2010.3.12

増上寺付近から東海道の金杉橋(マップの赤印)へ移動し、再び東海道歩きです。
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屋形船の係留場所になっています。
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安藤広重「名所江戸百景」に「金杉橋芝浦」があり、橋を渡る池上本願寺帰りの参拝者一行と江戸湾の風景が描かれています。江戸時代は橋のすぐ先は海でJR東海道本線は海の中だった事がわかります。
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江戸開城のため西郷隆盛と勝海舟が会見した場所です。
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会見場所はJR田町駅の少し東です。
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拡大したマップの12の文字が見える海岸沿いの「薩州クラヤシキ」と書かれている部分です。
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江戸時代の東海道は、今は京浜第一道路となり江戸時代の面影はありません。
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「11」は「高札場」があった場所です。
近くの「札の辻刑場」でキリシタン50名が処刑されました。
家光の禁教令を受け、見せしめで江戸市中を引き回され火炙りの刑に処されました。
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現在の地図では中央部の現在地と書かれている場所です。
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江戸への出入口だった高輪大木戸跡です。土塁のみが残っています。
夜は門が閉められ治安維持の交通規制が敷かれていました。
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高輪大木戸の説明板です。
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左の「5」が大木戸があった場所です。
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赤穂浪士47名が眠る泉岳寺です。
私は3回目の訪問です。
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桜が咲き始めていました。
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血染の石 

浅野内匠頭が田村右京大夫邸の庭先で切腹した際に、その血がかかったと伝えられている石です。

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吉良上野介を討ち果たし、首を洗った「首洗井戸」です。
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川上音二郎は荒れた赤穂浪士の墓を見て、寄進しました。
「川上音二郎建之」と書かれている石碑です。
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浅野長矩の墓、現在は修復され新しくなっています。
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赤穂浪士47名の墓の図
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大石良雄の墓
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高輪海岸の石垣石です。西郷隆盛・勝海舟対談・大木戸の切絵図からもわかるように今日では想像できませんが海岸線だったのです。
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高輪海岸の石垣石の説明と風景画です。
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最初のイギリス公使館が置かれた東禅寺 です。眼前に東京湾が広がることから海上禅林とも呼ばれました。

初代イギリス公使はオールコックで、東禅寺に水戸浪士ら十数人が斬り込んだ際、警護の武士ら20人以上の死傷者を出しながら、公使のオルコックを守り抜いた事件の舞台です 

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本堂です。開国時、公使館は殆ど寺が充てがわれました。
本堂は「海上禅林」と書かれていました。
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三重塔です。
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オールコックが襲われた時の弾痕の跡です。

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日本橋から品川までは直線にすると8kmばかりの距離ですが、第一日目は10時に東京駅を出発して品川駅に着いたのは17時でした。
私にとっては早足で歩いている感じでしたので、東海道を黙々と歩くというよりいろいろな場所で時間を使っていたことが分かります。
 

江戸時代、日本橋を出て品川宿に泊まる人はいなかったとのことです。東海道を何日もかけて下るので費用もばかにならず、一日で出来るだけ歩いたのでしょう。速い人は戸塚宿まで歩いたとのことです。 

品川宿は江戸へ入る人が泊まった宿場です。ここで体を洗い、着ているものも替えてさっぱりして江戸に入るのです。 

品川宿は品川駅の西で二回目に歩きました。

つづく・・・品川宿
東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋
東海道53次NO.2−3 浜松町