2013.11.11

昨日は「ホテル東日本宇都宮」に宿泊し、朝、家内は大学のクラス会に出席のため仙台へ、私は古河(こが)を散策して帰ることにしました。

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宇都宮駅9:36発快速に乗車、古河駅着10:16、40分で到着でした。

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古河は古くは万葉集に読まれた場所です。

「麻久良我の許我の渡りのから楫の音高しもな寝なへ児ゆゑに」(巻十四)とあり、
奈良時代は「許我(こが)」と書かれたようです。「許我の渡」というように渡しがあったことがわかります。江戸時代にも渡良瀬川の渡しがありました。

江戸時代は日光への宿場町として栄え、日光詣での重要な拠点であったのです。

駅前の大通りを歩いて行くと「提灯竿もみまつり」と看板が掲げられ
足場が組まれていました。
今年は12月7日(土)に開催されるそうです。早くから準備です。

市内各団体が20メートル近い竹竿の先につけた提灯を激しく絡ませ合いながら、相手の提灯の火を消し合う祭りで「関東の奇祭」と言われています。

 この祭りは、江戸時代古河藩領(現・栃木県野木町)であった野木神社の神官が、ご神体の神鉾を奉じて馬に乗り、神社の神領である七ヶ村の末社をめぐる「七郷めぐり」を終え、12月3日末明に帰社するのを、提灯を持って出迎えた人達が、寒さをしのぐために身体をすり寄せ合ったのが始まりで、その名も「お帰り」と言われました。


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インターネットより「提灯竿もみまつり」
提灯竿まつり


古河城高札場跡。石碑のみ立っています。
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古河城下本陣跡です。今は面影もありません。
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古河駅の近くに観光スポットがあるので助かります。
肴町マップ




日光街道を下ります。


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日光街道のノボリの雪のマークは江戸時代末に古河藩の“雪の殿様”土井利位(としつら)が雪の結晶をスケッチし、「雪華図説」を著したことにちなんでいます。雪華とは雪の結晶のことです。
古河のブランドとなり、お菓子を始めいろいろなところに使われています。
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公方(くぼう)の城の始まりは1455年鎌倉公方の足利成氏が、関東管領の上杉憲忠との対立により、古河へ落ちて以後、五代130年に渡り、古河公方としてこの関東平野のほぼ中心に勢力を伸ばしたところから始まります。

五代目の義氏に跡取りが無く、娘の氏女が喜連川の小弓公方足利国朝に嫁ぎ、喜連川公方が起こり維新まで続くこととなります。5千石程度の家ですが、参勤交代の免除、御三家、大々名との同席など、別格な待遇を受けたということです。

古河城の城主は江戸時代に入り幕府の大老土井勝利、堀田正俊ら譜代大名が城主となり特別の待遇を受けたのです。

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古河が八萬石の時代があったのでしょうか?八萬石最中と看板が出ています。
かなり有名な最中のようです。
http://kamaya-koga.com/


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肴町通りです。お城へ通ずる道で、参勤交代や日光参詣で行き来する大名が、古河城主に敬意を表すための挨拶役の使者を接待し、ご馳走をふるまう番所があったところです。別名、御馳走番所とも言いました。

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詳しい肴町の由来は写真をクリックして拡大してお読みください。

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「古河藩使者取次所址」の石碑

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今は、米銀という米屋が建っています。
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肴町ですから食物を貯蔵したであろう蔵も残っています。
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蔵前を入るとレストランがあるお休み処「坂長」となっています。

屋号が「坂長(さかちょう)」という江戸時代初期から酒問屋を営んでいた商家の蔵です。国の登録有形文化財できれいに修復したのです。

旧古河城の文庫蔵を移築したと伝えられています。


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つづく・・・・古河散策ー2 ぬた屋