2016.5.1
佃大通に入ると下町の雰囲気になりました。




路地に佃天台地蔵尊があり、奥へと進みました。


路地の中ほど左に地蔵尊を祀っている場所がありました。
手前に大きな銀杏の木の幹が見えています。この銀杏の木は元気なのか確かめるため、周囲を歩きました。

石が置いてあるだけで地蔵像が見えません。

暗い中、よく見ると石に地蔵尊が彫られていました。

祠もありました。

坪庭でしょうか?片隅に造られていました。

佃天台地蔵尊の天井を突き破って出ている大きな銀杏の木です。

佃天台地蔵尊の路地を更に進むと於咲稲荷波除稲荷神社(おさきいなりなみよけじんじゃ)がある場所へ出ました。


祭神は、倉稲魂命(ウカノミタマ)で、波除稲荷は、「災難を除き、波を乗り切る」という言い伝えがあるとのことで、佃の漁師の守り神だったのでしょう。

「さし石」と書かれた石が置かれていました。「さす」をネットで調べると「肩に担ぐ」とあったので
力石の事でしょう。佃島の漁師の若者が石を持ち上げ力比べをしたことから置かれている石でしょう。

この水路の向こうが佃島です。


赤い橋が佃島に掛かる佃小橋です。背後にはリバーシティ21の高層マンション群が建っています。
時代の流れを感じます。



赤で囲った場所が元々あった佃島です。小さな島だったのです。
明智光秀が信長を襲った時、徳川家康を救ったのが佃村(現在の大阪府西淀川区佃))の庄屋・森孫右衛門です。手持ちの漁船と不漁の時にとかねてより備蓄していた大事な小魚煮を道中食・兵糧として用意したのです。この小魚が佃煮の始まりと言われています。
その後、家康が天下を取り、佃村の漁師を佃島に住まわせ特別の漁業権を与えたのです。

佃小橋を渡り佃島に渡りました。車が走れ、思っていたより幅がある橋です。

先ほど立っていた方面です。

「此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱、抱が埋設されておりますので、立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講」という看板が立っていました。


佃島の中です。

日の出湯という銭湯がまだ営業しているようです。

つづく・・・月島・佃島−3 住吉神社
月島・佃島−1 中の島