2016.9.27
秋田の久保田城跡という呼び名よりも千秋公園という呼び方の方が一般的になっていますがその訳は
久保田城は昭和59年(1984年)まで代々佐竹氏の持ち物でした。明治29年(1896年)に近代公園設計の先駆者で祖庭ともいわれる長岡安平の設計で公園として整備され、秋田県出身の漢学者狩野良知が千秋公園(当時は「千秋園」)と命名しました。その由来は、秋田の「秋」に長久の意の「千」を冠し、長い繁栄を祈ったものといわれています。
昭和59年に15代佐竹義榮の遺志で秋田市に寄贈されたのです。

茶庵

鐘楼

門跡が沢山ありますが、現在復元されているのは表門だけです。明治13年の大火で御物頭御番所以外の本丸建物はほとんどが焼失したのです。


再建された表門。


千秋公園は春の桜、秋の紅葉モミジが有名です。


城下の警備、


御番所の内部。

内側から見た表門。

八幡秋田神社


八幡秋田神社の横に正一位与次郎稲荷神社という不思議な名前の稲荷神社がありました。

赤い鳥居をくぐって行くと左右に多くの狐の像があり、口に何かくわえているものが多いです。




親子の狐

不思議な神社名と狐なので調べてみると伝説がありました。
与次郎稲荷の伝説

つづく・・・五能線の旅−4 久保田城御隅櫓
五能線の旅−1 秋田へ
五能線の旅ー2 久保田城大手門堀