2010.3.7(日)三日目
昼食を済ませてバスは山の中を走り、卯之町(うのまち)へ到着しました。

卯之町の歴史は、公家、西園寺氏が16 世紀に城を築いたことに始まります。

卯之町の本格的な発展が始まったのは宇和地方の中心が宇和島に移った後のことです。宇和盆地の農産物などが集まる在郷町として、また宇和島街道の宿場町、明石寺の門前町として繁栄しました。
その頃の町並みが残っていました。
卯之町の歴史は、公家、西園寺氏が16 世紀に城を築いたことに始まります。

卯之町の本格的な発展が始まったのは宇和地方の中心が宇和島に移った後のことです。宇和盆地の農産物などが集まる在郷町として、また宇和島街道の宿場町、明石寺の門前町として繁栄しました。

JR卯之町駅に近い駐車場で解散、フリータイムになりました。最初は古い家並みの通りを一団となり出発しました。

「うだつ」のある町並みでした。「うだつ」とは二階の屋根につけた防壁です。これが上がっている家は比較的裕福な家でした。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられています。


最初に訪問したのは明治15 年(1882年)に建築された開明学校でした。日本の伝統的木造建築の中に洋風のアーチ型の窓を取り入れた擬洋風のモダンな建物です。当時は舶来のガラスが使用されたのです。
長野県松本市にある重要文化財「旧開智学校」と昭和62年に姉妹館提携し、平成9年5月には国の重要文化財に指定されました。



ここで、明治の小学校の教科書を使い、模擬授業を受けられるのですが、授業を受けていると町を見学
する時間が無くなりそうなのでパスしました。
授業の様子はYou Tubeに掲載されていましたので下記URLで御覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=jR2OT8ac_MU授業の様子はYou Tubeに掲載されていましたので下記URLで御覧ください。
廊下には木製の手すりがつけられていました。

開明学校校舎の横の木造の建物は明治2年に町民たちによって建てられた私塾「申義堂」です。設立の翌年に宇和島藩の郷校に昇格し、申義堂校舎はそのまま開明学校として開校しました。つまり、申義堂と開明学校は旧校舎・新校舎ということになります。明治時代の小学校の先生の装いをした女性と記念撮影している人がいました。

次に訪ねたのは西園寺氏の菩提寺である光教寺でした。
西園寺氏は、京都の公家西園寺家の一族で、宇和荘などの領地が伊予にあったことから、南北朝時代に下向し、土着した領主です。戦国時代にいたるまで本家と交流を持ち、幕府や近隣大名とも様々な関係を結んで勢力を維持していました。しかし豊臣秀吉が四国平定後に送り込んだ大名戸田勝隆支配の時代、滅亡を迎えることとなりました。
光教寺山門です。
光教寺山門です。

臨済宗の光教寺の庭です。


光教寺は高台にあり山門から参道を見下ろした景色です。


大正15年に完成した日本キリスト教団卯之町教会です。ほとんどの家屋がグレーの瓦屋根なので美しく目立ちます。


民具館です。

民具館内に立派な御殿飾りが飾ってありました。

つづく・・・四国の旅−24 卯之町2 末光家・松屋旅館
四国の旅−1 金毘羅宮へ
四国の旅−2 土産物店が並ぶ金毘羅宮参道
四国の旅−3 大門・書院・旭社へ
四国の旅−4 金毘羅宮本殿へ
四国の旅−5 参拝後の帰り道
四国の旅−6 大歩危小歩危へ
四国の旅−7 大歩危小歩危
四国の旅−8 祖谷のかずら橋
四国の旅−9 高知1 路面電車
四国の旅−10 高知2 はりまや橋
四国の旅11 龍馬ろまん社中
四国の旅−12 坂本龍馬記念館
四国の旅ー13 桂浜・坂本龍馬の像
四国の旅−14 昼食・かまぼこ工場
四国の旅−15 土佐の山や海岸を走る
四国の旅−16 四万十川
四国の旅−17 足摺サニーサイドホテル
四国の旅−18 足摺岬灯台
四国の旅ー19 金剛福寺
四国の旅−20 竜串海岸遊歩道
四国の旅−21 竜串海岸遊歩道2
四国の旅−22 伊予国へ入る