2007.11. 4(土)

旧東海道から一号線に出ると左に「光円寺」、右に「大久寺」があります。
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光円寺
北条氏や春日局との関係等、寺の歴史は下記URLです
http://www1.plala.or.jp/kt/history.html
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小田原城主大久保家一族の墓所がある大久寺山門です。
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「大久寺」は小田原藩主、大久保家の菩提寺です。江戸幕府になってから大久保忠世が治め、その後忠隣が藩主になりましたたが、本多正信との勢力争いに敗れ、その後幕府直轄地になりました。
寛永9 年に稲葉正勝が小田原に転封となり、この稲葉氏の統治は正勝・正則・正往の3代にわたりました。春日の局が結婚した相手が稲葉正成でその子、正勝が家光に仕え、春日の局の配慮で小田原藩主となりました。春日の局や稲葉家の墓は入生田の長興山にあります。長興山はしだれ桜で有名です。
貞享3年(1686)、大久保忠朝は佐倉から小田原転封を命ぜられました。大久保氏は再び小田原藩主として治政を行うことになったのです。忠朝以降の藩主は忠増―忠方―忠興―忠由―忠顕―忠真―忠愨―忠礼―忠良と続き、明治維新を迎えました。
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本堂の古瓦です。中央に大久保家の紋、「上り藤の大の文字」が見えます。
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大久保家一族の墓です。
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再び一号線に戻ると、光円寺境内の春日局自身がお手植えしたとされている樹齢400年の『大イチョウ』が見えました。箱根に向かって右側にあります。
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伊豆半島と箱根の分かれ道の角に建っている白い建物は消防署南分署です。火の見櫓は砦の見張所のようです。
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大正・昭和初期を思わせる建物です。SIBATA SYSTEMと書かれています。
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三軒長屋のような感じです。
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日本鋼管指定特約店古田商店の看板がある建物は、銅葺きの屋根で、洋風の感があります。
大正末期の建物と思われます。
文春文庫、華の東海道五十三次では
  このベランダを肝試しベランダと紹介しています。
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小田原には上のような古い建物がいくつか残っています。
http://www.kindaikenchiku.com/odawara/odawara_kanban_1.htm


一号線道路脇に建っているお城は小田原城ではなく、薬の「ういろう(外郎)」本店です。お菓子
の「ういろう」も販売しています。
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小田原の「ういろう」に関して詳しく書いてある本の紹介を以前、ブログでしました。
本:ういろう物語


旅行のALLAbout内に掲載されていた「ういろう」に関する記事です。
https://allabout.co.jp/gm/gc/457497/

25代目外郎藤左衛門の話です。
https://chienotomoshibi.jp/uirou-chie/

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大正初期のういろう本店です。
大正初期のういろう


薬のういろう
pills



「ういろう」の向かいに創業400有余年、江戸時代初期から東海道に面した現在地で薬種商を営んでいる済生堂薬局小西本店があります。入りませんでしたが昔ながらの薬を入れる棚があり薬の博物館になっており「百味箪笥(ひゃくみだんす)」や生薬を粉末にする道具の「薬研(やげん)」などが置いてあります。隣の酒屋の建物も古そうです。
済生堂薬局小西本店については下記リンクを御覧ください。
東海道53次 NO49-1小田原城下町
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「ういろう」のある一号線から小田原城の堀に沿った桜並木道に入り新しく出来た小田原駅へ向かいました。
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正面の近代的な建物が小田原駅です。
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建て替わる前の小田原駅です。
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カフェで一息入れてから大雄山線に乗り塚原駅で降り、駅前の園芸店でウインターコスモスを購入しました。ウインターコスモスをぶら下げて30分歩いて家に帰りました。

おしまい


小田原板橋地区散策−1 ハイキングに出発
小田原板橋地区散策−2 松永記念館
小田原石橋地区散策−3 香林寺、山月と古稀庵
小田原板橋地区散策−4 内野邸等古い家