2009.10.17

安養院見学を終えて五百羅漢寺へ歩いて行きました。
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五百羅漢寺入口です
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説明板です。
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五百羅漢寺の入口にある「らかん茶屋」で「らかん膳」のお昼になりました。
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昼食後、階段を上がって羅漢参りをしました。
羅漢寺の広場です。
回廊には松雲元慶禅師が一人で彫った羅漢様が並んでいました。
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ここも撮影禁止のため、インターネットより写真を引用します。
ここの五百羅漢は等身大というのが特徴ということでした。
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【羅漢さんとは】
釈迦の滅後、その教えを広めていこうと集まった阿羅漢(あらかん)達のことです。阿羅漢とは、修行を積んで悟りに達したものの称号です。菩薩様は慈悲により民を救いますが羅漢は自身の修養と解脱が目的であり、大乗仏教が広まってから菩薩の下に位置する聖者とされました。お釈迦さまがなくなられた時、五百人の弟子が釈迦の説法を後世に伝えるために集まり会議を開きました。これを「仏典結集(けつじゅう)といいます。この時の五百人が五百羅漢のモデルといわれています。
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菩薩は「様」で羅漢は「さん」と呼ばれ、羅漢さんが庶民に愛されたのは、序列で言えば3 番目で手の届きそうな位置であることに加え、悟りを開こうとする姿に自分もこうなりたいという願望を描ける存在だからでしょうか?五百の羅漢の顔つきもユーモラスな顔、笑っている顔、怒っている顔、耐えている顔・・・いろいろあり自分に重ね合わせることができる所に近親感をもつのでしょう。

境内にはピラミッドパワーがありました。
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本堂はガラス張りでした。
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下記の写真は「江戸名所図会」に出ているものです。通路は同じところを通らずに五百羅漢を見
て回れるように工夫されていました。螺旋状の構造で「さざい堂」と呼ばれていました。
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元禄時代に羅漢寺は本所に建てられ、下の浮世絵からわかるように「羅漢寺」は江戸時代の有名なアミューズメントパークだったのです。しかしその後、洪水や地震等で没落・移転を続け、明治41 年に目黒に移転して現在に至ります。昭和45 年に国の重要文化財指定を受けました。
富嶽36景の一枚です。
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江戸百景の一枚に描かれたさざい堂です。

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目黒は坂が多いところです。目黒の通りで坂の名前が付いているところは56 もあります。
台地と台地をきざんで流れる目黒川・立会川・呑川の浸食作用による地形の変化が、坂をつくってきました。目黒川の浸食は、上流部では浅く、下流部では深い谷を作り、深いところでは台地面か
ら20 メートル以上もあります。
立会川は、深さ2,3 メートル位の幅広いくぼ地をつくって流れ、呑川は、川の西側を浸食して深さ10メートルぐらいの谷をつくっています。このことから、目黒川と呑川付近には坂が多く、しかも急な坂が目立ちます。
かつての目黒は「江戸名所図会」などでも知られるように、目黒川付近の坂上からの眺めがよく、富士山を見るのに絶好の地にあり、江戸市民の行楽の地として栄えてきました。
目黒区が坂の多いまちだといわれるのは、起伏に富んだ特異な地形に関係があります。
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つづく・・・となりの神さま−6 ニコライ堂(東京復活大聖堂教会)

となりの神様−1 東京ジャーミイ1
となりの神さま−2 東京ジャーミイ一階
となりの神さま−3 東京ジャーミイ二階・女性用礼拝場
となりの神さま−4 安養院 北インド・チベット仏教を感じる