2009.10.17
2009年に高校の先生の研修に参加させてもらって東京の神さまを4か所訪問した時の記事です。
北欧旅行で知り合った高校の世界史担当のYさんが長年、授業の一部として生徒を連れて「世界文化史見学」を実施していました。この時は先生方の研修として「となりの神さま」というテーマで歩くので、よければとお誘いをうけ、同行させてもらいました。
10:00 代々木上原駅改札口集合で、担当者から今回の趣旨・注意点等の話があり、さっそく「東京ジャーミイ」に向かいました。
「東京ジャーミイ」はイスラム教のモスクです。
代々木上原のガード下には絵が描かれていました。


ガードをくぐると井の頭通りのケヤキ並木がみえました。

井の頭通りから見える「東京ジャーミイ」の塔です。この塔のことをミナレットといいます。イスラームの一日五回の礼拝の合図(アザーン)を送る役目をしている塔です。この合図は「アラーは偉大なり、ムハンマドは偉大な預言者である」から始まり終わります。イスタンブールに行った時はまだ寝ているのにこの声で目を覚まされました。昔はミナレットに人が登り声を出してアザーンを発していましたが今は電気の力で流れています。日本ではアザーンはないとのことでした。
モスクとジャーミイの違いはネットで調べると下記のようにありました。モスクとはイスラム教の礼拝堂のこと。 大小合わせると、日本全国に100カ所以上建てられています(2024年2月現在)。 その中でも金曜礼拝が行われる大きなモスクを「ジャーミイ」と呼び、日本で一番大きいものが「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」です。
上記のようにジャーミーの本来の意味は、金曜礼拝のための大きなモスクのことで、イランでは現在でもその意味で使われています。しかし、トルコやウズベキスタンなどでは、どのモスクも全てジャーミイと呼んでいます。
ところで、モスクはアラビア語ではありません。モスクはヨーロッパ系用語でアラビア語ではマスジドといいます。モスクやミナレット(後記)のようなヨーロッパ系用語も多く、現地語主義の高校世界史でも、ヨーロッパ系用語を全て現地語に変更することはできていません。アラビア語とヨーロッパ系の言語が混ざっているので用語の理解が混乱しているそうです。
ところで、モスクはアラビア語ではありません。モスクはヨーロッパ系用語でアラビア語ではマスジドといいます。モスクやミナレット(後記)のようなヨーロッパ系用語も多く、現地語主義の高校世界史でも、ヨーロッパ系用語を全て現地語に変更することはできていません。アラビア語とヨーロッパ系の言語が混ざっているので用語の理解が混乱しているそうです。
*金曜礼拝・・・イスラムでは先述の通り、モスク内での礼拝もたまたま集まっている場ですから、見学も自由です。高校生を引率していく時は、なるべく金曜礼拝の時に行くそうです。目・髪の毛・肌の色だけでなく、衣服までが様々な国の人たち200人近くが集まってきます。その人達の少しずつ違う祈りを目の当たりにした時、高校生は多様性を感じるそうです。

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【イスラム教とイスラーム】
我々はイスラム教と習いましたが最近の高校世界史では、西アジア研究者の提唱で「イスラム教」ではなくて、「イスラーム」と呼んでいるそうです。そもそも「神に帰依すること」がイスラームの意味なので「教」の部分もそこに付随していると考えられるからです。また、高校世界史では、現地語主義を採っていて、なるべく現地語に近い発音を採るようにしています。そのため、同じ社会科の中で、地理・日本史・世界史で同地名異読も起こっています。
------------------------道路側の「トルコ文化センター」の入口です。女性はここでトルコの女性がそうであるようにスカーフをかぶりました。皆いつもの姿と変わり顔を見合せて少し恥ずかしそうでした。

スカーフを忘れた人は入口に用意してあり、それが使えます。貸しスカーフの下の引き出しには、ウエストがゴムのロングスカートも入っていました。Yさんは「短いスカートの女子高生を引率していった時には助かりました」とのことでした。

スカーフを忘れた人は入口に用意してあり、それが使えます。貸しスカーフの下の引き出しには、ウエストがゴムのロングスカートも入っていました。Yさんは「短いスカートの女子高生を引率していった時には助かりました」とのことでした。

正面玄関横の清めの水亭(ミーダーア)です。
日本の社寺の手水と同様、参拝の前に体を清めます。日本と違い、砂漠を越えてくる場合が多いので手足を始めとして頭も洗ったりします。大通りに面するこのミーダーアは象徴のようなもので、現実には使っていませんので水は出ませんでした。東京ジャーミーに来る人たちはトイレ(後記)でお清めを行うそうです。

礼拝堂へは脇の階段を上りました。この階段は大理石で出来ていました。

我々は、イスラームの建物をモスクと呼びますがモスクは、原則として単に礼拝をしたい信者が集まるための場所です。ですから、そこに飾られた物に神聖さはありません。聖なる礼拝所とされるキリスト教会の存在意味とは全く違います。ユダヤ教の成立600 年後に生まれたキリスト教は、ユダヤ教に欠けていた愛・心を込めました。さらに600年後に成立したイスラームはキリスト教に科学性と商業性を加えたとも言えるそうです。イスラームの徹底した偶像否定は、万物に魂を感じようとしてしまう人間性の弱さへの深い理解とその反省なのでしょうか?
階段を上がったところは大理石の広場になっていました。

下の建物は、トルコ人が亡命してきた時のトルコ人村の小学校です。この地域のトルコ人の人数が減少してきてからは閉校になり、ジャーミーの改築時にはトルコ人建設労働者の宿舎として使われました。

下の建物は、トルコ人が亡命してきた時のトルコ人村の小学校です。この地域のトルコ人の人数が減少してきてからは閉校になり、ジャーミーの改築時にはトルコ人建設労働者の宿舎として使われました。
東京ジャーミイは鹿島建設が「箱もの」をつくり、水とセメント以外の物はすべてトルコから運ばれ、内装や大理石を張る等、仕上げをトルコ人が行いました。

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東京ジャーミイの起源:
イスラーム教徒のトルコ人がロシアに渡ったものの、1917 年にロシア革命が起こり、社会主義社会では宗教を認められずロシアから日本に亡命したことに因るものです。日本政府はその頃ソ連を敵視していたので亡命を受け入れ、代々木上原周辺に居住地を与えました。
トルコ人達は1938 年、学校やジャーミイを建てたのです。そのジャーミイが古くなったので建て直したのが現在の東京ジャーミイです。2001 年に完成しました。
イスラーム教徒のトルコ人がロシアに渡ったものの、1917 年にロシア革命が起こり、社会主義社会では宗教を認められずロシアから日本に亡命したことに因るものです。日本政府はその頃ソ連を敵視していたので亡命を受け入れ、代々木上原周辺に居住地を与えました。
トルコ人達は1938 年、学校やジャーミイを建てたのです。そのジャーミイが古くなったので建て直したのが現在の東京ジャーミイです。2001 年に完成しました。
トルコからの職人は100 名来日し、建築費12 億円でした。イスラーム信徒は世界に13〜15 億人おり、宗教信者が減る傾向にある現在、唯一増え続けている宗教です。
日本での信者は10 万人、モスクは40 ほどあると言われています。こんなにイスラム教信徒が日本にいるとは知りませんでした。
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【イスラーム信徒】
男性信徒はムスリム、女性信徒をムスリマとよびます。一般的記述ではイスラーム信徒をムスリムという用語で代表していることが多いようです。
----------------------つづく・・・となりの神さま−2 東京ジャーミイ一階