2010.3.12

2010年から歩き始めた東海道53次の記事は当初はブログを書いていなかった為、「ブラおやま」としてword・PDF変換で友達の発信していました。
小田原宿から箱根越え、そして原宿辺りまで記事としてブログに掲載していました。コロナの影響で出かけることが減ったため旅記事が少なくなったので江戸を出発したところから東海道歩きを加筆してブログ化することにしました。

東海道53次の歩き方がよくわからないので最初のうちはクラブツーリズムの「東海道53次を歩く」というツアーに参加し、要領を得てから一人で歩きました。

ツアー集合場所はJR東京駅日本橋口で多くのツアーの集合場所なので自分のツアーを見つけるのに少し骨が折れました。
35名の参加でした。このツアーは最初は多くの参加があるのですが徐々に落伍者が出て京都三条大橋までたどり着くときは少なくなっているそうです。

東京駅日本橋口の状況です。今は新型コロナの影響で閑散としていることでしょう。
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 最初のチェックポイントは「北町奉行所跡」でした。大丸の裏手のビルの谷間に石垣が残っているだけでした。

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北奉行所跡の説明は下の写真をクリックし出てきた写真を更にクリックすると拡大し読みやすくなります。
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北町奉行所跡の位置です。南奉行所跡は有楽町駅の傍です。
両方の奉行所で手腕を発揮したのは「遠山の金さん」だけです。

 SN00001

 

 北奉行所跡から一石橋(いちこくばし)⇒常盤橋⇒日本橋へと向かいました。

一石橋は親柱が残っているだけでした。
橋の北側に金座の後藤屋敷、南側に呉服の後藤邸があり、両方の後藤(五斗)を合わせて一石というところから付いた名前ということです。
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一石橋のたもとに「一石橋迷子しらせ石標」がありました。
安政4年(1857)、町の有力者が建てた石柱です。
柱の左側に「たづぬる方」、右側に「志らする方」と掘られています。
「たづぬる方」には迷子や訪ね人の特徴を、「志らする方」には迷子を保護した者が迷子の特徴を紙に書き石柱に貼ったそうです。
この辺は江戸時代、盛り場であり、多くの人が集まったので迷子が出たのでしょう。現在のイベント会場の迷子センターの起源かもしれません。
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常盤橋公園に立つ渋沢栄一の像です。
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3月12日ですが2010年は暖かったのでしょうか桜が咲きかけていました。
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常盤橋門があった場所には石垣のみが残っています。
将軍家光の頃までは浅草口・追手口と呼ばれ、橋詰に北町奉行所がありました。 

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常盤橋門は江戸城大手門に通じる門で登城・退場のために通る門です。

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常盤橋門のすぐ先に常盤橋が見えています。
最初は木橋でしたが明治10年に洋式の石橋に掛け替えられ、東京最古の石橋でした。
しかし、2011年の東日本大震災により橋の崩落の危険があるため補修工事に入り2021年4月に補修工事が終了しました。
東海道歩きは2010年で復元工事前だったので渡ることが出来ました。
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2015年8月にこの近辺を歩いたときのブログ掲載記事です。
常盤橋修復工事中の様子の写真を掲載しています。
東京駅から日本橋ー1 常盤橋

常盤橋修復工事令和3年完了し、修復状況の記事は下記URLです。
https://www.youtube.com/watch?v=W4TJWCYJrhU


つづく・・・東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越