2013.11.27

城山公園の向かいに旧吉田茂邸があり、平成21年3月、本邸が火災で焼失してしまい閉鎖されていました。しかし、今年(平成23年)、吉田茂元首相の誕生日にあたる9月22日から庭園が開園されたので寄ってきました。

旧吉田茂邸は、明治17年に吉田茂の養父健三が別荘として建てたもので、吉田茂が昭和19年頃から、その生涯を閉じる昭和42年までを過ごした邸宅です。
政界引退後も多くの政治家が「大磯詣で」を行い、また、元西独首相アデナウアー氏や、当時の皇太子殿下(今上天皇)と同妃殿下などの国内外の要人が招かれました。吉田茂没後には、大平首相とカーター大統領の日米首脳会談が実施されるなど近代政治の表舞台としても利用されたのです。

一号線から入ります。

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 内門から庭園に入ります。
サンフランシスコ講和条約を記念して建てられた門です。別名講和条約門ともよばれています。
屋根は桧皮葺という伝統的な技法が用いられています。


外側にはありませんが、内側には中央に切り欠きがあります。兜の形に似ているところから「兜門」ともよばれています。

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門を入ると広い芝生が広がっています。
その向こうは日本庭園です。
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芝生の左、一段高くなっているところが邸宅跡(サンルームの右)です。現在はサンルームのみ残っています。

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焼失前の吉田邸(休憩棟に展示されていました)
焼失前の吉田邸

復元図です。後ろの山が風を防ぎ、日当たりがよく暖かい場所でした。
復元図


日本庭園
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少し高い場所に見えるのは七賢堂です。
七賢堂とは
明治36年に伊藤博文が、明治維新の元勲のうちの岩倉具視・大久保利通・三条実美・木戸孝允の4人を祀った四賢堂を自身の邸宅「滄浪閣」に建てたものでした。伊藤博文の死後、婦人により伊藤博文を加えた5人が祀られ、「五賢堂」となりました。昭和35年に吉田茂邸に移設され、昭和37年に吉田茂が西園寺公望を合祀し、吉田茂の死後、昭和43年に佐藤栄作の名によって吉田茂が合祀され、「七賢堂」となりました。

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七賢堂の少し上からは旧吉田邸がよくみえたのです。
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丘を登ると相模湾はすぐそばです。
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今度は竹やぶが見えて来ます。旧吉田邸の庭は広いです。当時の政治家達と今後の日本を論じながら歩いたのでしょう。
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この道も旧吉田邸の庭園内なのです。
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庭園マップからも広いことがわかります。
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松林の中に吉田茂の銅像が立っています。昭和58年に建立されました。日米講和条約締結の地、サンフランシスコと首都ワシントンの方角に顔を向けているといわれています。
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日本庭園の奥で、旧吉田邸を望む位置です。
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藤棚の藤の葉が黄色く色づいています。
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ゆったりした気分にさせてくれる旧吉田邸の庭園でした。