2015.8.21
COREDO室町 日本橋三井ホールで開催されているアートアクアリウム2015を鑑賞しに出かけた時の東京駅からのルートの紹介です。アートアクアリウム2015の記事は下記ハイパーリンクをクリックしてください。
アートアクアリウム2015
赤線がルートです。呉服橋ー常盤橋ー日銀ー三越本店ーCOREDO室町

東京駅を出て最初に見える橋は「一石橋」です。後藤橋とか八つ見橋とか八橋呼ばれていた橋です。橋の北側に金座支配の後藤家、南側に呉服支配の後藤家があり、橋が破損した折、両家が援助したので後藤橋と呼ばれていました。後藤の読みから「五斗」、「五斗+五斗で一石」ともじった洒落から一石橋という名が付いたという説があります。

一石橋の上に立つと自身も含めて八つの橋すなわち常盤橋、呉服橋、呉服橋、鍛冶橋、日本橋、江戸橋、銭瓶橋が見渡たせたことが由来で八つ橋とか八橋と呼ばれ、江戸の名所のひとつであったとのことです。歌川広重が名所江戸八景に「八ツ見のはし」を描いています。

一石橋の左たもとに「一石橋迷子しらせ石標」があります。この辺りは江戸時代も賑やかで子供が迷子となることも多く、そのための伝言板が設けられていたのです。

写真をクリックすると説明が読めます。

一石橋を見ながら左へ曲がりました。

静かな憩いの散歩道に入ります。ここが東京駅の傍だということを忘れさせてくれます。

道を出たところでは「歴史文化の散歩道」と書かれた道標に出会います。
その先は梅の木が植わっていました。歴史文化の散歩道というのは昭和58年に東京都が制定した全長240.5mの散歩道です。下記URLを参考にしてください。
http://e-sampo.co.jp/rekibun.htm
写真は2010年3月12日に日本橋から品川まで旧東海道を歩いた時のものです。

常盤橋門を渡って江戸通りに出ようとしたのですが、現在、常盤橋が復元工事で通行止めとなりフェンスが貼られていました。したがって、2010年3月12日の写真を掲載します。

常磐橋門は大きな門で江戸城への正門的な役割を担っていたのです。


私が2010年に見た常盤橋で、明治10年に門跡の石などを使って西洋式の橋に架け替えたものです。

仕方なく現在の常盤橋を渡りました。

橋を渡り切ると日本銀行が見えてきます。

橋から見ると江戸時代の常盤橋復元の工事の様子が見えました。

解体する範囲が描かれています。
明治10年に石を積み西洋風にしたようです。そのままにしておけば良かったのにと思いました。

フェンスの隙間から覗くと太鼓橋だった様子が良くわかりました。
2017年に復元工事は終わる予定です。復元されたら渡りに来たいと思います。


江戸時代の常磐門前から見た日本銀行です。

江戸橋通りを行くと日本銀行正面玄関に出ます。



日本銀行の隣は三井住友銀行です。壁はベネチア産大理石を使っているそうです。関東大震災で崩壊し立て替えた建物です。





三井住友銀行の向かいは三越日本橋店です。

COREDO室町の傍には由緒ある福徳神社があります。
9世紀後半にはここは福徳村と呼ばれ、鎮守の森にあったのが福徳神社です。徳川家康や秀忠が参拝しています。その後火災にあったりして消滅していましたが平成26年に再興されたのです。



江戸時代に「福徳稲荷 室町うき世小路」があった場所です。
『続江戸砂子』(享保二〇年・一七三五)には「室町うきよ少路に在り」と記載されています。 うきよ小路(しょうじ、と加賀ことばで読みます)と は、日本橋大通りの室町三丁目から東に入る奥行二〇間ほどの小路であり、突き当たりは伊勢町堀からの堀留で、江戸中期以降には塩河岸(北側)に有名な料理 屋「百川楼」がありました。
浮世小路を加賀言葉で「うきよしょうじ」とも読むのは、古くは加賀出身者が住んでいたことに由来します。
「百川楼」は明治のはじめ頃まで営業を続けていた江戸屈指の料理屋で、落語「百川」の舞台にもなっています。また、安政元年(一八五四)、ペリー来日の際には、百川楼の料理人が横浜まで出向き、使節団をもてなす料理を作りました。
COREDO室町の通りです。江戸情緒を醸し出しています。


道端の灯りは江戸切子をデザインしたもののようです。

つづく・・・・東京駅から日本橋ー2 日本橋三越本店