2012.3.27
後日、マンション、プラージュ古清水を訪ね、本陣古清水旅館資料室を見せてもらいました。
小田原宿の本陣古清水旅館が平成17年までありましたが、現在は「プラージュ古清水」という高齢者専用賃貸マンションとして生まれ変わっています。
「プラージュ古清水」の1F在住の管理人さん(古清水氏・孫)に「旅館の資料室を見たい」と頼めば、親切に案内してもらえます。
「賃貸マンションに建て替える時、資料として旅館を残すことが私の使命と思い資料室を作った」と話してくれました。
資料室入口には古清水旅館の半纏と古清水旅館出入りの者が着る半纏が飾ってありました。

古清水旅館の看板です。古いので木は凹み、炭で書いた文字の部分が浮かび上がっていました。
古清水旅館の間取りが額にはめ込まれ残っていました。なるほど、随分広かったということがわかります。
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旅館の欄間が残っていました。

金の屏風
大名を接待するための数々の品が陳列されています。

弁当箱
旅の心得を書いた本です。絵から判断すると東海道を長期間歩くので膝が痛くなるのでその処方でしょうか?
旅手形です。旅手形はお土産売り場で売っているような木ではなく、このように紙に書かれていたのです。
下男に対し村長が許可を与えたものということでした。名前は書かれていません。箱根関所宛なので、仕事で箱根を行き来するため与えられたのでしょうか?
写真をクリックすると拡大しますから読んで、解読してください。
古清水旅館の説明板の要約です。
古清水旅館は江戸時代初めごろから小清水屋伊兵衛といって大清水本陣の東隣にあった脇本陣を務めていた。清水家の先祖は清和源氏、清和天皇御孫、源義仲を出として義噴(清水冠者)−義純(清水太郎)信州諏訪源氏の流れをくむ戦国武将であった。「関八州古戦記」によると、清水太郎左衛門安秀は、北条氏の重臣となって、二代、三代太郎は下田の鵜島城主で、四代太郎は下田、長久保城主を務め、いわゆる北条氏の海軍基地を任された。1950年秀吉の北条攻めの折、清水一族は海軍を率いて奮戦したが、落城して自害して果てたと言われている。
両人の墓は清水家の菩提寺蓮昌寺にある。徳川の世になり、小田原城主が大久保忠世になり、清水家の二男、三男に本陣を作るようにと命を受け、今に至っている。
古清水旅館は「東海道中膝栗毛」にも登場します。しかし、本陣・脇本陣ですから弥次さんと喜多さんが泊まれるような宿ではなかったはずです。それぐらい江戸時代有名だったのです。
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JTBが出来た頃に作られたパンフレットだそうです。地図に古清水旅館の位置が書き込まれています。
アメリカB29が宇都宮(?)爆撃の帰りに機体を軽くするため、小田原に投下した爆弾で焼けた小清水旅館の写真です。爆撃を受けた範囲がよくわかります。飛行機一機が通った範囲です。奥の左の家は爆撃を逃れています。
家が焼けた時、旅館を再建するからと写真屋を呼んで撮影した写真で、B29に爆撃された直後の写真で小田原に残っているのはこの写真だけとのことでした。店主と従業員が写っています。
古清水旅館の階段です。爆撃で火事になったが階段が残り黒く焼け跡が残っています。
小清水旅館の桐の間が再現されていました。
ふすまを開けると動物の絵が描かれ当時としては洒落ていたそうです。
桐の間の欄間は部屋の外から見ると「鳳凰と亀」が掘られ、部屋から見ると「桐の葉と桐壺」となっています。
内窓には桐の模様が付けられ、窓の輪郭も凝っています。本陣になる立派な旅館だったということがわかります。旅館をやっている間に一度泊まっておけば良かったと今頃思いました。
資料室見学の後、「よろしかったら」と、マンションの部屋と屋上を見せてくれました。
高齢者対象なので、カメラが付いており、人の動きが見えなかったらセキュリティー会社へ連絡が行くシステムになっていました。「セキュリーティーが完備しているので若い女性の方が多く借りています」という話でした。
部屋数は60室で、1Fにはデイサービス、2か所にラウンジを作り、皆が集まることが出来るようになっています。海側の部屋からは相模湾が良く見えました。
屋上へも登れるようになっていて360°小田原の素晴らしい景色を見ることが出来きました。
初日の出が見られる場所です。


東(鴨宮方面) 
西(真鶴方面)
中央の道路は箱根に向かう旧東海道でもあり現在の一号線でもあるのです。
写真中央の森は松原神社です。神社の右は遊郭があった宮小路です。私が入社した頃はキャバレーがたくさんあった歓楽街でした。今は寂れています。
中央小高い場所が小田原城天守閣です。このような角度で小田原城を見るのは初めてです。
望遠ズームで撮影した小田原城です。
クリックして拡大した写真をもう一度クリックするとさらに全画面になり細部がご覧になれます。
一番手前の門はいざ出陣の馬出門、その後ろが、銅門、小田原城天守閣に一番近いのが常磐木門です。
後ろの山は箱根連山のひとつ明神岳です。
つづく・・・・東海道53次 NO49-1小田原城下町
・旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る





