2009.6.3

2009年6月の東京出張時、2時間の空き時間があり、その時間を使って旧岩崎邸を訪ねた時の記事です。

東京駅にある鉄鋼ビルでの打合せは15時に終わり、会社の友達との飲み会の17時まで2 時間空きができました。
カフェで時間をつぶそうか?それとも八重洲を一周するバスに乗ってみようか?日本橋付近の建造物見学をしようか?と考えているうちに、上野の「旧岩崎邸庭園」が浮かんできました。1 時間ぐらい見学できるだろう!と旧岩崎邸庭園へ行くことにしました。
ルートはメトロやJRいろいろありますがJR上野駅からにしました。上野駅からの旧岩崎邸庭園への道は標識が整備されていて地図がなくても迷うことはありませんでした。
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不忍池の蓮の開花には少し早かったです。中央に見えるのは辯天堂です。
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不忍池の傍にアジサイがもう咲いていました。
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旧岩崎邸の煉瓦塀です。
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外塀の門に接している部分は黒漆喰でした。黒漆喰は江戸時代の商家に見られる壁です。火事に強いと聞いています。
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庭園全体図です。
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門を入るとと旧岩崎邸へ続く広い道がありました。道の両側は緑が鮮やかでした。
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洋館の手前に袖壁があり、レリーフがきれいでした。
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真ん中の図案が岩崎家の家紋の「重ね三階菱」で三菱の社章の起源だそうです。
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旧岩崎庭園は江戸時代には越後高田藩の藩邸の大名庭園だった所です。明治初期に旧舞鶴藩主のものとなり、その後西郷隆盛の部下である桐野利秋の邸宅になりました。明治11年には三菱財閥初代岩崎弥太郎が屋敷を構え、岩崎久弥に引き継がれました。戦後(1945年)GHQに接収されました。その後、政府に返還され、さらに2001年東京都移管となり旧岩崎邸庭園として2003年に通年公開されるようになりました。