2010. 3.12

新橋と銀座8丁目の境に「芝口御門跡」があります。
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芝口御門跡の位置です。
新橋駅の傍に神幸門、土橋があり汐留JCTが見えます。現在は埋め立てられて高速道路になっていますが、江戸時代には川が流れていた所です。
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切絵図にも芝口橋、土橋、御幸御門が書かれています。浜御殿と書かれてれている所は現在、浜離宮です。また、汐留のビルが立ち並ぶエリアは松平陸奥守・肥後守の所有地でした。
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立派な芝口御門ですが、今は石垣も撤去され何も残っていません。
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芝口御門の説明板です。
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新橋の親柱です。
新橋は芝口御門が出来た時、芝口橋と名前を変えましたが芝口御門がなくなった後、再び新橋と橋の名前が変わりました。
大正14年に建てられた親柱で、汐留川にかかっていましたが、前回の東京オリンピックの時、川は埋め立てられ高速道路が走るようになりました。
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高架を越えた所に柳が一本あり「銀座の柳二世」の立て看板があり、傍に歌碑があります。 

銀座は埋立地であったため、土は水分が多く、選ばれたのが水気に強い「柳」だったそうです。 

しかし、昭和43年、大規模な道路工事に伴って遂に姿を消しましたが、16年後のある日、撤去された銀座の柳が日野市に移植されているのが判明しました。
勝又康雄さんが接ぎ木をして再び、銀座に植えられたということです。
 


https://note.com/ktnhr/n/na931aa28283d

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旧新橋停車場へ向かいました。明治5年に開業した旧新橋停車場の駅舎を、当時と同じ場所に、開業当時の外観で再現したものです今でもモダンな駅舎です。
正面玄関 

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