2018.4.27
日本最古と言われている足利学校に入徳門から入りました。

学という文字と松がデザインされているマンホールの由来は足利マンホールの蓋で検索すると下記のように記述されていました。
・中央の「學」は関ヶ原の戦いで活躍した同校の校長が、丸に「學」の字が書かれた 徳川家康直筆の旗を贈られた記録が有ることから蓋のデザインに取り入れたほか学業成就や開運の願いも込められています。
周囲の松葉は同校の松の枝に分からない字や言葉を紙に書いて結ぶと、翌日にふり仮名や注釈が付いていたと言う「字降松(かなふりまつ)」の伝説に由来した松。
その周囲は当時主要科目だった易学で使った「卦(け)」という記号などをあしらったデザインで市、下水道課の職員が考えたものです。(下野、毎日各新聞より抜粋しました。)

入学金を納めると足利学校入学証が発行され学校内に入ることが出来ます。

次に学校門を入りました。


入口を入った右手に学生が勉学に励んだ方丈が見えていました。

左を見ると足利学校遺蹟図書館です。大正時代に建てられた洋館です。内部には古典書籍が陳列されていましたが、漢文なので難解です。




杏壇門(きょうだんもん)
孔子が弟子たちを教えた所に杏の木が植わっていたという由来からついた名前です。

杏壇門をくぐると儒学の祖孔子を祀った孔子廟がありました。
足利学校では儒学が中心で易学等も教えられていました。


中央に木造孔子像がありました。


足利学校創建について
足利学校の創建の時代は、はっきりしておらず、平安時代、奈良時代、鎌倉時代とも云われています。明確な記録が残されているのは、関東管領の上杉憲実が室町時代の永享11年(1439)に再興して以降です。創建の一説には、元々は奈良時代の国学(官人育成の地方教育機関)が元で、平安時代の初期(8世紀中頃)に公卿の小野篁が創建し、鎌倉時代の初期(12世紀末)に足利義兼が再興、または創建した、というものがあります。


方丈・庫裡・書院が一体となった建物です。

庭から見た方丈内部

南庭園


衆寮という学生寮です。


衆寮内部

つづく・・・足利−3 足利学校ー方丈