2010.3.26

品川寺(ほんせんじ):大同年間(806〜810年)に創立された品川区内で一番古いお寺です。 本尊は観世音菩薩(水月観音・聖観音)、 開山は弘法大師空海です。 

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写真の地蔵菩薩座像は、江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれました。品川寺には、その第一番東海道の尊像として、「天下安全(てんかあんぜん)、仏法繁栄(ぶっぽうはんえい)、衆人快楽(しゅうじんけらく)」の祈願のもと奉安されています。 

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幹回り5.35m、樹高25m、樹齢約600年の大いちょう。幹や大枝から垂れているのは乳というそうです。

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英霊堂
 中央に聖観音、脇に軍馬・軍犬・軍鳩(馬の上)があります。
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東海七福神マップがありました。旧東海道に沿ってあります。
距離にして4.5kmで地図によると七福神間隔は1時間です。京急沿線なので疲れたら電車に乗り周れます。
写真をクリックすると拡大します。
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品川寺の隣は「品川の神さん」で知られている海雲寺でした。
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荒神堂の千躰荒神は江戸時代より「かまどの神様」、台所の守護神として信仰されているそうです。
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平蔵地蔵と平蔵地蔵の由来がありました。
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民話:地蔵になった平蔵
いまはむかし、平蔵という、正直者のこじきがいた。こじきといっても、平蔵はいつも、人さまのおなさけをもらって、生きるのがきらいだった。歳の瀬も迫ったある年のこと、その日は久しぶりに仕事があった。鈴ヶ森の刑場で屍を土にうめる仕事だ。一日中、泥まみれになって、働いて六文もらった。品川の宿を越え、芝、高輪あたりまできて、一休みしようと、ふとあたりを見まわした。すると、ちょうど、腰かけるのに手ごろな枯れ木が横たわっていた。さて、しゃがみ込もうとすると、枯れ木のそばに何やら包みが落ちているではないか。「一体、何が入っているのだろう」手にとった包みはずっしりと重い。平蔵は、包みをといて、びっくりぎょう天。そのはずだ。包みの中には何と、大判、小判がびっしり入っている。「ああ、これだけあれば、いやな仕事もしないで暮らせる」一度は、そう思った平蔵、あの忘れもしない雪のふる夜、死ぬ間際にいった、おっかあの声がうかんで来た。「平蔵、ここさすわれ、人間、一生かかっても、銭こいくらあっても、買えん物があるど。そらな、正直という心だべな」平蔵は、一夜明けて、まだ星のあるうちに、こじきの宿を出ると、包みの落ちていた場所に座った。やがて日が昇って、職人衆や旅商人があわただしく通るようになった。すると平蔵の前を、一人の武士が何か探しものでもしているかっこうで通りかかった。平蔵は、立ちあがると、武士に呼びかけた。「もうし、お武家さま、お金を落とされたのでは」平蔵の手には、しっかりと大判、小判の入った包みがにぎられていた。武士はとびあがらんばかりに驚き、目を喜びいっぱいにして輝かした。「おぬしがひろわれたか、かたじけない」武士は、包みの中から、小判を三枚つかむと、「これを礼にとって欲しい」と差し出した。ところが、平蔵は首を横にふって、なかなか受けとろうとしない。さんざん問答のすえ、ようやく、平蔵は小判を一枚だけもらった。平蔵はその足で食べ物と酒を買い、こじき宿にもどると、仲間達にふるまい、今までの出来事を話した。酒の酔いがまわるにしたがい、仲間たちは平蔵をののしりはじめた。「一生のうち、一度だっておがめねえ大金を、おめおめと、落とし主に渡すとは、何たる馬鹿もんだ」「そうだ、そうだ、放り出しちまえ」その夜のうちに、宿から放り出された平蔵、あわれ、翌朝には、品川の海岸で、水死体となって発見された。平蔵の屍は品川の海雲寺に、ねんごろに葬られた。お墓と並んで、地蔵が祀られ、今でも香華が絶えないという。

海雲寺の鐘楼
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立会川沿いあった浜川砲台跡の説明文です。
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立会川の由来:
その昔、川を挟んで小競り合いがあったことから「太刀会川」とした説や鈴ヶ森刑場へ送られる罪人を、その親族や関係者が最後に見送る(立ち会う)場所から「立会川」となった説がある。
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浜川橋の親柱です。
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浜川橋から暫く歩くと歌舞伎・講談で出てくる江戸の刑場・鈴ヶ森刑場跡です。
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鈴ヶ森刑場の最初の受刑者は由比正雪の乱に加わった丸橋忠弥と言われています。
八百屋お七もこの地で最期を迎えました。
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中央の穴に鉄柱を建て縛られ周りに火をくべられ生きたまま焼き殺されたそうです。
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磔台
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明治4年の刑場閉鎖まで10〜20万人が処刑されたと言われています。
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この先は京浜第一道路を歩くことになります。
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江戸日本橋からの東海道53次の最初の宿場町品川宿までの記事で一休みし、今度はブログを始める前の海外旅行「トルコ」を掲載したいと思います。
トルコは景色の変化を楽しめ、物価が安く女性たちは大喜びの旅行で面白かった海外旅行でした。

東海道53次 NO.1−1 東京駅日本橋口から
東海道53次 NO.1−2 日本銀行・三越
東海道53次 NO.1−3 日本橋
東海道53次 NO2−1 八重洲・銀座
東海道53次NO.2−2 新橋
東海道53次NO.2−3 浜松町
東海道53次 NO.4-1 品川宿1
東海道53次 NO.4-2 品川宿2
東海道53次 NO.4-3 品川宿3