2011.8.7

2011年に目黒にある雅叙園に寄った時の記事です。
百段階段で有名です。
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雅叙園玄関です。
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入口に「お七の井戸」がありました。
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「八百屋お七」の話とこの井戸との関係はちょっと長くなりますが記しました。

本郷森川町の商人八百屋市兵衛は、もと駿河国富士郡の農民でしたが、八百屋を業として裕福に暮らしていました。男子二人のほかに、十六で末っ子のお七は、容姿、性格ともに優れて夫婦はことのほか溺愛しました。

天和二年十二月二十八日、駒込大円寺より出火した大火で、一家は檀那寺の正仙院に避難しました。この寺には寺小姓の生田庄之助なる十七になる美少年が居ました。
庄之助はひと目でお七に恋慕し、文を渡すなどすると、お七も庄之助のことを憎からず想い、人目を避けながらも正月の松の内が明ける間もなく、深い契りを結ぶ仲になりました。

その後、家に戻ったお七でしたが、庄之助の事が忘れられず、文など送り、隠れては逢瀬を続けました。が、親の目もあり二人が思うようには会うことも出来ず、お七はいつもじれったく感じ始めていました。
そんな折、また火事があれば庄之助の居る寺に泊まる事が出来る、とはかない女心で考えたお七は三月二日の夜、近所に放火しましたが、たちまち見つかり未遂に終わりました。お七は捕らえられ奉行所に引き立てられました。

お七の恋人の名は、井原西鶴の『好色五人女』や西鶴を参考にした作品では吉三郎とするものが多く、そのほかには山田左兵衛、落語などでは吉三(きっさ、きちざ)などさまざまです。

三月十八日から十日の間、江戸市中を引き回され、二十八日鈴ケ森にて火刑に処せられました。
お七の情人であった「庄之助」がその後出家し、僧となり名を「西運」(さいうん)と改め諸国を行脚、後に大円寺の下隣りの明王院(現・雅叙園)に入って鈴ヶ森刑場で露と消えたお七の菩提を弔うため、往復十里(約40km)の道のりを浅草観音まで夜から明け方に掛けて鉦を叩き念仏を唱え、隔夜日参り一万日の行を27年と5ヶ月かけて成し遂げました。お七が夢枕に立って成仏したことを告げられたことから、「お七地蔵尊」を造ったと言われています。西運が浅草寺まで行く時、雅叙園の井戸で身体を浄めて発った井戸だと言われています。


当時、歌舞伎座が改修工事に入っていたので百段階段の各部屋で歌舞伎座で使う衣装・小道具が展示されていました。
波の音と風の音を作る小道具を私は試してみました。私がやっても臨場感が出ます。

花道を移築した部屋のみ写真撮影OKでしたのでその部屋の写真です。

「暫」の衣装です。大変大きいです。これを着て、見得を切るのは大変と思われます。

「花道と客席」です。
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演目の解説と衣装の解説です。
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私が行った時は「歌舞伎展」でしたが百段階段の各部屋ではいろいろ企画展が開催されます。
下記URLを参考にして下さい。
ttps://www.hotelgajoen-tokyo.com/100dan


百段階段へのエレベーターの扉です。きらびやかというか・・・
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歌舞伎の世界を垣間見て、後は4つ星ホテル雅叙園のロビーを散策しました。
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入口のドームの中の庭です。
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おしまい