2012.2.20


伊豆箱根鉄道駿豆線の三島広小路駅です。大雄山線も伊豆箱根鉄道ですので同じデザインの車両が走っています。駿豆線は三島と修善寺を結ぶ鉄道です。
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広小路とは、道幅の広い道のこと。江戸時代の1657年、「明暦の大火」とよばれる大規模な火事が起きました。これを受け、江戸幕府は広い道をつくって、類焼を避けるような対策をとりました。こうした大きな道が「広小路」とよばれるようになっていきました。三島には小路と名前が付く道が沢山あります。

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三島には八小路と呼ばれる八つの小路が存在します。
詳しくは下記URLを見て下さい。
http://mishimanokodou.fuma-kotaro.com/page020.html


「茶町」と書かれた石碑が立っていました。この辺りはまだ三島宿なので茶屋が並んでいたと考えられます。

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商店街を抜け、沼津へ向かう旧東海道です。
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林光寺:林光寺の開山上人とは、甲斐の国武田信玄の御子武田信景公が、母の志願に應じて弘治三年(一五五七)、同国山梨郡国坂帰命院岌徃上人の搨下において得度し「故信」と称した人物だそうです。

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「千貫樋」という看板があり、下記のような説明がありました。
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千貫樋と説明看板があった場所です。

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橋の上からのぞいた写真で、水が流れているところがありましたが樋の形がよくわかりません。
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地図で見ると赤線で囲った場所に水の流れがあります。
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 千貫樋は、清水町と三島市との境に位置し、楽寿園小浜池の湧水を、清水町にかんがい用水として送水するために、境川に架設されている掛樋です。現在の千貫樋は鉄筋コンクリート製ですが、関東大震災により崩壊する以前は、木造で、全長45.0m、深さ0.45m、幅1.8m、高さ4.5mでした。

なお、再建された現在の樋は、全長42.7m、深さ0.45m、幅1.9m、高さ4.2mで、従来のものと、ほぼ同規模です。

この樋を架設した経緯は諸説ありますが、天文24年(1555年)に、今川、武田、北条の三氏が和睦した際に、北条氏康から今川氏真に婿への引出物として楽寿園小浜池から長堤を築き、その水を駿河の今川領に送水したというのが一般的です。 また、名前の由来については、この樋が銭千貫に値するからという説や樋が高千貫の土地を潤すからという説、樋を造るのに銭千貫が掛ったという説があります。

 
下記URLが記事です。

  http://www.pref.shizuoka.jp/kensetsu/ke-620/rekishiteki/toubu/page/page11.html

 

 この水は柿田川へ通じています。

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つづく・・・東海道53次 NO54 −1 頼朝・義経対面石


東海道53次 小田原宿 酒匂の渡し

旧東海道53次小田原宿 新田義貞首塚

旧東海道53次小田原宿 NO47-1 小田原城山王曲輪に入る

東海道53次 NO47-2 小田原宿の見附

東海道53次 NO48-1 かまぼこ通り

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東海道53次 NO49-1小田原城下町

東海道53次小田原宿 NO49-2 大久保家菩提寺大久寺

東海道53次小田原宿 NO49-3  板橋旧東海道

東海道53次 NO50 湯本へ
東海道53次 箱根越え

東海道53次 箱根から三島へ 山中城跡