平の故事があったとされている場所は現在の白鬚(しらひげ)橋付近にあった「橋場の渡し」のことであり、言問橋近辺には地名としては存在していたわけではありません。したがって多くの説があるようです。
有力な説としては、1871年(明治4年)この地に現在もある言問団子の主人が団子を売り出すにあたって、隅田川にちなむ在原業平をもちだして「言問団子」と名づけ、人気の店となったことからこの近辺が俗に「言問ケ岡」と呼ばれるようになり、それにあわせて業平を祀ったことに由来するというものです。
言問橋からは正面に東京スカイツリーが見えます。
スカイツリーができてから「日の出橋ー浅草」の水上バスが浅草橋から言問橋まで延長して運行されるようになりました。
言問橋の脇から花を飾っている隅田川遊歩道へ降りられます。
写真に見えている橋が言問橋です。
風波に日が当たり、輝く隅田川
向こう岸の隅田公園の桜の葉が紅葉し、その後ろでは東京スカイツリーが伸びています。
この近辺は東京スカイツリーが美しく見える場所です。
全体が見えないのが残念ですが窓に映るスカイツリーです。
左から墨田区リーバーサイドホール、スカイツリー、アサヒビール本社、アサヒビールビアホールプラムドール、その後はライフタワーです。
赤い吾妻橋。雷門の色です。
小林幾英 が明治24年(1891)に描いた「隅田川吾妻橋直景」です。
当時の橋の姿は鉄骨トラスの下に通路を配した、下路式プラットトラスと呼ばれる構造で、明治中期の長大橋ではもっともポピュラーなスタイルでした。明治の文明開化で、洋装になり、洋傘をさし、山高帽が見え、馬で行く軍人、人力車と非常ににぎやかでカラフルです。桜もさいています。
対岸に見えるのは浅草寺、五重塔、花やしきの塔です。
浅草橋の袂に置いてある「覗きメガネ」。スカイツリー分かりますか?
京成電鉄浅草駅舎を兼ねている浅草松屋です。今年リニューアルされました。元は1931年(昭和6年)の創建でアールデコ様式が採用されていました。その再現です。
スマートな時計台も復活しました。文字盤はギリシャ文字に替わりました。
東京メトロ銀座線浅草駅への入口です。殺風景な地下への入口でなく、いいですね。
傍に時代屋という人力車が停まっています。
つづく・・・・蔵前橋へ
今までの関連シリーズ
1.江戸探訪ー1(吉原)
2.江戸探訪ー2(待乳山)