2015.8.21
三越を出て日本橋を渡って東京駅に戻りました。
江戸情緒が漂う真っ赤な観光バスが走っていました。

日本橋のたもとに「東京市道路元標」が立っています。
東京都でないのは、明治22年5月1日に東京市が成立しているのでそのなごりです。
旧道路法施行令では市町村の道路元標は府県知事が位置を定めるとしていたのですが、唯一例外として同施行令によって位置が予め決められていたのが東京市道路元標です。その位置は江戸時代の街道制度、明治時代の里程元標を引き継ぎ、「日本橋ノ中央トス」と掲載されています。
東京市道路元標がこのように特別な扱いだったのは、ここがまさに日本の道路網の中心とされたからで、大正9年4月1日に旧道路法にもとづいて 認定された国道の一覧(大正9年内務省告示第二十八号)には38本の国道が記載されていますが、国道も皆、起点は「東京市」になっています。すなわち「す べての道は東京市道路元標に通じていた」のです。


道標と三越新館が並んでいる姿を見ることができます。

「東京市道路元標」のそばに「日本国道路元標」もありました。こちらは複製です。
実物は道路の中央に埋め込まれているのですが危ないので複製を作っているのです。
文字は当時の総理大臣佐藤栄作による文字です。

各大名がここから大名行列を作って国に帰って行ったのでした。東海道、中山道、奥州街道の起点です。

首都高速の橋桁に「日本橋」と書かれています。

橋の欄干では東京都のマークを抱えた守護獅子が睨みをきかせています。

欄干も美しい形をしています。


橋の中央には東京の繁栄を願った麒麟の像が置かれています。

日本橋のアーチ中央に船から獅子のマークが見えるようになっています。

高札場
高札とは幕府や領主が決めた掟を板札に書き、庶民に知らせた場所です。

高札場の傍に立っていた日本橋の説明板です。

下の絵は歌川広重が描いた有名な日本橋です。
大名行列が江戸を出発する姿を描いています。手前左に高札が見えます。
また、天秤棒を担いだ魚屋さんが見えます。日本橋の袂には魚市場があったのです。
「晒し刑場」と言われた刑場が日本橋南詰め(右手前)にありました、女犯の売僧(女性と情を通じた不道徳な僧)や情死未遂者など色恋沙汰の罪を犯した者をここで三日間晒したとされました。江戸で一番の繁華街である日本橋は、晒刑にはうってつけの場所だったのでしょう。
右隅に犬が描かれていますが、さらし首を求めて寄ってきた犬と言われています。
写真をクリックすると拡大します。

東京駅に近い場所に立つ新しくなった鉄鋼ビルです。以前のビルには時々行っていました。中には大理石の広い階段があり、重厚感がありました。
中央部分の1F2F部分に旧鉄鋼ビルの建物の一部が残されていました。

おしまい
東京駅から日本橋ー2 日本橋三越本店
東京駅から日本橋ー3 お江戸日本橋