2010.5.29
伝承園もカッパ淵の近くなので歩いて移動しました。
途中の畑にはビールに使うホップを育てている農家がありました。
遠野はホップの生産地だと初めて知りました。小さな苗です
途中の畑にはビールに使うホップを育てている農家がありました。
遠野はホップの生産地だと初めて知りました。小さな苗です

かなり成長している畑です。


途中にあった交通安全を見守る安全太郎もカッパの姿です。
賽銭箱にもカッパの絵が描かれていました。

伝承園は、遠野の昔の生活・文化を語り継ぐための施設で、曲がり屋、水車、養蚕、昔話、しきたり等々を伝えるものです。



佐々木喜善記念館には入りませんでした。
柳田国男は佐々木と知り合い、柳田国男は彼が語る遠野の伝説を記録し「遠野物語」として出版しました。
佐々木喜善の生家が遠野の東部の山の中に残っているので、翌日自転車で時間があったら足を延ばそうと思っていたのですが時間がありませんでした。
柳田国男は佐々木と知り合い、柳田国男は彼が語る遠野の伝説を記録し「遠野物語」として出版しました。
佐々木喜善の生家が遠野の東部の山の中に残っているので、翌日自転車で時間があったら足を延ばそうと思っていたのですが時間がありませんでした。

平成天皇、皇后陛下が来園されました。

菊池家に入りました。


天皇皇后がいらした部屋です。

薄暗い場所で手ブレを起こしていますが、確かに両陛下がいらっしゃいます。

囲炉裏




うす暗い廊下を歩いて行くと突然、真っ赤な部屋がありました。
人形らしきものが沢山ぶら下がっている異様な雰囲気の部屋でした。
千体のオシラサマです。



遠野物語69話
昔ある所に貧しき百姓あり。
妻はなくて貧しく美しき娘あり。
妻はなくて貧しく美しき娘あり。
また一匹の馬を養ふ。
娘この馬を愛して夜になれば厩舎に行きて寝ね、ついに馬と夫婦に成れり。
ある夜父此事を知りて、其次の日娘に知らせず、馬を連れ出して桑の木につり下げて殺したり。
その夜娘は馬の居らぬより父にたずねてこの事をしり、驚き悲しみて桑の木の下に行き、死したる馬の首にすがりて泣きゐしを、父は之を悪みて斧を以て馬の首を切り落せしに、忽ち娘はその首に乗りたるまま天に昇りて去れり。
オシラサマと云うはこの時より成りたる神なり。馬をつり下げたる桑の枝にてその神の像をつくる。
古くから、東北地方は良馬の産地として知られ、曲り屋の中に馬屋があり、馬と家族同然の暮らしをしていた。そんな中より生まれた馬と娘との婚姻(こんいん)の話は突飛すぎる訳ではないのかもしれない。オシラサマは蚕(かいこ)の神とか眼の神、子供の神、農耕の神といわれる他に、狩人の信仰する神でもあった。今日は、どの方面の山に行ったらよいか−?そんな時、御神体を両手にはさみ鉤(かぎ)をまわすように回して、その馬面が向いた方向へ行ったという話がある。
その他オシラサマ伝説は沢山あるそうです。
その他オシラサマ伝説は沢山あるそうです。

これで、遠野観光バスの旅は終了です。14:55 に遠野駅に到着しました。
なぜ、この時刻かというと釜石線の列車は2 時間に一本で花巻・盛岡方面15:13 分発を考慮してのようです。
なぜ、この時刻かというと釜石線の列車は2 時間に一本で花巻・盛岡方面15:13 分発を考慮してのようです。
私も翌日のこの列車で帰るつもりです。
遠野−1 遠野駅へ遠野−2 とおの昔話村
遠野−3 柳田國男隠居所
遠野−4 千葉家−1 曲がり屋
遠野−5 千葉家−2 庭
遠野−6 五百羅漢
遠野−7 福泉寺
遠野−8 遠野ふるさと村
遠野−9 カッパ淵