酒匂川を渡り、「新田義貞首塚」と書かれた看板を発見し、行ってみることにしました。看板の地図には古い「城東高校」の文字が見えます。

新田義貞首塚の説明板はありますが塚らしいものはありません。不審に思い路地を進むと塚がありました。矢印ぐらいつけておいてほしいものです。





説明板には下記のように記されていますが、本当はどうなのでしょう?
建武の中興の柱石であった新田義貞は、北陸を転戦中、延元3年(1338)、越前国(福井県)藤島で討死し、足利尊氏によってその首級を晒されていた。
義貞の家臣宇都宮泰藤(小田原城主、大久保氏の先祖)は、主君義貞の晒首を奪い返して領国三河へ往き、妻子に暇を告げ、主君義貞の本国、上野国(群馬県)に首級を葬るため東海道を下った。
しかし、酒匂川のほとり、ここ網一色村に達したとき、病にかかり再起できなくなってしまったという。そこでやむなく義貞の首をこの地に埋葬して、自身もこの地で歿したと伝えられている。
その後、新田義貞の首塚として地元の人々に尊信されていたが、戦後一時荒廃してしまった。しかし近年地元有志によって復興整備され、新田義貞の首塚の碑も建立された。なお北方八幡神社境内に、新田神社の祠がある。
新田義貞の首塚伝承はいろいろあり、確定されていないらしいです。
下記URLの「3、船田善昌が関わる違う伝説」がこの場所の伝承です。
興味ある方は下記URLをご覧ください。
http://pcscd431.blog103.fc2.com/blog-entry-357.html
つづく
旧東海道シリーズ
・東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し