2010.3.12


東海道は日本橋から八重洲、銀座、新橋と続きます。

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東京駅が見える八重洲通りに平和の鐘と「ヤン・ヨーステン」の碑があります。ヤン・ヨーステンは徳川家康の外交顧問に登用されたオランダ人です。彼がこの辺りに住み「ヤン・ヨーステン」⇒ヤンヨース⇒ヤヨース⇒八重洲となったそうです。
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東海道から少しそれて路地に入った所にあったのは歌川広重の住居跡でした。亡くなるまで10年過ごした場所です。
広重は幕府の定火消組同心の長男として生まれ、15歳の時歌川豊広の門人となり26歳の時、火消同心の家督を譲って浮世絵師に専念しました。天保3年(1832)保永堂から出した「東海道53次」がヒットしました。
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京橋近くに「江戸歌舞伎発祥の地」があります。

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江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)中村座の猿若勘三郎が中橋(日本橋と京橋の中間)で旗揚げをしたのが始まりで、市村座がこれに続き、やがて森田座、山村座と非常に賑わったそうです。
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「江戸歌舞伎発祥の地」の石碑の横に「京橋大根河原青物市場跡」の石碑があります。
京橋川の袂のこの場所は歌舞伎小屋や青物市場がありにぎやかだったと思います。
川を使って大根を中心にした野菜を運搬し荷揚げ後、江戸八百八町の住民に提供されました。市が立ち、人が集まり芝居小屋が建ったのでしょうか?
市場は「大根河岸」と呼ばれ明治・大正と続き、関東大震災後、築地に移りました。
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江戸時代の地図は現在と違い、要所要所の切絵図として存在します。その切絵図は必ずしも地図の上が北とはなっていないので現在のものと照合するのが難しいです。
下の写真は切絵図と現代の地図が掲載されているものです。
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左の水路が銀座通りに相当します。
中ノ橋と京橋の間の右(青地に1)に「大根カシ」という文字が見え、江戸時代に存在した証拠です。
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警察博物館と書かれていたビルです。
警察博物館は各地にあります。
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京橋の親柱です。
江戸は木造でしたが明治8年に石橋に架け替えられました。その時の親柱です。昭和38年に埋め立てられ橋は無くなりした。
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銀座発祥の地の碑です。この場所に銀貨をつくる役所があったようです。
写真をクリックすると拡大し説明が読みやすくなります。
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つづく・・・東海道53次NO.2−2 新橋

東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋