2008.9.20(一日目)
14:30に三井寺に到着しました。三井寺の正式名を園城寺といい、天台寺門宗の総本山です。
667 年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
667 年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移され、近江大津京が開かれました。
672 年、前年の天智天皇の永眠後、大友皇子(天智天皇の子:弘文天皇)と大海人皇子(天智天皇の弟:天武天皇)が皇位継承をめぐって争い、壬申の乱が勃発しました。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は父の霊を弔うために「田園城邑(じょうゆう)」を寄進して寺を創建し、天武天皇から「園城」という勅額を賜わったことが園城寺の始まりとされています。
勝利をおさめた大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか五年で廃都となりました。
檜皮ぶきの山門
山門を真っ直ぐ進むと金堂(本堂)です。山門だけでなく本堂も檜皮ぶきです。優雅で古風で優しい感じです。
現在のものは北の政所が建てたと言われています。

本堂の横に回ると「閼伽井屋(あかいや)」という小さな建物があり、龍の彫刻が見られます。
左甚五郎作といわれています。
この龍は夜になると琵琶湖へ出て暴れるので甚五郎が眼に釘を刺し鎮めたそうです。
「閼伽井屋(あかいや)」は天智、天武、持統天皇三代が産湯に使ったという泉が湧き出ているところです。わずかにごぼごぼと音を立てていますが・・・・

近江八景「三井の晩鐘」として有名な大鐘です。平等院、神護寺の梵鐘と共に日本三銘鐘の一つだそうです。

霊鐘堂の中に「弁慶の引き摺り鐘」がありました。奈良時代の鐘だそうです。比叡山と園城寺が喧嘩をしていた時、弁慶が鐘を分捕り比叡山に持ち帰ってついたが鐘が鳴らなかったので谷に捨てたと言われ、鐘の縦筋は弁慶が鐘を引き摺って比叡山に持って行った時の傷跡と言われています。

村雲橋を渡り、勧学院の石塀の横を通って微妙寺へ行きました。
智証大師がこの橋を渡っているとき、中国の青龍寺が焼けているのを感知し、閼伽井の水を撒くと橋の下から群雲が湧き上がり、中国の方向へ飛んで行ったそうです。翌年には青龍寺から鎮火のお礼が来たという伝説があるそうです。

微妙寺です。訪ねた日は本尊の十一面観音の御開帳日でした。
微妙寺の十一面観音の写真は下記URLに出ています。
http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/bi/01.htm
微妙寺の十一面観音の写真は下記URLに出ています。
http://www.shiga-miidera.or.jp/treasure/bi/01.htm

つづく・・・京都ー34 三井寺2
京都−32 琵琶湖畔
京都
1.京都ー1 東寺
2.京都ー2 梅小路蒸気機関車館
3.京都ー3 西本願寺
4.京都ー4 冬の渉成園
5.京都−5 再び東寺−1 五重塔
6.京都−6 再び東寺−2 金堂・講堂・毘沙門堂・大師堂
7.京都−7 宇治−1 宇治橋通り商店街
8.宇治−2平等院鳳凰堂京都−8
9.京都−9 宇治−3 平等院の寺々
10.京都−10 宇治−4 宇治川を渡る
11.京都−11 宇治ー5 興聖寺
12.京都−12 宇治−6 宇治上神社
13.京都−13 宇治−7 源氏物語
14.京都−14 宇治−8 京阪宇治駅
15.京都ー15 ホテルオークラ別邸粟田山荘
16.京都ー16 粟田神社
17.京都ー17 青蓮院門跡の庭園
18.京都ー18 青蓮院門跡の建物内
19.京都ー19 青蓮院門跡前のCafe
21.京都ー21 先斗町
22.京都ー22 仁和寺へ
23.京都ー23 仁和寺宸殿
24.京都ー24 仁和寺 黒書院・霊明殿
25.京都ー25 仁和寺境内
26.京都ー26 北野天満宮
27.京都ー27 金閣寺
28.京都ー28 日航ホテルプリンセスでディナー
29.京都−29 伏見・桃山
30.京都−30 伏見稲荷大社
31.京都−31 伏見稲荷 千本鳥居