2007.11. 4(土)
MRAアジアセンターからの方がよく見えるのですが、MRAアジアセンターは強度調査で強度不足が判明して、「補強or建替え」を検討した結果、資金不足のため、壊すことになり工事中で中に入れない状態でした。
MRAアジアセンターは富士フイルムが新入社員研修、その他の研修、泊まり込みの打合せ等によく利用していました。
**MRAアジアセンターとは:
MRAアジアセンターは1962年(昭和37 年)に、アジアにおける平和的活動(MRA活動)の拠
点として設立されました。開所式には池田勇人首相(当時)をはじめ、有力指導者が多数参列したそうです。同施設における当時の主なMRA活動は、国際会議やボランティア、助成活動などです。
時代の変遷と共に、国際化支援のため英会話教室の草分けともいえる日本外国語教育研究所(LIOJ)の設立や、企業の研修の場としての役割を担うようになりました。
時代の変遷と共に、国際化支援のため英会話教室の草分けともいえる日本外国語教育研究所(LIOJ)の設立や、企業の研修の場としての役割を担うようになりました。

MRAアジアセンター跡地は現在小田原城三の丸外郭堀土塁となっています。
下記URLは小田原市デジタルアーカイブです。地図や写真が掲載されています。
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/darc/item/685/
MRAアジアセンターの向かい側に空堀「小峰御鐘ノ台堀切東堀」があります。小田原城の空堀はここが東で、中堀、西堀があり、小田原城の守りの広大さを感じます。東堀は幅が25〜30m、深さは12〜15mあることが解っています。傾斜は50〜60度という急斜面です。堀はクランク部分もあるという念の入れようです。篭城にも適した城構えになり秀吉も一気に城取りは出来ず、一夜城まで作ってじっくり攻めるより他無かったのでしょう。

小峰御鐘ノ台堀切東堀の説明板です。拡大すると読みやすいです。
この堀は三の丸外郭堀土塁へ続いています。

アジアセンターを過ぎると急に視界は開け相模湾が見えました。半島は真鶴半島です。
眼下に見える街が板橋地区です。手前の緑の森が今回の目的地です。「松永記念館」→「香林寺」→「山月」→「古希庵」を訪ねて、旧東海道の旧家、寺等を訪問しました。

松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家・松永安左ヱ門(耳庵)の住まいです。
数寄茶人としても高名で、昭和21 年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34 年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設しました。昭和54 年の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。
数寄茶人としても高名で、昭和21 年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34 年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設しました。昭和54 年の財団解散後、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。
市では、昭和55 年10 月に小田原市郷土文化館の分館として設置し、特別展や平常展示を本館・別館展
示室で開催しています。
また、昭和61 年に移築した野崎廣太(幻庵)の茶室「葉雨庵」や平成13 年から公開している安左ヱ門の居宅「老欅荘」など、国登録有形文化財となっている貴重な建物があります。
また、昭和61 年に移築した野崎廣太(幻庵)の茶室「葉雨庵」や平成13 年から公開している安左ヱ門の居宅「老欅荘」など、国登録有形文化財となっている貴重な建物があります。
また、庭園は平成19 年2 月「日本の歴史公園100 選」に選ばれ、四季を通じ様々な花を観賞できます。

記念館の前庭には静かな池があり、池の側の木が鏡のように映っていました。


松永記念館本館

日本経済新聞や三越百貨店の社長を努めた野崎廣太(幻庵)の茶室、葉雨庵(よううあん)です。
野崎廣太(幻庵)については小田原の下記URLを御覧ください。
https://www.city.odawara.kanagawa.jp/public-i/facilities/kyodo/works/h27/kenzobutu-relay-4-gennan.html



樹齢400年と言われている大欅


今回は老欅荘の奥に入れませんでした。

松永記念館本館から見えた池です。


2012.11.25(日)に訪問した松永記念館の紅葉の写真です。
つづく・・・小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵
小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発


