アダムとイブはどちらが罪深いか?
聖書では最初に悪魔の蛇にたぶらかされてリンゴを食べたのはイブで、そのリンゴをアダムに与えた。神と悪魔を両極に置くとすれば
創造:神→アダム→イブ
原罪:悪魔→イブ→アダム
と、ちょうど反転した関係になっている。
「感覚は、現象を外部から内部へもたらし、理性に伝え示す」。感覚=女性的原理が無ければ、男性=男性的原理は事物を把握することはできないのです。
イブだけに罪をかぶせるのは妥当ではない。トマス・アクナスはイブだけの罪であれば子孫に罪を伝えることは無かったであろう。なぜなら子の性質(形相)は男親だけから伝えられ、母親は子宮で材料(質料)を提供するにすぎないからである。
イブはこの世に命をもたらしたものである。アダムの妻として彼女はキリストと結ばれる教会を象徴している。
罪深いイブは、マリアと対比される。EVAを反対から読めば、マリアを祝福する「アヴェ」となり、二人は反転した関係になる。
ハンス・バルデウングのアダムとイブに絵はアダムは背後からイブを抱きかかり、イブは放漫な裸体を向け、まなざしは鑑賞者をけしかけ巻き込もうとしている。イブはリンゴを手に持っているがもう食べたのであろうか?これから食べるのであろうか?罪深いのはどちらだろうか?
【第四章】エデンの東
アダムとイブを待ちうけていた運命とは?
「創世記」によると「アダムとイブはカイン(兄)とアベル(弟)をもうけている。兄カインが弟アベルを殺害してしまうのです。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。カインは土の恵みをアベルは肥えた初子を神に差し出すが、神はアベルのものは受けいるれが、カインのものは、はねつけてしまう。それに怒ったカインは弟アベルを殺してしまうのです」。
人間は第二の罪を起こしてしまうのです。カインに罰が下り、耕していた土地を負われ、さすらい人となり、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住んで、町を建てることになる。ここに町の起源が作られるのであるが、罪の産物だったのです。この者の罪により大洪水が起こるが、知恵は粗末な木材を導びき救ったのです。これがノアの箱舟です。
フロィンは言う。
「傲慢で嫉妬深いカインは自己愛、自己中心主義の別の名である。そればかりか、知識を悪用して言葉巧みに操る詭弁家の代名詞である。カインとアベルの物語は人間だれもが直面しうる心の葛藤を表わしている。
カインとアベルの絵1473-80年は中世の世界地図の様式になっている。上にアジア、左下にヨーロッパ、右下にアフリカ。すなわち東を上に書き「エデンの東」はアジアになる。東の果てには丸く囲われた楽園があり、善悪を知る木をはさんで小さくアダムとイブが描かれている。
その下に描き込まれたのは楽園追放後の人間の運命である。アダムとイブは皮の衣類を付け夫は畑仕事、妻はカインとアベルの子育て中。さらにその下にはカインのアベルの殺害と最初の町エノクが小さく描かれている。地上の上には神の国が描かれ、中央には大きくキリストが描かれ、天使がが音楽を奏で、宝石をちりばめた城壁に囲まれている。
アダムとイブにはアベルの生まれ変わりとしてセツが産まれている。アダムは930歳で病に倒れ、イブとセツに門を守る天使に頼んで「かの木」から「生命の油」を貰ってきてほしいと頼み、二人は楽園へ行く。蛇や獣に襲われながら楽園の門にたどり着く。そこへ天使ミカエルが現れ「憐れみの木の油」をもらえた。旅立ち5500年後のことであった。つまり、その時、極めて愛すべき神の子キリストは地に降って、そなたの父アダムは楽園へ、憐みの木へと導くであろう」と予言するのでした。
セツ葉罪を犯すことになった木の枝を貰ってきて、アダムの墓に植えたという。この木が大きくなってイエスキリストが磔になった時の材料だったという。
アダムからのイブの誕生、そしてキリストが現れるまでの長い解説でした。
色々書きましたがアダムとイブの解釈は難しく、色々な人が相矛盾したことを言っております。要は後の人がどう解釈するかであり、私が記述したことは一部であり、勘違い間違いもあるということはご容赦ください。
著者岡田温司は下記の本も執筆しています。
・マグダラのマリア
・処女懐胎
・キリストの身体